後編
「……ふたりとも」
やっときた、とお小言を言うタイミングではなかった。
そんな考えはすっぽ抜けていたように、彼女の雰囲気がいつもと違うのだ。
レオナイとテオルカも、カグヤに言われて気づいた。これは珍しいことだった。
ツバキの気配に気づけないなんて、いくら議論に集中していたとは言え……。
ふたりのミスではなく、感知の網をくぐり抜けられた、と思った方がよさそうだ。
足音ひとつ。たったそれだけで感じる不穏な空気。
小さな女神は、もちろん軽い体重なのだが、その音には重量感があった。
中身にずっしりと別のものが詰まっているような……?
「なんじゃ、昔はあれだけいた烏合の衆も、今や三人だけとは」
――ツバキの金色が、光を全て飲み込む漆黒に覆われてしまっていた。
半身は既に黒衣に包まれている。彼女の口調ではなかった。女神は元々長寿であり、見た目の変化も遅いが、目の前の金と黒の少女は女神の中でも古参と言えるような雰囲気だった。
まさかはじまりの女神ではないと思うが……。
レオナイとテオルカにも緊張が走る。
先輩、と言うよりは老師を相手にしているかのようだった。
女神たちが椅子から立ち上がり、腰を落とす。警戒の結果、そして戦闘態勢を整えたつもりだったが、元より女神は世界の最上位の存在である。挑まれることがなければ相手を排除する機会もそうそうない。戦いに向いているわけではないのだ。
殴り合いなんてしたこともない。
人族から襲われたとしても指先ひとつで葬れる力を持つ。世界のルールを握る女神なのだ、敵を迎え撃つより消してしまった方が早い。
しかし、同じ女神となると指先ひとつで葬るという手段は使えない。相殺されるだけなのだから。なら、世界に干渉し、特定の世界樹を枯らせることで女神の消滅を企むか? 時間がかかり過ぎるし、そもそも目の前の女神は知った顔だ。
今は、ツバキではないが、体自体はツバキだ。
彼女を操る元凶を叩けば、ツバキごと潰してしまうことになる。
乗っ取られた……のか? だとして、そうなったのはツバキの自業自得であるが、しかし、問答無用で消滅させるには抵抗がある。
女神同士の潰し合いは、昔はどうだか知らないが、今は抵抗があるものだ。なのに、ツバキを乗っ取ったかつての女神(?)は、今この場で三人の女神を抵抗なく葬れるような、圧がある。
小さな体だが、貫禄があった。
「あなたは……誰なのでしょうか……?」
「女神シグレ。だが、今は魔王と名乗っておくとしよう」
「まおう?」
カグヤが聞き返す。
魔王、と名乗った女神の視線がカグヤへ向いた。
その視線に、カグヤは声だけでなく体も動かなくなってしまった。
まるで、足の裏に根を張られたように……。
「……かつて、非協力的なひとりの女神がいた、と聞いたことがあります」
「あたしも先人から聞いたことがある。そいつは傍若無人を繰り返し、作り上げた世界を殲滅した、と。……一度、世界は滅びかけている。なんとか持ち直して今の世界になった、とは聞いたことがあるが……。あくまでも人伝だからな、事実と異なる部分はあったかもしれない。けど、事実、滅びかけて、たくさんの世界樹を巻き込んだ騒動だったのは確かだ……」
騒動――いいや、あれは事件だったのだ。
群と個の、戦争だった。
「ぇひ、けらけら、一億年以上も前のことだったかえ?」
と、魔王が答えた。
「まさか、あの時はああも世界が簡単に滅びかけるとは思わなかっただけじゃ。儂の理想の世界を作るために今あるものを横へどかしただけのつもりだったんじゃがなあ。けらけら、まさか続々と死滅していくとは思わなんだ。当時はぎょーさん、女神もいたんじゃが……、全員がかりで儂を枯らすために結託しおった。あれはあれで楽しめたぞ、またやりたいのう」
けらけらけら、と。
昔を懐かしむような表情を浮かべていた。
今とは違い、たくさんの女神がいた時代。
たったひとりの女神の暴走を止めるために多くの女神が結託した……それでも、魔王を枯らすことは叶わなかった。
だから、先人たちは手段を変えたのだ。危険な存在を先送りにするように、見えないところへ押し込むように――根の届かぬ地下深くへ、魔王を封印することを決めて。
「長い抵抗の時間を繰り返し、儂はやっと指先がひとつの根に引っ掛かった。根は生命エネルギーを吸い取る。儂のエネルギーを吸い取っていたこの小娘の体を乗っ取るには、多大な時間がかかったものじゃが、けらけらけらけら――――やっとじゃな」
魔王の手がツバキの顔の半分を覆い、拭うように手を下ろせば、彼女の顔の半分が黒く染まっていた。ツバキの意思は、まだ魔王の中にあるのだろうか?
