十力のアタとエイカム

鱗青

十力のアタとエイカム

 かろかろ。かろかろかろかろ。

 紐を束ねた房飾りと鈴を巻きつけた木製の馬車が、南インドの灰色の大地を進む。

 鈴の響きがなんとも長閑のどかだが、豪華な馬車の前後には騎馬隊が二筋ふたすじの整列をなして先鋒と殿しんがりの護衛につき、乗馬する武人は誰もが引き締まった表情をしている。

 凡そ八十はいるであろう隊列が通り過ぎた後には、乾燥した大地から立ち昇る塵埃じんあいが厚い幕のように舞っていた。

あぁっついのう。暑うて死んじゃいそうだのう」

 だしぬけに馬車の中からしわがれた声が叫んだ。声の主はこの土地では珍しい東洋人で、袖付きのころもを腰帯で整え錆びついた錫杖カッカラを携えた奇妙な格好である。

 ふいふいと弱々しい呼吸を奏でる胸は鎖骨どころか肋骨あばらが浮き、かまどにくべる薪もかくやとばかり痩せさらばえている。キョトンとした風貌の両眼は灰青かいせい色。加齢による失明に違いないが濁っているというよりむしろ、遥か西方の人種が生まれ持つ瞳のように澄んでいた。

「だらしねぇなあホガン。まだ涼しいほうだぜ今日は」

 狭い馬車の中をより狭くしているのは、ホガンと呼ばれた老爺ろうやの前に胡座を崩す甲冑の大柄な少年だった。ランゴータが覗くのも構わず毛深い大股おっぴろげてココナツの葉に包んだ飯を手掴みでモリモリ喰らっている。

 彼の横にはもう一人、これは低い身分らしく腰布だけの少年がちんまりと座している。中性的な体躯は細く胸元はふっくらとし、身分にそぐわぬ乳色の肌が眩いばかり。

「情けない事を言うでないアタ王子。こちとら慣れぬ異国で余生を過ごす哀れな学者じゃぞ」

「よく言う。そんだけペラペラ喋れる癖に…じゃ聞くけど、爺さん今年何歳なんだよ」

「教えてやらんもん」

 あっかんべー、をする老爺に大柄な少年は鼻白んでそっぽを向く。

「アタ王子、ホガンアーチャーリヤは兄王子様の命令でご老体をおして随行してくださってるんだよ。高貴に生まれついたらその責任を果たさなきゃ。君こそ僕達についてこなくてもよかったのに…こんな物々しい馬車を仕立てて」

 そう諭すもう一人の少年の方に、ホガンはわざとらしく声をひそめて言う。

「いやエイカム、此奴こやつはお前と二人で隣国に遊びに行けるのを邪魔されて怒っとるのじゃ。王族用の馬車の中で何ぞ悪さ・・でもするつもりでな…とんだ助平さの」

「誰が助平だ。それにエイカム、オイラと居る時は王子って呼ぶなってるだろ!」

 それにしても対象的な二人である事よ、と老師は思う。

 片や、

生まれヴァルナなんか関係無ぇよ。王宮でダラダラ過ごしてもつまんねぇし?それよっか山賊や敵兵をドッカンボッカンぶち殺す方が面白ぇ」

 とうそぶくアタ。力士のような肉体は大人用の鎧もはちきれんばかりだ。

 片や、

「ホガン師、こんな物しか用意できず申し訳ございません…」

 と薄荷ミントを浸した冷水で満たした銅製の水筒を控えめに差し出す、奴隷シュウドラ然としたエイカム。たおやかな仕草しぐさも細面に磨かれたたまの如き瞳も、薔薇色の唇も少女のそれと区別がつかない程儚く美しい。

