洗濯機おばさん

弓長さよ李

洗濯機おばさん

「子どもの頃、近所に洗濯機おばさんって言われてる人がいたんですよ」


 飲み友達のSさんは、レジャーシートの上で妙に懐かしそうに言った。


「それはどういう由来だったんですか?」


「そのままですよ。通学路の脇の道に、いつからだったか古い縦式洗濯機が捨てられてたんです。そんでその正面に向かい合うみたく、洗濯機おばさんは立ってたんです」


 おばさんと言っても、具体的な年齢はよくわからなかったらしい。


 いつもボロボロのコートを着て、洗濯機の中を覗き込むように、長い髪を垂らし俯いている。朝から晩まで、雨が降ってもずっとそこに立っている彼女は、地域全体から奇異の目を向けられていた。


「誰も近づきませんでしたけどね。なんか臭かったし。……一回だけ大人たちが洗濯機を撤去しようとしたことがあったんですけど」


 幼いSさんも野次馬根性で様子を見に行ったが、ボロボロの洗濯機に縋りつきながら意味不明な喚き声を上げる彼女の姿が恐ろしく、すぐにその場を離れた。


「結局どうにもならなくて、おばさんも洗濯機もうちの地域では黙認されることになりました」


 そんなSさんだったが小5の頃、クラスのいじめっ子に「洗濯機おばさんに挨拶して来い」と命令された。


 怖かったが、断ればいじめが悪化する。仕方なくいう通りにした。


 恐る恐る近づくと、遠巻きに眺めているとき比べ物にならない異臭がした。排水溝に顔を突っ込んだような匂いだったと言う。


「それで、なんかずっとつぶやいてるんです。ぶつぶつぶつぶつ低い声で」


 具体的な内容は不明瞭で聞き取れなかったし、聞きたくもなかった。

 

 Sさんは今すぐ逃げ出したい気持ちを堪えて、いじめっ子たちに聞こえるように「こんにちは」と言った。


 すると、返事が返ってきたそうだ。


「あら、こんにちは」


 優しい声だったという。それから、彼女は甲高い声で調子っぱずれな歌を歌い始めた。


「せーんたっきーせんたっき〜きれいにしーましょぐーるぐる〜せーんたっき〜……」


 Sさんの背後で、いじめっ子たちが悲鳴を上げて逃げ出した。


「なんだ、あいつらも根性ないなって笑っちゃいました」


 それからいじめっ子にも強気に接することができるようになった。

 

 Sさんが成長し、中学生になっても相変わらず彼女はそこにいた。


「俺はたまに挨拶なんかしてましたけど、やっぱり臭いし不気味だからみんな避けてました」


 そんな彼女がいなくなったのは、高校受験を控えたある年のことだった。


「当時、あちこちのニュースで小惑星が地球に近づいてるって話があったじゃないですか」


「ああ、そういえばそうですね。確か結局大気圏で燃え尽きたんでしたっけ」


「いや、ちょっと違うんです」


 過去問を解きながらSさんがふと窓の外を見ると、大きな赤い何かが降ってくるのが見えた。小惑星だ、と思った。


 次の瞬間、父親から大声で逃げるぞと言われた。街は人でごった返していて、車に乗って家を出た高橋さん一家も、降りて走ることにした。


 ふと、洗濯機おばさんが目に止まった。いつも通り、洗濯機の前にぼうっと立っている。


 あんたも逃げろ、そういう人は誰もいなかった。Sさんが声をかけようとした、その時。


「ずるん、って」


 彼女は洗濯機の蓋を開けて、頭から突っ込んだのだそうだ。Sさんが驚いていると、電源の入っていないはずの洗濯機から、ごうんごうんと回っているような音を上げる。


 その音は徐々に大きくなっていき、それに伴うように洗濯機が光を放ち、形を変えていく。


 気がつけば洗濯機は、ロボットめいた人型に変身していた。錆びた体躯を街灯に輝かせ、ふわふわと浮遊している。


「なんというか、ガンダムとかを人間サイズにしたイメージです」


 人型になった洗濯機から、歌声が聞こえた。


「せーんたっき〜せんたっき〜きれいにしーましょぐーるぐる〜せーんたっき〜せんたっき〜」


 洗濯機おばさんの、調子っぱずれな歌声だった。人型になった洗濯機は、またごうんごうんと音を上げると、小惑星に向かって飛び立っていく。


 歌声が聞こえなくなるころ、小惑星が砕け散り、空が一瞬輝いた。


 語り終えるとSさんは、タバコに火をつけ一服してから、寂しそうに言った。


「もしかしたらあれは俺の幻覚で、小惑星は本当に大気圏で燃え尽きたのかもしれません。でも、思うんです……もしかしたら、ああいう一見頭のおかしい人が、裏で世界を守っているんじゃないかなって」


「確かに、そうかもしれませんね」


 私もうなづく。ふと、避難所がどよめいた。顔をあげると、空を巨大な何かが横切るのが見えた。


「洗濯機おばさんだ!」


 Sさんが子どものような声で叫ぶ。それは確かに、洗濯機を人型に変形させたような姿をしていた。


「せーんたっき〜せんたっき〜きれいにしーましょぐーるぐる〜せーんたっき〜せんたっき〜」


 調子っぱずれな歌を歌いながら、その飛行物体は前進していく。突如出現し、東京を襲った地底怪獣に向かって、迷いもなく、真っ直ぐに。

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洗濯機おばさん 弓長さよ李 @tyou3ri4

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