豚之夢

ほすぃ芋

豚之夢

決められた運命に逆らう気も、怒る気にもなれなかった。

ただ、何気ない世界を楽しみたいと願うだけで……


豚は養豚だった。

飯においしくもない残飯を混ぜこまれ、体を綺麗にしたい時に洗えやしない。

生活の全てが人間に管理され、少しでも謀反しようものなら屠殺場送り。抗おうなんて考えるのははとうに捨てた。

それが日常。不変の日常だった。


仕方ない。と豚は思う。

産まれが悪かったのだと。もし生まれた先が人間だったら、なんていう夢物語は考えた事はあれど、屠殺される未来しかない豚である現状は変わらない。


そんな未来に周りの連中は絶望していた。

瞳は常に虚ろで頭は俯き、発する言葉も悲愴な言葉ばかり。

一言で表すのなら『鬱』だった。


自分の決められない未来。逃げ出すこともできない未来。どこもかしこも行き止まりのそんな未来に楽観的な考えが浮かばないのだ。


だが豚はおしゃべりだった。

おしゃべりと言っても口下手で脊椎で会話をしてしまうような、コミュ障のようなおしゃべりだが。


垂れる言葉はその日の天気や食事について。決してポジティブではないがネガティブでもない。


ただ、聞かされる側になると大層鬱陶しいようで、話しかけられた先輩豚は煩累とした顔で豚を眺め、煩わしさに耳を塞ぎ、蹴り飛ばす。


最悪の未来に耳を塞ぎ、何気ない変化を楽しめない。

豚からすればそれこそ信じられないものだったが。普通はそうらしい。事ある事に豚は蹴り飛ばされたので証明済みだ。


だが、そんな豚にも楽しみがあった。

それは新入りの豚と話す時だ。

新入りと言っても歳は上で北海道から屠殺場が近いという理由ではるばる移転してきた豚だが。

ソイツは青い空を知っている。生い茂った芝生も広い大地も、雨や雷だって知っている。

そいつの話を聞いているだけで心が満たされ、景色を思い浮かべて笑うことができる。

ココ以外を知らない豚からするとそれを知っているのはとても羨ましいことで、今日も彼の思い出を聞くために寝床へ歩み寄る。


「豚〜。今日も蹴られたのか?懲りないな〜」


新入りは今日も青く滲む豚の表皮を眺めて苦笑する。


「仕方がないよ。誰も理解してくれないし」


「ま、井の中の蛙がなんとやらってヤツだな」


先輩が辺りを見渡して鼻で笑う。


「それで、今日は何を聞かせてくれるんだい?」


「そうだな。もう一通り向こうの生活は話したし、ここに送られるまでに見た景色を話そうかね」


今日も始まった。豚にとっては夢心地のような物語が。


「俺が見たのは、壁だった」


頬を緩め心地よく傾聴していた顔が思いもよらぬ言葉で疑問に歪み先輩の方を向く。

先輩の顔はいつもの笑顔から厳顔なものへと変わっており、周辺の空気も物々しいものへと変遷していく。


「壁?ですか」


「そう壁。揺れに伴って近づいたり離れたりぶつかったりしたさ」


どこか遠くを見すえるその目は切なさを感じさせてくる。


「それで。打ち付けられた先は何があったんですか?」


「……」


豚の願いとは異なって返って来たのは無言。

その無言に応じるように視線が交差する。

交差するその視線はマジマジと豚を眺め、「はぁ」というため息の後に、下へ向く。


「つまりな。楽しくないんだ。ここに来た時点で目を輝かせることは起きないし、終わりなんだ」


皆目意味のわからないことばかり言う先輩に呆気取られていると「だから」という前置きの後に、


「逃げ出すべきだ」


ととんでもない事を告げてきた。

突拍子の無い言葉に驚き、開いた口が塞がらない。


「へ?」


「だから、逃げ出すべきなんだ」


「なんで?ですか?」


食い気味に訊くと先輩豚は腐食で少し脆いゲートを指して空笑う。

卑下の空笑いではなかった。

本気でここから逃げ出すべきだと思っている。そして共感してくれるやつを探すような。


「同じ飯。食って楽しいか?見れもしない外の変化が楽しいか?」


先輩は木造のゲートに近づいて脆い部分を少し蹴る。

するとパキッと言う音と共に、少しだけ穴ができた。痩せ気味の豚1匹が通れるかどうかの穴が。


「なにしてるんですか?!先輩」


未だに見当もつかないを行動する先輩を止めようと呼びかけるが、止まる様子は無く、何度もヒビに蹴りをいれて、ようやく肥満豚1匹が通れる穴が開通した。