「エイカムは幾つになったかの?」

「今年で十五です」

「うむうむ。おいアタ、お前は?」

耄碌モーロクしてんじゃねえか爺さん。俺ぁコイツと同い年だっての」

「年長者に何じゃその口のようは。ちっとはエイカムを見習うて礼儀をわきまえんかい」

 アタは返事の代わりにげっぷ・・・を放ち、隣に膝を揃えて座すエイカムの柔らかな癖っ毛の頭をワシワシ握る。

「たかが食客の物知り爺さんに王族の俺がなんで頭下げなきゃなんねんだよ。なぁ?エイカム」

「都合の良いときばかり己の出自を持ち出しよってから…」

 アタの指は背にまで剛毛が覆われている。その逞しい手に絹糸のような髪を荒っぽく弄られながらも、エイカムの苦笑は少し嬉しそうだ。

「ホガン師はね、君のその態度が他の王族がたから反感を買うのじゃないかって心配されてるんだよ」

「まぁ半分は正解じゃ。お前の歳ともなれば嫁さんの選定も始まろうが。下卑た王子では縁談が遠のくぞ」

 アタはどろんと半眼になり、片手で鼻くそをほじる。

「あー、そーゆーの俺、興味無ぇから。エイカムコイツが居りゃ別に一人でも平気だ」

「またアタってば、そんな事…僕は只の従者なんだからね」

 老師は半ば呆れ、半ば懐かしい気持ちになった。それは背中がすっかり曲がり、筋肉ししむらも落ち老い果てた彼の過去とも重なる光景のせいであった。

「身分の垣根を越えた幼馴染の友誼ゆうぎは何にも勝る宝じゃ。お前達の将来がどんなものになるか、はてさて見物みものじゃわい」

 隊列の先頭が角笛を吹いた。騎馬が陣を組み替え、警戒から儀礼の体勢に入る。

「着いたようじゃの。入城の前に汚い顔を拭っておけよ」

一言ひとこと余計なんだよっ」

 エイカムは折り畳んだ清潔な綿布に薄荷水を振り掛け、丁寧にアタの顔を清めた。半日の行程で甲冑の継ぎ目に入った砂埃も拭い去る。

 日干煉瓦ひぼしれんがと土で固められた壮麗な城壁の前で形式張った誰何すいかの文言を受け、騎馬隊の長が答える。

「ハワプールよりまかしたるアタ第二王子の一行である。尋常なる通行を請う」

 門番二人が左右から交えた長槍を解き、道を開ける。

 エイカムは馬車の窓から首を出し、城壁の内側の街を眺めて嘆息した。

「凄い!大きな建物がいっぱいですよホガン師。あっ、あそこにもあっちにも塔が建ってますっ」

さきの戦役で勝利してから、領土も収益も相当増えたであろうな。他に気付いた事はないか?」

「えーと…道行く人達の中に異国の商人が多いです。あの果物も見た事ないなぁ」

 老師は風物を見られない自分の代わりに逐一エイカムに告げさせ、情報を整理した。

「この国は本気で覇権を狙う方針じゃな…となると今回の使節もきな臭くなるぞい」

 アタは悠然と腕組みをし鼻で笑う。

「俺達の力を借りたいってんならヘイコラする必要無ぇよ」

 それで済むだろうか。老爺は一見問題なく王宮に着いた馬車からエイカムに支えられて降りながら自分の予感が当たらぬ事を願った。

 国王は玉座の上から愛想良く隣国の王子であるアタに挨拶し、遠路をやってきた労いと感謝を述べた。

しかるに高貴なる者を直接寄越してくれた礼をせねばならぬ。これ、あれをもて」

 近衛の兵が織物で包まれた長櫃ながびつを捧げて立位で待つアタの前に置いた。

「それには何れも異国から到来せし宝物が納めてある。なに、ほんの気持ちばかりのアタ王子の父君への土産よ」

「は。これはご厚情痛み入ります。父に代わり深く御礼申し上げ奉ります」

 王族らしく合掌して最上の敬意を示し、自分の兵に運ぶよう指示するアタであった…が、それを見て隣国の王は片眉を上げた。

