血の逢瀬 5




 ◇



 正門を出た未命の頭上を、刹は滑空してついてきた。羽音を鳴らして呼びかけてくる。


「姫様ァァ……!」

「もう、待って。お願いだから」


 未命はそう呼びかけてから、また前を向いて、街道脇の開けた場所へ進む。――森の中の一画に、刹が降下してくる。


 ずしり、と音をたてて、両脚の爪を地面に食い込ませて降り立つと、刹は翼をばたつかせた。


「姫様ァ! 待ちましたぞォォ。この刹はァ、長う、長う待ったのですぞォ! ゲッゲッゲッゲッ……」


 老人の頭に白髪を振り乱し、なおも両翼を動かす。


 未命は恐る恐る近づいた。不思議な匂い――刹からは生臭さと共に、土と太陽の匂いがした。


「ねえ、刹。あなたって、蒼玉の仲間みたいな……?」

「ぬうゥ。お忘れかァァ! この刹を……。一番の家来をォォ」


 そこで未命は、心の中の蒼玉に呼びかけた。


(ねえ、蒼玉……! 刹のことを、もっときちんと、教えてくれない? 蒼玉……)


 けれど、返事はなかった。――鳳嵐鈴を放ってから、まるで蓄えた力が尽きたかのように、沈黙している。


(仕方がない……。どうしよう。とりあえず、撫でてあげれば、いいのかな)


 未命は戸惑いながらも、刹の皺深い額に右手を伸ばすと、ざらざらとした刹の額を幾度となく撫でた。


 刹は目を細めて頭を傾けると、「グルルゥ……」と、満足そうに喉を鳴らした。



 足音がして振り向くと、縫衣の姿があった。右手に麻袋を持った縫衣は刹を見て、


「驚いたよ。急に飛んできて……。ねえ、それよりさ、刹」

「何ぞォォ。姫様と語ろうておるのだァ」


 と、不機嫌そうに刹は顔を上げる。縫衣は続ける。


「あの禅治はどうしたの? 追いかけたんじゃないの?」


 刹は首を傾げ、しばらくして、


「おお、商人……! あやつは、その、逃げられたァ……」


 力なく云って、刹は顔を俯けた。縫衣は近づいてくると、


「そうか。やはり禅治を、追わなければ。そればかりか、より大きな……。でもさ」


 すると縫衣は麻袋を開けて、そこに右手を差し入れると、焦茶色の塊を二つ取り出した。――丸々とした黒蜜揚げだ。


「ケェェェ! 寄越せェ」

「わかってるよ。さ、お食べ。ごくろうさま」


 涎に濡れた刹の大口に、縫衣は黒蜜揚げを放り込んだ。刹は目を剥いて口を動かす。ごりごりと音が聞こえてくる。翼をはためかせ、


「美味ィ! よいぞォォ!」



 縫衣は袋を畳んで懐に入れると、両手をはたいた。


「さ、未命さん、戻ろう。――今日は」


 その声を聞いた未命は、やはり底抜けにまっすぐな縫衣の瞳を見て、そうね、と答えた。



 そんなとき、視界の端に一輪の白花が見えた。


「あ……」


 未命は声を漏らして目を向けると、さらに、茂みの向こうに白花の群生が見えた。


「この一輪が……茂みの向こうから」


 白花の群生を隠す、青葉もたわわないばらの茂み。その折り重なる棘の格子。


 未命は吸い込まれるように近づいてゆくと、光を含む白花たちを透かし見て、茨の枝に手をかけた。




 終章 血の逢瀬 おわり


(了)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白花ノ幽姫 -甘し血の逢瀬- 浅里絋太 @kou_sh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