チョコを渡す理由とは。

夕藤さわな

第1話

「命令だ、クレール! 十日後の二月十四日、僕にチョコを渡せ!」


 ゴルベワ国第一王子であり婚約者でもあるマルクに突然、そんなことを言われてクレールは銀色の髪をさらりと揺らし、頬に手を当てて首を傾げた。


「構いませんが……なぜ二月十四日に、殿下に、チョコを渡さなければならないのですか?」


 ここは王族貴族の子息令嬢が通う王立ゴルベワ学院初等科。その一角にあるカフェのオープンテラス席でのこと。ここで放課後、お茶をしながら宿題をするのがマルクとクレールの日課になっている。


「な、なぜ……? えっと、その……り、理由がなければいけないのか!」


 金色の髪に青い瞳をした十才のあどけない少年は婚約者である同い年の少女に紫色の瞳でじっと見つめられてしどろもどろで言った。


「いけないということはありませんが理由がわかっていればそれだけ殿下のご希望にそう品をご用意できるかと思いまして」


「ご希望に、そう……?」


 はい、と言ってうなずくとクレールは人差し指を立てた。


「例えば、家庭教師のドルアン夫人にお出しするつもりでしたら彼女のお母様の出身地であるレナルツ産のチョコを取り寄せます。ご友人とボードゲームをなさるときに食べるのでしたら最近、人気のスコラスティクというお店のアソートをご用意いたします。教会の子供たちにお持ちになるのでしたら街のマリーというお店のチョコが食べやすく、手ごろな値段で数もご用意できるかと思います」


「な、なるほど」


「それに殿下は王族というお立場。いずれは国王となられるお立場。理由もなく命令なさるというのはいかがなものかと思いますよ」


 婚約者に――第一王子という立場上、苦言をていしてくれる数少ない相手に指摘されてマルクはハッと目を見開いたかと思うとしょんぼりと肩を落とした。


「そんなつもりはなかったとは言え、クレールの言うとおりだ。すまな……」


「それに愛情表現の一つとしてプレゼントが欲しいと言うのであればチョコなどと仰らずにわたくし自身をプレゼントしろと命じてくださってよろしいんですよ」


「そうだな、クレールを……って、はぁ!?」


「リボンだけを巻いた姿でお届けにあがる準備はとっくの昔に整っておりま……」


「ワー! ワーワーワーーー!!!」


 勢いよく立ち上がったマルクはクレールの言葉をかき消すべく絶叫した。オシャレなカフェに響き渡った奇声に周囲の生徒たちが一斉に振り向く。集まった視線にマルクはハッと目を見開くと顔を真っ赤にして勢いよく頭を下げ、勢いよく着席した。

 そして――。


「しゅ、しゅしゅしゅしゅ……淑女はそういうこと言わないんだぞ!」


 身を乗り出し、声をひそめ、バシバシとテーブルを叩いて抗議した。顔を真っ赤にして怒るマルクを前にクレールは口元に手を当ててくすくすと笑う。


「ふふ、もうしわけありません。以後、気を付けます」


 マルクをからかうのが目的でやっているのだ。クレールの心にもない反省の言葉にマルクは顔を真っ赤にして口をうにゃうにゃさせた。何か一言言ってやりたいけどうまい言葉が出てこなかったのだろう。

 そんなマルクを見つめてひとしきり楽し気に笑った後、クレールはふと大人びた微笑みを浮かべた。


「もしかして、殿下の以前の世界・・・・・にあった風習ですか?」


 一瞬、目を丸くしたマルクだったが黙ってこくりとうなずいた。

 マルクが転生者であることはごく限られた人間だけが知っている秘密だ。そのごく限られた人間の一人に婚約者であるクレールも入っている。というよりも最初にマルクが転生者であることに気が付いたのがクレールなのだ。

 それまでのマルクは〝チョコはないのか、ポテチが食べたい〟だとか〝馬車はおしりが痛くなる、車はないのか〟だとか〝このトイレ、座るところが冷たいし、水を流すレバーもないんだが〟だとか突拍子もないことをさも当然のことのように言ったり尋ねたりして両親や家庭教師、使用人たちから〝少し変わった子〟扱いされていたのだ。