「はて。そこな奴隷は使役せぬのか」

「これは重い荷物を運ばせるには向きませぬゆえ

 はっ!と、さも小馬鹿にして王は睥睨した。

「奴隷にかける慈悲なぞ無意味。骨がひしがれ肉が裂けようとも、それが彼奴めらの宿命さだめであろ」

「…人間ひとにはそれぞれ向き不向きがございます。象は運ぶのに優れましょうが、鳥は高みから様々な物を見て取れましょう」

 いっとき黙り、それから王は額を抑えて爆笑した。

「異な事を。土塊つちくれから生まれた奴隷は人間と形は似ていれども、踏みしだくべき存在であろうに」

 甲冑から突き出たアタの腕にみるみる筋肉が盛り上がり、怒りをはらんだ頭髪が逆立つ。

 一触即発の緊張にアタを諌めようと顔を上げるエイカム。その白皙はくせきの美貌を目にした王が今度は下卑た表情を浮かべる。

「ほほっ。これは中々唆るのう。うむ、どうかなアタ王子、その奴隷を余に呉れぬか?後宮の女どもとの夜伽にもいてきたでな」

 今度こそ本当にアタは我を忘れた。怒りに任せて自分の武器を取ろうとした矢先、エイカムの横でうずくまっていた老師が小声で唱えた。

 ──ノウマクサンマンダバサラダンセン…

 老師の錫杖がひっそりと光る。

「ッ⁉︎」

 アタは肉体の上に薄く鋼鉄の膜ができたように動けずに固まる。

 続いて老師は王に向かって別の呪文を囁いた。すると途端に王は毒気どっけが抜け、

「…いやそう。下賤の身と臥所ふしどを共にして病なぞ感染うつされては困る」

 などと言って彼等に退がる事を許した。

 身体の自由が戻ったアタを宥めすかして帰路の馬車に押し込むのは苦労したが、扉を閉めるやエイカムはどっ・・と安心して額の冷や汗を拭った。

「──それにしてもホガン師、先程は何をなさったのですか?まるでアタとあの王様を操ったように見えましたが…」

「ったくだぜ!あン糞野郎をぶっ殺してやろうと思ったのによっ」

「お前がそうせんように法術を使うたのじゃろが。反省せい」

 ポコ、と錫杖でおつむりを叩かれても尚、アタは憤懣やる方なしで喚き散らす。

「本当に不思議です。あんな呪文を唱えるだけで…ええと確か」

 ── ノウマクサンマンダバサラダンセン、ダマカラシャダソワタヤ、ウンタラタカンマン…

 すらすらと一言一句あやまたずなぞらえるエイカムに、老師は剽軽な顔から一層剽軽な歓声をあげた。

「ひょおー!これは魂消たまげた。あの一度こっきりで憶えたのかの?」

 こくりと頷くエイカム。その頭をヨシヨシしてやりながら、老師は枯れた手の中の錫杖が微動しているのに気付いた。

「エイカム、この錫杖は光っておるか?」

「え…ええ、少し…あっ消えました」

 ふむむ、と考え込む老師に向かってアタがしつこく噛みつこうとした瞬間、馬車が停止した。

 慣性の法則に従いバランスを崩すエイカムを素早く抱き留め、窓からずり落ちかけた老師の首根っこをふん掴みアタは叫ぶ。

「何だ!何があったっ」

「て、敵襲です!旗を掲げていないぞくが──ギャッ」

 アタが馬車の中に斜交はすかいに掛けてあった戦斧を両肩に担いで外に出る。そこには続々と押し寄せてくる薄汚れた甲冑の集団と、円陣を組んで阻もうとする味方の乱戦が出来上がっていた。

「アタ、どこの兵隊?」

「頭引っ込めてろエイカムっ。爺さんも出て来んなよっ」

「言われんでもそうするわい」

 数の上ではまるっきり劣勢だった。騎馬隊八十に対し恐らく三倍以上の数の敵。しかし歩兵ならば乗馬している限り優位であり、何より将であるアタ自身が猛然と戦斧を振るい、古の神話の武神のような並外れた膂力りょりょくと恐れ知らずの闘いぶりで敵を蹴散らしていく。

