蝶に魂はあるか
水森 凪
秋の蝶
あれは九月も終わりの夕方のことだった。
桜並木の続く上水沿いの歩道を、買い物袋を下げて歩いていた。
どこかからコオロギの声がする。街灯の間隔は広く、桜の枝がわずかな灯りを遮り、道行く人の顔もよくわからない。こういう時間を「逢魔が刻」というと、どこかで聞いた。
この世とあの世がつながり、魔とすれ違う、そんなひととき。
向かいから若い女性が歩いてきた。ほっそりとしたショートヘアの、ちょっと綺麗目の女性だ。
と、わたしの前三メートルあたりで急に女性は宙を見て棒立ちになった。
立ち止まり、困ったように右へよける。が、足は先に進まない。次に左によける。そして前を見たまま後ずさる。
まるで見えない誰かが目の前に立ちはだかっているようだ。
もともと目の悪いわたしが、その時はさらに、近く用の眼鏡をかけていた。
不審に思いながら近づくと、彼女の目の前に、はたはたと、透明に近い灰色の大きな蝶々がはためいているのが見えた。
その蝶は不思議なことに、彼女の目の前にホバリングしており、女性がどちらに動こうとも同じ方向についていっている。目の前から頑としてどいてくれないのだ。
女性は困惑した挙句、動くのをやめ、急にしゃがみ込むようにすると、蝶の下をくぐって走っていってしまった。
取り残された蝶は、悲し気にふわふわと漂っている。
一度は蝶の横を通り過ぎたものの、あまりに不自然なその動きに、もしかしたら蜘蛛の糸か何かに中途半端に引っかかってあそこから動けないのかもしれないと思い、道を戻った。
蝶は相変わらずそこらをふらふらしていたが、わたしが目の前に立つと、
「あんたじゃない!」
とでもいうようにまっすぐ空高く飛んで行ってしまった。
なんだ、飛べるのか。多少わたしはふてくされた。邪魔されたいわけではなかったが、明らかに差別されたと感じたからだと思う。
蝶に選ばれる、選ばれない。こんなことでも、人はちょっとだけ不幸になれるのだ。うん、なかなかいいことだ。
それにしても、なぜあの灰色の蝶は、あの女性に固執したのだろう。
どうみても、羽を広げて通せんぼをしているようにしか見えなかった。
蝶も見とれるぐらいの美人だったのだろうか。だからどきたくなかったのだろうか?
そこで思い出したのが、以前起きた、あるフルート奏者のコンテストでのアクシデントだ。
デンマークで行われた国際コンクールの一次審査で、 ある日本人女性の演奏中、どこかから飛んできた黒い蝶々が眉間にとまった。
頭のてっぺんとか胸先ならともかく、眉間は奏者にとって辛いものがある。彼女は上半身のアクションを大きくして蝶を追い払おうとしていたように見えたが、どんなに顔ごとゆすられても、蝶は羽を開いたり閉じたり、音を楽しんででもいるようにその場から動かない。
演奏が終わると、女性は手で眉間を払った。そしてやっと蝶は飛んでいった。
彼女は一次審査を突破し、二十日に行われた最終審査で、見事、二位入賞を果たした。
「あの蝶がわたしに幸運を運んできたくれた気がします」と、その二十九歳の女性は語っていたが、さて、蝶の側としてはどういう心理だったのだろう。
歩く女性に通せんぼをし続けた蝶々。眉間で音楽を楽しんだ蝶々。
それぞれに理由があったのだろうか?
心、と書いたけれど、前から疑問に思っていたことがある。
そもそも昆虫に脳みそはあるのだろうか。
そして、人様だけが所有しているように言われる霊的なもの、心とか魂というものもあるのだろうか?
まず味気ない方から調べてみた。脳に類するものの存在。
結論から言うと、昆虫にも、脳はあるそうだ。
昆虫の脳は、やわやわな人間の脳味噌と違い、かたい殻をかぶり、脳球とも呼ばれている。多くて百万個程度のニューロンとよばれる神経細胞が集まっていて、ここを使って記憶、学習、情報処理をしているのだという。
識者は言う。蝶やトンボや蜂の脳は容量が小さい。比べてヒトの脳は千億個あまりのニューロンでできている。だから複雑な思考や柔軟な運動、言語を使ったコミュニケーションや細かい感情の揺れ、知性や好奇心などが生まれるのだと。
しかしその人間様が、言葉のない昆虫に遠く及ばない部分は、彼等の持つ「DNAに組み込まれた優れた技術、本能に根差す子育てへの真剣さ」であろう。
働きアリやミツバチの労働能力と記憶力、仲間にそれを伝えるダンスや正六角形の集合体である巣を建設する技術など、じっさい素晴らしいものだ。大手ゼネコンの皆さんに、文字も図面も会話もなしでハチの巣に相当する正六角形の集合体の建造物を自然物だけで作れ、といっても無理だろう。
さて。人間のニューロンは頭部に集中している。それが故に人間は首をはねられると、いきなり終わりを迎えるのである。
一方、体全体が軽くニューロンの少ない昆虫は、頭部のみにニューロンを集中させているわけではなく、胸部、腹部にある神経節も使って情報を処理しているという。脳やそれぞれの神経節がある程度の独立性を持っているから、頭を落とされたコオロギが飛び跳ねたり、トンボが飛ぶことができたりするのだ。
では、「心」の問題はどうだろう。
人は肉体と魂の二元合一体であるという考えがある。
肉体は滅びても、魂はこの世にあり続け、新しい肉体を得れば受け継がれてゆくと。
では、小さいながら優れた脳を持つ昆虫に、「心」と呼べるものはあるだろうか。そして、彼等の唯一無二の「魂」はどこからやってくるのだろうか?
