第2話 「子の祝い椀」
県立博物館のガラスケースの前で、
ねずみのレリーフがついているお雑煮椀、五
「
「長年所蔵してきた」のではなく、去年までこのセットで普通にお雑煮を食べてきたんだけど。
そう思ったとたん、喉のところに軽くこみ上げる感じがあった。
もう、このお雑煮のお椀で、家族でお正月を祝うことはできないんだ。
お母さんがぱっぱっと具を入れ、梅子がすまし汁を注いでいた。
まだおじいちゃんとおばあちゃんがいたころ、小さかった梅子がこのお椀をひっくり返して大騒ぎになったこともある。
小学校四年生のとき、梅子は、両親と同じようにこのお椀で初めてお雑煮を食べた。
「何? このボロいお椀」と思ったけれど、同時に、それでお雑煮を食べることで、やっと家族の大人の一人になれたと嬉しく思った。
すぐに手に届くところにあるのに、これでお雑煮を食べるのはもちろん、もう触ることすら、できない。
お餅がこびりついたからと、洗剤をじゃぼじゃぼつけてナイロンたわしで洗うなんてもってのほか。
お椀の下には鏡の板が敷いてあって、それに映るねずみの姿を見ることができた。
すり減ってはいるが、後ろ足で立ち上がって、好奇心たっぷりそうに耳を立てた愛らしいねずみ。
いままで、一度もじっくり見たことはなかった。
「きみは幸せでしたか?」
梅子の耳にそんな声が届いた。
そんな気がした。
それは、生まれてからずっと、お正月にだけ対面してきたそのねずみの声だったのか。
それとも、それを配った殿様の声なのか。
「はい」
どうなんだろう、なんて、答えられるはずもない。
梅子は問い返す。
「それより、きみは?」
「幸せでしたよ。あなたといっしょにいられて」
「じゃあ、こんなところに一人離れて、あなたは寂しくないの?」
「ここには昔いっしょだった仲間がいっぱいいますからね」
この博物館の大きい展示室に入りきらないくらいの、その安野家ゆかりの品たち。
「じゃあ、わたしも、たぶんそうだ」
もう五年も務めても、まだ職場になじみきれたという感覚のない梅子だけれども。
でも、そう言ってもいられないのだろう。
いま開かれている「特別展」が終われば、このセットはだいじにしまわれて、梅子には、手に取る機会はもちろん、見る機会もないだろう。
梅子は、足音を立てないようにして、ガラスケースの前からそっと歩み去った。
小さいころ、寝床に入った梅子に「おやすみ」を言ったあとの両親がしていたように。
ねずみのお椀 清瀬 六朗 @r_kiyose
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