 窓からヒョイと様子を窺い、老師は口をへの字に曲げた。

「この数、それに音から察するに統制のとれた動き…こりゃ只の野党ではないぞ」

「ホガン師、頭を出しては危ないですよ」

「エイカム、お前もこちらに来て見てごらん。そして儂に教えておくれ」

 言われるままそろそろと顔を出し、エイカムは思わず声を出す。

「わぁ、アタ強い!格好いい!」

 左右の腕に戦斧を握り、全く武器の重さを感じさせない軽やかさで縦横斜めに敵を打ち、破り、砕き、吹き飛ばしていく。アタはまるで意志を持った竜巻のようだった。

「動けるでぶ・・面目躍如めんぼくやくじょだの。アタ一人抑えるだけでも四苦八苦しておる程度の敵じゃし。じゃが…」

 静かに、しかし戦闘の剣戟と叫びを圧倒して響いてくる音と大地を揺らす震動。

「まさかっ」

 エイカムは馬車の屋根によじ登った。

 街道の彼方にはっきりと砂塵が上がっていた。その根元に指の爪くらいの馬と人の一体化した姿がある。

「大変!アタ、騎馬兵が来るっ」

 アタは鬼の形相でエイカムの方に頭を巡らせ、その指差す方角に手の庇を作って目を凝らし、熊のように唸った。

「このままじゃ全滅だよ。アタだけでも無事な騎馬を集めて逃げてっ」

「できるか馬鹿野郎っ。お前も部下こいつらも、誰一人見捨てねえぞ俺はァっ!」

 そう言う矢先に戦斧が折れた。チッと舌打ち一つ、残る一本で数人の兵士の頭蓋骨を胡桃のように割ったところで、その戦斧も刃が鈍い音を立てて砕け散った。

「おいアホ王子〜、こっちゃ

 馬車の中から老師がひらひらと手招き。

「この非常時に何だぁっ」

「ええから。使えそうな武器があるぞい」

 取り急ぎ馬車に戻ったアタの前に、数刻前に隣国の王から預かったばかりの長櫃が蓋を開けて横たわっていた。

「おお、有難ぇ。出来るだけ丈夫そうな得物えものを出してくれ!」

 エイカムは槍、諸刃もろはの剣、麗々れいれいしい合金の錫杖、金属の戦槌ハンマー…と次々に並べていく。

「ン〜、なんかヒョロこくて脆そうなやつばっかだな。太くてこう、ズッシリしたのは無えか?」

「一番太くて重量があるのは錫杖だけど」

 老師もまた面白そうにそれらを触っていたが、一本のみすぼらしい鞘付きの骨董剣らしきものに手先が触れるや水を被った猫のように震え上がった。

「こ…これは…?」

 エイカムがさっと説明する。

「何か樹液か蝋のようなものを塗布した鞘に、布…いえ紐をぎっしり巻いた柄の武器です」

 老師は戦慄わななきながらその鞘を持ち上げ、表面に刻まれた角張った異国の文字を指の腹でなぞった。

「───我が愛刀薄緑うすみどりの…赤漆に蒔絵の鞘…」

「おいどうした爺さん⁉︎」

「ホガン師⁉︎」

 アタとエイカムはギョッとして、敵に囲まれているにも関わらず老師の反応を注視してしまった。

 老師は一分いちぶの引っかかりもなくすらり・・・と一息に刀身を引き抜いた。

 剣──と呼ぶにはあまりに細く、刀身が柄に対し長すぎる奇妙な彎曲刀だった。それを生き別れの恋人のように両手の指も折れよと握り、ホガンはめしいた眼から滝のような涙を流す。

「これは薄緑じゃ…この儂と共に幾多いくたもの死線をくぐりし、儂の愛刀カタナよ」

 かつてはきちり・・・と金糸銀糸が巻かれていたつかも、煮込んだ飴色の艶やかな漆塗りであった鞘も色彩いろが剥げボロボロだ。そんな刀を胸にかきいだいて懐かしむホガンの馬車の扉に向けた背から、包囲を抜けた賊が踊りかかる。

