裏社会の流儀

宵宮祀花

つけ払いの代償


 第五層繁華街、情人路の一角にある店の裏にて。

 一人の男が複数の男と一人の女を前に、地に額を擦りつけて喚いていた。裏路地の前を通る人々はいつもの光景だと相手にせず、見向きもせずに通り過ぎていく。

 ヤのつく人たちが経営する夜の店にふらりと入り込み、金が払えずツケにする。

 その場で支払う能力すらない人間が、膨れ上がる利子を纏めて払えるわけもなく。こうして取り立てに遭う光景は、五層ではありふれた日常風景なのだ。


「お願いします! あと三日……いや、一週間あれば、必ず……!!」


 土下座の姿勢で懇願する男を見下ろしている集団の一人は四十路ほどの男だ。

 彼は白いスーツを身に纏い、目元は色の濃いサングラスで覆い隠して、灰色の髪はワックスを効かせてオールバックに整えている。いかにもそれらしい容姿をしているその男は、容貌通りの地位にあった。

 集団の頭であるその男――――俊熙ジュンシーが煙草の煙を細く長く吐き出す。

 溜息にも似た紫煙を暗い路地裏に揺蕩わせ、伏せる男の頭上に灰を落とした。


「あっつ!……がッ!?」


 灰の熱に男が思わず頭を上げると、俊熙が男の後頭部を踏みつけた。額がガツンと音を立てて地面にぶつかる。


「誰が頭を上げていいと言った」

「ヒッ……!」


 足の下でガタガタと震える男を煩わしげに見下ろし、最後にギリリと踏みつけると足を離した。しかし伏せている男は土下座のまま、哀れなほどに震え続けている。


「お前、確か先月も似たようなことを言っていたな。ひと月待たせて、更に待たせるつもりか?」

「い……いえ、そんな……そんなつもりは……っ、ただ、今月は、本当に……」

「傷つくわぁ」


 男の言い訳を遮るように、ヒールの音が一つ。

 俊熙にしなだれかかりながら、金髪の女が気怠げに口を開いた。


「ひどい言い草ねぇ。いつまでも払わないってことは、アタシの接客なんか金を払う価値がないってことよねぇ」

「そうか。この男はアルマの接客だったか」

「そうよぉ。アタシとベリンダがテーブルについたの。因みにだけど一緒に来店したお兄さんはしっかり払ってくれたわよぉ」


 ルージュの乗った厚めの唇と垂れ気味の目の傍にはそれぞれほくろがあり、大きく開かれた胸の谷間付近にも、小さなほくろが一つある。それらが得も言われぬ色気を醸し出しており、下着同然の姿に十二センチのピンヒールという下品にも映りがちな格好に、高級娼婦の説得力を持たせていた。


「お酒も五杯くらい飲んだし、太ももまで触ろうとしてきたのにねぇ」


 紅いマニキュアとネイルストーンで彩られた指先を口元に添え、アルマがクスクス笑う。

 五層の夜總会は原則肉体的な接触禁止且つ枕営業禁止で、嬢と客どちらが破っても厳しい罰則が科せられることとなっている。特に枕営業や嬢からの接触は『そうでもしないと客を取れない底辺娼婦』と軽蔑される要因でもあるため、嬢のほうから破ることは滅多にない。

 更に、五層の夜總会は八層のそれと違い、詐欺やぼったくりの類ではない、比較的まともな店だ。勿論、夜の店独特の若干盛った料金設定ではあるが。

 この男は二人の美女にチヤホヤされて気が大きくなり、身の丈に合わない高い酒を複数注文した挙げ句に、カードを家に置いてきたなどと言って支払いを渋ったのだ。よりにもよって八層と五層を統べるヤクザ、俊熙が経営する店で。


「……これ以上ゴミ掃除に時間を割くのも面倒だな」


 俊熙が呟くと、男がビクリと全身を震わせた。

 其処へ、路地のほうから足音が一つ飛び込んで来た。


「あれ? 俊熙さんです。こんにちは」


 声の主はチャイナ襟のメイド服を着た、十歳前後に見える黒髪の少女だ。身の丈に比べてだいぶ長いモップを手に、背中には掃除道具を背負い、腰にはなみなみと水の入ったバケツを下げている。


「こんにちは、小雨。仕事帰りですか」


 信じられないことに、先ほどまで男に向けていた鬼も裸足で逃げ出すようなヤクザそのものな気迫が嘘のような、穏やかな声で俊熙が少女に答えている。まるで親戚の子供と道端で行き会ったかのような気安さだ。


