こはくの記憶、新たなる飛翔

いおにあ

第1話


「羽があれば、翼があれば、この世界からどこまでも飛んでいけるよね」


 ある日の放課後。阿賀野あがのみどりは、真っ青な空を見ながら、そう言った。


 その日は授業が午前終わりで、いつもの「放課後」とは違い、綺麗な青空が広がっていた。


 碧は、妖艶さをたたえた笑みで、僕の手を取りながら、心の奥底にまでからみつくような声でささやきかける。


「ねえ、修司しゅうじくん・・・・・・私たちも、こんな嫌な現実からおさらばすべく、青空の彼方かなたまで、飛んでいきたいよね・・・・・・」


 彼女のおどけたような、作られた艶っぽさの裏には、切実な本心が見え隠れしていた。


 中学二年の初夏、ある晴れた日の記憶。

   



 みどりには、ある秘密があった。誰にもいえない、僕だけが知る秘密。それはなにかというと――。


「修司くんにだけ、見せるんだからね」


 夏休み。女の子の部屋に二人っきりでそんなこと言われたら、ドキリとしてしまう。当たり前だ。僕とて健全な思春期男子だったのだから。


 だが、彼女に見せられたものは想像の斜め上をいくものだった。いや、斜め上というか、真っ逆さまというか・・・・・・。


 ふわり、と彼女の身体は浮かび上がり、天井に着地する。そしてすっくと彼女は天井を地面にして立ち上がる。


 目の前には、上下さかさまの彼女の端正な顔が、柔らかく微笑んでいる。


「え?え、えぇぇぇぇぇぇっ!?」


 驚きで素っ頓狂な叫びをあげる僕。みどりは恥ずかしそうに顔を赤らめて「しーっ」と人差し指を口元にあてる。


「修司くん、声大きすぎよ・・・・・・そんな驚かなくたっていいじゃない」

「いや驚くよ。てかどうしてそうなったの?」

「んー・・・・・・うちのお父さんが、なんか重力が正反対の異世界から転移してきたんだって。で、なんか自分にかかる重力を操る能力が、私に発現しちゃって・・・・・・」

「はあ・・・・・・」 


 あいまいな反応を示す僕に、彼女は困ったような笑みを浮かべる。


「ねえ、修司くん。こんなわたしだけれど、わたしのこと、嫌いにならないでね」

「嫌うことはできないよ。というか、ずっとみとりのことが好きだし・・・・・・」

「そっか・・・・・・て、えぇぇぇぇぇーっ!?」


 今度は、僕が耳をふさぐことになる。


「修司くん、わ、わた、わたしのことが、す、好きなの!?」

「逆に、なんでそんなに驚いてんだよ・・・・・・」


 てっきり、とっくに僕の好意に気付いているとばかり思っていたのに。


「でもわたし、こんなだよ。付き合ったりするの、できるかな?」

「そりゃあまあ、同じ人間だから多分大丈夫でしょ。重力の違いくらい、なんとかなるよ」

「う・・・・・・それじゃこれからよろしくね」

「うん、よろしく」


 中学二年生、秋の頃のある思い出。



 その後、中学卒業と同時に、阿賀野あがのみどりは遠い国に引っ越すことになった。


「ごめんね、修司くん。でもわたしにもどうにもならなくて・・・・・・はいこれあげる。ときどきは、わたしのことを思い出してね」


 そう言いながら彼女が僕に渡してきたのは、それはそれはきれいな透明な琥珀こはくだった。


「ありがとう、ありがとう・・・・・・」


 それ以外の言葉を告げられないまま、僕は彼女と別れた。


 もうすぐ高校生になろうかという、中学三年生の春休みの思い出。




 その後、なぜか碧とは連絡がつかなくなった。電話もメールもメッセージアプリもすべて反応なし。普通なら、僕のことを嫌いになったのだろうと考えるところだけれど、そうは思わなかった。「翼があれば、この世界から飛び立ちたい」という、あの日の言葉通り、彼女はどこか別の世界に――そう、きっと父親が元いた「重力の違う世界」へと旅に出たのだろう。僕はそう信じることにした。

 

 中学時代から十年あまりが過ぎた。僕は大人になった。彼女から貰った琥珀こはくは、今でも部屋の片隅に飾っている。


 そんな僕はある日、異世界転移してしまった。何がきっかけだったのかはよく思い出せない。気がついたら、間違いなく「異世界」だと分かる場所にいたのだ。


 なぜかって?だってその「異世界」には、地面が無かったから。どこまでも果てしなく続く雲海うんかいのあちらこちらに、様々な建物がふわふわと浮かんでいた。どうみても異世界だ。


 そして、僕は自分の異変に気付く。なんだろう、この感覚・・・・・・そうだ。僕の背中に、翼が生えていた。これで飛べってことだろう。 ばたばたと羽ばたき、羽を散らしながら、僕は異世界への第一歩を踏み出す。


 そのときふと、おのれの胸元にペンダントがかけられているのが分かる。それは、みどりから貰ったあの透明な琥珀こはくだった。


 そうか。きっと彼女はこの世界のどこかにいる。この重力があいまいな世界こそ、彼女の行き着いた場所なのだ。だから、僕が探さなきゃいけないんだ。


 バタバタと慣れない動作を繰り返しながら、僕はこの世界への一歩を踏み出す。羽がキラキラと光りながら、雲へと落ちていった。

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