 アタが助けようと駆け寄る前に、老師の灰青の瞳がギラリと光った。

 薄緑という刀がスルリと動く。

 賊は老師の脇を走り抜けただけ──のように見えた。

 が、足を止めた相手は臍から上下にバックリと分裂し、血潮を噴き上げて馬車の中に転がった。

 横様よこざまに抜き身の薄緑を構えた老師はシュゥゥと息を吐き、呟いた。

「鞍馬流抜刀術じゃ」

「うぉ凄えっ。ジジイおめぇ強かったんだな!」

 が、次にガクリと膝をつく。

「たはは、若かりし頃のようにはいかん。一人たおすので限界じゃわい」

「凄くなかった!どうすんだよこれからっ」

 焦るアタに、老師はぐい・・と薄緑を押し付けた。

「これも天の采配じゃ…アタ、このタルワールはお前が使うてみろ。嘗ての持主である儂が許す」

「お?おう…」

「頑張って!アタっ」

 狐につままれたように外に出るアタ。またもや一人、今度はアタと同じく大兵の賊が戦鎚を振り下ろしてきた。

 アタは相手の攻撃を避けつつ背後うしろに回り、でいっ!と薄緑を思い切り突いた・・・・・・・

 が、バインっ…としなやかに跳ね返された。相手は突かれた己の背中に手をやって、お?切れてない?破れてない?と首を傾げている。

「げっ?突き刺させねーぞコレ!ナマクラかよっ」

馬鹿ぶぁっかもーん!そんな扱いをしたら折れちまうわい!そいつは日本刀カタナ、お前が常に使うとる戦斧じゃないんじゃぞっ」

「じゃどーすりゃいいんだよ⁉︎」

 禿頭からポコポコ蒸気を上げつつ、老師は刀を指差して苛立たしく告げる。

「ええか?お前がこれ迄に振るってきた武器は重く、刃が厚く鈍い。薄緑はそれとは真逆なんじゃ。押したりせずに、基本は引いて切る!それには戦斧や大鎚ハンマーのように己の一部に武器を従えるのではなく、己が刀の一部になる気持ちで・・・・・・・・・・・・・振るえっ」

「おう!完全に理解できん」

「そういえば此奴こやつアホの子じゃった…どう言えば…」

 怯えて震える鹿のようなエイカムの気配を感じ取り、そこから老師ははた・・と思いつく。

「アタ、その刀をエイカムこの子と思って扱ってみい」

「はぁ⁉︎こ、こんな時にいやらしい事考えてんじゃねえぞっ」

「真面目に言うとる!ええからやってみいっ」

 気を取り直した賊が、戦鎚をグルグルと回して振りかぶった。この一撃がかすりでもすれば腕か脚が確実に駄目になる。となれば、さしもの自分といえど落命は免れない。

 アタは頭の中の雑念を捨てた。武道の鍛錬の際にいつもそうしているように、空っぽにした心で考えるともなく感じた。

 今自分が握っているものが仮に、本当にエイカムだとしたら──?

 この武器は刀身が薄い。軽い。老師の言うように引いて切る…ということは、折れないようにするにはゴツゴツした直線的な挙動ではなく、なめらかな曲線…力を抑制セーブしてタメの入った舞うような動きが必要で───

 アタは呼吸を鎮める。

 次に呼吸の調子リズムを変えた。ひと吸いを深くし、吐き出すときは細くする。

 イメージは、宮廷で技芸官が披露する慰撫と芸楽の舞踏。幼い頃アタは一回見ただけで振り付けを全て覚えてしまい、周囲の大人を驚かせた。

 あれだ。この薄刃はエイカムの繊細な腕。煌めく切先きっさきは蓮の花弁はなびらが如き掌。自分の両手の中にあるのは、まさに粗末な衣を着せられた胴体。

 カッとまなじりを開く。

 薄緑を構えたアタは、あくまで軽やかに踏み出した。

 戦斧や大鎚のように振り回すのではなく、優しく撫でるように・・・・・・敵を空間ごと薙ぐ。

 それは先程の老師と同じ動作だった。賊は戦鎚を頭上に持ち上げたまま臍の辺りで上下の半身が別れ、赤い噴水を立てて地面に崩れた。

 一挙に切れ味が変わった。腰を中心に大胆な回転をつけてアタと刀が通り過ぎると、賊どもは袈裟懸けに或いは真一文字まいちもんじに甲冑ごと切断されていく。

「そうそう。それが斬る・・という事じゃ。流石飲み込みが早いのう」

 視覚ではなく斬撃の音から状況を読んだ老師が無邪気に手を叩く。その肩の横をかすめ、鳥の鳴き声に似た音と共に敵の放った矢が飛んでいく。

「さて、儂らも助力をせねばなるまい。エイカム、この錫杖を持ってごらん」

 老師から古びた錫杖を渡され、馬車の上でエイカムは戸惑う。

「ホガン師、一体どうしろと?」

「儂の見たところ、お前には法術の才がある。儂が早口に唱えた真言を一発でそらんじてみせたじゃろ?」

「物覚えは多少良いかもですが、私にそんな徳はありません!行者サドゥのように修行を積んでもいませんし、学徒のように新しい技術や算術を発明する事もかなわない足手纏いです」

