秀吉、最後の謀略

@oka2258

太閤の遺命

稀代の成り上がりの英雄、豊臣秀吉は豪奢な布団の中で最近になく気持ちよく目が覚めた。

以前のように頭が冴え渡る中、自らの死期を悟った。


(どん百姓の子に生まれてから、よくぞここまで来たものよ。

今までどれほどこの矮躯で奔走し、脳漿を絞り尽くしてきたことか)


秀吉の頭の中には、浮浪していた若年から信長に仕え、台頭し、天下を取るまでの生涯が流れていく。


(まだまだ女と戯れ、敵を叩きのめし、派手なことをして人々から賞賛を得たかったが、そろそろ幕を引く時か)


秀吉は近くに控える近習に、何人かの名前を伝えて呼び寄せるように命じた。


「お前様、どうかいたしましたか」

まずやって来たのは糟糠の妻、寧々。


秀吉は寧々としばらく話してから、子飼いの武将を呼んだ。


「殿下、お呼びと聞き、参上いたしました」


石田三成、大谷吉継、福島正則、片桐且元が集まった。


「虎之助がおらぬが、朝鮮で戦っておるゆえ仕方ない。

さて,お主たちはわしが取り立てた身。

わしに命を預けてくれるな」


「「もちろんです!」」


全員が頷くのを見てから秀吉は口を開いた。


「みな平家物語を知っておるだろう。

平氏は栄華を極めたのちに壇ノ浦で全滅した。

だからこそ物語に美しく書かれ、記憶に残る」


そこで茶を啜った秀吉は言葉を続けた。


「わしは一代で貧農の子から天下を握り、誰もしたことがないほどの栄華を極めた。

見たことのないほどの巨城を作り、美女を集め、異国に攻め入り、大茶会や花見も行った。

太く短く燃え尽きるのが美しいと思わんか」


「殿下!」


当代一の切れ者、石田三成はその先を読めたのか悲痛な声を上げる。


「くくっ、そうじゃ。

豊臣の家は実質わし一代で終わらせる。


最期は火に包まれた大坂城で母子が死に果てるというのは、幼児の安徳天皇が二位の尼と海中に身を投じるのと同じくらい絵になろう」


秀吉の言葉に、寧々を除き、誰もが驚いて声も出ない。


「どうせ豊臣の家などわしと寧々と小一郎で作ったのじゃ。

この三人の血を継ぐ者がいなければ滅ぼしてもよかろう。

寧々も同意してくれたわ」


「しかし、お拾様がいらっしゃるのでは」


片桐且元がそう言うと、秀吉と寧々は昏く笑って言う。


「阿呆、あれは茶々がどこかで種を拾ってきたのよ」


「あの女、藤吉殿を親兄弟の仇と思い、豊臣の家を乗っ取って敵討ちとするつもりですわ」


「ならば、秀次様を自害させたのもその為ですか」


震えながら大谷刑部が尋ねる。


「無論じゃ。

何故豊臣の家を意地が悪い姉の子供に継がせねばならん。

あの姉に幼い頃にどれほど虐められたか。


それに秀次は思ったよりも優秀、奴を残しておけばひょっとすると豊臣は残るかもしれんしな」


それから秀吉は本題に入る。

それは秀吉脚本の芝居であり、悪役の徳川家康とそれに翻弄される淀殿・秀頼の母子を主役とする悲劇ものである。


その構想を聞くと、且元は首を傾げた。


「そんなにうまくいきますか?

殿下が死んだ後の諸大名の動きなどわかりますまい」


それを聞くと秀吉は呵呵と笑った。


「わしを誰だと思う。

人心収攬の名人、羽柴秀吉だぞ。

人は損得と見栄で動くものだ。

信長様でも再来しない限りはわしの読み通りとなろう。

わしが死んだ後は寧々に従え」


秀吉と寧々のところから退出した四人は目を合わせてため息をつく。


目前に迫った秀吉の死とその後に託されたことの重みをひしひしと感じたのだ。


「佐吉、紀之介、苦労をかけるな」


そう言ったのは福島正則である。


「市松、ひょっとすると殿下の読みが外れてわしらが勝つかも知れんぞ」


笑いながら三成は答える。


「いずれにしてもまずは天下分け目の合戦を作り出さねばならん。

わしは見てるだけだが、お主たちは大変だ。

殿下も酷なことを言われる」


そう言う且元に吉継が肩を叩く。


「わしは余命も少ないので、良い死場所をもらえた。

しかし、この大合戦の後の筋書きはお主にかかっている。

うまく後世に語り継がれる滅び方を演出してくれ」

 