「やっと戻ってこれた……世界。儂の理想郷の、土台よ――」
両手を広げ、儂を見ろと言わんばかりに高揚した魔王は、けらけらけらけら、とひとしきり笑って――――呼吸を整えてから三人の女神を見た。
「さて、邪魔な女神は一掃しておこうかの」
「ひっ!?」
同じ女神でありながら(経験値がまったく違うが)格の違いを見せつけられたカグヤが腰を抜かす。そんな彼女(後輩)を庇うように前へ出たふたりの女神――レオナイとテオルカ。
先輩たちだ。ふたりも同じく小刻みに震えているものの、再び、世界を壊されるわけにはいかないと、臆したことを隠してさらに前へ出る。
「なにを望む、魔王」
「交渉してくれれば、協力をすることができるかもしれませんが」
「なぜ、儂が貴様らに歩み寄る必要がある? ……しかしまあ、けらけら、今の時代の女神はちゃんと儂の話を聞く気があるようじゃ。ひとつもふたつも賢くなっておる。嬉しい限りじゃが……じゃがなあ、けらけら。懐に入ってから儂を刺すつもり満々じゃな。まあよい。刺された程度で死ぬ儂じゃあるまい。貴様らもそうだろう? 殺すつもりなら世界樹を枯らす必要がある。儂にも言えることじゃが――けらけらけら」
世界樹を枯らすためには世界の理を捻じ曲げ、いじる必要がある。
今すぐ女神をどうこうできるわけではないのだ。
つまり、不意打ちで急所を撃ち抜き、殺すことはできない。時間が必要だ。
……そしてその時間は、魔王が準備を整える時間としては充分だ。
「けらけら、困っておるのう、後輩たちよ。安心せい、昔のような無茶はせん。派手にいじって生物が死滅してはかなわん……儂の理想郷も叶わなくなってしまうからのう……ぶふぉ! けらけらけらけら!!」
自分の発言に噴き出した魔王の笑顔は、ツバキの笑顔とまったく同じだった。
毒気が抜かれると同時に許せないという感情も上がってくる。
しかし、ここで殴りかかったところでなにも進展はしないのだ。
「今度は時間をかけてゆっくりと、じゃ。儂は魔王である――時間はたっぷりとあるのじゃからな。けらけら、儂の介入で世界を順番に塗り替えていこうぞ、その過程で貴様らが選んだ勇敢な者たちで儂を止めるなりするなら見過ごしてやろう。好きにせい、それはそれで面白い。止められるものなら止めてみぃ」
なまじ一度封印されてしまっているため、同じ手は通用しないだろう。そもそも、多くの女神が結託し、やっと封印できた女神なのだ。
魔王、だ。
三人だけの女神でどうこうできる規模の相手ではなかった。
それは同時に、下界の人族でどうにかできる問題でもないのだが……しかし、なにもしなければこのまま魔王に支配されるだけである。
やけくそになるわけではない。
最善手を考え、三人だけの女神で、魔王を止める――――
そして、乗っ取られた女神ツバキを、奪い返すのだ。
………………できるのか? 本当に?
「けらけらけらけら、期待しておるぞ、子供たち」
長い封印から解かれた古の女神――――魔王が望んだ。
「あっさりと支配されてくれるなよ、けらけらけらけら!!」
そして。
世界は最後の危機を迎えることになる。
…了
…?
世界樹の女神ー(マイナス)1 渡貫とゐち @josho
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