最終話 最高の異世界の過ごし方
俺たちが向かった先は、ラスビレグのなかでもさらに外れにある、小さな空き地だった。ここなら街の喧騒も届かず、人通りもほとんどない。
移動中エリゼは少しも話さず、ただずっとメルルの手を引いているばかりだった。
ラスビレグに降りそそぐ一面の星明りが俺たちを照らし、また、それはエリゼの悲しそうな横顔をも照らしているのだった。
「ここでいいだろう。ここなら、静かだ」
みな祭りということで市内に集まっていることもあり、空き地の中に人はなく、ただただ静寂の雰囲気を携えていた。
俺たちは空き地のベンチに座り、とくに話すこともなく、ただ空き地の草木や、夜空や、遠くに見える時計台なんかを眺めていた。
そして、最初に話したのはメルルだった。
「…いったいどうしたのじゃ、エリゼよ」
エリゼは一瞬メルルを見はしたものの、すぐに答えることができなかった。それは目に浮かべた涙のせいなのか、あるいはもっと別の…。
メルルの声は静寂にのまれた。夏の夜風にのって、空き地のなかへ吸い込まれていった。
沈黙。
俺たちは話せなかった。いまは、ただ、これまでの長く短い異世界生活を、それぞれの胸の内で清算しているところなのだった。
しかし、メルルは違う。こいつはまだ何も知らない。エリゼの置かれた状況を、すぐにこの世界から旅立たなければならない、その訳を。
「お嬢さま…。お伝えしたいことがございます」
「どうしたのじゃ?」
エリゼは口ごもった。その先を話すことができなかった。
ただ旅立つわけではない。その理由の発端が、メルル自身にあるということを伝えるのが、どれだけ苦しいことなのか。
メルルも察しているところはあるのだろう。メルルは、ときに子どもが見せるようなある種の聡明さをもって、まるで何も知らぬ愚鈍を演じていた。それが却ってエリゼを苦しめていることも知らずに。
「お嬢さま…」
エリゼは涙をながした。彼女の涙は頬をつたい、ぽたぽたと地面に落ちた。
それが全てであった。彼女がもつ、主人への絶対的な敬意。言葉なくとも、その涙にエリゼのすべてが込められていた。
メルルはその姿を見、エリゼの手をぎゅっと握りしめた。
「よい、よいのじゃエリゼよ。お前が話したくないことは、ワシも聞きたくないのじゃ」
エリゼはメルルにすがりつき、大いに泣いた。これまでの冷徹な彼女とは違い、はじめてエリゼは、主人の前で本当の自分をさらけ出したのだった。
しばらくのときが流れ、やっと涙も収まってきたころ、エリゼは語りを継いだ。
「私は、フィウス様のもとへ帰らなければなりません」
「そうか…」
メルルは特に驚くような様子もなく、淡々と答えた。その表情からは何も読み取れず、メルルが何を考えているのかは、俺にも分からない。
まったくこいつは、こういうところだけは神らしいやつだ。
「まあ、そんな気はしておったわ。だがなぜじゃ?」
「フィウス様の御力を三度お借りしました」
「いつじゃ?」
「…」
「…そうか、言わんでいい」
「いつ帰るのじゃ?」
「いま、すぐにでもです。お別れの挨拶をした後で帰ろうと思います」
「そうか」
メルルはじっと黙った後で、先ほどから握っていたエリゼの右手を離し、今度は自分の方からエリゼにぎゅっと抱き着いた。
「うわあぁぁぁぁぁぁあん! 嫌じゃ嫌じゃあ!」
メルルは空き地中に鳴り響くほどの大音量で泣きわめいた。さらにしまいには、地面につっぷしてゴロゴロと暴れ回る始末だった。
…いくら神とは言えこいつは子供なのだ。エリゼと離れる悲しみを、抱えきれるわけがなかったのだ。
メルルが泣きわめいているあいだ、エリゼはじっと黙って彼女の背中をさすっていた。まるでそれは、はたから見れば仲の良い姉妹のようにしか見えなかった。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁん!」
相変わらずメルルは泣き叫び、やっと落ち着いたころには、すでに日付をまたごうとしている時刻だった。
*
「お嬢さま…落ち着いてください」
「ぐすん…嫌じゃあ…」
まだ泣いてはいるものの、エリゼの服をガッシリ掴んで放そうとしないメルル。
相変わらずのメルルの奔放ぶりに、エリゼの顔からも思わず笑みがこぼれていた。
「ふふっ、今生のお別れではございません。またすぐに会えますよ。あちらでフィウス様とお待ちしています」
「嫌じゃあ…あと500年くらいはこっちで楽しむつもりだったのじゃあ…」
お前どんだけ生きるつもりだったんだよ、俺とっくに死んでるぞ。
「それに、この男もいます。すこし頼りないですが、きっとお嬢さまをお守りしてくれますよ」
そういうとエリゼは、ちらっと俺のほうを見た。
「お、おう…」
不意に会話に混ぜられた俺は、焦って適当な返事をしてしまう。
「嫌じゃあ…こいつと二人は嫌なのじゃあ…」
この野郎、最後だからって好き勝手いいやがって。
