幸福パンチ
いちこ みやぎ
幸福パンチ
「ただいま」
しんとした部屋へ、つい習慣になっていた挨拶をかけ反応がない、ことについ……ため息が漏れた。
変わっていないようにも思える空間は、けれど蓄積された熱が放出されたような。
なんとも味気ない印象を受ける。
そんな思いを振り払って。
私は最近ずっと、いつもより億劫に思いながら電気のスイッチを触る。
もう二ヶ月になる。
いつになったら、このスイッチの変わり映えしないはずの冷たい感触に慣れるだろう。
実際。
ここは二ヶ月前と何も変わらないはずだ。
しみったれた感傷で、何も捨てられなかった私は、妄執漂う物品と一緒にいまだに生活をしている。
使っていた食器。
いつもの定位置のクッション。
座りはしないけれど、そっと触れては、悲しみは私の首を絞めにくるから。
めったに視界にさえ映せないけれど。
小さめのダイニングテーブルは、私とあなたのお気に入り。
持ち帰った仕事にちょっかいかけるのは、幸せにも思えるあなたの癖だった。
どこでわかたれたんだろう、私たちは。
もっと何かできたんじゃないかと、つい思ってしまう。
あの時あなたも私も、あんなにも真剣だったのに。
部屋の端に、突っ立ったままのキャットタワーを衝動のままに引き倒したくなって、やめた。
お気に入りのネズミの、もうボロボロになったおもちゃ。
大好きだったウェットフードの缶。
ブスくれた声を上げながら頬張っていた、カリカリの袋は、口が開きけれど半分ほどで減りが止まったまま。
あなただけが、ぽかり、といない。
私は、世界一幸せだった。
だけれど、思う。
きみは幸せでしたか?
写真の中のあなたは、いつもちょっとだけ不満そうで。
けれど、お腹を見せてだらんと私に背中を預けてくれていた。
なのにあれからずっと、私は不安なまま。
本当に、あなたは幸せでしたか?
どうやっても、もとより、正確な返事なんてなかったから。
けれど。
確かにその温もりを、私に預けてくれていた。
病院に渋々でも、付き合ってくれていた。
名前を呼ぶと、返事をくれていた。
私が意に沿わないことをすると、猫パンチをくれていた。
きっと幸せだった。
そう私がちゃんとわかってないと、きっと、また。
猫パンチ。
幸福パンチ いちこ みやぎ @katsuji-ichiko
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