秀吉が死ぬと、石田三成と福島正則は豊臣子飼いの武将を二分する内紛を起こす。


武断派と呼ばれる福島方に家康は乗る。


天下を狙う家康を挑発し、三成と吉継は毛利を旗頭に上杉、宇喜多、島津を巻き込み、天下を二分する戦をする為、関ヶ原で待ち受ける。


「市松め、徳川を引きずって関ヶ原まで来おったわ。

よく役目を果たした。

後は我らの仕事よ」


三成は腹痛と称して自軍を島左近に任せ、各陣営を回って進行を見守る。


「徳川め、予想外に弱いな。

戦っているのは西軍の方がはるかに少ないのだぞ。

精強な三河武士とは昔話か。

これで島津が出撃すればこちらが勝ってしまうわ」


三成は島津軍に向かい、先鋒の島津豊久を怒らせて島津の動きを止める。


パーンパーン


動かない小早川軍に鉄砲が放たれる。


「紀之介め、動かない小早川に業を煮やして徳川に扮して問鉄砲を放ったか。


これでグズの金吾も動くだろう。

毛利・吉川は予想通り動かずか。

甘いな、それで本領安堵の筈はあるまい。

それにしても太閤殿下の読み通りだな」


三成が独り言を言う間に、小早川軍は裏切り、大谷軍に襲いかかる。


それに対する大谷軍の奮戦は見事であった。


「紀之介め,準備していたであろう。

裏切り者の小早川とそれに奮戦する大谷吉継、これで後世に名を残したな。

さて、わしは逃げ回って見苦しく生に執着するか。

最後に市松の顔も見たいからな」


逃亡した三成は捕縛され、斬首となる。


その前に福島正則が三成の顔を見に来て罵ったことはよく知られている。


関ヶ原の合戦から十数年が経った。


「淀殿と秀頼は折れぬのか!

且元、うまく説明して納得させてくれ。

大坂を退去すれば後は好きなだけ条件を飲もう。


太閤に満座の前であれだけ頼まれたのだ。

ここで豊臣を滅ぼしてはわしは汚名に塗れることになる」


家康は焦っていた。

もはや徳川の天下は動かない。

あとは後世への聞こえが気になるのだ。


(あの短気な信長でも足利義昭の命は取らなかった。

秀吉はもっとうまく、気づかぬ間に織田の天下を奪い、小大名に押し込めた。


徳川と豊臣にはこれだけ実力に差があるのだ。

後世に悪名を残さぬように円満に収めることはできる筈だ)


