茜色の空の下で

@totosamaxmas

茜色の空の下で



                               東 洋信



1.

茜色の空の下、私たちは生まれた。

その茜色の空を私たちは知らない。

君を追い求めた日、君を忘れてしまった日。その事実を私はまだ知らない。



阪神淡路大震災。神戸元町商店街で当時のことを知っている人にアンケートをしていた。

「おばちゃん、ありがとう。おばちゃんのお陰でより信憑性が出てきたわ」

「少しでもあんたの力になれたようで、私もうれしいわ」

「ありがとう。持つべきものは伝手やね」


 1,995年1月17日。この街に訪れた大災害は、衝撃を与え、メンタルにも傷が残っている。だから誰彼ともなく聞いていいという話題でもない。


「で、ここのところなんやけど、どう思う?」

「思うもなんも、あの頃は余震が続いてなぁ。地面が揺れるたびに生きた心地がせんかったわ。電気もガスも水もいつ通るかわからんかったしなぁ。」

「災害グッズはほんま必要やな。今はスマホの時代やけど、ラジオなんて防災情報が聞ける貴重なもんやとは思うわ。」


 あの1/17 5:46の衝撃が一番日常を壊したのも事実だが、後に続く余震も怖いのだ。


「ありがとう。またよろしゅう。」


そして音声マイクをオフにすると私は『おばちゃん』と別れて、三宮のセンター街西館へ向かっていく。だいぶネタが集まってきたので、一度社員さんに見てもらおうと思っているところだ。そうボランティアなんだけどね。


「おう。瑞希ちゃん。ありがとぉなぁ。ボランティアしてもらう人も最近少なくなってきて。」

「いや、私の生まれた年に起きたことやから、気になってて。」

「ほうか。あの震災からもうそないに経つんやなぁ。」


 そう。私は1995年生まれ。大震災を知らない世代だ。縦に大きく揺れたあの震災は街を破壊し、道路を止め、人々のライフラインも止めた。避難所に人は集まり炊き出しや各地からのボランティアの方々に助けてもらったことも多いとのことだった。


「さてと。坂巻さん。ある程度集まったんで、上がらせてもらいますね。」

「オーケー。瑞希ちゃん。またお願いするわ。」

「あー、月曜は大学のゼミかバイトなんで、火曜になりそうですけど」

「えー。瑞希ちゃんおらんと華が・・。てててて。なにすんねん」

坂巻さんの耳をつねり上げたのは奥さんだ。

「若い子困らせたらあかんでしょう。皆さんも協力してくれるんやから。しっかりせな。」

「わかっとる。冗談やがな。ジョーク。」

「ほな。また時間が良くなったらでええからね。」

「はい。失礼します。」


私はそそくさとその場を離れた。

センタープラザ西館を出て、センター街を歩いているといろいろな誘惑に合う。元町まで歩いてカフェ巡りをしようか。それとも自らのファッションセンスを向上させようか。卒業旅行に向けてのプランを練ろうか。まぁそんなことを考えられるのも、内定をいただいたA社のお陰なのだ。この際、はっきり言っておくが、コネ入社ではなく。勝ち取った内定だ。ただ自分でも何故内定が取れたのかどうかはわからない。

そんなことを考えていると、元町まで出ていたようだ。夕食時なので最近流行っているチーズダッカルビを外で食べていくのもありかしらんと思った。が、財布の具合と用意してくれているだろう母親の顔を思い浮かべて、踏みとどまった。


「帰ろう」


誰に言ったわけでもなく、自分にそう言い聞かせ、家路へと急いだ。




新長田のある商店街で俺は店員さんに声をかけた。

「あの。このそばめし、以前食べたときにおいしかったので、写真撮っても良いですか?」

「ああ。ええよ。ええように撮ってね。」


良かった。手慣れた手つきで画面のピントを合わせると、スマホで撮影する。そしてInstagramにアップロードする。どのように美味しかったか。を閲覧者に共感してもらうためにコメント欄のメッセージも欠かせない。巷ではインスタ映えって言葉が流行っているらしいが、相手のことを考えてアップするのが俺のポリシーだ。


Instagramは趣味で始めたことだが、とても良い経験だった。最初はだれが俺の写真なんて見るのだと思っていたが、順調にフォロワーが増え、今ではそれなりの支持を得ていると自負している。


