血まみれバレンタイン
渡貫とゐち
悪癖と性癖
二月十四日、バレンタインデー。
そわそわしながら向かった学校。
そわそわしながら受けた授業。……あれれ? と戸惑いながら過ごした昼休み。
あー、なるほど、と納得しながら受けた午後の授業――――
から、やっぱりね、と諦めた放課後を経て、帰路を歩く。
家に辿り着く。
辿り着いてしまった。
――カバンの中にチョコは0個。
帰りのコンビニで買ってしまおうかと思ったけれど、財布には数枚の千円札しかなく、百円のチョコのために札を崩すのはもったいないと考え、財布をしまった。
もしかしたら、買うな、という神様からの警告だったのかもしれない。
……そうだ、まだ希望を捨てるな。わざわざ僕の家までやってきてチョコをくれる女の子が世界にひとりやふたり、いるかもしれないのだから――――
「おかえり、とーまちゃんっ。チョコレートできてるよっ」
両親は仕事で不在。
誰もいないはずの家に……女の子がいた。
鍵はかかっていた。
なのに、彼女は僕の家でエプロンを付けて、銀色のボウルを持っていた。
ふ、不法侵入だ! とか、キッチンを勝手に使うな! とか言うべきなんだけど、まず目を引くのが、彼女の頬にべったりとついたチョコ――ではない。鉄の匂い。
血がべったりと。
裸足の彼女の足跡が、廊下についてしまっている……。
「あ、これね、いろいろ作ってるの。いま作ってるこれは友チョコ用だから――ほらほら、こっちにおいで、とーまちゃん」
「…………なんでいるの」
「やーん、毎年チョコあげてるでしょー? とーまちゃんが学校にいってる間にわたしはチョコ作りに励むのが、お・や・く・そ・く。でしょ? ふふふ……去年みたいな無茶はしないから安心して。今年は入ってないから」
「でも……」
彼女が言った事件は、去年のバレンタインデーのことだ。
彼女は自分の血をチョコに混ぜようとした。
チョコの甘さに混ざって血だと分かる鉄の匂いがして、食べる前に分かったからよかったけれど……、食べていたら僕はチョコを嫌いになっていただろう。
食べていなくても、血の匂いとチョコが合わさると気分が悪くなる。
みんなそうなのかもしれないけど……。
という、去年のことがあり、彼女は今年こそ、ちゃんとチョコを作ってくれたらしい……褒めたくなるけど当たり前のことなんだけどね。
「じゃあ、その血は、なんなの……?」
「それより、どうしてわたしが部屋に入れたのか聞かないの?」
それより、で流せるようなことではないのだけど。
でも、確かに気になると言えば気になる……、
去年は完成品を持ってきてくれた。僕の家で作るのは今年が初めてだ。
「聞いて、答えてくれるの?」
「うん、答えるよ。これ、合鍵――とーまちゃんのお母さんに挨拶したら貸してくれたんだー。きゃっ、お義母さま公認だねっ」
「母さんが……? え、無理やりなんじゃ……?」
彼女の頬にべったりついた血が母さんのものでないことを願うよ……。
「だから、ちゃーんと玄関から入ってキッチンを使わせてもらってたの。ズルしてないよ、本当だよ? チョコ作りにしか使ってないもん。そーやって疑うなら、とーまちゃんもキッチンにくればいいよ。あ、廊下汚れてるから気を付けてね」
「君の足跡でしょ……あーあ、殺人現場みたいになってるし……」
「へーき、あとで掃除するから。指紋も残さないようにするつもり。わたし、そういうの得意なんだよね」
「え、証拠隠滅が得意なの?」
それは加害者慣れしている人の言い分なのではないか?
――彼女に手を引かれて玄関からリビングへ。
滴る血と足跡。辿っていくと、リビングは凄惨な現場だった。
飛び散った血――家具も倒れ、泥棒が入ったような部屋だった。
泥棒というか、殺人事件の現場にしか見えなかった。
チョコ作りに苦戦していたとしたならば、飛び散るのはチョコであるべきなのに、見えているのは赤色だけだった。
いちごソースはじゃないよね……うん、じゃないね。指で触れてみれば間違いなく血だった。血糊じゃない、完全なる、血……だ。
思い出すのは去年の血が混じったチョコだ。……気分が悪くなってきた……。
「とーまちゃん、はいこれ! バレンタインデーのチョコ! わたしね、とーまちゃんのこと、大好きだよ!」
「あ、うん……ありがと……」
「お返事は!?」
「ホワイトデーの時まで待ってて」
「え、じゃあ今年は指輪!?」
「早いって。……これ毎年言ってない?」
彼女のように言うなら、お・や・く・そ・く、なのだ。
ちなみに去年はネックレスを上げた。
一昨年はイヤリング。その前の年は……ぬいぐるみだったかな?
