黄金と春 後編

「おや、失礼。貴女の大好きな魔術の研究を続けられる方法ですよ」

「死、って」

「そう」


 話についていけないサラセニアは目を丸くして、フォースは分かっているとでもいう風に優雅に微笑んだ。


「この二年、国内の魔術研究は停滞しています。まあ、原因はウェゼル公爵に半分くらいあるのですがね。有能な人材がこぞって新興国に流れてしまった」


 困ったように顎をさすっている。


「魔物を捕獲する装置の開発は頓挫した。完成間近だったのに、貴女が使い方を誤ったのです。だけど、捕縛や封印の技術はこれからも必要な技術で、失敗した理論が応用できるものです。僕はこの研究を続けているのですが、実験にも人手が欲しくて、敏腕な助手を雇おうと思っているのです」

「研究を……」


 続けているのか。装置は未完成だったのか。だとすればフォースはサラセニアの経験値を手に入れたいだろう。どんな優秀な人物もサラセニアには及ばない。

 サラセニアの頭に試してみたい構造式がいくつも浮かぶ。金色の瞳から溢れ出す思考に、サラセニアの喜色を読み取ってフォースは小さく笑った。


 サラセニアはその顔にまごついて、視線を下げた。


「……馬鹿なことをおっしゃるのね。わたくしは罪人だというのに」

「条件は、ふたつ」


 サラセニアがやっと返事をしたが、フォースは答えず、内ポケットから小さな指輪を取り出した。サラセニアはフォースの手の動きに釣られて顔を上げた。白く輝く指輪の台座部分は空だった。


「あなたの魔力を結晶化する装置です。台座にはある鉱石が埋められています」

「それは」


 瞬時に理解する。魔力を宿す石、人工魔石の生成だ。自然界には魔力を宿した鉱石が存在する。それをひとの手で作り出す技術は王国にはなかった。誰が発明したのか。魔石は魔道具の貴重な燃料だ。人工魔石が供給できれば、魔術師でなくても魔道具を扱えるようになる。


「貴女は、この指輪をはめて、魔石を作り出す。その魔石を王家に献上する。これがひとつめ」


 指輪を傾けてサラセニアの目の前に示すと、指輪は滑らかにその色を変えた。


「魔石の負荷に長期に堪えられる金属なんて。指輪が先に壊れてしまうわ」

「白金に魔石を配合してあります。詳細な素材も加工技術も企業秘密ですが」

「そんなことができる技術者は」

「ビクトリシア国の魔石師ですよ」


 東の国が魔石の加工技術に特化しているのは知っている。だが頑なに技術の流出を拒んでいた。違法に連れてきたんじゃないでしょうね、とサラセニアが言うと、フォースは心外だと肩を竦めた。


「ウェゼル公爵領にビクトリシアからの船が入るようになりました。ビクトリシア国が魔石師を派遣することに承諾するだけの条件をウェゼル公爵が提示できたということです。外交の手腕には恐れ入ります」


 嫌味な男だ。敢えてウェゼル公爵の名前を出す。

 サラセニアが睨むと、フォースは嬉しそうに口角を上げる。


「ウェゼル公爵に思うところはありますが」


 私怨ですが、と一言挟んで、「それでも彼の功績を認めるとするならば、ビクトリシア国から魔石師を招くことに成功したところでしょう」と説明した。


「サラセニア」


 フォースが馴れ馴れしく名前を呼ぶ度に、サラセニアは、今や自分がただのサラセニアであることを思い知る。挑発に乗ってはいけない。サラセニアは頭痛がするこめかみを押さえた。


「何人もの刑務官からの苦情申立てや魔導士団司令の陳情も伺っています。みなさん、貴女の扱いにずいぶん苦心なされている様子で、いえ、面白がっているわけではありませんよ。まあ色々ありまして陛下と直接交渉する機会を頂いたのですが」


 こともなげに言ったが、陛下と謁見するなど、どんな手回しを、いや、それでも、サラセニアが知っている王子時代の人柄であれば、あり得る、むしろ——


「あなたは、誰に命じられてここへ来たのかしら」

「私は唯一の賢王に仕える忠なる臣ですよ」


 間を置かずフォースは答えた。


 この自称忠臣は自身の知識欲のために、サラセニアの魔力を罪人として埋もれさせるのは惜しいと国王を唆したのだ。

 サラセニアが優秀な魔術師だったのは寝食を削って学んだ成果だが、魔力量だってその気になれば魔導士団一、二を争う自負がある。王国にしても、国家反逆を企てたエピックス伯爵の血族とかなんとか理由を付けて殺してしまえば簡単だったのに、魔導士団の結界という多大な労力を懸けてまでサラセニアを閉じ込めているのは、国王が、サラセニアの魔力に目を付けていたからだ。