「そーは言うがの。法術の才など所詮ええ加減なモンじゃぞ?修行したとて意味は無い。それに学徒の才とは違う」

「で、でも」

 賊に加わった騎馬兵が、指揮官らしき冠の兵士の手の動きに合わせて弓を上空に構えてつるを引き絞る。アタ達の上に矢の雨を降らして一網打尽にする腹だろう。

「お前は儂の真言を一言一句、音節アクセントまで含めて憶えた。歌が喉から出してはじめて声の高さや大きさ、抑揚を知れるように、法術というものは唱えてみねば始まらん。儂に続けて唱えてみろ」

 ─── 偉大なる神々の眼差しよ、十力の光輪キラーナとなりて世にあまねく闇を照らし悪しきを焼き払え。

 エイカムの瞳が泳ぐ。これ迄、他人からけなされこそすれ褒められた事など皆無だった。アタが一緒にいる時には庇ってもらえたが、言われた通りの事しか出来ず憶えずの愚か者、となじられてきたのだ。

 しかし迷う猶予はない。

 エイカムは目を瞑った。それと知らずアタのように心を無にし、言葉を復唱する事に集中する。

「偉大なる神々の眼差しよ、十力の光輪となりて世に遍く悪しきを──」

 長々とした詠唱である。包囲している賊は大人しく待つものかと甲冑と武具を鳴らして四方八方から馬車に飛びかかってきた。

 それをアタの薄緑が一閃、大きな輪を描くように移動しながら無駄なく薙ぎ払っていく。

「──焼き払え!」

 錫杖の全体がたわむ程の出力で、文字通り目を灼く光輝がエイカムから放たれた。それは不思議とアタや味方には暖かく包むように感じられたが、敵にとってはそうではなかった。

 先に、馬車の上空へと放たれた矢が一瞬で大気に溶けるように燃え尽きた。そして光が大きくなると、それに当たった敵の甲冑や武具がたちまち赤熱し、肉が焼かれる嫌な匂いが辺り一帯に充満した。

 しかるのち。

 火炎地獄に堕とされた罪人のように悲鳴を上げながら、賊どもは一目散に逃げ出した。

 騎馬隊は一割程度はやられていた。残りも全くの無事ではなく、あちこちに浅くはない傷を負う者だらけだ。

 しかしそれでも、アタは率先して勝鬨かちどきを上げた。それに続いて味方の全員が雄々しく唱和した。

「…にしてもよぉ、あいつら何がしたかったんだ?盗賊にしては気合い入ってたけど、目的が金品にしちゃあ引き際が悪かったよな」

 エイカムから手当を受けながら、アタは疑問を口にした。襲撃を受けた地点から進んだ川べりの丘で、騎馬隊は馬を降りて野営の準備をしている。

 老師は澄まして答えた。

「暗殺、じゃろうの」

 え、とエイカムが固まる。アタはただ黙って顎を引いた。

「儂にも覚えがあるわい。戦役いくさで功績を上げたものの実の兄から疎んじられ、命をつけ狙われ辺境に辿り着いたが、最後の部下まであえなく殺されてしもうた。アタよ、お前の場合は大方第一王子あたりが使節おつかいついで・・・に邪魔者を消す腹づもりでおったのじゃろうよ」

