そちの名は。
@kinchanmaru
そちの名は。
江戸時代に流行った唄がある。
"花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり 加護島へ"
大坂の陣の後、真田幸村の名で有名な真田左衛門佐信繁が豊臣秀吉の跡継 秀頼を連れて薩摩へ落ちのびたというのだ。
にわかには信じがたいが、その秀頼を敬うような屏風絵も残されていたりと実に不思議である。
その屏風絵は"戦国のゲルニカ"とも呼ばれ、奮戦する将兵のみならず戦に乗じた野盗や人さらいなど徳川軍の無慈悲で惨たらしい様が描かれているが、何故わざわざ勝者である徳川の悪評を高めるような場面まで描いたのだろうか。
そして、なぜ敗者である秀頼を敬うように描くことを徳川は許したのだろうか。
これは、そんな不思議な昔話の真相を知る二人の物語。
時は1615年 初夏
難攻不落 天下の名城と呼ばれた大坂城は冬の陣の後、全ての堀を埋め立てられ防御機能を捨てた飾りの城となっていた。
真田信繁はその城を守るため城の南に位置する茶臼山に陣を敷いていた。
茶臼山の目の前には沼地が広がりその向こうには十五万の兵力を誇る徳川の本陣がよく見えた。
対する豊臣軍は五万と数で劣っていたものの、信繁には一発逆転をかけた秘策があった。
攻める徳川軍が茶臼山を落とすためには目の前の沼地を進む他ない。
大軍が沼地に入ったのを確認し、死角から信繁が出撃し本陣に残された家康の首を取るというものである。
しかし実際には"我先に手柄を"と興奮する浪人たちの暴走あるいは活躍によって大軍が沼地に入り切る前に戦が始まり、信繁も慌てて出撃する事となった。
徳川家康は軍配を片手に床机に腰かけ戦局の推移を観察していたが、突如として現れた信繁に瞬く間に追い詰められた。
「我が名は、真田左衛門佐信繁!」
赤馬に乗った信繁の右手には長柄から先端まで真赤に染められた血槍が握られている。
「これまでか」
家康は突如現れた信繁に内心驚きつつも顔色を変えることなく呟いた。
「これまでか」と覚悟を決めたのはおよそ四十年前、武田信玄に敗れた三方ヶ原の戦い以来である。
思い出すのう、あの時の武田軍の赤備えの恐ろしかったこと。
この男はあれを敬い真似ていると言うのか。
覚悟を決めた家康の背後からゴロゴロと怪しい音が聞こえ初めて間もなく、黒い雲が空一面を覆い稲光と雷鳴の間隔が徐々に短くなっていく。
昼間とは思えぬ薄暗い闇の中で難攻不落と謳われた大坂城が不気味に燃えている。
総大将の窮地を知り駆けつけた松平軍に家康が気を取られたその時、信繁の伸ばした槍が"厭離穢土欣求浄土"の旗印を倒した。
旗印とは敵味方に大将の所在を知らせると同時にその威勢を見せつけ、兵の士気を高めるものでもあった。
言わば、その将がどれほど強いかを表す軍の象徴である。
それが目の前で倒されたのだ。
この旗が倒されたのもあの三方ヶ原の戦い振りであった。
遂にバリバリと耳を塞ぎたくなるほどの激しい落雷に辺りは揺れた。
まるでこれから得体の知れない恐ろしいものが来るのではないかという不安に皆、槍で叩き合うのを止め立ちすくんだ。
まるで一瞬、時が止まったかのような空気の中、撤退するなら今しかないと家康は立ち上がった。
軍配を振り上げ「退け」と叫ぶと同時に二つに割れた稲妻が軍配に落ちたが、その一瞬の出来事に誰も気づいていなかった。
家康は確かに雷に打たれたが生きていた
それどころが若さを取り戻したかとさえ思えた。
落ち着きなく辺りを見まわす家康を気にもとめず真田信繁はたった一騎で徳川勢に向かい激しく土砂を蹴飛ばし猛進した。
全くもって恐れも迷いも見せぬその荒々しい姿に徳川勢は恐れおののき道を開けた。
しかし、そんな信繁の奮戦虚しくこの戦は徳川軍の勝利で幕を下ろしたのだった。
その後、戦後処理にあたっての評定が連日行われた。
厳しい処罰をうける者、嘆願かなって助命される者など様々いる中で十五年前、関ヶ原で大胆な撤退を披露した薩摩の島津は大坂の陣には参加せず、これを謀反だと訴える声もあったものの、その処分は同じ九州にある小倉藩の監視を受けるだけにとどまったのだった。