 その利用方法をフォースは提案した。


 ただこの案は魔術師にとって呪いでしかない。サラセニアの魔力を吸収して魔石が育つのならば、サラセニアが自由に使える魔力は制限される、もしくは失われるのだろう。

 サラセニアは改めてフォースの指先を見た。


 魔石師を雇って、このとんでもない指輪を作るに係る費用の方が、塔の結界の維持よりも安く付くとは思えないが、この石ひとつでサラセニアの、もしくはサラセニアを利用した反乱の可能性を封じて、かつ長期的な人工魔石の供給という実験をしようとしているわけだ。名案だ。


 ……サラセニアが当事者でなければ。


 悪だくみをする男たちに呆れて、つい、笑みが零れた。


「魔術式を自分で試せなくなるじゃない」

「貴女の手足となる術士を選びましょう。最新の学問を収集した生徒は喜んで新しい構造式を試すでしょう」

「それって、もう魔術師とは名乗れないわね」


 だから魔術師サラセニアは死ぬのです、とフォースは言う。

 自分には魔術しか残されていないと思っていて、十年後、この塔から出たら、世界に目にもの見せてくれると思っていた。だけど、塔から出られたところで自由が待っているとは限らなかった。世界から自分が置いていかれるのも嫌だった。牢の中でできることなんて些細なもので、新しい術式を頭の中で構築する度に鬱憤は溜まっていく一方なのだ。


 今すぐに。

 解き放たれて。

 研究を続けられるなら。


 サラセニアの様子を眺めて楽しそうにフォースは続ける。


「貴女がこの指輪をはめて魔石を作り続ける限り、今よりずっと快適な暮らしを保証される。数冊の書籍で貴女の知識の飢えを慰められるわけもない。僕の蒐書も好きなだけ読めますよ」


 アカデミーの蔵書ではないフォース伯爵秘蔵のコレクションを提示されて、興味がわかないはずはない。得られるものは大きい。

 魔術師を捨てれば。

 よく考えなさいと頭の片隅で警鐘を鳴らす自分の声は、目の前の男をどこまで信用するか計りかねている。だけどサラセニアの本能が、飛び込めと言っている。


 フォースは兵士に命じて、鉄格子の鍵を開けさせた。魔力で組み上げられていた鉄格子が消える。

 この交渉は、現実のことなのだ。


「驚いていますか。うれしいですね。貴女が動揺する姿なんて貴重です」


 そう言ってフォースはサラセニアにゆっくり近づいた。見上げるサラセニアの顔にフォースの影が落ちる。どうして、とサラセニアは尋ねた。

 金色の瞳を覗き込んで、フォースは言った。


「迎えに来たのです、僕の愛しいカナリア」


 柔らかな声に、サラセニアは肩を強張らせた。

 が、すぐに可笑しくなった。迷うことなんて何もないし、選択の余地など最初から残されていない。彼は王の使者で、自分は罪人なのだから。彼は貴族で、自分は平民なのだから。

 彼は昔の恋人で、自分は。


「……今のところ、断る理由はありませんわ」


 フォースに返事をした自分の声が信じられないくらい穏やかで、それも可笑しかった。


「わたくしが嫌になって指輪を外したらどうなりますの?」

「その時は僕の首が胴体とお別れすることになっています」


 曲者の国王にリスクまで背負わされてまでサラセニアを迎えに来たフォースの誠実さに、少しばかり胸を打たれた。だからばれないように、それは見ものですわね、と片眉を吊り上げてみせた。


「もうひとつの条件を聞きましょうか」


 サラセニアが尋ねると、フォースは春風のように微笑んだ。


「僕のことを名前で呼んでください。あなたの瞳に相応しい黄金でありましょう」


 フォースはサラセニアの左手をとった。指輪は、サラセニアの薬指を飾った。

 いつか呼んだように、サラセニアは彼の名前を囁いた。


「ゴールド様……」


 小さな指輪はサラセニアから矜持を奪い、ここよりも広くて快適で、狭い場所に閉じ込めた。だけどサラセニアの新しい鳥籠は、ここよりずっと暖かい。

 北風はじきに向きを変える。鮮やかな金色の視線は、小さな窓から羽ばたくように新しい空を見上げた。





(おわり)

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カナリアを迎えに 霙座 @mizoreza

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