では、冷めないうちに、コテで掬って皿に移し、そのまま箸でいただきまーす。


旨い。


キャベツのシャキシャキ感に合わせ、濃厚なソースと焼きそばとご飯のハーモニーが、地元のソウルフードとしてのシンフォニーを奏でる。


熱い。


鉄板の上で焼かれた熱さそのものが喉元を通り過ぎていく。


「ウーロン茶 1つください」

「はいよ」


手を挙げてウーロン茶を挟みながら、食べ進めていく。家で食べるそばめしもおいしいが、外で食べる鉄板の上のそばめしは絶品だ。

Instagramのフォロワーからも様々な反応がある。


そばめしを食べ、ウーロン茶を飲み、そばめしを食べ、交互にしていくとあっという間に完食だ。


「ごちそうさまです。おあいそお願いします。」


勘定を済ませ、俺は外に出た。


そういえば、“俺”という一人称を使い始めたのはいつだっただろうか。“彼”の影響を受けているのは間違いない。


午後の講義に間に合うように、地下鉄に乗り、“俺”は大学へ向かうことにした。




「お母さん。中学の卒業アルバム知らん?」

「さてなぁ。どこかにあるんちゃうの?」

「ないんよねぇ。不思議なんやけど」


確かに文集は卒業してしまうと見ないが、なければないと気になるもの。

神戸市須磨区の我が家に帰った私は、ふと気になったので母に聞いてみた。


「普段から整理していたら見つかるでしょう。それより最近大学はどう?」

「大学?ああ。ゼミの単位は無事もらえそうよ。」


内定先が決まっている4回生は卒業単位とバイト、ボランティアに教会行事。就職先が決まった4回生といっても、とても忙しいのである。


「内定先からは連絡あるん?」

「ないない。多分研修から入ると思うから、特に懇親会とかもないみたいやし。」


今日は肉じゃがと味噌汁、ご飯等々を並べながら母はなるほどと理解したらしい顔を見せた。私から言うと「どこがなん?なるほどって?」と思うのだが。


「さてと。今日は二人だしご飯食べよか。駿はゼミの飲み会らしいし、お父さんは後だろうし。」

「じゃあ、お祈りは?」

「もちろん。瑞希ちゃん。」


なんでぇ??という顔を見せたのだろう。母は苦笑しながら、ほらさっさとしなさいと促す。


「天のお父様。今日は母が作ってくれたおいしいご飯を食べれることに感謝します。主イエスの御名においてお祈りします。アーメン」

「アーメン」


煮汁がよく染みた柔らかいジャガイモとニンジンに蕩けながら、


「瑞希って、ほんとに顔に出るんやね。」


と食事は黙々と進んでいく。美味しい食べ物は、言葉より表情にあらわれるものだ。


「お母さん。そういえばさ。今神戸の震災のボランティアやってるんやけど、なんかええ話ない?」

「いきなりやな。どんな話がええん?」


訂正。空腹もひと段落続けば、会話は続いていくものだ。

こうして家族の会話は進んでいく。




学園都市駅を出ると数分で俺の大学キャンパスに着く。キャンパスの一角の一室にKGKの集合場所があった。KGKとはキリスト者学生会の略称である。

就職先も決まり、顔もあまり出してなかったのだが、ふらりと寄ってみたくなったのだ。


「正樹先輩は、クリスチャンやないんですよね?」

「うん。俺は友達に連れてこられたのが最初やから。教会にも行ってへんよ。」

「ふーん。それならなんでKGKに来ようと思ったんですか?」

「なんとなく・・・かなぁ」


なんとなくKGKの集まりに行き、ひとしきり喋ってから、ゼミの講義を受け、帰る。そんなルーチンが出来上がっているので、それ以上も以下もない。

敢えて言うのであれば、理由はあるのだが、それは胸の内に秘めておきたい。


「うちの大学サークルも多いやないですか。クリスチャンやない人がKGKに来てるのって、珍しいと思うんですわ。」

「そんなことないと思うけど。」

「教会へは行くつもりはないんですよね。」

「駿!」

「なんやねん。尚。」

「なんやねんちゃうねん。あんまりしつこく聞くから正樹先輩。困ってはるやんか。」


しつこかったかなぁ・・・と駿は首をひねりながら、「正樹先輩。ほなまた。」と別のグループへ入っていく。


「正樹先輩。すんません。駿。ちょっと空気読めへんところがあるから。」

「いやいや。気にしてへんよ。尚ちゃん。」

「ありがとうございます。で。話は変わるんですけど、さっきInstagramにアップしていた。そばめし。新長田の例の店ですよね。」

「そうそう。新長田の例の店。お好み焼きと迷ったんやけど、神戸といえばそばめしは外せへんしね。」

「あの辺りは特にお店多いですよね、」

「そうなんよ。美味しい店が多いから、いつもどの店にしようか迷うわ。」


カラカラと尚は快活に笑うと、

「先輩。ゼミ。時間大丈夫ですか?」

「ゼミ!ほんまや。これで遅れていったら世話ないわ。ありがとうな。」


そそくさと俺はKGKの一室を後にした。




「うわぁぁぁ」

今朝私は大きな声を上げて、起き上がった。

わかることはただ一つ。またあの夢だ。


何かを忘れている気がする。とても大事なこと。忘れてしまったのか。忘れることを強要されたのか。それは今ではわからない。

何しろ何を覚えてて何を忘れたのか。事柄なのか。人なのか。それすら分からない。


最初は心配してくれた家族も、最近は慣れてしまったのか。ああこんなものかと思っている。


“夢”の出来事だから気にしなくて良いはずなのだが、どうも気になるのだ。ひっかかるというか。中学の文集が見当たらないのはそれに関わってるのかしらんと思いつつ、


「瑞希―。今日は日曜日よー。」


ああ。礼拝行く日じゃないかと気づいた時には、朝ごはんと教会へ行く用意を済ませる。


「お母さん。駿は?」

「あの子はCS教師やから先に行ったわよ。」

「そらそうか。」

と納得する。CS教師とはキリスト教会にあるこども向けの教会学校のスタッフのことだ。学校の教員ではないので教職免許は必要ない。


「CS教師ってお金もらってもいいレベルやと思うんやけどなぁ。」

「いやいや。免除してもらってるあんたが言うな。」

苦笑しながら母は片づけ始める。


「ほな。瑞希。ご飯食べたんなら行こか。」

「お母さんも今日なんも奉仕は当たってないんやんな。」

「まぁね。」

「お父さんは?」

「先に教会行ったわ。」


なるほど。音響の奉仕に行ったか。あれは一番最初に行かないとリハーサルができないので、重要な役割だ。


「じゃあ、行くで」

母に言われるまま家を出た。

教会へは電車で通っている。須磨にも他にも教会があるのだが、所属する教団などが様々あり、私たちは教会に通っている。


JR須磨駅から、海岸線を右手に見ながら電車は進んでいく。

この時期はすでに寒くなってきているので、突堤で磯釣りをしている人はまばらだ。

砂浜をしばらく眺めていると、街並みが徐々に増えていき、神戸や三宮の繁華街を抜けていく。そして目的の駅についてからはしばらく歩く。


「おぅ。おはよう。瑞希ちゃん。今日も明朗快活やな」

生島のおじさん。いつも受付でハキハキと声をかけてくれる。本人曰くこれが一番のとりえだとのことで、教会でも有名人である。

「ささ。瑤子さんも、週報どうぞ」

と母には週報を差し出す。


「いや。生島のおっちゃん。私なんも言ってないで。」

「オーラやん。分かるやろ。若いオーラが出てたら、明朗快活なんまるわかりやがな」

「なるほどー。ってあんたはオーラを透視するテレパシーでも持ってんのかい。」


生島の“おっちゃん“はニヤッと笑う。と彼に促されるまま礼拝堂へ向かった。




単位を取り終えたもの、且つ就職活動戦線を通り過ぎた者にとって、上を目指さない限りは、卒業論文を書くために行くようなもんだ。


と誰かが言ったように思うが、それは微妙に違うのでは?と俺は思う。

大学は知識を得るために必要な場で、知識豊富な教授による様々な講義が用意されており、聴講するだけでためになることもある。


今回のゼミのテーマは「ディベート」。何らかの議題に対し、論点を合わせながら、最終的な結論までもっていく。そして第3者が結論を出す。そういうやつだ。

教授が拍手を周囲に求め、次のメンバーを選ぶ。


「それでは次は春日部君と、鈴木君と、保坂さん。 春日部君と鈴木君が今から言うことをテーマに、保坂さんが最終まとめてな。」


教授がテーマを言う。


「阪神淡路大震災」


「阪神淡路一帯で1995年1月17日に起きた地震で、死者6400人強が犠牲になりました。」

はやっ。鈴木君。予習でもしていたの?俺はスマホを弄り回答を探す。


「尊い犠牲の上、この地域には防災意識が根付きました。なぜなら、当時は停電やガス、水道というライフラインが途絶えたからです。では当時の家屋の状況は?」

何とか回答できたかな。


「家屋の状況は家屋によって異なります。全壊、半壊。等家屋によって被害状況を区分けしました。では家屋以外では?」

何だろう?全壊、半壊なんて初めて聞いたんですが。同学年でしょうか。


「家屋以外にも印象的なのは、線路が塞がったり、高速道路が倒れたりしたことですね。交通手段を遮断しました。」

「そうですね。もう一つ印象的なことは長田方面では火災が発生し、避難数も多く、震災後はプレハブなどが多く建設されました。」


「はい。ストップ。二人とも調べきったね。保坂さん、まとめると」

「阪神淡路地帯に起きた大震災で死者も多く、家屋も倒れ、ライフラインも途絶えました。

その後、プレハブなどの仮設住宅が建ち、最終的には神戸淡路では以前よりも防災意識が上がりました。」


「ありがとう。ボランティアや救援物資についても触れられたらよかったかな。」


阪神淡路大震災ってスマホで調べただけでも色々出てくる。俺たちが生まれた年、この大震災は起こったのだから、様々な感情が入り乱れる。


そんなことを考えながら、他のゼミ生のディベートを聞いていた。



私たちの教会の青年部は18歳から30歳までの独身が対象となっている。昼ご飯を買ってきて食べながら進めるのが基本だ。

私はサンドイッチを食べながら、友人である君島遥に気になっていることを聞いてみた。

「今回のクリスマスってさ。演劇やるんやろ?」

「教会学校が主体みたいだけど、青年部も役割当たってるみたいなことを聞いたわ。」

「誰から?」

「自分の弟さんから」


遥は駿へ視線を合わせ、私に戻す。

んー。駿に聞くのもいいのだが、抜けがある可能性が高いことを私は長年の経験から知っている。だからしっかり者の尚ちゃんに聞くのが良いと相場が決まっている。


「尚ちゃん。今年のクリスマスって、演劇やるって聞いたんやけど、なんか知ってる?青年部も役割が当たってるって聞いたんやけど、詳細なところって知らん?」

「え?瑞希さんのところに連絡行ってません?確か大まかなスケジュールや配役が割当たってたと思うので、送りますね。」

「ありがとう。助かるわ。」


尚ちゃんから送られてきたデータを見て、私の顔が曇る。こういう時は遥も巻き込もう。

「遥。ちょっと見てもらいたいんやけど。ええかな?」

と本人の了解なしにデータを送る。

「あー。これは時間が必要な教会学校には先に連絡してました。みたいな?」

お弁当を食べながら、遥は苦笑する。


連絡の行き違いがあるのは常の事だが、これはなかなかだ。


「リーダーはこのこと知ってるんかな?」

「どうやろ?さすがに知ってるやろうな。」


「健太さん。なんかリーダーから聞いてへんですか?」

「俺も聞いてへんね。今初めて知った。」


「最近リーダー。お仕事のほうが忙しくって忘れてたんちゃうかな?」


遥がフォローにならないフォローを入れる。

いや。配役に私の名前が入ってるのは困る。

このままでは、私はもみの木の役になってしまう。


救いはスケジュールが結構綿密に書かれていて、練習日や誰に聞けば台本をもらえるかがわかるということだ。


「俺の方でも浩太に聞いておくわ。」

「お願いします。」


リーダーのことは健介さんに任せて、遥に違う話題を振る。

「最近タピオカミルクティていうのが流行ってきているらしいなぁ。」

「あー。たまにインスタにアップされてる奴な。」

「三宮にも専門店ができるらしいで。」

「ええねぇ。インスタ映えしそうやね。それは。」

「なぁ。一緒に行かへん?美味しかったら、インスタに上げよう。」

「ええねぇ。またお互い空いてる日に行ってみようか。」

空いてる日があればええなぁ。と私はぼんやり考えた。




ゼミが終わり、新長田の駅からしばらく歩いて、俺はガソリンスタンドでバイトをしている。セルフのガソリンスタンドが増えていく中、セルフではないガソリンスタンドだ。


洗濯機から窓を拭くタオルを取ってくる。


「正樹。オイル交換の依頼が入ったから、ここ任せていいか?」

「大丈夫です。」


今日は2人で7時から9時までなのだが、社員の相馬さんは忙しそうだ。

さてそうこうするうちに、1台車が入ってきた。

「いらっしゃいませ!!」


車種でガソリンか軽油か見分ける。車はガソリン、トラックは軽油。が基本だ。


「いらっしゃいませ。レギュラーですか?ハイオクですか?」

「レギュラー満タンで。」

「ありがとうございます。給油口のカバーを空けていただけますか?」


この車種は給油口のカバーを開けて貰う必要のある型だ。

カバーを空けてもらい、給油口の蓋を外し、レギュラーの給油を始める。

その間に前から横にかけて、タオルで窓を拭いていく。


「いらっしゃいませ!!」


今度はトラックだ。軽油の場所に案内し、同じように給油していく。


「ありがとうございました。」

車を見送り、しばらくこのような感じでこなしていると、相馬さんが戻ってきた。


「いやぁ、オイル交換後のブラックコーヒーは染みるなぁ。」

「お疲れ様でした。」

「正樹はシステムエンジニアになるんやっけ?」

「その予定です。」

「ええなぁ。システムエンジニアなんて憧れるわぁ。」

「でも相馬さんも車が好きでガソリンスタンドの社員になってはるやないですか。」

「ほんまになぁ。うちもセルフを増やす方向で動いているらしいし、どないなるかはわからん。」

「え?ほんとですか。それ。」

「うん。すぐにはならんと思うけどなぁ。」


どこの業界も厳しい状況になっている。


「ま。なるようにしかならんしな。」

もう一本ブラックの缶コーヒーを取り出すと、

「はい。これ。奢りな。」

「ありがとうございます!」

奢ってもらった缶コーヒーを口にし、俺は一息ついた。




阪急西宮北口の北にあるミッション系の大学に私と遥は通っている。学部が違うためにKGKの集まりぐらいしか顔を合わせることはない。今日はゼミの教授に卒論を見てもらう日なので、教授にデータを送って確認してもらってるところだ。