夕餉を済ませると自室に篭り、薬研を転がし薬づくりに没頭する家康に秀忠が問うた。
「屏風絵のことでございますが」
「屏風?」
「合戦図屏風にございます、大坂の」
「あぁ、あれは秀頼に配慮して制作せよ」
どう言うことだろうか、敗軍の将に配慮して制作するとは。
これには父に従順な秀忠も"御意"の二文字が出なかった。
そんな秀忠を尻目に家康は話を続けた。
「それから真田左衛門佐の勇猛果敢な姿も描かせよ、あの時そちも見ておったな」
「見てはおりましたが…」
「左衛門佐をそのように描けば儂ががかっこ悪く見えるのではないかと案じておるな」
「はっ、左様にございます」
「かっこ悪くてよい」
淡々と話す家康に秀忠は戸惑った。
父の評価ばかりを気にしながら生きてきた為に、時に何が正しいのか自信がなくなることはあったが、秀忠がこんなに戸惑ったのははじめてだった。
「なんじゃ、不服か?」
「いえ、その…」
「はっきり申さぬか」
「皆申しております、父上は真田や島津に寛大すぎるのではと…」
「皆とは誰じゃ、お前の意見ではないのか」
秀忠は何か言いたげではあるが、下を向いたまま黙ってしまった。
「関ヶ原での戦後、小西、石田が処刑に上杉が減封、島津が本領安堵ではそう言われても仕方ないが、真田もか」
「真田伊豆守が自分の褒美と引き換えに父と弟の助命を願い出た際、それをお聞き入れになりました」
ふと、薬研を転がす手を止めて秀忠を見つめた。
「それで、褒美はやらなかったのか」
「はっ、左様にございます」
「ほう…忘れておった、儂も歳かもしれん」
そう言って手元に視線を落とすとまた薬研を転がしはじめたのだった。
「頃合いを見て真田伊豆守は上野の所領はそのままに松代に国替えさせよ」
返事がないので秀忠に視線をやるとやはりモジモジしている。
「なんじゃ、はっきり申せと言うておる」
少し呆れ気味に家康が言うと秀忠は恐る恐る口を開いた。
「父上は伊豆守がお気に入りですか」
「当然じゃ、あの者は儂に仕えるため代々真田が使ってきた"幸"の字を捨て、名を信幸から信之に変えたのだ 実の父と弟を捨てて儂の元へ来た」
自然と薬研の軸を持つ手に力が入りゴリゴリと音が響いた。
「そちにできるか?父を捨て、他の者に仕えるなどという事が」
秀忠は恐らく、どちらと答えても正解ではないであろう問にあからさまに落ち込んでいる。
まずい、ちと言い過ぎたか。
「確かに伊豆守はかわいいが、そちの方がずうっとかわいい 実の子だ、決まっておるではないか わざわざ言わせるでない」
それは初めて聞いた父の気持ちだった。
秀忠は変わらず俯いているが、どうやら今度はよろこび照れているらしい。
「そちは儂が認めた跡継ぎじゃ、もっと堂々としておれ」
秀忠は常々思っていることではあるが、今日は特に父の機嫌を損ねたくないと思った。
「わかったら下がれ」
「はっ、」
「ああ、待て
これを負傷した者の傷口に塗ってやれ」
下がろうとする秀忠を呼び止めて作ったばかりの薬を持たせた。
「この赤い粉はなんでございますか」
「我が家に代々伝わる秘薬じゃ」
「代々伝わる、初めてお聞きしました」
「い、いずれお前にも教えてやるつもりじゃ」
「ありがたき幸せにございます!」
この日の父とのやりとりは秀忠の大切な思い出となった。
これから先どんな艱難辛苦が待ち受けようとこの日のことを思えば秀忠は乗り越えられたのだった。
一方、大坂で討死したと思われていた真田信繁は薩摩藩主 島津家久の用意した屋敷で秀頼とのんびりと過ごしていた。
「最近疲れておるな、休めておるか?」
「はっ、」
儂も歳なんだろうか、この青年の優しさに涙が出そうになる。
秀頼は大坂城が燃え盛る中なんとか救出され船に乗って薩摩へ落ち延びていた。
「左衛門佐は大坂を離れてから人が変わったように無口になったな」
そう言って秀頼は笑った。
「はっ、」
「戦の時はあの家久もあんな戦いぶりは見たことがないと興奮していたぞ」
島津家久め、そんなことを言っておったのか。
「それより佐助が良い知らせを持って参ったぞ、島津への厳しいお咎めはないと」
お咎めはないだと?
それは誰が決めたんじゃ。
まさか……
儂ら……
入れ替わっとる!?
