ここでは何も起きなかった。

平川 蓮

第1話

 ──こんなウワサを知っているだろうか。


 学校の七不思議である、魔の十三階段。

 縁起の悪い数字を避けて作られている十二段の階段が、夜になると一段増えているという、よくある怪談話。

 しかし──


 それが表向きの七不思議であるという、そんなウワサを。




 ──キーンコーンカーンコーン。


 とある小学校の一階、温かな昼の日差しが差し込む階段下。

 そこでは、今は掃除時間なのだろう。

 三人の少年が掃除道具の前で円を作り、真剣な表情で睨み合っていた。


「じゃあ行くぞ……じゃんけんポン! うわっ、負けたー!」

「へっへー! 俺の勝ち!」

「あ、勝っちゃった。じゃあ、雑巾よろしくねー」

「えー……」


 不満げな少年をよそに、ヒロシはあっさりとホウキを持ちに向かった。

 サトシがニヤニヤと悪戯げに笑い、少年に言う。


「じゃんけんで決まったことだからな! 文句なしだぞ!」

「分かってるって。やりゃいいんだろ」


 サトシの言葉に嫌そうな顔をすると、少年は渋々バケツを取り、手洗い場で水を入れてくる。

 窓を拭いていた女子二人に「ここ、バケツ置いていい?」と聞いて、そこで雑巾を絞り始めた。


 やがて階段の上から掃除を始める三人だったが、ふと少年がこんなことを言い出した。


「なあ、そういや知ってるか?」

「あ? なんだよ急に」

「ほら。この階段が夜になると、一段増えるってやつ」

「あ、知ってる。七不思議ってやつでしょ?」


 怪訝そうにホウキの手を止めたサトシに、少年はなんだか得意げな顔を向けている。

 ヒロシはよく図書館に行くだけあって、どこかでそんな本を読んだのだろう、すぐに反応して言葉を返す。

 しかし、少年に残念そうな様子はなく。


「そうそう。でもさ、こっちはただの嘘らしいんだよ」

「え、なんでわざわざ?」

「さあ? 俺も誰かに聞いたウワサだし、そこまでは知らねぇよ」

「ふーん……」


 そんな少年の肩をすくめる態度に、サトシは少し不満な様子である。しかし続きが気になるのか、気を取り直して先を急かした。


「で、なんだよ、その嘘って」

「それがさ。ここの階段の下、倉庫の扉があるだろ?」

「ああ、いっつも開かないやつな」

「実は、そこが夜には開いて、中に入れるらしいんだ」

「入ったらどうなんの、それ?」

「さあ? 俺も知らない」


 ヒロシが聞くが、さすがに少年もそこまでは知らないようで、首を横に振った。


「でも、なんか面白そうだろ? 今日、こっそり三人で見に来ないか?」

「お、肝試しってやつか! 俺は賛成!」

「ええ……夜なんて鍵が閉まってるでしょ。どうやって入るのさ」


 ヒロシはすっかり呆れ顔だ。

 しかし、サトシが楽しげに言う。


「あとで掃除終わったら窓の鍵を開けときゃいいんだよ! どうせ明日も来るんだし、そん時戻せばいいって!」


 こうなれば、まだ小学生の彼らに自制心は効かない。

 じゃあ、今日の十時に集合な! というサトシの強引な決定に、二人はつい頷きを返すのだった。




 夜中の十二時。

 小学校の校門前では、二人の少年が声をひそめて会話をしていた。


「おい、まだクリアできねぇのかよ。俺なんか一発だったぞ?」

「サトシと一緒にしないでよ。僕、このゲーム初めてやったんだから。……ごめん、こっちのアイテム使っていい?」

「おう、いいけどさ……」


 ヒロシにゲームを貸してしまい、暇になってしまったサトシはそわそわしながら、彼のゲーム画面を覗き込んでいる。


「にしても、あいつ遅くね? もう寝てんのかな」

「それとも親にバレたのか、じゃない? そしたら僕らもマズいよ、サトシ」

「大丈夫だって、あいつなら」

「まあ、そりゃそうかもだけどさ……あ、できた!」


 友人のことを懸念しながらゲームを続けていたヒロシは、ようやくゲームをクリアして歓声を上げた。

 サトシは呆れた様子で笑い、ヒロシからゲーム機を受け取る。


「よかったな。じゃ、そろそろ行こうぜ。あんまり帰りが遅くなるとバレそうだし」

「そうだねー」


 サトシがゲーム機の灯りを頼りに歩き出すと、ヒロシもそのあとに続いた。

 校門から堂々と侵入し、気分は小さな探検家。

 目的地の階段近くにある窓まで来ると、二人はせーので窓を開け、靴を脱いで中に入った。

 サトシがひと足早く階段に着き、踊り場まで駆け上がると、振り返ってまだ一階にいるヒロシに声を掛ける。


「ヒロシ! 俺は上から数えてくから、お前は下からな!」

「うん! 一、二、三、四……十一、十二!」