もはや豊臣につく大名はいない。

それがわかれば徳川の膝下に入り一大名になることを認める筈だが、豊臣母子は全く折れる気配がなかった。


「且元、家康殿はどうすれば豊臣の家を残してくれるかのう」


秀頼は頼りなげに且元に尋ねた。


「何を弱気なことを。

秀頼様成人の暁は天下を返してもらいましょう。

福島,加藤をはじめ、豊臣恩顧の家はこちらにつきます。

福島正則からは本人が約束しております。


大坂城は難攻不落。

ここを出てゆけという徳川の腹は追い出してから命を取るつもりです」


且元がそう言い切ると、淀殿と秀頼もそうかと思う。


しかし、このままでは戦さとなるのではないかと危惧した淀殿は側近の大蔵卿局を家康の元に派遣すると、家康は豊臣を滅ぼすつもりはないと言い、柔軟な姿勢を示した。


且元はそれを聞いて激怒し、徳川が甘言で豊臣の内紛を誘っていると言う。


淀殿と秀頼が迷う間に、且元は強気で行けば家康は折れると言って、浪人衆を集めた。


徳川方は、交渉による解決を主張する家康に、これまで言いなりだった秀忠が反対した。


「一戦して実力を知らせてから、秀頼をどこかの大名に移封しましょう。

そうすれば悪名も残りません。

私も千姫を助けたい」


秀忠の主張に家臣も賛同し、孤立した家康はそれを認めたが、最後に一言言う。


「開戦のきっかけの為に、方広寺の鐘銘のような見っともない言いがかりまで認めたのだ。

間違いなくどんな形でも豊臣は残すように。

そうしなければわしが旧主家を騙して滅ぼしたということになる」


「わかりました、父上」


これまでの生真面目ぶりとは打って変わり、面倒そうに秀忠は言った。



双方が軍を集め,もはや戦さは避けられない状況となったのを見届けて且元は大坂城を離れた。


その頃、淀殿と秀頼は狼狽していた。


「あれだけ味方になると言っていた福島正則から連絡が途絶え、誰一人として味方となる大名がいない。

且元め、どういうことじゃ!」


孤立無縁の大坂城だが、意外にも奮戦し、徳川軍は攻めきれなかった。


「家康などに太閤殿下の作った城が攻め落とせるものか。

しかし、これでは太閤殿下の望んだ結末にはならん。

もう一苦労しなければならんか」


且元は苦く酒を飲み干し、考える。


「そろそろよかろう。

和睦して秀頼はどこかに移してやれ」


家康は毎日のように秀忠にそう言う。

連日の戦さでは、真田や後藤などの浪人たちの名を挙げるような結果ばかりが聞こえてくる。


秀忠は且元に命じて天守閣に砲撃させ、動揺した淀殿と秀頼から和平を引き出した。


秀忠に豊臣家の処遇を纏めるように命じて安心して江戸に帰った家康は、突然の急使に驚いた。


「堀を掘り返し、浪人を集めたので、大坂城を攻めるだと!

誰がそんなことを認めた。

あんな裸城ならば赤子でも落とせるわ。

その代わりに騙し討ちという汚名を満天下に晒すことになる。

秀忠め、何を考えている」


家康は老躯を押して上方に向かうが、もう諸大名に動員がかけられ、戦さは避けられない勢いであった。


「秀忠!

何を勝手なことをやっているのだ!」


本陣に乗り込んだ家康の怒りは、秀忠と周囲の家臣に冷たくあしらわれる。


「征夷大将軍は私です。

豊臣は徳川の天下を脅かす恐れがあります」


秀忠の言葉に、家康は哀願するように頼む。


「わしは天下を取り、子孫に残し、思い残すのは後世への評判だけだ。

主殺しと言われる明智のような悪評をわしに負わせてくれるな」


「わかりました。

秀頼の命は救い、公家にでもしましょう」


秀忠の言葉に家康は安心した。


夏の陣は一方的な展開であったが、それでも徳川軍はあちこちで苦戦を強いられた。

その挙句に家康は真田軍に襲撃され、命からがら逃げ出すことになる。


家康とともに戦った歴戦の強者は死に絶え、戦のやり方も知らぬものばかりに囲まれ、家康は孤独感を覚えた。


(いや、今はそれどころではない。

秀忠は母子を助命しているのだろうな)


大坂城が燃えだすのを見て、家康は慌てたが、そこに千姫が現れたので胸を撫で下ろす。


「お前がいるということは秀頼も助かったのだな」


「お祖父様、秀頼様を助けて!

