エブリ・ブレス・ユー・テイク

暇崎ルア

エブリ・ブレス・ユー・テイク

 朝の八時ちょうど。支度を終えた僕は、合鍵と現代人の生活に必要なスマホを手に玄関を出る。

「あ、高田さん」

 玄関を出て左、自室の鍵を閉める202号室の天使がいた。同じようなタイミングで部屋を出ている彼女と僕は、運命共同体なのかもしれない。

「おはようございます!」

 その唇は、濡れたように艶めくピーチピンクに色づいていた。

 可愛いなあ。今までその色つけてなかったよね、新しく買ったグロスなんだね。すごくよく似合ってるよ。

「お、おはようございます」

「お仕事ですか?」

「は、はい……。佐鳥さんは、今日は大学、ですか」

 心の中では臆することなく彼女に話しかけられるのに、実際に声をかけると言葉がつっかえてしまう。

 僕がそんな自分に苛ついていることなど知る由もなく、天使は一層にっこりと笑った。

「今日は講義がないんです。だから、買い物に行こうかなーって」

「そ、そうなんですね。いってらっしゃい」

「はーい。高田さんもお仕事頑張ってくださいね」

 天使はくるりと踵を返すと、軽い足取りで階段へと歩いていく。

 来た。

 すかさずスマホを開き、遠ざかる背中に外カメラレンズを向ける。無音のカメラアプリだから安心だ。

 すぐ写真を確認。ぶれてたらどうしようかと思ったけど、液晶画面の中にはギンガムチェックのチュニックとグレーのボトムスに身を包んだ天使の後ろ姿がしっかりと写っていた。

 佐鳥唯花。互いに食べ物のおすそ分けをしあうような隣室の女子大生。恋人と言ってもいいかもしれない。

「勤務時間」という長い灰色の時間を終えたら、コンビニで所用を済ませて帰宅。201号室のドアの鍵穴に鍵を差し込んで捻ったら、違和感があった。鍵を捻ったときの手ごたえがいつもと違う気がする。

 嫌な予感がしてドアを開けようとしたら、開かない。

 鍵穴に鍵を入れて捻ったら、閉まった。今僕はドアを開けたのではなく、反対にドアを閉めてしまったことになる。

「まずい」

 今度こそドアを開けなおして部屋に入る。

 玄関、リビング、風呂、トイレ、寝室。どこも荒らされたり、物がなくなっている様子はなかった。

 誰にも見られたくないクローゼットにはナンバー式の南京錠をかけているけど、そこにも異常なし。安心していいだろう。

 僕の寝室のクローゼットに服は入っていない。その代わり、佐鳥さんの写真がたくさん貼ってある。

 202号室から出てくる佐鳥さん。コンビニのドリンク売り場で飲み物を選んでいる、お出かけ中の佐鳥さん。もう、数えきれないぐらい。全部僕が撮ったものだ。

 彼女に許可は撮っていない。でも、ばれなきゃいいんだ。佐鳥さんが天使みたいに可愛いのがいけない。

 僕はまだ脱いでいなかったスーツのジャケットのポケットから、今朝撮った佐鳥さんの後ろ姿の写真を出した。退勤後のコンビニでプリントアウトしてきた。

 それを引き出しにしまっているピンで、クローゼット内の空いたスペースに貼り付ける。新たなコレクション、ゲット。

「いたっ」

 小躍りしたら、何かにけつまずく。見たら延長コードが床の上で伸びていた。

 四つあるコンセント穴のうちの一つには、スマホ充電に使う黒いACアダプタが刺さっている。使わないときは引き出しにしまうはずなんだけど、忘れたんだろう。次からは気を付けよう。

 机上の充電コードをアダプタに差して、スマホとつなぐ。ふと、いつも使ってるアダプタの色は白だったかもしれないと思ったけど、すぐに忘れた。

 もっと大事なことがある。

「愛してるよ」

 クローゼットに貼られた、たくさんの佐鳥さんたちに今夜も愛を告げた。

 これだけが、僕の夜の愉しみだ。


 ACアダプタを模した隠しカメラの方を見た彼が一瞬首を傾げたから、ばれたかとひやひやした。

 だけど、普通のアダプタだと思ったみたい。そういう愚かなところが可愛くて愛おしい。

「まあ、ばれてもいっか」

 むしろ、あたしが仕掛けたと知ったら大喜びするかも。

 講義がない日でも早く起きて、ACアダプタ型の隠しカメラを買いに遠出してから部屋に忍び込んだ甲斐があった。鍵のピッキングの練習も役に立った。設置したら嬉しくなっちゃって、玄関ドアを閉め忘れたのは反省点。それから、ナンバーロックを一から番号を試す余裕がなくて、開けられなかったことだけが心残り。まあこれから先、高田さんの生活を見ていれば正しい数字のヒントがわかるかも。楽しみだな。

 あたしに何もばれてないと信じ込んでる純粋な青年。おそらくあるであろう罪悪感に苛まれつつ、「盗撮」という甘美なスリルに溺れている馬鹿な青年。

「201」の寝室にカメラを置いてきて大正解。愛する彼の最大級のプライベートが覗き見られるんだから。

「……これからも、大好き」

 もちろん彼には聞こえてない。だけど、声に出して言っちゃってもいいよね。大好きだし。

 今は見えないけど、いつかはカメラのそばでしゃがむはずだから、このまま待っていよう。

 あたしの愉しい夜はまだ始まったばかり。

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エブリ・ブレス・ユー・テイク 暇崎ルア @kashiwagi612

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