「落ち着いてる場合ですかっ。アタ、早く逃げなきゃ。僕は絶対君のそばに──」

 だがアタは幼馴染の言葉を遮って、鞘にしまった日本刀を突き出して老師に問うた。

「爺さん、アンタ本当は何者なんだ?只の外人の学者じゃないだろ?この妙な刀の元の持ち主って事は、そもそも武人だろうし、おまけに古い法術まじないまで使いやがって」

 老師はさも愉快そうに呵々からからと笑った。

「おいこら誤魔化すなっ」

「いやーすまんすまん、あまりに馬鹿馬鹿しい巡り合わせなのでのう」

 ふー…と肩の力を抜き、腰をトントンと叩いて老師は微笑む。

九郎判官義経くろうほうがんよしつね。儂の本当の名じゃ」

 理解不能な言語をぶつけられたアタの顔が、叩きつけられた粘土細工のように歪む。

「解らぬが道理よ。儂の生まれ故郷はここから何千里も離れた東の島国。こことは祀る神も言葉も風習ならわしも違う。お前の言うように武人であった儂は宋に逃れ、この土地にさすらってくる間に言葉を覚え代わりに視力をうしのうた。法術に使う真言サンスクリットは元々幼少のみぎりに寺で教わっておったでな」

「へえ!完璧に理解できねぇぜ」

「まぁ良いじゃろ。それよりも今後お前らの身の振りようじゃがどうする?身内の裏切りであれば逃げる事を勧めるが…お前達の場合はな…」

 老師は栄養の薄い埃土の上に錫杖で“一”という漢字異国の文字を記した。

「儂の生国しょうごくではの、数字をこんな風に書くのじゃ。これには意味が二つあってな。はじめアタともひとつエイカムとも読む。そして…」

 “一”に重ねて縦に一本、線を引く。

 ──“十”の文字である。

「分かるか?はじめひとつとを重ねまじえてじゅうになる。すなわち十力、御仏の持つ無限の力の表象じゃな」

 アタとエイカムは同じタイミングで顔を見合わせた。それからどちらともなく赤面し、エイカムはモジモジと膝頭をいじりアタは「だから何だってんだ!」と声を荒げる。

「捻くれておるが情の厚きお前と、卑屈だが覚悟のあるエイカム。一方は武力、一方は法術。この二つが互いを補い合えば国盗くにとりすら狙えるかもしれんぞい」

 老師の目元に不穏な光が宿っていた。エイカムはそこに氷雪の如き透徹した智略と策謀の気配を感じ、背筋が薄寒くなった。

 と、そこへ丘の下から駆けてくる騎馬が一騎。

「伝令ー!第一王子が救援に駆けつけあそばしまするー!」

 知らせの通り、すぐに大隊が続いてきた。

 隊列の先頭には第一王子、つまりアタの実の兄が騎乗していたが、傷付いて包帯を巻かれた弟の姿を目にすると泡を食って鞍から飛び降り、体躯にまさる弟を抱きしめた。

「ついさっき知らせを受けて急いで来たが間に合わなかったっ。済まぬ弟よ!」

「兄上──」

 一旦体を離し、更に慎重に傷を検分する。うん、と頷いて一刻も早く医師に診せるために帰還する、お前の馬車は置いていけ、私の用意した馬車に従者とホガン師と共に乗るのだと命じた。

 兄王子の表情にも言葉にも白々しい欺瞞の匂いはチラとも漂ってはいなかった。

「第一王子、此度こたびの襲撃をどう思われますかな?」

 老師はころっと好々爺こうこうやの仮面をつけて兄王子に歩み寄る。アタはこの狸爺タヌキジジいめ、と胸のうちで吐き捨てた。

「知れた事。隣国の王め、我が国の軍力を削ぐためにアタを殺そうとしたのだ。我が実の弟に対し許せぬ姦計──非道の邪王じゃおうよ…‼︎」

 エイカムはホッと胸を撫で下ろし、アタはヘヘッと鼻の下をこすった。

「じゃ、帰るか。俺達の国に」

 振り返るアタの差し出した手を、エイカムは遠慮なく取った。そしてそれを見守る兄王子の笑顔はどこまでも爽やかで優しい。

 そんな三人を眺めながら老師は想う。

 ──兄上。我らは道をたがえ、したがために折角出来上がっていた十力じゅうりきの徳を失いました。恐らく源氏はもう、滅んでいるのでしょう…

「何ボーッとしてンだ。置いてくぞっ」

 乱暴にどやすアタに苦笑し、老師は足を踏み出した。

 これから彼らが紡ぐ歴史にひとかたならぬ期待をいだきながら。

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