「もう少しこの部分は変えたほうがいいかな?」とか「ここのデータ分析はどの統計からとってきたの?」とか専門的な質問に対して、私は丁寧に答える。


教授にひとしきりのアドバイスをもらい、部屋を出た。好感触だ。指摘事項も少なかったので、間違いなく単位はもらえそうだ。


そのままKGKの一室に向かい、

「瑞希。珍しいねぇ。ここまで来るなんて。」

と遥に声をかけられる。

「思ったより卒論が好感触やったんで、寄ることにしたんよ。」

去年は大学活動、就職活動、KGK活動で花盛りだったが、今年は色々あってあまり行けてない。


「超教派の集まりで、色んなイベントをうちの大学から発信するって、リーダーが息巻いてるわ。」

「いや。別にうちの大学から発信させんでもええやろ。超教派のイベントなんてたくさんあるし。」

「それでもうちの大学から発信するから意味があるんやと。」


「へー。」とポスターを見て、私の顔が歪む。

「これはあかんやろ。発信の方向性間違えとる。」と私がつぶやく。

「ああ。それは試作品やから。サブリーダーの許可ももらってないし、これはないと思うわ。」

それに対し、遥も同調する。


副リーダーの顔を想像し、胸を撫で下ろす。あの人なら正しい方向性にしてもらえるだろう。


「今日はバイトの時間まで、時間あるん?」

「うん。今日はバイトまではフリーかな。」

「ほんなら由香ちゃん達もいるから、一緒に聖書研究やらん?」

「おー、滾るねぇ。いっちょ参加しましょうか。」


遥に連れられるまま、私は隣の部屋へと赴いた。




日曜のある朝、俺は駿君や尚ちゃんに連れられて、教会へ来た。KGKの集まりへ参加しているのであれば、一度教会へ行ってみてもいいかもしれない。という話の流れだ。


駿君と尚ちゃんは俺を先導するように歩いている。


「正樹先輩。ようこそ。俺たちが通ってる教会は、こちらです。」

「ようこそ、正樹先輩。」


ふと見ると左手に大きなビルがあり、その上に教会の目印である十字架が立っていた。

彼らは慣れたように教会に入っていく。

俺はおずおずとしながら、二人に付いていく。


「新来会者の方ですか?こちらにサインをお願いします。」

受付の女性に促され、黙々とサインを行う。その受付の人に駿君が声をかける。

「あー。姉ちゃん。この人が前から言ってた。正樹さん。」


姉の方はなるほどという顔をすると笑顔で、

「駿の姉で若宮瑞希と言います。ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりしてください。」


受付の女性の瑞希さんを見て、「あ・・か・・・」と俺は言葉に詰まる。

そう。俺はこの人を知っている。ようやく落ち着きを取り戻した俺は話し始めた。

「ああ。いや。同級生やからどこかでお会いしたかと思ったけど見間違いでした。」

と、サインが終わった用紙を瑞希に渡す。

「そうですか。私たち同級生なんですね。」

「ああ。はい。」

と相槌を入れて、駿君と尚ちゃんに誘われるまま、俺は礼拝堂に入る。

そこは2階に吹き抜けになっている、木造の奇麗な礼拝堂だった。もちろん天に近いところに十字架が打ってある。

礼拝堂に入った俺は案内されるがまま、木のベンチの一番奥の席に腰掛けた。


礼拝が始まる。


司会の挨拶の後に、歌が始まる。

歌詞は前面のスクリーンに出て来る。ドラムやギター様々な楽器を鳴らすが、厳かな雰囲気を維持している。


ここに通えば俺の罪も癒されるんやろうか。俺はその雰囲気の中で少し思った。




弟の駿や尚ちゃんから事前に聞いていたので、二人の大学の先輩が来ると聞いていた。そして受付の当番だったので、彼らを出迎えることになった。


「新来会者の方ですか?こちらにサインをお願いします。」

まずはテンプレートのコメントをしながら、サインを促す。


「あー。姉ちゃん。この人が前から言ってた。正樹さん。」

ああ。この人が。では挨拶を。


「駿の姉で若宮瑞希と言います。ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりしてください。」

すると正樹さんは鬼でも見たのかという顔つきをし、「あ・・か・・・」と顔を強張らせる。

誰かと間違ったのだろうかは分からない。が、バイトで培った営業スマイルでその場を乗り切る。そして彼は口を開いた。

「ああ。いや。同級生やからどこかでお会いしたかと思ったけど見間違いでした。」

同級生って私言ったっけ?

「そうですか。私たち同級生なんですね。」

「ああ。はい。」


サインを受け取りながら、私は少し首を傾げた。駿や尚ちゃんからは正樹さんと私が同級生であることを聞かされていない。何か私が忘れている?気にはなりながら、私は次の方の受付を続けた。



それはビルの屋上で行われていた。囲いはない。

「おい。お前。正義の味方らしいな。」

と男は言う。こぶしを繰り出し、相手の顔を殴りつける。

「正義の味方は守れませんでした。何を?」

言いながら、次は男がお腹を蹴りつける。

「友達を」

攻撃を受けている相手はやり返そうとしたが、男は腕を払い殴りつける。


殴られたはずみで相手はバランスを崩し、ビルの端から足を踏み外して、落ちていった。


男も周囲を囲んでいた男たちも、顔面蒼白になる。

下の状況がわからない。


「おい。お前。下手なことをしたら、ああなるんやぞ。」

男は“僕”の方を向いて、そう言った。


僕は男たちに脅されながら、ビルを出てその場を離れた。


そして男たちと別れ、僕は119番に携帯で電話をした。









神戸駅南には様々なグルメな店舗がある。UmieにMOSAICにメリケンパーク。そのメリケンパークの一角に私のバイト先がある。去年までは三宮店でバイトだったのだが、今年オープンしたメリケンパーク店でバイトすることになった。そこのランチは自家製のパンを食べ放題にしたベーカリーカフェチェーンだ。ウェディングや宴会にも力を入れている地元でも有名なカフェだ。

ようやくランチの波を終えた後、バイト仲間である加治木 尚ちゃんに私は声をかける。


「おつかれー」

「あ!お疲れ様です。」


尚ちゃんは弟の幼馴染であり、私にとっては妹に近い存在だ。今年からこのメリケンパーク店で働くことになった。


「今日のランチはすごかったねぇ。お客さん多かったあ。終わりはあるのか?と思ったわ。少しは慣れた?半年は経つけど。」

「だいぶ慣れてきました。最初はオーダー通すのが結構大変で。。」


ぬっと間に、一人割って入る。

「確かに最初はオーダー通んのか。ハラハラして見てたわ。厨房から。」

「恭也。あんたも前のお店で皿洗いばっかりやって、ぶつぶつ言ってたやないの。」


厨房から昼ご飯に食べに来たのだろう。恭也は4回生で私と同じように三宮店からメリケンパーク店まで移動してきた。


「皿洗いもあれや。極めて見たら、ええもんやで。でも瑞希のデビュー戦も見られたもんやなかったな。」

「いやいやいや。皿洗いしてたら、ホールの状況見る暇ないやん。」


厳しいお客様もいるが、その場合は先輩方が絶妙にフォローしてくれる。そうやって、このお店の良い雰囲気を作り出している。


「尚ちゃんも、ホールで困ったことがあったら、何でも言いなさい。それなりの修羅場はくぐってるから。」

「ありがとうございます。」


尚ちゃんを誉めようと、尚ちゃんの頭をなでると。

「いらっしゃいませ」


ホールのメンバーの声が響いた。

さあ、お客様が来られた。より良いサービスを提供しよう。




長時間のバイトを終え、尚ちゃんとも別れた私はそのままセンタープラザ西館へ向かった。

そこに着くと坂巻さんは声をかけてきた。


「よう。瑞希ちゃん。今日はバイト帰りか?」

「いやー。ちょっと気になって。」

「なんや。君らがボランティアしてくれるから、めっちゃ順調やで。」


来年の2018年の震災イベントの準備のため、私たちは命の大切さを訴える義務がある。

6年前東日本大震災が起こった時も、神戸のアイディンティティに震災への備えが埋め込まれているといっても過言ではない。


「あの地震で亡くなった方はたくさんいるけど。君らみたいに新しい命が生まれてきたことも事実なんや。亡くなった方々の思いをつないで、命の大切さを実感する機会になればええと俺は思っとる。」


当時の震災の写真パネルや年表を眺めながら、坂巻さんは感慨深げに語る。


「当時の写真や年表は誰でも準備できても、一番大事なのは経験や。あの経験をした人にしか分からないものがある。そんな経験談を集めてくれているのが、君たち震災を知らない世代なんや。受け継がれていると思わんか?」