「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト! チ、ヨ、コ、レ、イ、ト!」


 それぞれのやり方で数え出す二人。

 すると、結果は──


「やっぱりこっちは外れだね、サトシ」

「おう、俺も十二段だった」

「ってことは……」


 二人はいまだ、わくわくと顔を見合わせて階段下の倉庫に向かう。その扉の前に立つと、ヒロシは左を、サトシは右の取っ手を掴んだ。


「じゃあ、こっちは当たりかも。サトシ、せーので開けるよ?」

「おう、行くぞ!」


 せーの! と声を合わせ、二人は扉を引っ張った。すると、ギギギィ──ッ、と大きな音がして扉が開く。

 少年たちは揃って顔を青白くして、慌てて周囲を見回した。

 しかし、時間が遅いからだろう。誰の足音も近寄って来ることはなく、しんとしたままの校舎の様子に、二人はホッと安堵の息をついた。

 しかし、その時──


 ──ポチョン。


 少年たちの目の前。

 開いた倉庫の扉の奥から、何か水滴の落ちる音が鳴る。


「…………ッ!」

「…………ッ!」


 ビクッと肩を跳ねさせ、二人は反射的に後退りした。

 しかしすぐに冷静になったのだろう、お互いの顔を見合わせて頷き合う。


「よし……入ってみるか?」

「うん、ここまで来たらね。あ、でも灯りがないよ?」

「俺のゲーム機で充分だろ。そのうち電池切れるし、ちょっと急ごうぜ」


 ヒロシが不安な顔をしたが、サトシの言葉に「それもそうだね」と納得したようだ。

 こうしてゲーム機のわずかな灯りを頼りに、おそるおそる倉庫に侵入する少年たち。

 しかし、そこには──


「やっぱりなんにもないね……」

「だな。たぶん、これも誰かが鍵を締め忘れたんだと思うぜ」

「こんなとこ、誰が開けるんだろ?」

「さあ? とりあえず濡れてる床だけ拭いて、あとはバケツでも置いとこうぜ」

「そうしよっか。水道管でも壊れてんのかな……」

「じゃあ、その修理のために開けっぱなしにしてんだろ。きっと」

「あ、なるほど」


 そんな何気ない会話を交わしながら、サトシが雑巾で倉庫の床を拭き、ヒロシはバケツを水滴の下に置いた。


「よし、じゃあ帰るか」

「うん。お、お邪魔しましたー……」


 若干バケツの中に水滴が落ちる音に怯えながら、倉庫から出る。

 そのまま外で靴を履き、二人で窓を閉めた。

 彼らがようやく家に着いたのは、深夜一時の間近だった。




 その翌日。

 昼の掃除の時間になると、二人は先を争うように階段を駆け降りて、昨日から開けっぱなしだった窓の鍵を閉めた。

 ホッとひと安心した二人は、それぞれホウキと雑巾を準備しつつ、朝から姿を見かけない友人への心配を口にする。


「あいつ、風邪でも引いたんじゃねぇか? 昨日の夜も来なかったし」

「そうじゃない? 学校終わったら見に行こうよ。──あ、バケツがない」

「やべっ、昨日倉庫に入れたまんまだ。取りに行こうぜ」


 しまった、とばかりに二人は顔を見合わせる。

 掃除が始まる前に、と慌てて階段下の倉庫に駆け寄った。

 しかし──


「……あれ?」

「……は?」


 ──そこに、倉庫はなかった。


 二人は唖然として、呆然として。

 昨日までは確かに倉庫の扉があった、今では何の形跡もない、まっさらな壁を見つめる。


「……ねえ。ここ、だよね……?」

「……そのはず、だけど……なんで何もないんだ……?」


 ゾッと顔を青ざめさせた二人の元に、コツコツと足音が歩み寄ってくる。


「お、おい! どっかに隠れろ!」

「どっかってどこに⁉︎ ていうか、もう来るって──」


 二人が階段下でそう言い合っている間も、足音はさらに近くなる。

 しかし、恐怖で冷静ではない彼らは隠れることもできないまま──


「あら? あなたたち、何してるの?」


 彼らの掃除場所を担当している教師に、そう声をかけられた。

 よく見覚えのある先生だったことに心底安心して、二人はハァ──と大きく安堵の息をつく。


「なんだ、川崎先生かぁ……」

「よかったー……僕なんてもうダメかと思ったよ……」

「俺も俺も」


 そう言って笑い合う二人に怪訝な顔をしていた川崎先生だったが、すぐに自分の腕時計を確認すると優しく注意した。


「なぁに、それ? よく分からないけど、もうすぐ掃除始まるわよ。急ぎなさいね」

「はい。……あ、でも先生、バケツがなくて……」

「ああ、それは元々よ。また今度買っておくから、今日はそのまま……あら。そこの雑巾、汚れてるじゃない」

「え……?」


 二人で目を見開いて、顔を見合わせる少年たち。

 しかし、間違いなくバケツはあったはずだ。ただ倉庫の中に入れてしまっただけで、昨日も確かに使ったのだから。