儂が真田左衛門佐の体に入っているということは、逆もまた然りということなのか。
目の前の信繁の変化になど全く気づかない秀頼は話を続けた。
「やはり徳川殿はお優しいな」
「は?」
この青年の心の穏やかな事は知っていたが、この突拍子もない発言にはあまりにも驚き間抜けな返事をしてしまった。
日ノ本を二分して殺し合いをした相手に「お優しい」とはいったいどういう事だろうか。
「徳川殿こそ日ノ本を泰平の世へ導いてくれるであろう、わたしには出来ぬ」
秀頼がそのように考えいたとは驚きだ。
しかし、今はそれよりも左衛門佐ならこれになんと答えるであろうか……
「何を申されますか、あんな狸爺に治世など……」
「徳川殿を悪く言わないでくれ、左衛門佐らしくないな」
いつも笑顔で怒ることのない秀頼の憤りの混じった悲しそうな声に中の家康は戸惑った。
「口が、過ぎました」
「分かってくれればよい わたしは徳川殿のことは好きだったが、それ以上に母が大事だった」
そうか、あの戦は秀頼にとって乱世を彷徨う亡霊 淀殿を成仏させる為の儀式だったというのか。
「その為に多くの者を犠牲にしてしまった、そちにも辛い戦いをさせたな」
家康は先の失言で叱責されたばかりでもあり、兄と別れて戦うことを選ばざるを得なかった信繁のことを慮ると言葉が出なかった。
「もう二度と戦のない世になるよう願い、この地で静かに暮らしたい」
「はっ、」
その夜、家康は床に入りあの日のことを思い出していた。
儂はあの時思った。
薄暗い空の下、現れた赤備えの左衛門佐
の姿を見た瞬間、あの武田騎馬隊が攻めて来たと。
武田信玄があの世から儂を迎えに来たのだと。
かつての恐怖を思い出した儂は震え上がり動くことができなかった。
儂もまた、乱世の亡霊を見ていたのだ。
それからはあっという間に儂の旗印が倒され撤退を決めた。
軍配を振り上げ床几から立ち上がったはずが何故か馬上で槍をつかんでいた。
とにかく退かねばと味方の元へ馬を走らせたが少しして振り返ると、誰もついてきていなかった。
儂は何が起きているのかわからず必死にこの状況を理解しようと辺りを見渡した。
そして儂の目に映ったのは駆けつけた松平軍に連れ去られる儂の姿だった。
その後は何がなんだかわからぬまま真田忍軍に連れられ秀頼と共に薩摩へ向かっていた。
そして今日まで左衛門佐に成りすましている。
秀頼殿が「左衛門佐らしくない」と言っていたな。
あの者たちは儂を悪く言わぬのか。
"厭離穢土欣求浄土"
二度と、戦のない世にせぬばならぬ。
「ひと雨来るか」
あの日のように雷鳴が近づいてくる。
そんな事を考えながら寝返りをうつと、あの日、真田信繁の傍らではためいていた赤い旗が傾いていた。
その馬印をたてかけ直そうとしたが睡魔に耐えきれず眠りについた。
バリバリと雷の音が聞こえて目覚めると見覚えのある金箔を押した天井に葵の紋がぼんやりと見えた。
「ここは…」
天井の設えに、シミ皺だらけの手、重くなった身体。
自分の体に戻ってきたのだとすぐに察した。
「父上、お目覚めですか」
襖の向こうから聞こえる秀忠の声に、やはり戻って来れたのだと安堵した。
「ああ、入れ」
「先日の屏風絵の件、逆にかっこいいと噂になっております」
秀忠は誇らしげに報告した。
そうだった、戦が終わったら合戦図屏風を作ろうという話であった。
「その屏風絵にかっこよさは要らぬ、嘘偽りなく描かせよ」
「嘘偽りなくでございますか」
「わからぬか、城下での乱暴狼藉など実際にあの場であったことを描かせるのじゃ、決して盛るなよ」
「恐れながら、そのようなことまで描けば幕府から民の心が離れます」
家康は秀忠の堂々とした物言いに少し驚いた。
「あ、ああ、そちの言う通りじゃ、しかし戦が美談になってはならぬ、これは二度と戦の無い世を作るためぞ」
「はっ、父上がそこまでお考えとは……わたくしの考えが至りませんでした、お許しください」
どうやら少し会わぬうちに威厳を感じさせるようになったな。
もう以前のように儂の顔色を伺い、己が意見は言えぬ息子ではないらしい。
「また参ります、その時はあの赤い薬の作り方をお教え下さい 皆、切り傷によく効くとよろこんでおりました」
赤い?雲母膏の事ではなさそうだ。
家康は少し戸惑ったが、趣味である薬づくりを教えてほしいと言われ嫌な気はしなかった、
秀忠が下がるのを確認し、一息つくと笑いがこみ上げてきた。
「ふはははは、」
今頃驚いているであろうな。
幕府の詮索が及ばぬよう真田の苗字を少々変えておいた。
これよりそちの名は"まえだ"じゃ
「達者でな、真江田信繁」
そちの名は。 @kinchanmaru
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