「そうですねぇ。私たちも受け取ったタスキをつないでいく必要がありますね。今改めて見てみると、本当にいい貴重な機会になっていると私も思いますわ。」


坂巻さんはニヤッと笑うと


「ほうか。瑞希ちゃんのお墨付きってやつやな。」

「いやいやいや。私のお墨付きって、恐れ多いです。」

「でもなぁ。そうやって繋いでいってくれる人らがおらんと、防災の意識は低下していく。そうなってからでは遅いからな。こういう地道な活動が必要なんよ。」

「そうですね。キリスト教にも通じるものがあると思います。」

「ほんまに?不思議な共通点やな。でもそういうもんやと俺は思ってるわ。」


顔出しはついでだったので、坂巻さんとはこの会話で別れて、私は家に帰ることにした。

KGKに最近行けてないなぁ。とか。

坂巻さんはそんな思いで、震災のイベント準備されているんだなぁ。とか。

帰りながらまとまらない思いが次々と出て来る。その中であることにふと思い至った。


震災で亡くなった方々の中で、クリスチャンはどのぐらいいたんだろう。

人は命の大切さについてどれだけ認識できているんだろう。

最近自殺のニュースが多く流れているのはどうしてだろう。


クリスチャンの中でも自殺と他殺では大きく異なる。自殺は自分自身が自分を殺すことを指す、最後の最後で自分で自分自身を殺すのだ。自分の大切な人が天国に行けないかも知れない。そんな恐怖を絶対に私は味わいたくない。


命の大切さ。それは誰にとっても当たり前な事。そんな当たり前なことが最近損なわれているように思う。


自殺と他殺・・・恐ろしい響きだ。何かを思い出しそうだが、思い出さない方がいいと頭のどこかで言っている。


私はおもむろに鍵を取り出し、家のドアを開けた。


「おかえり」


母の声が聞こえる。


「ただいま」


まぁ。いいか。気になることはたくさんあるけれど、これもその一つだろう。私はあえて気にしないことにした。



 JR三宮で待ち合わせ。さぁ。これはどういう状況でしょう?私たちにとっては簡単です。ヒント。私は遥と待ち合わせています。


 プププブー。三宮で女子大生二人が待ち合わせと言えば、ショッピングやグルメ巡りに決まってる。いや、私はそう思ってる。何のためにお金を貯めるか?そりゃ将来のためもあるが、使わないといけない瞬間がある。テレビで有名な塾講師を思い浮かべたが、そうなのだ。今楽しまなくてどうする?


「瑞希ぃ ごめんなぁ。ちょっと電車遅れてて、ようやく着いたわ。」

「電車か。それならしゃーないな。じゃあ遥さん。今日のコースはどうします?」


「ん-まずは服やな。秋コーデから冬コーデに代わっていくタイミングやから、敢えてインナー狙いの秋コーデのセール品を狙っていく形かな。」

「ええね。んで、元町の中華街で食べ歩きなんていかが?」

「ほんなら高架下をくぐっていく方がええかな?それともセンター街を抜けていく方がええやろうか。でもその前に、mintの方も見ときたいんよな。」

「mintって逆方向やな。ほんなら、まずはそっちのほう行こか。」

「ありがとう。たまにセールやってるから、チェックしておかないと。」

「高架下やと食べ物も絡んでこない?」

「あー。一理あるな。美味しいもの食べてて目的地着いたらもったいないし、センター街抜けて、南側にルート変更しながら、元町方面歩くルートで。Mintなら駅西側方面からマルイで物色なんてどう?気になるアクセサリーが見つかるかも。」

「待って待って。元町行く前に例の気になるランチの店あるやん。あそこどうよ?」

「気になる。めっちゃ気になるわ。中華街は観光客の方にお任せ?して、そこでランチしよう。」

とか言ってる間に、mint神戸へ着いた。目的地がコロコロ変わるのはご愛嬌。


「ああ。この店なぁ、わかるわぁ。私らのあこがれやなぁ。」

「瑞希君。セール品の前に立つということは、そこは戦場なのだよ。」

あー。たまに発動する遥の司令官モードだ。

「イエッサー 大佐。」


最初は勢いよく探していたが、セール品というのは微妙に大きかったり、いらんもんがついてたりするものが多い。そらそうだ。売れる製品なら定価で売りたいだろう。


最初はノリノリで探していた遥も冷静さを取り戻していく。


「瑞希。次の店へ行こう。」



mint神戸から駅を抜け、マルイも抜けてセンター街へ出た私たちは、数着勝ち取ったセール品を抱えていた。


ある程度は満たされているがまだ購買欲は満たされていない。ただ私はつぶやく。


「腹減った。」

「右に同じく。」


じゃあ例の店へ行きましょうと早速センター街を南側に折れ、その店の前に向かった。

そうその店は地下にある。


その店は洋食店の店で、チェーン展開しているドーナツショップの近くにある。

店の中に入り周囲を見渡す。良かった。空きはありそうだ。


空いている席に案内され、予め決めていたハンバーグランチを2つ頼む。

そのあと遥はつぶやく。


「はぁ。歩いたねぇ。秋も終わりとはいえ、こんだけ歩くとねぇ。」

「確かにね。結構歩いたわ。自分たちを誉めよう。」


ふとそういいつつ、ふと中学の卒業アルバムのことを思い出した。

同じ中学だった遥なら、持ってるかもしれない。なぜこんなに気になってるのかは

わからないが。


「遥。中学の時の卒業アルバムって持ってない?」

「卒業アルバム?なんでそんなことを。」

「いや。うちにな。中学の時の卒業アルバムがないねん。」

「え?うちも普通にないで。高校までは持ってたけど。」

「そんなもんかな?」

「そんなもんそんなもん。気にせんでええと思うで。」


そうこうしているうちに、香しいにおいをしながらハンバーグランチが運ばれてきた。

「美味しそう!」

主よ。感謝します。そして、いただきます。


「そういえばさぁ。遥。今回の教会の私の配役。マグダラのマリアよ。香油を塗るのはええねんけど。かつらの準備とかいろいろせなあかんしさ。簡単に考えすぎやと思うんよ。」

フォークで遥を指し、私は友に問う。


「それは、分かる。私は案内役で助かったと思ってたけど、瑞希の配役見て、壮大すぎひんかと思ったわ。そもそもイエス様誕生ではないんやと。最後の晩餐の方向でやるんやと。色々気になるところはある。あと壮大がゆえに発生する漏れとかね」

ナイフで私を指し、友は私にこたえる。

「やっぱそうやんなぁ。同じ思いでよかったわ。」

「で、どうするん?受けるん?」

「受ける受ける。迫真の演技したるわ。1カットやろうけど。」

「おお。ええね。期待してるわ。」

お互いにやりと笑う。


「さてと、遥。これからどうする?」

「甘い物でしょう?」

「パンダいっとく?」

「いいねぇ。」


パンダとはパンダのロゴのあるクレープ屋だ。

美味しい物は何よりの栄養源だ。

カロリー?ウォーキングで消費されているはず!

こうして楽しい一日は更けていく。



翌朝ゼミの教授に挨拶をしてから、KGKの一室に向かう。今日は11月にあるオータムキャンプに向けた詰めの打ち合わせだ。


「リーダー。うちからの発信っちゅうのはやめたんですか?」

サブリーダーが言うと、

「もうええって。それは。まずはやまずは。」

リーダーが答える。


超教派の集まりなので、まずは参加者と、移動手段。参加費など現実的なところだ。

超教派とは各教団の垣根を越えて、企画立案して運営している試みだ。キリスト教にも様々な教団がある。


「まずは参加者やけど。ここにきている全員参加でいい?」

「いやだから。まずは本人の意思を決めないといけないでしょ?」

「全員参加できるほどの熱さを求む。」

「昔の軍隊みたいなことは言わない。」


というリーダーとサブリーダーの漫才が一区切りついたところで、参加不参加のアンケートを各自書いてもらい、レンタカーで移動していくことになった。


遥がおもむろに聞いてくる。

「瑞希。どないするん?」

「バイトもあるしなぁ。ボランティアもあるから。難しいなぁ。」

「バイト!うちもちょっと今月使いすぎて金欠やから、数か月は厳しいのでパスかなぁ。」


遥がこのイベントに参加できない事情が他にあることを私は知っているが、言うのも野暮なので、それには触れない。


「なるほどぉ。まぁ他のイベントには参加したから、いいんじゃない?とも思ってる。」

「真面目に参加することも大事だけど、人生を充実させるのも大事なのよ。」


んー。それには同調しかねる部分もあるが、まぁ笑顔でうなずいておく。


自分の名前の欄に「不参加」と記載して、次の遥に回す。


「回答ありがとうございます。参加票だけ集めて、実行委員会にあげておきます。」


とサブリーダーがいうと、リーダーが頷く。どっちがリーダーか分からない。


「瑞希。この後時間ある?」

「ん?ああ」

女子トークというか、クリスマスプレゼントの相談だろう。

そんなことをぼんやり考えながら、KGKのMTは終了した。



案の定クリスマスプレゼントの相談だったので、私なりに的確な答えを行い、遥とは別れた。

午後はまるまるバイトだ。カフェテリアで昼食を済まし、バスと電車でバイト先へと向かう。

バックヤードから制服に着替え、「おはようございます」と挨拶していく。


尚ちゃんは午前勤だったらしく、「お疲れ様です」と軽く挨拶してきた。


「店長。今日のランチの出はどんな感じでした?」

「いい感じやったね。皆さん喜んでくれたんちゃうかなぁ。」


ほう。夜も忙しそうだ。


お店のInstagramのフォロワーの評価も、上々で最近店長はすこぶる機嫌が良い。

確かにランチが終わっているにもかかわらず、客が途切れない。


黙々とホールをこなし、ディナーの時間を迎えた。


そんな時。

「あのぉ。パスタに虫が入ってるんですけど。」

料理長が聞いたら、素手が飛んでくるだろうその言葉をこの優男は言ってのけた。

「申し訳ありません。」

謝ったのは新人の女の子だ。

「いや、謝って済む問題じゃないよね?これって、Instagramに挙げてもいいの?証拠として。」

私は優男のテーブルの下に赤いランプがついているのを見逃さなかった。

「お客様。少し失礼します。」


私はカバンの中のICレコーダーを取り出す。

「虫ではなく、キノコだとは思いますが、カバンの中に潜ませたICレコーダーで録音していた理由は何ですか?」

“お客様”は顔を歪ませながら言い返そうとする。

「それは、こういう店があるから、証拠を残そうと思って。」

「Instagramだったら、写真で済みますよね。写真もうちの店長と相談の上、ということになりますが、なんで音声まで取ろうと思ったんですか?他の店でもされているんですか?」