「どのような風習なのですか」


「え、えっと……その……そう! チョコを渡した人と渡された人は一年間、健康に過ごせると言われているんだ!」


「まあ、そうなのですね」


「そう、そうなのだ! つまり、この命令は僕だけじゃなくクレールの健康のためでもあって……!」


「お心遣い、感謝いたします。では、殿下の無病息災を願ってとっておきのチョコをご用意いたしますね」


「あ、ああ!」


 しどろもどろながらもそう言い切ってマルクはほっと安堵の吐息をついた。

 と――。


「あら」


 時刻を知らせる鐘の音にクレールはオレンジ色になり始めた空を仰ぎ見た。そろそろ帰らないといけない時間だ。


「なんだ、もうそんな時間なのか」


 同じようにマルクも空を仰ぎ見る。


「クレールと過ごす時間はあっという間に過ぎてしまうな」


「……っ」


 ポツリと呟かれたマルクの言葉と寂し気な表情にクレールは両頬に両手を当ててうつむいた。その顔がみるみるうちに真っ赤になる。口をうにゃうにゃさせているのは叫びたいのを我慢しているからだ。

 でも――。


「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。クレール」


「はい、殿下」


 マルクが振り向いた瞬間、恋する普通の女の子の顔を引っ込めて背筋を伸ばし、淑女らしく、第一王子の婚約者らしく、にこりとしとやかに微笑んだ。


 ゴルベワ国第一王子であるマルクが転生者であると知ってしまったから。

 それだけの理由で半強制的にクレールがマルクの婚約者に決まってから三年。本人たちの気持ちなんてお構いなしでわずか七才の時に決まってしまった婚約だけれど、それでもと言うべきか、だからこそと言うべきか。マルクはクレールのことを大切にしてくれていた。そんなマルクのことをクレールもまた大切に想うようになっていた。

 だけど、その気持ちをクレールはまだマルクに伝えていない。それがクレールのいくつかある秘密の一つ目。


 マルクが差し出した手を取って馬車を待たせている正門へと向かいながらクレールはこっそり肩をすくめて苦笑いした。

 元々、この世界には存在しなかったチョコの作り方を確立するべく裏で糸を引いていたのがクレール――ということに国王や大臣、チョコの考案者とされる城の料理人はもちろんのこと、マルクも気が付いてはいないだろう

 これがクレールのいくつかある秘密の二つ目。

 ポテチやクッキー、キャンディやせんべいといったマルクが食べたがっていたお菓子が作られるようになったのもここ二、三年のことで、その裏で糸を引いているのもクレールだということにもきっとマルクは気が付いていない。


 マルクから〝以前の世界〟にあったチョコについて聞き出して広め、その次にバレンタインデーを聞き出して広める、という計画だったのだけれど――。


「まさか聞き出す前にバレンタインデーが節分になってしまうなんて」


「ん? 何か言ったか、クレール」


 クレールの小さな小さなぼやき声はマルクの耳に完全には届かなかったようだ。手を引いて半歩先を歩くマルクがきょとんとした顔で振り返るのを見てクレールはにっこりと微笑み返した。


 これが――自分もマルクと同じように転生者であるということが――クレールのいくつかある秘密の三つ目。

 マルクだけではない。マルクの両親である国王と王妃にも、学院の友人たちにも、自身の家族にも、誰にも自分が転生者であることを明かしていない。

 秘密にしているのは切り札になるかもしれないと思っているから。何かあったときに自身を、あるいはマルクを守る切り札になるかもしれないと思っているからだ。


 ただ、こういう時は少しじれったくなってしまう。

 チョコを広め、バレンタインデーを広め、好きな相手にチョコを渡して想いを伝えるイベントなのだと広め、その上でマルクにチョコを渡して告白するつもりだったのに。

 クレールのいくつかある秘密の一つ目を秘密でなくすつもりだったのに。


 でも、まあ、こうなっては仕方がない。大丈夫。告白するのにふさわしいイベントはバレンタインデーだけではない。クリスマスに誕生日、卒業パーティや社交界デビューのパーティデビュタントだってあるのだから。


「どのようなチョコが良いかと考えていただけですよ」


 そう言ってにっこりと微笑むクレールの心は、しかし、すでに決まっていた。

 ハート形の、それも特大の手作りチョコ一択。昔取った杵柄きねづか。転生者としての記憶を存分に活かしてマルク好みのチョコを手作りするつもりだ。


「殿下に喜んでいただけるように心を込めてご用意いたしますね」


 〝チョコを渡し、渡されると一年間、健康に過ごせる〟なんて小さな嘘をついたせいで目を泳がせ、頬を赤らめている可愛い可愛い婚約者を見つめてクレールはにっこりと、それはそれは幸せそうににっこりと微笑んだのだった。

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チョコを渡す理由とは。 夕藤さわな @sawana

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