足元でうごめいている小さなありんこも、ちょいと指でつまめば大慌てするし、下に下ろせば、この得体のしれない敵から遠く離れようと大急ぎで逃げる。彼らは「驚いて」「困って」「恐れて」いるように見える。それは、一応、心の動きではないのだろうか。
昔こんな情景を見た。
夏の終わり、庭の一隅のアジサイの葉の上で、白い蝶がはたはたとはためいているのだ。それもほぼ同じ場所で。
いつまでもいつまでも同じところを旋回しているので、やはり蜘蛛の巣か何かにかかったのかと思い、庭に出て近寄ってみた。
すると、葉の上に、弱り切ったもう一羽のモンシロチョウがいたのだ。羽はもう、ぼろぼろだった。
蝶は弱々しく羽を動かすものの、横倒しになったままで、もう命の終わりが見えていた。
そして、アジサイの根っこには蟻の行列がいた。
このままでは彼等の餌食になるのは時間の問題だ。
それを知ってか知らずか、もう一羽の蝶は、励ますように蝶の上を飛び、葉の上にとまっては倒れた蝶に口を近づけ、体を掴んだまま羽をパタパタさせ、また飛び上がっては上を旋回している。
起きて、頑張って、このままでは食べられてしまうよ、飛んでよ、そう励ましているように見えた。実に、そうとしか見えなかった。
ついに蝶は力尽きて、アジサイの葉から落ちた。ここぞとばかりに、蟻が寄ってきた。
もう一羽の蝶は必死の勢いで地面に降りて羽をバタバタさせる。
わたしは弱った蝶を摘み上げ、元の葉の上に置いた。白い蝶も追ってきた。
そのままわたしは家の中に入った。なんだか、見ていられなかったのだ。
しばらくして庭に出ると、旋回していた蝶はもういなかった。
アジサイから少し離れたところに、蟻の隊列があった。その先頭には、あのチョウの白い羽が、ぼろぼろの小さなヨットの帆のようにつんと立って運ばれていた。
これが自然のおきてと思いながらも、わたしは姿を消した蝶のことを思っていた。
あの蝶は、きっと悲しんだろう。
あれだけ助けようとしていたのだ。どうしても、はなれたくなかったのだろう。 一緒にいたかったのだろう。
それは、本能だろうか?
だれか、自然界の中の誰かを選び、一緒にいたいと思い守りたいと思う。
それも本能なら、では本能ではなく、しかも美しく尊い「愛」とよべるものが、この世にあるのだろうか。
人は巨大な脳を持ち、学習することによって人間になるという。
生まれてすぐに自分の足で立ち、母親の乳を捜して飲む、なんて芸当はできない。ほかの動物に比べれば胎児のような状態で生まれるのだ。そして生後二年たっても自分の排泄場所も定められない。歩きながら垂れ流しては母親にはたかれる始末である。
本能によってつがいになり、命がけで卵を生み、子どもを育てるために力を合わせて身を削る昆虫、魚類、鳥類、哺乳類。
人は彼らを「虫けら」「けだもの」「畜生」と呼んで蔑視するけれど、ひとが本能として持ち合わせ脳みそを肥大させて満足させようとしているのは、性欲、権力欲、食欲、闘争本能、実にろくでもないモノばかりだ。
ひっくるめれば「快楽欲」。それがつまり人間が持ち合わせ、DNAに組み込まれて未来永劫受け継がれてゆくものなのだろうか。
宗教家が大事にする「心」「魂」は、ではどこにあり、どのように機能しているのだろう?
人類は無限の快楽欲を満たすために文明を発達させ、これを邪魔するものに矢をつがえ、自らの罪を許してもらうために宗教を作り、神の教義のもとに聖なる戦争を繰り返し、差別によってヒエラルキーを作り、同類を殺し続けてきた。
どこかで心を入れ替えて人殺しも戦争もない世界になりましたなんて、まず、ありえない。それは、ひとが、人だから。
あのアジサイの上ではためいていた白い蝶の姿は、何かの神話のように私の中にあり続ける。あれほど清冽で美しく真剣な姿を見たことがないのだ。
どんなオカルトよりも恐ろしい、罪を罪と認めない人の残虐行為が世界中に広がるのを見るにつけ、あの震える羽を思い出す。
そして、そんな蝶々の気まぐれなちょっかいが人間に向けられるのを見るとき、つい語りかけたくなるのだ。
あなたは、なにを考えているの?
それは、たのしいの?
かなしいときはある?
うれしいことはある?
こころは、どこにある?
今朝、玄関先に、標本のように美しい蝶が落ちていた。
羽根のどこにも傷のない、美しいアカボシゴマダラ。
本来なら沖縄以南の蝶だ。
気候が変動しているせいか、この手の珍しい蝶をよく庭で見かける。
白い紙の上において、ながいこと眺めて時を過ごした。
ひとでなくなりたいなんて、逃げでしかない。
ひとなりに、重たい肉となまあたたかい血とを脳みそを抱えて、まっとうに生きることを考え続けなければならない。それはわかっている、つもりだ。
それでも、こんな風に美しいまま、からりと死にたいと思うときが、ないではな
い。
<了>
蝶に魂はあるか 水森 凪 @nekotoyoru
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