「それは。。」

理由は大方の予想がつく。

「特に理由はないということですね。店長。あとお任せしていいですか?それではお客様。こちらへ。」

と店長に引き渡す。


「ありがとうございました。」

とお礼を言ってきたのは新人の女の子だ。

「大丈夫。大丈夫。あんな人もおるけど、適切に対応していたら大丈夫やから。」


後で聞いた話だが、彼は自称Youtuberらしく、注目を浴びたかったらしかった。こちらにとってはいい迷惑だ。


Youtuberは知人にもいたような気がする。もちろん人に迷惑を掛けてはいない。そんなことをぼんやり考える暇があるはずもなく、テキパキとその日のホールを終え、家路についた。




翌日私はJICAのランチをごちそうになった後、人と防災未来センターへと赴いていた。よりリアルな震災体験を経験し自ら味わうためだ。


坂巻さんは自ら体験した阪神淡路大震災との認識があっているかの照合も必要だが、震災を経験していない世代の意見も聞きたいらしい。


私を連れてきた理由はそんな理由だ。よく見ている神戸の町が、見るも無残に壊れている。身近な場所が壊れているその姿を見て、私は衝撃を受けていた。そんな私を見て、坂巻さんは声をかけてきた。


「地震の時に必要なものってなんやと思う?」


「水、食料は必要ですよね。モバイルバッテリーにラジオ。ですかね?」


「加えて携帯用トイレとガスコンロも必要なんよ」


「トイレとコンロですか。」


「携帯用トイレは数を持っていても問題ない。何が困るかってトイレが一番困るでしょ?水が止まるし。」

「なるほどなるほど。」


「あとガスコンロは必要だね。ガスも電気もない中、調理できる器具はガスコンロだけだからね。重要度は増すよね。」


納得顔の私の横顔を見て、坂巻さんもにこやかな笑みをする。


「ここの人なら僕より詳しい人もいると思うし、気軽に聞いたらええよ。」


ゴーグルを片手にVRで震災をの影響を体験する施設に入った私は素直に頷く。


「地震ってすごかったんですね。」


「そうよ?凄かったからこそ毎年一回のイベントではなく、再認識する必要があるねん。」


これが私をこの場所へ連れてきたかった坂巻さんの理由か。地震を伝える意味を知らせ続けること。


そうこうするうちに、座席に座りVRの映像が始まった。




「カタン」


教会で瑞希は急に私の方に寄りかかってきた。


「瑞希!」


私は慌てて肩で瑞希を受ける。気を失っている。


「駿君。瑞希をソファへ連れてってくれる?尚ちゃん。おばちゃん呼んでもらっていいかな?」


状況が状況なだけに神経質になっているかもしれないが、瑞希をこんな状態にした相手に向き直る。


「あなたはこっちへ」


応接室の方に「正樹先輩」を呼ぶ。


応接室で二人きりになると、まず私は口を開いた。


「ええと正樹君やっけ?同い年だからため口でええよね?私の名前は君島遥。高校の時からの瑞希の友達で、瑞希を見守ってきた。」


ふうっと息をつくと、


「あんた。瑞希に何言ったん?」


「いや。ただ古い知り合いの話を。」


「たったそれだけで、気を失うぐらいのショックを受ける?」


「それは俺にも分からないです。」


「あんたねぇ。瑞希がああいう状態になったのって今回が初めてじゃないんだ。昔の話だけど。」


と私はじっと彼を見据える。


「私たちがどれだけ気を付けているか?あんたには分からんでしょ?で、知り合いってことは、例の事件の関係者ってこと?」


「そうです。」


「古い知り合いって、葛城君の事やないよね。まさか。」


「いや。そうです。」


私は怒りをこらえながら、冷静になろうと努める。


「あんた。なんで瑞希が葛城君の関係者やと知っとるのよ?」


「それは学校で葛城君のことのビラ配りされてたら、嫌でも分かります。」


あー。あの時か。


「その隣でビラ配りしてたのは私。葛城君とは面識ないけど、あの事件のことは知ってる。」


「葛城君は自殺やないんです。俺が証人です。」


いきなり何を、あの事件は自殺ということになったことを私も知っている。だから私は瑞希に付き合ってビラ配りすることになったのだから。


「はぁ・・・。」


深いため息をつき、私はこれからのことを考えることにした。




なぜこんなことになったんだろう。娘の前で私はため息をつく。


「瑞希さん。大丈夫ですよね?」


心配そうに尚ちゃんが私の顔を見る。


「ああ。大丈夫やと思う。そのうち起きてくると思うわ。」


ここ最近は全くこの症状は起きなかったので、油断していたのかもしれない。


ある言葉を聞くと、瑞希は意識を失う。それほどショックが大きかった。自分の彼氏が自殺をしたというのは高校生の時点で受け入れられるはずもない。


「瑤子さんも大丈夫ですか?」


「大丈夫。大丈夫。」


神様に祈ろう。それが一番心強い手段だ。神様にしか解決できないことが多々あるのだ。


娘が彼のことを忘れたまままでも、思い出したとしても、決して悪い結果になるはずはない。


どうか娘に良い結果がもたらされますように。


「お母さん?」


娘が目を開く。


「瑞希・・・・。」


言葉にならない。


「大輝君はもうこの世にはいないんよねぇ。」


私は涙を流しながら、娘の手を取り、頷く。


「でも天に昇って、仲間作って楽しんでると思うわ。大輝君はそういう子やったから。」


私は娘が彼のことを乗り越え、思い出す時があっても受け止める時期が来ると願っていた。

頷きながら娘はふぅとため息をつく。


「ちょっと休んでええ?」


「ええよ。」


瑞希はそのまま横になった。


「尚ちゃんも行っておいで。娘は私が見ておくから。」


「大丈夫ですか?」


「うん。」


尚ちゃんはそっと立つと礼拝堂の方へ向かった。





俺はいつもより1階上の4階で礼拝を受けていた。あんなことがあったことは俺にとっても衝撃で、遥という子の言うことももっともだった。


別に悪気があって言ったことではない。その事が俺にとっても重要なことだったから伝えたかっただけだ。


これはエゴなんだろうか。


大輝とは一時期文字通り支え合っていた。彼がいなかったら、俺の人生はどうなっていたか分からない。いじめという過酷な環境の中で、子供一人で生きていくには非常に難しいものだ。


「賛美せよ。」と音楽が流れる。神様という存在はこんな時でも賛美しろというのだろうか。


過去は過去。今は今。分かっていても俺の中で頭が爆発しそうだ。

気付いたら隣に瑞希さんの弟の駿君が隣に座った。


「正樹先輩。大丈夫ですか?」


「いやぁ。まぁ。ほんとのこというとあかんわ。」


「やっぱり。でも普段はあんなふうな人やないんです。姉貴のことが絡んでるからかな?かなり怒ってましたね。」


「何があかんかったのかはわからんけど、やってしもたことはしゃあないし。」


「戻らんですもんね。姉貴も元気になりますよ。」


気休めでもうれしい言葉をかけてくれる彼は非常に優しい。


「でもね。知らんでええ真実もあると思うんですよ。知ることで不幸になることもあるというか。そういう時、神様に祈ってから、言うてええか。チェックするんです。」


「なるほどなぁ。」


「先輩も教会へもっと足を運んで来たら、分かると思いますわ。そういう感覚。」


許されてええんやろうか。あの光景は俺の中でフラッシュバックのように頭によぎるあの悪夢から解放されてもええんやろうか。


そう思いながら俺は牧師先生の話を聞いていた。




私と大輝君は中学時代から、あの事が起きるまで付き合っていた。

死んだ。と聞いた時は頭が真っ白になり、自殺と聞いた時には目の前が真っ暗になった。


まず浮かんだ言葉は「なんで?」だった。


なんであんないい人が亡くならなあかんの。神様不平等やわ。

と何度思って考えたか分からない。


少なくとも自殺という事実は嘘であって欲しいと駆けずり回った事もあった。


次に来た言葉は「許せない」だった。彼をそこまで追い込んだ人を到底私には許すことはできなかった。


そして最後にいきなり彼の事だけすっかり忘れてしまった。今から考えると神様が私を守ってくれたに違いない。


忘れることで許すことができた。忘れることで許せない心で傷ついた時間を費やすことが短くなった。


ああ。神様感謝します。忘れることで私は彼をいじめていた人を許すことができました。

あなたの愛の中で生きている実感を得たことを感謝します。


「お母さん」


泣き顔の母親に私は言った。


「ありがとう。私は大丈夫やから。一緒に礼拝しに行こ。」


「分かった。」


そういうと入り口前に、チラチラこちらを振り返る尚ちゃんの顔が見えた。


「なんやの。私の周りには優しい人しかおらんのかい。」


小声でつぶやいて、笑いながら手を振りつつ、お母さんと二人礼拝堂に入った。




家に帰った私はベッドの上で天井を眺めていた。そして心の中で叫ぶ。


あー。限界。なんで? なんであんなええ人が亡くならなあかんの?