お父様はここで豊臣を滅ぼし、禍根を断つと言ってるの!」


家康が急いで秀忠のところに行くと、ちょうど使いが報告していた。


「秀頼母子は山里曲輪に立て籠もり、助命の返事を待っています」


「よかろう。

すぐに助命の使者を出し、丁寧にここに迎えてやれ!」


家康は大声で言うが、秀忠は振り向きもしない。


「やはりそこに籠ったか。

読み通りとは、さすがは豊太閤よ。

よし、鉄砲を撃ち込み、自決を促せ!」


すぐに指示を伝える使いが出ていく。


「秀忠!!」


叫んだ家康の方を見た秀忠はこれまで見たことのない冷笑を浮かべていた。



山里曲輪の中では、淀殿と秀頼が助命の希望を持って待っていた。


そこに大野治長が、太閤の遺命と書かれた煌めくような箱を見つけて、持ってくる。


中には、『茶々と拾いへ』と宛名があった。

その筆跡は太閤のもの。


逆転の秘策があるのかと淀殿と秀頼はそれを貪り読んだ。


『姦婦、そして誰の種かわからぬ捨て子よ。

お前たちの役割は豊臣の最期を悲劇で飾り、わしの栄華と合わせて豊臣の家を一片の物語とすること。

そこには大量の火薬を用意しておいた。

火をかけて、骸を晒さぬように美しく散るが良い』


それを読んだ淀殿が「あの猿め!」と叫んだ時、外から鉄砲を撃ち込まれる。


「母上、ここまでです。

太閤の言われる通り、せめて美しく死にましょう」


秀頼の言葉をきっかけに自刃が始まり、最後は大野が火を放ち、大爆発が起こった。


且元はそれを見て,ようやく役目を果たしたと思った。

 


大坂城が落城してから家康は体調を崩していたが、今日は北政所のたっての頼みで高台院にやってきた。


「太閤との約束を守れなくて済まなかった」

目の前の尼に家康は頭を下げた。


彼女が福島正則達に家康につけと言わなければ、彼は天下を取れなかった。

その借りがあるにもかかわらず、豊臣家を滅ぼしたことに家康は気が重かった。


「いいのですよ。

それよりもこれをお読みください」


北政所に差し出された書状の宛先は家康殿。

この筆跡には見覚えがある。


急いで中を開けると、太閤からの驚くべき手紙であった。


「わしは豊臣家を物語にするという太閤の芝居の悪役を勤めさせられたのか!


天下を差し上げるが、その名には主家を騙し討ちした薄汚い狸親父ということがついて回るだろう、だと!

ふざけるな!

わしがどれほど豊臣を救おうと努力したか!


この太閤の策謀に加担した福島と片桐、それに高台院、あなた達こそが豊臣を滅ぼしたことを天下に公表してやる!」


激昂する家康の言葉に北政所は微笑む。


「私どもだけでできることではありません。

もう一人大事な協力者がいます」


それとともに襖を開けて入ってきたのは徳川秀忠。


「父上、私も太閤殿下の協力者です。

父上に汚名を着てもらい、将来の禍根の種となる豊臣を滅ぼすと言うのは願ってもないこと。

高台院から話が来ると、すぐに乗せてもらいました」


「貴様、実の父よりも太閤を取るのか!」

怒り狂う家康を秀忠は冷たく見た。


「兄の信康を殺し、次男の秀康とは会いもせず、私もあなたに愛されたい覚えはありません。

おまけに私の後継には自分の子を竹千代として押し込んでくる。

ここで一泡吹かせられて嬉しい限りですよ」


「貴様は追放だ。

他の子を将軍にするからな!」


叫んだ家康はぐらっと倒れた。


「ようやく仕込んだ毒が効いてきたか。

最近、調子悪かったでしょう。

ずっと毒を盛られていたのですよ。

豊臣も滅びて、あなたはお役御免。

すぐに死んでは不審だから、影武者も用意しています。

数ヶ月したら葬儀を出しましょう。

そうだな、死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎとしますか。

食い意地を張りすぎた、天下人の死因としては笑い者ですな」


秀忠の言葉を聞きながら、家康は意識がなくなっていく。


こんな最期になるとは。

火中で死んだ信長、老残の身を晒した秀吉と比べてどうだろうかと、最後に思う。


大坂の陣から数年後、福島家は改易となる。

その申し渡し後、秀忠は正則を呼び、二人で話をした。


「秀忠様、福島家を取り潰し、私を切腹にしてもらうという願いは聞いてもらえなかったのですね」


正則は残念そうに言う。


「佐吉、紀之介は遥か昔に逝き、且元も豊臣滅亡後すぐに死んだ。

私一人生きているのが心苦しいのです」


正則の切々とした願いに秀忠は真摯な声で答える。


「太閤殿下は豊臣滅亡後のことまで指示していない。

好きに生きればいいのだ。

大録すぎるというので、小大名とした。

石田殿や秀頼母子などの菩提でも弔ったらどうだ」


「信州の寒いところで、そうさせてもらいましょうか。

太閤殿下の遺命を果たし、魂が抜けたようです。

確かに経を読むことしかすることできなさそうです」


そう言って肩を落として出ていく正則を、秀忠はずっと見続けていた。



















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