「ここを通って外を見るぞ」


「ちょっと待ってください何でですか。生きたくないんですか?」


「俺の答えはもう出てるからな」


先輩は荒んだ屋根を見上げ、また出口へと見やる。

豚には分からなかった。

そんなことをすれば死期を早めることになるのは明白なのに行こうと差し出された手を取りたくて。

でもあと一歩のところで足が竦む。


「お前、ココの中で1番輝いた目をしてるよ。諦めてない」


そんな豚に先輩の言葉が突き刺さる。

本当にそうなのだろうか。と豚は思う。

豚は殺伐とした所が嫌いで悲愴感漂う空気が嫌いで……でも、それ以上に死ぬのが嫌いだ。

死ぬことに比べたら青空を見れないなんて些細な事だ。

故に夢を見るだけに留めるだけにしていたのに。

どうして、こんなにもその手は魅力的なのか。


「僕は。諦めた上で……理想を思い描いて……描くだけで良いんだ」


「俺かておしゃべりな訳じゃない。聞かれなきゃあんな話は話さねぇ。でも、そんな俺の話を聞いて目を輝かせていたのは誰でもないお前だ」


「でも、僕は死にたくない……」


「その死は青空を、床一面に敷き詰められた芝生を、満天の夜空を見れないことよりも恐ろしいのか?」


刹那。走ったのは衝撃。

稲妻のごとき衝撃が豚を駆け巡り、消滅。

そして硬直している豚に先輩は続けて告げる。


「知的好奇心は猫をも殺す。命なんて好奇心の前には膝ついてひれ伏すしかないんだ」


そこでようやく豚は自分が欲しているものに気がついた。

誰しも夢を見るのは自由だ。追うのも、諦めるのも自由。

それは豚にも共通している。が、夢以外を他人に強要された豚にとってはこの上なく自由が欲しかったのだ。


毎日、同じ寝床で。同じ食事で。同じ処置を受けてまた眠る。

そこからの脱却こそ豚が求めているものだった。


「僕なんかがついて行っていいんですか?」


「お前以外だと楽しめないからな。いくぞ」


差し出された手を取り、豚二匹は穴を飛び出して鉄壁に囲まれたゲートを出る。

生体認証されていない物体の出入りに伴いゲートからは警笛に近いブザー音が鳴り響き、ドコドコと異変を察知し、人間達の迫る足音が聞こえた。

ここの養豚場は近くに様々な施設がある。ゴミ処理場、民家、屠殺場、農場。

だからこそ、ココの警備は厳重なものだった。

だが、足は止まらない。引き返せる地点をゆうに越したその足は止まることなく第二ゲート第三ゲートを駆け抜け、外まであと一歩のところまで差し迫る。

直後、聞こえたのは銃声。続いて肉が焼けるような匂い、それと共に突如として走っていた先輩の足が止まる。


「行け!!外を見たいんだろ?!行け!!」


金切り声のような鳴き声を発して、豚の背中は何かに押された。

後ろから聞こえたバタッと倒れる音から先輩が撃たれ、倒れたのだと理解。

先輩を思い、止まろうと思ったのは一瞬で、遺言を聞いたその足は先輩を足蹴に加速し最後のゲートへと走りゆく。

2発3発と聞こえる銃声はこちらに向かって飛来し、足、胴体に1発づつ貰ったが、その足は未だに止まらず最後のゲートを走り抜けていた。


そして、ようやく豚の足は止まった。


「あ。あぁ……ああああ゛……」


乾いた喉がヒリつき嗚咽を漏らす。

豚が見たのは空。

少し曇ってはいたが夜空を照らすその宝石は、今まで見てきた夢の結晶の集合体のようで、走馬灯のように夢がなぞられる。

かつて先輩が語ってくれた夢物語がソコにあり、涙が、鼻水が溢れて止まらない。

豚は初めて死んでもいいと思った。

夢を超える現実に感動し、少しだけ口角が上がる。

__あぁ。コレが……


至福の空間を歪めるように視界が横転。

撃たれたのだと理解するのにそんなに時間はかからなかった。

射抜かれた心臓からは血が流れ、拍動する音がよく聞こえる。

コレは彼らの正義だ。

豚がいくら外を望んでも社会が許してくれやしない。

彼らも心が痛いのは分かっている。

故に決められた運命に逆らう気も、怒る気にもなれなかった。

ただ、何も成せずに生きるよかよっぽどマシで、多幸感に包まれながら豚の意識は夜空へと解けた。


もし、最後に願うなら来世は何気ない世界を楽しみたいと豚は願う。

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