おかしいやん。彼の学校の人に聞いてみたところ、彼はいじめられていたのではなく、いじめられていた人をかばっていたらしい。


心の整理?できるわけないやろ?


私は許すつもりもないし、あんたらがしていた事を悔いてほしいと思ってるわけでもない。


ふざけんな。私の愛する人に何ちゅうことしてくれたんや。


ただ私は確信してる。あの人は自殺で死んだわけやない。それだけは確かや。


そうやなかったら。私は本気で相手を許せなくなる。


「ああああああああ!」


枕で蓋をしながら、私はこのどうしようもない思いを声に出して叫ぶ。


コンコン。


「瑞希。ちょっと入るぞ。ええか。」


お父さんか。


「ええよ。お父さん。」


お父さんは私の机の椅子に座る。


「昔のこと思い出したんやって?」


私は無言で頷く。


「何があろうとな。神様はすべて御存知や。真実が何であろうと事の本質を見失わんようにな。」


とお父さんはそれだけ言って、席を立つ。


「お父さん」


「ん?」


「ありがとう」


「かまへん。かまへん。」


そう。そうだ。私は天国で彼と二人で笑い合いたいんだ。そう。それが私の希望。

ひらひら手を振る父の背中を見ながら、私は心の中でそうつぶやいた。









月曜日。私は三宮にいた。バイトはお休みをもらい、今日はゼミもない。


昨日急に遥から誘われて、三宮でショッピングをすることになった。だが、誘った本人はなかなか来ない。

いつになったら来るねん。


「みーずーきっ」


背後から近づいたのは一人しかいない。私はため息交じりに振り返る。


「遥。あんたなぁ。人のことを待たせて、何しとるの?」


「あー。それはなぁ。」


と一人の男性に目をやる。


「あれ?正樹先輩?」


「いや。同い年やがな」


「すみません。俺が遥さんにお願いしたんです。」


「そうなの?」

と遥を見る。


「まぁ。頼まれたので。ほら。正樹君も昨日の件、気にしてるみたいやし。」


「昨日はすみません。まさかあんなことになるとは思ってなかったので。」


あー。わからないのも納得だ。昔のことを忘れていたなんて。そしてあの時思い出したなんて。


「正樹君も気にせんといて。お陰でいろいろ整理できたところもあるし。」


「ほんと?」


遥が勢いづいて、私に食いついてくる。

「ほんとにほんと。心を整理することはできたわ。まぁ少しは残っている気持ちもあるけど」


正樹君は少し胸を撫で下ろしたようだ。


「そういえば。なんで正樹君は大輝のことを知ってたん?」


私が正樹君に尋ねると、正樹君をさっと制して、遥が答える。


「大輝君と同じ高校へ通ってたらしいわ。そんで、私らのビラ配りも見てたらしい。」


「なんで、遥が答えるん?正樹君はそれでええん?」


苦笑交じりに正樹君に問いかける。


「はい。ええんです。」


こちらも苦笑交じりに答える。


「ほんで。そろそろやな。ほら。」


と遥が振り返る。駿に尚ちゃん? なんで?


「ということで、今日は5人で楽しく過ごそうということになったんです。」


「え?もしかして知らんかったん。私だけ?」


「そうなんですか?私等も誘われただけで。」


と尚ちゃんが答える。良かった。ひとりぼっちじゃない。


「姉ちゃんだけやないということや。良かったな。」


いや。弟よ、それでいいのか。


「じゃあ、二手に分かれますか。」


自然と女3人、男2人に分かれている。なるほど、了解。


「遥さん。今日はどのようなメニューで行きましょうか?」


「今日は北野の方のショップ巡りに行こうと思うんよ。」


「お。いい感じのアクセサリーショップでも見つけた?」


「うーん。それは行ってみなわからんかな?尚ちゃんは?」


「もうちょっと西に行ったら、古着の店なんかもあるんですよね。」


へーそれもいいかも。と思っていたが、私はさっきから思ってることを言った。


「でも。お腹すかない?」


そう。お昼のお時間なのです。


「じゃあ、この辺で食べてからにしよか。」


と遥が答える。尚ちゃんも頷いた。そして、私が提案する。


「ちょっと気になってる店が高架の近くにあるんだけど、そこにしない?」


「ええよ。」「ええですよ。」


二人の声が重なった。よし、これで決まりだ。私は前から気になっていたお店へ足を向けた。




食事をし、尚ちゃんとは分かれて、北野のショップを遥と二人で物色する。


アクセサリーを片手に持って、チェックしながら、


「で、本当のところはどうなん?昔のことが気になったり、そういうのはないん?」

と遥が尋ねてきたので、


「そういうのはないなぁ。もう調べるのも時間がたちすぎてるし。」


「そうか。それならええねん。」


ふと遥はネックレスを手に取ると、私の首に重ねてきた。


「んー。このネックレス。瑞希に似合うと思うねんけどな。どう思う?」


私は鏡の前に立つと、チェックする。確かにいい感じだ。


「値段的にもお手頃やし、買ってもいいと思うで。」


自分の分のアクセサリーは一通り見終わったのだろう遥は会計に行く。

私もネックレスを買うことにした。


「ほな。会計も済ましたし、尚ちゃんと合流しようか。古着も見ておきたいし。」


「了解。」


そして尚ちゃんのいる方向へ私たちは歩き出した。




三人でのショッピングを一通り楽しみ、男性陣2人とも合流し、センター街を通り抜け、一筋南の通りを西に歩く。

夕ご飯はそこで食べることになるらしい。


三宮には良いお店がたくさんある。

今向かっているお店もその一つだ。遥の話では今年オープンしたそのカツオをメインにしたそのお店らしい。


遥はお店の扉を開けると店員さんに声をかけた。


「あのー。昨日君島で予約していると思うんですけど」


「お伺いしております。」


店の中に入ってみるとそこは、和の雰囲気が漂う心地よい空間だ。

飲み物をそれぞれ決めて頼んだ後、遥はおもむろに正樹君に尋ねる。


「正樹君はなんで教会に来ようと思ったん?」


「尚ちゃんや駿君に誘われたからやね。」


「ふーん」


意味ありげな表情で遥は微笑む。


「ええと。駿は買い物せず?」


尚ちゃんが話題を変えようと、駿に話を振る。


「あー買い物自体してない。そっちは結構買ったみたいやな。」


「そうそう。またバイトで稼がなあかんわ。それより、瑞希さん。そのネックレスさっきしてなかったですよね?」


「ああ。これ。今日買ってすぐつけたんよ。」


「すごく似合ってると思います。」


「ありがとう」


「いやいやいや。それ。私が見繕ったやつだから」


遥が水を差す。私は正樹君と駿の方に向き直り


「じゃあ、二人は何しとったん?」


「ええと。飯食って、カラオケして。ああ、そうそう。正樹先輩めっちゃ歌うまいんよ。」


「そないに歌うまくないって。」


「いや。あれはうまいですって。90点連発なんて見たことがない」


そうこうしている間に店員さんが料理を運んでくる。

遥は私の事を気にして、このメンバーを集めてくれたのだろう。私は彼女に向かい、


「遥。」


「ん?」


「ありがとう。」


「ん。」


遥はにまりと笑うと、深く頷いた。

そうして楽しい一日は過ぎていった。




4.

11月にもなるとクリスマスシーズンになってきて、忙しくなるのはクリスチャンの常だ。そう。KGKもその例外ではない。


「えー。みんなわかってると思うけど、今年は瑞希と遥の教会で平日にクリスマス会を行わせていただく事になりました。」


「えええ?」


リーダーの突然の声に私は派手に驚き、遥は諦めたように首を振る。


「いや。聞いてないですよ。」


「普通はもうちょっと前に話があるわよねぇ。」

私がそういうと、サブリーダーが答え、リーダーに睨みをきかせる。


「いやぁ。超教派でやるから大きい教会じゃないといけなくて、KGKで決まって・・・、連絡するのを忘れてた?もしかして俺。」


「その通り」


「じゃあ追加で言うと、うちの学校は賛美とダンスを一つすることになったから、みんなよろしく。」


今度はそれぞれでザワザワしだす。

尚ちゃんや駿もこのこと知ってるのかしらん。と考えてみたものの分からない。


「ダンスの練習とかどうするんですか?」


隣の女の子が口を開く。

それはそうだ。当然の質問。


「え?賛美に合わせて振り付けすれば良いんやないかな?」


「いや。だからその振り付けをどうするのって聞いてるんだって。そこはネットに上がってるダンスを参考にするから安心して欲しいねん。」


天然でボケるリーダーに、突っ込むサブリーダー。


「練習しないといけないっちゅうことで合ってます?賛美もダンスも」


「うん。数曲から絞ってやるつもり。」


左後ろの男性の質問にサブリーダーが答える。


「それならいつもやってるあの曲どうです?ちょうどクリスマスやし。」


「ああ。あの曲も候補の一つやね。」


今度は右前の女性からの質問にサブリーダーが答える。

「ということなんで、他の学校も来るから。みんな頑張ろうや。」


リーダーがそういうと、お前が言うなという顔をして、みんな首を黙って横に振った。





私が間違っているのか。神様の近くにいないと生きている感触を得ることが難しい。そこまでショックを受ける出来事が過去にあった。


私にとって大切な人。その人を急に失うこと。原因も分からず、立ち向かってきたつもりでも空回ってたこと。


何か胸にズーンとくる重み。私はそんな経験をした。


そういえば、阪神淡路大震災や東日本大震災の被害を受けた方はもっと凄いダメージの中生きているのだと気づく。


その中には家族や友達。もちろん私のような恋人のケースもあっただろう。


忘れるって大事なんだな。神様がくれたチャンス。私の心を癒してくれる時間というプレゼント。


私が許すのではなく、神様に委ねるのだから、私が考える必要がない。


冷静に判断した結論がその結果だった。


けど、辛いなぁ。


そう割り切れるものでもない。


時間は癒してくれるが、愛する人を失った事実は消えないのだ。


あー。揺れる揺れる。気持ちが揺れる。そうやって、私は心の奥底でその事実を嚙み締めたが、まだ揺れている。


ああ。そうか。この思いは神様に預けないと解決しないわな。

そう。私は間違っていたのだ。自分自身で解決しようとしている。そんなことをして何になる?