 その証拠に、川崎先生が手にした雑巾には、昨日の夜に拭き取った水滴がついている。

 しかし──


「おい、ヒロシ……」

「うん。あれって昨日使ったやつだよね……?」


 その水滴がついた経緯に、すでに二人は気が付いていた。

 だが、それを口にすることはなかった。自分たちの行いがバレてしまうから──ではない。


「……あの雑巾、なんで血の色みたいになってんだ?」


 おそらく暗くて色の判断ができなかったのだろうが、どうして乾いた血の色のように変わっているのか。

 二人には、それがまったく理解できなかったのだ。

 そんな二人の動揺に気付くことなく、川崎先生は不思議そうに呟く。


「うーん、茶色い絵の具でもこぼしたのかしら……。とりあえず、ちょっと洗ってくるから。二人はホウキだけ、先に掃いてててくれる?」

「は、はい」


 ヒロシはとっさに頷いたが、どうしても我慢できなかったのだろう、サトシが川崎先生を呼び止めた。


「なあ、先生! この壁、昨日は倉庫があったよな?」

「……!」


 ハッと目を丸くしてサトシを見たヒロシだったが、やがて決意を固めたのか、二人で川崎先生をじいっと見つめた。

 しかし、川崎先生はその眼差しに戸惑いながら。


「へ? やだ、そんなわけないでしょう。二人とも、私を騙そうったってそうはいかないんだから」

「…………!」


 その言葉に、二人は青ざめた顔で目を見開いた。

 まさか、と信じられないような顔で、一歩、二歩と後退りする。

 そして──


「じゃあ、四人で掃除、頑張りなさいね」


 川崎先生はそう言って、手洗い場がある方向へと歩いていった。


「…………四人?」


 サトシがそう繰り返すが、その声には力がない。

 まだ冬でもないのに、温かい日差しの差し込む階段下で、二人は凍え切ったように震えている。

 しかし、そんなことは少年たちにとって、些細なことだった。


「……さすがに冗談だろ。……冗談、だよな?」

「……いや、そうは見えなかったけど……」


 しかし、それでも冗談のはずだと、二人には確信があった。

 なぜなら──


「で、でも! ここは五人の掃除場所だろ⁉︎ 昨日だって、女子が二人と、俺とヒロシ、あいつで──」


 叫んでいたサトシの声が止まった。


「……サトシ?」


 怪訝そうに眉をひそめて、ヒロシは隣のサトシに顔を向ける。

 すると彼の顔から、さあっと血の気が引けていた。


「ど──」


 どうしたの、と。

 ヒロシが心配しようとすると、サトシはそれを遮り、こう言った。


 ──あれ? あいつの名前、なんだっけ? と。


「…………えっ?」


 二人は、ようやく気が付いたのだ。

 昨日から、自分たちが一度も友人の名前を口にしていなかったことに──だけではない。

 サトシが唇を真っ青にして言う。


「それにさ。あいつ、確か言ってたよな? 『誰かに聞いたウワサ』だって……」

「え……じゃあ、もしかして、その誰かは……」


 ヒロシの顔もすっかり青白くなり、血の気が引いている。

 誰も、何も、覚えていない。そして、その痕跡すら残っていない。

 その事実を察したサトシが叫んだ。


「お、おい! 待てよ! だったら、あいつも──」

「あっ……」

「……なんだよ、ヒロシ」


 ヒロシは何かに気付いたように、声を上げた。

 サトシがどこか怯えた様子で、おそるおそる尋ねると、ヒロシはこんなことを言い出した。


「ねえ、サトシ。僕、一つ思ったんだけどさ……それならあいつは、昨日の夜……“どこにいたんだろうね”?」

「どこって……そりゃ自分の家、なわけねぇし……じゃあ、倉庫の扉の、向こう側、とか……?」


 やけに冷静に話すヒロシの言葉に答えながら、サトシはようやく思い出した。


 そこに何があったのか、を。


「おい待て! 待てって、冗談じゃねぇよ……! じゃあ、あいつまさか、あの時──」


 ──上にいたのか?




 


「さあ? 僕は知らないよ。でも──」


 ──これから、嫌でも知るんだろうね。






「ねー。ここの掃除、ウチらだけじゃ人数足りなくない?」

「ね、ホントそれ! だって女子二人よ? マジありえないって! 男子どこ行ったの!」

「あははっ、ウチに聞かれてもねー」

「てゆーか、男子ってさぁ。この前、誰かここで肝試しやるって言ってなかったっけ? あれ、どうなったの?」

「さあ? ウチも聞いた気がするけど……誰だっけ?」

「知らなーい。でも確か……」


 ──夜、階段下の倉庫が開くっていうウワサでしょ?

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