「ふふっ、お嬢さま手を離してください。そろそろ身体が引っ張られています。このままではお嬢さまも巻き込んでしまいます」
そう言うとエリゼは抱き着くメルルを引きはがし、俺のそばに置いた。
それから、俺の目をじっと見つめた。
「後はまかせたぞ、泥一。今度からは貴様がお嬢さまをお守りするのだ」
エリゼはすっと手を差し伸べた。
そして、俺たちは、異世界にきてはじめての、固い握手を交わした。
「ではいきます、さようならお嬢さま、泥一。お元気で」
エリゼの身体が白い光に包まれた。それは、メルルを見つける時に発した光と同じだった。エリゼは本当に、フィウスのいるもとへ帰ろうとしている。
「うう…やっぱり嫌じゃああ!」
やっと落ち着いて感動の別れの挨拶もすましたというのに、またしても暴れ出そうとするメルルを、俺はエビ固めで抑えにかかる。
暴れ続けるメルル。メルルが暴れたせいで傷だらけの俺。それを見て微笑むエリゼ。
そんな俺たちの最高の別れが、いま、終わりを告げようと…
「きゅるぽー。きゅるぽー。」
俺たちの背後で、急にきゅるぽー。というどこかで聞いたような鳥の鳴き声が聞こえた。
「あ?」
俺とメルルが一斉に振り返ると。赤いクチバシに、真っ黒い羽という、南国かそこらにでもいるような珍妙な鳥が、マヌケな顔をしてきゅるぽー。と鳴いているのだった。
「…なんだこの鳥、なんでこんなところに…って、エリゼ!」
しまった、こんな鳥に気を取られたせいで、肝心なエリゼの旅立ちを見逃してしまった。
そう思った俺とメルルが急いで振り向くと、発光のおさまったエリゼが、驚いたような表情で立っているのだった。
「あれ、お前なんで…」
「うわあぁぁあ! エリゼえぇぇぇ!」
俺のエビ固めをするりと抜け出して、エリゼに抱き着きにいくメルル。
しかし、エリゼはいまだ驚いたような表情で、俺たちの背後を見つめている。
「何見てるんだよ、そんな驚いた顔で…って、うわあ!」
つられた俺が後ろを振り返ると、いつぞやの銀髪の頭にオリーブの冠を載せた神サマが、にっこりと笑いながら俺たちに向かって手を振っているのだった。
「あれ、お兄さま。どうしてこんなところにいるのじゃ?」
遅ればせながらフィウスに気が付いたメルルが反応する。
「ハハッ、どうしても何も、エリゼを返しにきたんだよ」
「ええ!? そんなことができるのか!」
「ああ。まあね」
まあね、じゃねえぞコノ野郎。
俺たちの感動の別れは何だったんだ。
「実は君たちのことはずっと見ていてね。メルルがさらわれたときはさすがに焦ったけど、僕はこの世界に直接干渉はできないからね。君たちが助けてくれて本当によかったよ。だからそのお返しさ」
「お前なあ、そういうことができるなら最初からやってくれよ…」
「ハハッ。だとしたら君たち、また僕の力を使っちゃうでしょ? 本当はダメなんだけど、今回は特別だからね」
「うーん、まあ、そういうことなら…」
なんとも腑に落ちないが、まあ、エリゼが帰ってきたのならこれ以上文句は言えない。
まあ一応、こいつ神サマだし。
「そういう訳で、僕がこれ以上ここにいるのはマズいんだ。だから邪魔者はさっさと帰るよ」
そういうとフィウスは、例のニッコリスマイルを携えて、白い光の中に消えていった…が、その途中で何やら恐ろしいことを呟いていた。
「…あ、言い忘れてたけど。メルルはあと500年くらい楽しむんだって? 泥一くんの寿命もそれくらいに合わせておいたから。じゃあね!」
「え? おい待って!」
じゃあね、じゃねえぞコイツ。
じゃあ何か、俺はこのわけ分からん物騒な世界で、あと500年もこいつらと旅しなきゃいけないってのか。
「ふう…相変わらず言いたいこと好き勝手いいやがって。台風みたいなやつだな」
俺たちは互いに見つめ合ったあとで、思いっきり笑った。
考えてみれば、すべての物事は解決し、エリゼは帰ってきた。その安ど感から身体中の力がふっと抜け、俺たちは気のすむまで笑いあった。
これで俺たちもゆっくりできる。ようやく、本当にこの世界を楽しむことができるのだ。
「よし、じゃあ飲みなおすか! まだ開いてる店もあるだろ」
「貴様、酒は飲まん約束じゃないのか?」
「いいだろう、今日くらい。せっかくめでたい日なんだ。なあメルル!」
「おう! 飲むぞエリゼよ!」
「お嬢さまはダメですよ!?」
俺たちは空き地を出て、市内へと向かった。
ここに来た時とは違い、足取りは軽かった。たくさん笑いあって、話もした。これまでの馬鹿話。俺が酔って暴れたときの話もした。でも、それも笑いあった。なんてたって、俺たちには未来があるのだ。時間はたっぷりある。
俺たちはこの、素晴らしく最高な異世界で、これからも旅を続けていくのだ。
最高の異世界の過ごし方 ユラ春歳 @H-Yura
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