忘れ物探し(元カレの家で)

ガビ

忘れもの探し(元カレの家で)

 元カレの家に忍び込んだ。


 奴がバイトに行く時間は分かっていたし、合鍵はまだ持っていたので簡単だった。


 つい、1週間前まで同居していたアパートの1室に足を踏み入れる。


 大学で嫌なことがあっても温かく迎えてくれた玄関。

 でも、今は出ていった私に冷ややかに「ここはお前のくる場所ではない」と拒絶しているような被害妄想をしてしまう。


 奴と別れた時よりもショックだけど、私にはどうしても回収しなければならないものがあった。


 1冊の漫画である。


 新山ボタンの『パーフェクト・ファミリー』という、全1巻でまとめられた隠れた名作だ。


 理想の家族を演じようとする4人家族の物語で、皆が幸せになろうとしているのに、徐々に不穏な雰囲気になっていく過程が堪らなく好きだ。


 あまり売れなかったようだけど、新山ボタンはその後、『サウザンド・ストーリー』という王道少年漫画で大ヒットを飛ばしている。


 それ故に、作風の違う前作の『パーフェクト・ファミリー』はプレミア的な価値がついて、今やネットでも手に入れるのが困難な状態になっている。


 そのレアものを、元カレの家に忘れてきてしまった。


 大喧嘩の末に別れることになって、頭に血が登った状態で荷物整理をしたせいだ。要するに、奴のせいだ。


 あの、クズベーシストには2度と会いたくない。


 だけど、『パーフェクト・ファミリー』を失くすのは惜しい。


 悩んだ末、不法侵入することにした。

 普通に犯罪だ。


 でも、中学時代の私に多大な影響を与えた漫画を、あんな顔だけの男に渡したくない。


 そう決意して、ここにきた。


 さて、どこにあるだろう。

 普通に考えて、リビングかな。


 奴がプロのバンドの映像をiPadで観ながら偉そうに貶していた部屋だ。人のことをとやかく言う前に、まずは練習しろと言ったら殴られたっけ。


 軽く見渡しても『パーフェクト・ファミリー』は見当たらない。というか本自体が1冊もない。


 後の選択肢はトイレ・お風呂・洗面所・台所くらいしかない。

 どれも水場で、漫画を保管するのに適していないが、1番マシな台所を見ることにする。


「‥‥‥」


 あぁ。嫌だ。


 部屋を巡るたびに一々、奴の記憶を思い出す。


 普段、料理なんかしないくせに、何かの動画に影響されたのか、やたらと凝ったものを作る癖が奴にはあった。


 蕎麦をこねるところから始めた時は、ちょっと笑っちゃったな。で、出来上がったら美味しいでやんの。


 そう伝えてやったら、嬉しそうに笑うんだ。


 ムカつくことに、奴の笑顔には母性をくすぐる能力がある。


 それから3日くらいは蕎麦を食べさせられたな。

 基本的にクズ男だが、そういう可愛らしいところもあるのだ。


 ‥‥‥マズい。

 ちょっとエモい感覚になってしまっている。


 共依存体質である私が、やっと別れられんだ。こんなことでまた一緒になろうなんて考えちゃいけない。


 でも、この家が私を狂わせる。


 まだ1週間も経っていないのに、変にノスタルジーを感じる。

 懐かしさとは、時に人間の進歩を妨げる。


 早く。

 早くこの家から出なくちゃ。


 じゃないと、うっかり電話して「やり直そう」とか言いかねない。


 漫画はどこだ。


 台所を見渡す。


 お揃いで揃えたお皿やコップ。

 奴の好物である炒飯を炒めたフライパン。

 常に金が無いくせに、私の誕生日プレゼントとして買ってくれた水色のミトン。


 どれも、思い入れがあるものばかりだ。


「‥‥‥はぁ、はぁ‥‥‥はぁ」


 心臓が暴れている。


 やっぱり私には彼が必要なんだ。

 仲直りしよう。彼がメジャーデビューするまで支えてあげよう。


 そう思い、スマホを手に取った瞬間。

 その想いは一気に冷めた。


「‥‥‥」


 私の視線の先には、電子レンジがある。


 この電子レンジは、いつ寿命がきてもおかしくないほどに古いもので、直立に立つこともままならない。

 しかし、何かを下敷きにしたら、そのバランスは保たれるだろう。


 例えば、漫画とか。


 私の大好きな『パーフェクト・ファミリー』が、その役割を担っていた。


 電子レンジの重みによって、グチャグチャになっている。


 奴も、私がこの漫画を大切にしていたことを知っているはずだ。

 知った上で「これ丁度いいじゃん」と下敷きにしたんだ。


「‥‥‥ふぅ」


 私はもう、一種の清々しさすら感じていた。


 もう、奴と私の間に絆など無いと確信を持てたから。


 ただでさえボロボロになっている『パーフェクト・ファミリー』をこれ以上気付けないように、丁寧に抜く。


 そして、さっさと外に出る。


 ドアが閉まる直前、この家と奴に届くように力を込めて呟いた。


「さようなら」



-了-

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忘れ物探し(元カレの家で) ガビ @adatitosimamura

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