レストランで必要な事。私は一介のバイトに過ぎないのだが、周囲の店員の動きを見て、順番を決して間違えないこと。


パンが切れそうなら、厨房に伝え、パンを補充する。オーダーが多いメニューがあれば店長と話す。


バイト帰りにそんなことを考えながら、震災のボランティアへ足を向ける。今日は坂巻さんもいるはずだ。


ほら。声が聞こえてきた。


「ほう。それは興味深い話やな。ほなまた聞かせてくれ。」


「こんにちは。」


「瑞希ちゃん来とったんね。あれから何かあった?」


「いや。まぁ。ありました。そんで、聞いてみたいんですけど、坂巻さんはなんで震災のイベントを続けていってはるんですか?」


んーと坂巻さんはうなると。


「忘れないためと心の癒しに繋がれば。かな。ただ発信するだけじゃなくて、被災者に何か感じるものを伝えることができればいいな。ということを常に考えとるな。」


「なるほど。大事な人ほどその傷は深いですものね。」


「それは経過した年数やない。癒されるのは人それぞれ違うもんや。もう大丈夫やろう。もうええんちゃうか。そういうのやないんや。」

「そういうもんなんですかね?」


「何で癒されるのかは誰にも分からん。気づいたら癒されてる人もいるしな。だからこのイベントは終わらせることができんねん。きっかけに繋がるからな。」


なるほど。坂巻さんはパンを補充してるのだ。震災で心に傷を負った人に癒しというパンを。


「さてと。語るのはそれぐらいにして、瑞希ちゃん。手伝うてくれるか。あっちのオーナメントを動かしたいねん。」


「はい。お手伝いします。」


そう言って、私はボランティアのお手伝いを始めた。




家に戻ると母からひと言、


「瑞希。大輝君のお母さん。麻衣さんと会ってみいひん?」


と言われた。


「なんやのん。いきなり。」


母からのいきなりの提案に私は首を傾ける。


「ええ機会やと思って。それと正樹君も一緒に。」


正樹君は最近知り合った人やし、そんなに面識はない。遥の方が良くないか?


「なんで正樹君なん?」


「それは遥ちゃんが正樹君も連れて行ってくれって。」


「正樹君本人はどう言ってるん?」


「遥ちゃんが瑞希の意思次第だけど、正樹君は問題ないだろうって。」


なんだ。その根拠もない遥の確信は?


「そもそも、麻衣さんに会う理由は?」


「それは私から麻衣さんに電話で相談したんやけど、それなら是非話がしたいということになって。」


えらいストレートやな。まぁ。あの時期の私を考えたら、お母さんが麻衣さんに相談する気持ちはわかる。


「麻衣さんがそう言うなら、会ってみるしかないなぁ。」


「じゃあ。先方の都合を聞くために、麻衣さんと正樹君に連絡とってみるわね。」


「分かった。」


私はお母さんの提案に対して、頷いた。





 私は大輝を失って、大輝の事をすべて忘れてしまった。空白の期間。これは私にとって神様がくれたプレゼントだったのかもしれない。


 だから私は彼を忘れてしまった事について、自分自身を責めてはいない。むしろ忘れてしまったことに感謝したいくらいだ。


 あのまま覚えていたら、私はその事実を受け入れられないまま、真実を追い求めていただろう。


 真実を追い求めても解決しないことがある。


 どうしようもない真実と向き合っても、納得できないことはある。


 私にとって、それは大切なことだけど、手放さないといけないこと。


 かといって、彼を愛していたあの瞬間は、私にとっての宝物であることに変わりはない。


 彼を失ったことが私にとって、苦しくないと言ったら噓になる。いつかは会えると信じたい。それが私にとっての希望だ。





 阪急から市営地下鉄に乗り換え、湊川公園駅で降りた私は正樹君と待ち合わせた。麻衣さんは引っ越しして最近この辺りに住んでいるらしい。


「瑞希さん」


 急に後ろから声を掛けられ、私は肩からビクッとする。


「ま・・正樹君。こんにちは。」


「今日は大輝君のお母さんに会いに行くんですよね。」


「そうそう。麻衣さんとは昔からの仲だから私は大丈夫だけど、正樹君は初対面?」


「はい。そうです。でも腹決めてきました。」


何を腹決める必要があるのかはわからなかったが、とりあえず調子を合わせる。


「そう。それなら良かった。じゃあ麻衣さんのところへ行こか?」


湊川公園駅を北へ向かうと住宅街があり、その一角に麻衣さんの住んでいるマンションはある。私たちは黙々とそこへ向けて歩き出す。

いや、正直声を掛けられなかった。今正樹君の顔つきに、そんな緊張感があらわれていた。


マンションの中に入り、階段を上ると、ここや。


「ピーンポーン」


 インターフォンを鳴らすと、麻衣さんが外へ出てきた。


「いらっしゃい。瑞希ちゃん。ほんま綺麗になって。誰か分からんかったわ。そしてそちらが?」


「春日部正樹です。今日はよろしくお願いします。」


「いつも通りでええよ。顔に緊張って書いてるようやわ。」


カラカラと笑った麻衣さんに正樹君は戸惑いを隠せない。


「まぁ玄関で立ち話もなんやし、リビングへおいで。」


と私達は中へと通される。


「紅茶とコーヒー。どっちがええ?」


「じゃあ紅茶で。」


「俺も同じく。」


湯を沸かし三人分の紅茶を入れると、麻衣さんは口を開いた。まず正樹君の方を向く。


「正樹君。瑤子さんから少し聞いてるけど、本人の口からききたいから、ちょっと待ってね。」


次に私の方へ向いて、

「瑞希ちゃん。これは一つの答え合わせなんよ。いい結果が出るといいけど。では私の方から話始めるわね。」


何の答え合わせ?とも思ったが、私たちはまず麻衣さんの話を聞くことにした。




 私達夫婦は大輝の死を受け入れられなかった。しかも自殺なんて。だから私たちはまず大輝が自殺でないという証拠集めから始めた。


 大輝の日記やノート。学校への確認。PTAへの確認。受け持った担当の警察官にも直接話を聞いた。


 そのどれもが大輝が自殺ではないと裏付けできるものだった。複数の痣がありその痣も飛び降りと変わらない時間につけられていたこと。


 あれは誰かが殴りつけでもしないと、できない痣であること。飛び降りは事故に近い状態であったこと。警察官や検察官もあれが自殺であったとは到底思えないとの認識だった。


 そしてありとあらゆる処から集めた証拠をもって、民事で大輝をいじめていた子たちの親を提訴した。


 長期化を予想していたが、第1審で相手側の親の一人が、すぐに調停を申し入れてきた。

 慰謝料というお金で解決を求めてきたのだ。


 旦那は金の問題じゃないと突っぱねようとしたが、私はそれを引き留めた。


「それは、あなたの子供が私たちの息子の死は自殺ではないと認めるということなんですね?」


「はい。事故です。」


「分かりました。調停受け入れます。」


つまりお金で人の死を解決しようとしたこと自体が、息子が自殺ではないという証拠になった。


それで私にとっては十分だった。


後日学校に問い合わせしたところ、いじめの加害者たち全員が転校していったことを知った。彼らにも知られたくないことがあったのだろう。


私はその状況から自殺ではないという確信を得た。いや、自殺ではないと思い込むこととした。





「とまぁ、そんなところかな。瑞希ちゃんが正面で戦ってくれてるとき、私たちは背後で戦ってたんよ。」


つまりは葛城夫妻も私と同じように大輝の自殺を信じていなかったことになる。


「でもね。これは状況を集めただけの確信なんよ。それで、正樹君。君の出番というわけ。いじめられていた君にとってはつらい過去かも知れんけど。私も知りたいところやし、瑞希ちゃんも知りたいことなんよ。」