「はいです。六層帰りなのです。俊熙さんは……お仕事中みたいですね。お邪魔してしまってごめんなさいです」

「いえ、構いませんよ。そろそろ終わらせるところでしたから」


 突如乱入した幼い声に放心していた男が、俊熙の不穏な一言に恐慌状態となった。


「う、うわあぁあああ!!」


 喚きながら立ち上がり、乱入してきた少女、小雨を羽交い締めにして後退る。

 その手は相変わらず惨めに震えており、ナイフなどの武器も所持していないため、ただ捕らえただけの有様だ。


「お、お前らっ、このガキがどうなってもいいのか!?」


 会話から知人同士と察した男が、小雨を人質に取って俊熙を脅す。しかし、俊熙を含む他の男も、アルマも、顔色一つ変えずに男を冷めた目で見据えていた。


「俊熙さん、この人俊熙さんのお店でなにしたです?」

「無銭飲食と掟破りです。アルマに手を出そうとしました」


 捕らわれてもなお暢気に会話を続ける小雨と、それに平然と答える俊熙。

 男はその異様な光景に怯え、また一歩後退った。


「な、な、何だよ……コイツ、知り合いじゃ……なに普通に話してんだよ……っ」

「お兄さん」


 不意に、男に捕らわれている小雨が背後に向かって呼びかけた。


「人質っていうのは、その人にとって価値がある人を選ばないとだめですよ」

「は……?」

「シャオは俊熙さんの情人ではありませんので、人質にはなり得ないです」


 子供にあるまじき冷静な物言いに戦くが、男は手を離すことはしなかった。それがハッタリで、手を離した瞬間に男が銃なり何なりを持ち出してくる可能性が過ぎったためだ。


「俊熙さん。この人先日、芳さんのお店でも似たようなことしてたみたいですので、早めの差押えをお勧めするですよ」

「なるほど。情報に感謝します」


 そう言って、俊熙がスッと前に手を掲げる。


「く……来るなっ!」


 怯えた男が、じりっと靴底を鳴らして身構え、小雨の首を腕で締め上げる。

 が、それより先に俊熙の影が揺らいだ。灰色の壁に映る、この場にいる人々の影。アルマの緩く巻いた髪や男たちのかっちりしたスーツの特徴的なシルエットが映っているその、壁に。

 俊熙の影もまた、本人を綺麗に写し取ったような形で其処にあったのだが、それが陽炎のように揺れている。

 やがて揺らめく影が、壁に塗ったペンキのように滴り始めると、小雨を捕えている男がぐうっと短く呻いた。


「わわっ!」


 思い切り突き飛ばされ解放された小雨が、たたらを踏んでつんのめる。飛び込んだ先にはアルマの豊かな胸があり、そのまま抱きしめられた。

 その背後では、男が眼窩から零れ落ちそうなほど目を見開いて両手で喉を押さえ、蹲っている。声を出すことも出来ずに、虚しく開閉する口からは、ぼたぼたと唾液が零れて足元に黒い水たまりを作る。


「シャオちゃん、いらっしゃぁい」

「アルマさん。お昼間なのに大変ですね」

「そうなのよぉ。困っちゃうわぁ」


 豊満な胸に小雨の顔を埋めるようにしてぎゅっと抱きしめ、小さな頭を撫で回して愛でながら、アルマは然程困っていなさそうに笑う。

 彼女の視線の先では、立っていることも出来なくなった男が膝をつき、額をつき、胎児のように丸くなりながらガクガクと痙攣している。それだけではない。男の体は震えながら徐々に枯れ木の如く痩せ細り、乾いていき、最終的には自身の痙攣の力に耐えきれず、あちこちから折れる音がし始めた。

 やがて何の反応も見せなくなると、俊熙は傍らに控えていた部下の男たちに合図を送った。小雨が捕らえられてから二分足らずで、身の程知らずな男は我が身に起きたことを何一つ理解出来ないまま息絶えたのだった。

 部下たちは男の身ぐるみを剥ぎ終えると、そのまま裏路地の外へと消えて行った。

 彼らはこれから男の住処へ向かい、僅かでも金になるものや関係者の情報をむしり取り、彼が支払わなかった金の取り立てを行うことだろう。


「相変わらず影鬼さんは容赦ないですね」


 俊熙の『影鬼』に取り憑かれた男は、全身の精気を吸い尽くされて絶命していた。数分前まで元気に喚いていたのがまるで嘘のように。体はミイラのように萎れ果て、見開かれた目元には枯れた涙の痕だけが残り、口の端からは泡を吹いている。


「……まあ、そういう能力ですから」


 ところでと、俊熙は傍らの店を視線で示しながら言う。


「よろしければ、一杯如何です? 情報提供のお礼にピーチソーダでも」

「良いのですか? 頂きますですー! 俊熙さんのお店のピーチソーダ、本物の桃が乗ってて大好きなのですー」


 今し方人を殺めたばかりのヤクザから持ちかけられた奢りの言葉にも物怖じせずに喜ぶ幼い顔を、俊熙とアルマが穏やかな顔で見下ろす。その表情は、凡そ怯える男を恫喝していたヤクザのものとは思えないほど優しい。


「では、参りましょう。アルマ、シャオと二階のVIPルームで待っていなさい」

「はぁい。行きましょ、シャオちゃん」


 年の離れた姉妹のように手を繋いで扉の先へ消えて行く後ろ姿を見送ると、俊熙はすっかり火が萎んで短くなった煙草を男の顔めがけて投げ捨て、アルマたちのあとを追った。

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裏社会の流儀 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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