なんだかんだと付き合いが長いのだ。
だけど彼女――ちぃちゃんと僕は一度も付き合っていない。なんでかって? 自分の血をチョコに入れるところで大体のことを察せられると思う……ヤバイのだ。
執着心。
僕が好き過ぎて箱に入れてしまっておきたい、とも言っていた。
年老いていく僕を見るのが嫌だから、老いない状態にしたいとも言っていた。どちらもまともな方法ではないのだ。
身の危険を感じたのは一度や二度ではない。数日の話でもないのだ……、幼稚園の頃からずっと、ちぃちゃんは僕に執着していて、僕のためになんでもする女の子だった。
行方不明者は多数いた。どれも僕をいじめていた子だった。
しばらくして行方不明の子は見つかったけど、原因は不明。
そして、その子たちは記憶を失い、廃人手前まで状態が悪化している……もちろん、ちぃちゃんがやったという証拠はなく、警察でも証拠は見つけられなかった。
昔から徹底して、彼女は隠蔽してきた……僕のために。
僕と過ごす未来のために。
「ホワイトデー、楽しみっ。今年はなにが貰えるのかなっ。あ、そうだ、とーまちゃんのいらない歯、貰ってもいいかな?」
「いらない歯なんかないから」
「前歯と奥歯以外は必要なくない?」
「怖いこと言わないでくれる!?」
将来、親知らずを抜いたらプレゼントしてあげよう、と思った。
「ねえ、ちぃちゃん。この血はなに? ちゃんと説明して」
「えー?」
「えー、じゃなくて」
駄々をこねるけど、僕がお願いすれば素直に白状してくれる子だ。
素直で良い子だ……従順な内はね。
ちぃちゃんによると――、
チョコ作りの際に自分の血を入れるか入れないか、葛藤があったらしい。
怒られると分かっていながらも、支配欲から入れてしまえとそそのかす悪魔と、僕のためにもう入れないべきだ、と注意してくれる天使がいた――
脳内で対立を繰り返す、あの頭の中の天使と悪魔のことだ。
僕にもいるよ……まあ、基本は悪魔の方が強いんだけどね。
チョコ作りの際に頭の中で手を引いてくる悪魔と、ちぃちゃんを止めてくる天使が、鬱陶しく感じたらしい。
ちぃちゃんは手元にあった包丁で悪魔と天使をめった刺しにして――――
結果、天使と悪魔を惨殺した。
その凄惨な状況が――――この部屋だ。
白い壁紙が真っ赤っか。
ひとり分の血とは思えない量だ。
そう――彼女の中の悪魔と天使なのだ。妄想。実在しない。
なのに惨殺するとしたら、彼女は自分の体を刺すしかない。
どうして生きているのか不思議なほどに、ちぃちゃんのエプロンの下は傷だらけだった。
今も血が落ちている。
首から下と感覚が繋がっていないみたいに、顔は笑顔だけど……リストカットが可愛く見えるくらいには、ちぃちゃんは傷だらけだった。
刺殺されて動き出した死体と言われた方がしっくりくる……、ちぃちゃん……痛くないの?
「ちぃちゃん、全身、見せて」
「きゃっ、そういうのはまだ早いよ、とーまちゃん!?」
「いいから」
エプロンを剥ぎ取って、穴だらけの服を脱がす。
下着はつけたまま……エロい気持ちなんて一切ない。だって血だらけなんだから。
赤黒い血が今もまだ……。
血で隠れているけど、抉れた肉が思い切り見えている……。
こんな状態で顔色を悪くしないちぃちゃんに驚くばかりだった。
「ちぃちゃん、救急車を呼ぶからね」
「どうして?」
「…………鏡を、ううん、やっぱりダメ、ちぃちゃんはそのまま理解しないでいてくれるとありがたい」
理解した途端に傷を認識して死んじゃう可能性もある。
今、痛みもなく生きていられるのは、ちぃちゃんの思い込みの強さがあるからこそかもしれない。
この状態のまま、救急車に乗せて、麻酔をし、治療をしないと――ちぃちゃんは本当に死んでしまう。だから――、
「とーまちゃんのハグだー、やったー……」
「ちぃちゃん、意識をしっかりね。大好きだよ、可愛いよ、チョコ、ありがとう、今年も全部食べるから、だから…………ほら、たくさん話そう? 寝ちゃダメだからね?」
段々と弱々しくなってくるちぃちゃんに話しかけ続けながら、僕は救急車を呼んだ。
しばらくしてマンションの一階に救急車が停まった。
すぐに救急隊員がやってきてくれるだろう。
ちぃちゃんを抱きしめる。
熱を逃がさないように。
冷たくなったちぃちゃんに、熱を分けるように――――
……ちぃちゃん、ねえ、まだ死んだらダメだからね!?
僕は、まだホワイトデーのお返しをしていないんだから!!
……数日後、ちぃちゃんはぴんぴんしていた。
救急隊員の人はちぃちゃんだと理解した瞬間に、「またですか……」と呆れていた。
凄惨な部屋も慣れたものらしい……お疲れさまです。
治療し慣れた怪我だったのだ。
ちぃちゃんも耐性があったようで、傷はすぐに治りリハビリの必要もなく日常を取り戻した。
反省をさせられないのは悪いことだと思うのだけど……、意識的に自分を刺したわけではないのだから、改善の仕方は専門の人と話し合わないとダメだろう。
「とーまちゃん……これ、ありがと……」
「気に入ってくれた? ならよかった」
「これってさ……そういうことだよね……?」
そういうことってどういうこと?
僕がホワイトデーにあげたのは、真っ赤な下着だ。
血まみれになったちぃちゃんと、白い下着――白が赤くなった時、とても綺麗だと思ったのだ。
だから赤い下着をプレゼントした。
今日、赤い下着を付けてくれているらしい。
僕の部屋で下着だけで立つちぃちゃん――綺麗だけど、なんだけど……うーん、あの日ほどの興奮はなかった。
なんでだろう……血じゃないから?
匂い。
色合い。
血で染まらないと、再現はできないのかもしれない――、そこで、ああ、と納得する。
そして、僕もそっち側だったのだと分かった。
赤黒い血を浴びたちぃちゃん、たくさんの刺し傷、抉れた肉、グロテスクな傷口――その全てが目に焼き付き、僕は興奮した。
それでしか興奮できなくなってしまった――つまり僕は。
目覚めちゃったのだ。
惨殺されたようなちぃちゃんじゃないと、もう僕はときめかない。
…おわり
血まみれバレンタイン 渡貫とゐち @josho
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