「はい。今日はそれを話しに来ました。」


そういうと正樹君は口を開いた。




 「僕」は高校に入ったあの頃から、ずっとあいつらに目を付けられ、いじめられてきました。ただ一人だけ庇ってくれてたのは大輝君でした。


 彼とはよく話を交わすようになり、僕達は徐々に仲良くなっていきました。


 が、それが気に入らなかったのか、あいつらは徐々にいじめがエスカレートしてきました。


 夕方僕らは廃屋のビルの屋上に連れていかれ、ある男に大輝君は僕の目の前で殴られ続けていました。


 僕は羽交い絞めにされ、動けないようにされて、その光景を見るだけでした。


 楽しんで殴りつけていた男が振り返った時には、大輝君はマンションの屋上から足を滑らせ、下に落ちていきました。


 僕は何もすることができなかった。彼らが怖かったから。そして彼らと離れた瞬間を狙って119番通報しました。





「だから、大輝君は自殺ではありません。殺されたんです。」


沈黙が流れる。


そうか。いじめられた本人はこの事実を知っててもおかしくはない。彼らの報復が怖かったから、私達にも告げられなかった。そういうわけか。


「それは、証人になってくれるということでええんやね?」


「裁判のですか?」


「いや。神様と私たちに対して。」


「はい。」


「ありがとう。」


麻衣さんは正樹君に軽くお辞儀をし、ため息をついた。


「長かったわね。お互い。」


私の方を向いて、麻衣さんはそう言った。


「これで大輝は『自殺』ではなくなった。」


「自殺でなくなったのは大きいと思います。」


「そうなのよ。大輝にいずれ会える可能性が広がるし、その違いは大きいのよね。」


「そういえば、麻衣さん。連中の親から受け取ったお金は?」


「取ってあるわよ。真実を知るまではと新規に口座を開設してお金を入れていたけど。」


麻衣さんも自分の息子を亡くしたのだ。私以上に心の整理をつけようと必死になっていたとしてもおかしくはない。


「もうそれも必要ないわね。教会に全額献金するわ。」


なるほど。そうする理由は私にもわかる。


「共感します。私でもそうすると思うから。」


「ありがとう。」


「あの。ええんですか。俺が証人って。」


「それでええのよ。私たちにとってはそれが大切な事実なんやから。」


「信じるというか。信じさせてくれって思いますよね。」


裁判の時に彼が証人として立っていたら、民事は泥沼になっており、決して解決はしなかっただろう。今このタイミングだから、誰も傷つかずに済んだのだろう。


神様が用意してくれたタイミングにはそれぞれ理由があるのだ。


麻衣さんと正樹君と私の3人でひとしきり話し終えた後、私たちはそれぞれの家に帰る時間になった。


「今日は本当にありがとうね。旦那にもいい報告ができるわ。」


「こちらこそ。」「ありがとうございました。」


ああ。いずれ大輝に天国で会える。その事実だけで私は満足だ。


正樹君ともバイトがあるとのことなので、新長田で別れ、私は家に帰った。


「ただいま」


「おかえり。どうだった?」


「大輝は自殺じゃなかった。正樹君がそう言ってくれたよ。」


「良かったね。瑞希。」


「うん。ありがとう。お母さん。」


そういうとお母さんは私を優しく抱きしめた。それで今の私には充分だった。





KGKのクリスマス会の練習は続いている。私もあの一件があった後は、以前と同じようにKGKの集まりにも顔を出すようになっていた。


賛美とダンスということだったが、歌よりダンスの方が大変ということで、ある映画から拝借した次第だ。


クリスマスなんだから、楽しまなくっちゃ損でしょう。この歌なら、だれでも自由にダンスができる。知ってる人も多い。


「で、瑞希は納得したの?」


軽い感じで遥は聞いてきた。


「そりゃ関係者に言われるとね。納得しないわけはないわよ。で、遥は知ってたの?」


「私も知ったのはつい最近かな。どう瑞希に伝えるのがいいかを考えたのは、瑤子さんと相談しながらやけど。」


「ありがとうね」


「いやいや。友達やから、私ら」


「うん。こういうのを親友ってゆうのかもね。」


「おー。親友って言っちゃう?」


「言っちゃうね」


「そう言えば、教会の劇の方はうまく出来そうなん?」


少し照れ臭くなったのか、遥は横を向きながら聞いてきた。


「マグダラのマリアはやっぱり1カットやった。せやから、余裕かな。駿の方がしんどそう。」


「あー。」


教会では裏方で通っていても、KGKではそうではなかったらしい。複数の大学が合同した劇のセリフ覚えで必死だ。


「でも、それを言うなら尚ちゃんも相当じゃない?」


教会で結構劇で鍛えられている彼女にとっては、セリフ覚えは苦にならないらしく、今回両方出ることになっていても、あまり大変さは感じられない。


「そうかも知れないわね。」


「あー正樹君はどうするんだろ?」


「駿からの話では、観客でいいみたいね。ほら、彼。ノンクリスチャンやから。」


サブリーダーが声をかけている。休憩時間は終わりということだ。


「さて私等も歌って踊りますか。」


「そうしましょうか。」





バイトはこのシーズン忙しい。

なぜならクリスマスシーズンの予約が多く、店もフル回転だからだ。


「若宮さん。6番のオーダー通ってる?」

「はい。先ほどチェックしたところ、通ってます。」


パンの減りが予想通りだ。


「店長。パンの減り具合は予定通りですね。」

「この時期にしたらね。」


私は通ったメニューが出たのを確認し、お客様へ運ぶ。


「はい。お待たせしました。こちらがローストオニオンとベーコンのアマトリチャーナでボロネーゼチーズフォンデュがけがこちらです。」


美味しいメニューが並んでいき、消費されていく。ああ。生きてるってことは食べれることだ。


6番のメニューが運ばれていくのを横目に見て、次のお客様を出迎える。空席はありそうだ。


「いらっしゃいませ。」






マグダラのマリア。今回私が演じることになった役名。


彼女はイエス様の足を涙で洗い、香油で流した人物。香油は当時高価で彼女の精一杯のもてなしだったに違いない。彼女はイエス様が天に帰られた後も見守った。

ラザロの復活もあるが、今回はそれもワンカットでしかない。


すべてお湯なのだが、イエス様役の足にウィッグの髪を濡らし、最後に香油に見立てたお湯を足に流した。たらいにたまった湯は、ブラックアウトとともに引き上げる。


こうして、私は教会のクリスマス会を楽しむことにした。






阪神淡路大震災。当時起きないとされていた土地神戸で巨大な地震が起きた。

これは忘れてはならないし、防災意識の大切さを語り継いでいくことは大事なことだ。


神様の身元に召されたクリスチャンも、等しく天に召されたはずだ。


「おう。瑞希ちゃん。助かるわ。」


坂巻さんは写真の構成を考えている。三宮のセンター街に飾る予定だ。そう、クリスマスの準備が佳境なら、それから数日たった阪神淡路大震災に関するイベント準備も佳境なのだ。


「こうしてみんなの声が一つ一つ重なって、大きな癒しになるんやから。」


神戸は立派に復興を遂げた。命の尊さに違いはない。


彼も同じく天へ昇った事だろう。


「瑞希ちゃん。このインタビューのところやけど、おばちゃんはどういう思いで答えたんやろう?」


「ああ。それはこういうことです。」


おばちゃんは家が全壊して、愛する旦那も地震で亡くして、うちの教会に通う山添亜沙美さんだ。


「なるほどなぁ。こういう場合クリスチャンはどう考えるん?」


「必ず天の御国で会える、そう考えるんです。」


そう。そうする事で憎しみや絶望から解放される。私はその重要性を知っている。


「公平性を保つために、宗教的な要素を入れるわけにはいかんけど、参考になるわ。ありがとうな。」


「いえいえ。こちらこそお役に立てて嬉しいです。」


坂巻さんは照れ臭そうに頭を掻きむしった。





私たちは明後日のKGKのクリスマス会に向けて準備を進め、それも本番を迎えた。


歌い出しは一人で歌い、途中までしっとりとしたバラードを入れながらも、フィナーレに近づいていくにつれて、ダンスも声も大きくなっていく。そう。それは苦しみから解放されたように。


ダンスも無事に終え、私たちの出番は終わった。


「お疲れ」


遥がこっちに来てハイタッチをする。


「お疲れ様。なんとかなるもんやね。」


「苦しみからの解放って感じで、ちょうど今の私達って感じやね。」


「それは練習の?」


「あー。それもある。」


そして私たちは観客席に着いた。


立派に演じ切る尚ちゃんに対して、しどろもどろの駿とかを見ながら笑ったり、とにかく楽しい一日だった。


教会の片づけをして、私達は家路に着いた。




家に帰った後、私は机の引き出しを引き、ある手紙を取り出した。

それは茜色の空の下に生まれ、茜色の空の下で亡くなった彼に対してだった。


大輝へ


そっちで元気にされてますか?

私は元気が取り得なので、健康な日々を過ごしています。


一度はあなたを忘れる期間があったけど、優しいあなたなら許してくれると信じています。


あなたがいなくなった時は本当に辛かった。


生きている価値なんてなんでもいいから、生きていてほしいとずっと思ってた。


でも、そもそもが間違ってたんやね。


私はあなたが考えるほど、強い人間やなかったみたい。


あなたがイエス様の御許にいると信じきることができなかった。


でも、神様が私に空白の時間を与えてくれたおかげで、真実を知ることができた。


私がおばあちゃんになったら、大輝は私のこと気付いてくれるかな?


今すぐ天の御国に行きたいのは山々だけど、私が生きることを神様は望まれているみたい。


私はこちらで楽しく生きてから、そちらに向かうので、そっちで会ったらまたよろしゅうしてな。


瑞希より


                                   

先日書いた手紙を机の中に入れると私は部屋を出た。


そう。彼は天の上で生きている。いつかこの手紙も彼に届くだろう。

なぜなら?私がそう信じているから。





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