過去をなぞる

先崎 咲

決別

「別れよう」


 切り出したのは私。この発言で、キミの表情が驚きのために目を見開くことになることを私はよく知っていた。


「「どうして」」

「って、思ってるんでしょ」


 わかるよ。キミのことだもん。言葉がかぶったことに驚くキミに言葉を続ける。


「キミとは一緒にいられないんだ」


 それが、何度もこの一日を繰り返している私の結論だった。


「とにかく、今日出てくから」


 ボストンバッグにまとめた荷物を叩いて、告げる。このときに、ひとかけらでも寂しい表情をしてはいけない。そんなことをしたら、キミは気づいてしまうから。

 二年間一緒に過ごしたアパートを離れることは──。いや、三年間付き合ってきたキミと離れることは、心の底から寂しくて、悲しい。泣き出してしまいそうだし、実際泣いたこともある。キミはそのことを覚えていないだろうけど。


 そんなときは心配して、そばにいてくれる。そうして──、そうして、死んでしまう。私を狙ったストーカーに刺されて。


 私は何十、何百回とこの一日を繰り返している。終わりはいつも変わらない。家から逃げても、鍵をかけても、今日この日にキミは私といる限り殺される。

 彼が死なないように別れればいいと思いついたのは、一体何回目の今日だっただろうか。それを泣かずに言えるようになったのは、一体何回目の今日だっただろうか。そして今回、ようやくキミに本心を悟られないで、話を切り出すことができた。


 キミに背を向けて、玄関でブーツを履いた。ボストンバックを肩にかけて、立ち上がる。一度だけ振り返った時、キミは私をずっと見つめていた。


「本当に別れるの?」

「うん」


 彼の言葉を背にそう告げる。それ以上は言わない。顔も見れない。だって、きっと、そんなことをしたら泣いてしまうから。


「じゃ、ばいばい」


 玄関の扉を開ける。鍵をかけたら、郵便受けに鍵を放り込んだ。ガチャンと音がして、胸がキュッと痛んだ。


 ここから先は初めての今日。早足で駅に向かう。できるだけキミから離れるように。寂しいとすら思えない距離になるように。


 電車を乗り継いで、いかにもな秘境駅までたどり着いてしまった。空はとっぷりと暗くなっている。電灯が途切れ途切れについたり消えたりを繰り返し、虫がその周りに集っている。

 駅には、私の他にもう一人の影。


「女の子がぁ、こんなところに居ちゃぁ、危ないよぉ。それともぉ」

「俺とぉ、ふたりきりにぃ、なりたかったのかなぁ?」


 気持ち悪い発言をするストーカー。電車を使って撒けないかと思っていたが、うまくいかなかったらしい。でも、キミのところに行かなくて良かったと安堵する自分もいる。


「あぁ、でも、浮気はいけないねぇ。俺はこんなにも好きだったのにぃ……他の男と住むなんてさぁ!!」


 しかし、私はこのストーカーのことを知らない。今日を繰り返すようになってからようやく存在を自覚したのだ。


「私、あなたのこと知りませんけど」


 思わず、言葉が漏れてしまった。しまった、本音が。


「ふ、ふ、ふざけるなぁ!!!!」


 ストーカーがカバンから包丁を取り出し、突進する。周りには、誰もいない。そう、誰も。いつも命を懸けて助けてくれたキミがいないことに安堵する。

 ──巻き込まなくて良かった。


 ドン、とお腹に包丁が刺さる音。そして、痛みが音の後を追いかけるようにやってくる。


 ああ、キミは。こんな痛みを抱えてまで、私を助けていてくれたのか。

 こんな痛みを、私はキミに何十回、何百回とも与えていたのか。なんて、ひどい人間。


 こんな私と共にいて、キミは本当に、──幸せでしたか?


 幸せだった日々をなぞって、心の中でキミに問いかける。心の中のキミは笑って、私の意識は闇に落ちていった。

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過去をなぞる 先崎 咲 @saki_03

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