第3話

 布越しにこぼれる陽の色が濃くなってきた。西陽が長く伸びてきて床に光の線を描き、閉店の時刻が近づいてきたことを教えていた。


 背後で椅子をずらす音がした。

 流れるピアノの音に、最後……という理人の声が混ざった。


 途切れ途切れ聞こえてくる言葉をひろう。


 異動が決まって……

 残念です……こちらに来られた際にはまた……


『転勤』という言葉が頭に浮かんだとき、揺れる感情に戸惑った。

 動揺して、本の文字を追えない。

 

 ……いやいや、もう別れてるんだし。

 今日ばったり会わなかったら、理人のことは忘れてたんだし。

 彼女がいるかもしれないし。

 いつまでも自分のものみたいに、馴れ馴れしく話しかけられるのは嫌なはずだし……。


 ふいに、小さくカランと鐘が鳴り顔を上げた。振り返ると、窓にかけられた白い布越しに理人が見えた。ゆっくりと歩きながら、なにかを探すようにこちらを見ているけれど、視線が合わない。


 そのとき、はじめて気がついた。

 窓にかけられた布はミラーカーテンのようになっていて、光の反射で外からは見えにくい。

 逆に店内からは外の景色がよく見えて、だから理人も、わたしが目の前の窓を横切って店に入ってくることを知っていた。

 けれど、もう別れているんだしと思って声をかけるのを躊躇った。

 帰り際でさえ、わたしが読書中に話しかけられるのが嫌なことを覚えていて、声をかけられなかった——。


 何も言わなくてもお互いの距離をはかることができるほど、わたしたちの過ごした時間は長く充実していて。

 関係が変わっても、思いやっていられる。

 それは誰とでも築ける関係ではなかったのだと、今さらながらに痛感した。


 弾かれるように立ち、急いで会計を済ませ飛び出す。

 


 家族でもなければ、いつまでも繋がってはいられないし、

 べつに記憶喪失になるとかじゃなくても、

 今が更新されていけば、過去は忘れられていく。

 理人との季節は二度と巡ってこない。

 それで、いい。

 それでいいのだけれど、最後に、

 古いアルバムを眺めるような気楽さで、話がしたい。


 真っ直ぐに射す西陽が理人の姿を見えなくさせる。

 眩しさに目がくらむなか、彼の名前を叫ぶ。

 立ち止まり、振り返るシルエット。



 その顔は昔みたいに笑ってるって、わたしはちゃんとわかってる。

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めぐる 果澄 @kasumi-tachibana

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