Never, Ever.

涼坂 十歌

Never, Ever.

「大丈夫」

 そう言って隣に居てくれたあなたに恋をした。

 あなたの体温をもっと近くで感じたかった。

 今はまだ無理でも、いつか、きっと。


 今日という日を、ずっと待っていた。




 式典後、悲喜交交の女子トイレで一人、鏡と向き合う。前髪、後ろ髪、リボン、花飾り。乱れていないか念入りにチェック。

「よし」

 準備は万端。私は深く頷いた。


 三月一日。私たちの卒業の日。そして、私の決戦の日。

 私は今日、好きな人に告白する。

 相手は、高校三年間担任だった生物の柏木先生。

 二十九歳、独身。背が高く細身でスタイルがいい。しかし冗談の一つも言わない真面目な性格のせいで、意外と生徒人気は低い。あまりに淡々とした様子が機械のようで、私も最初は苦手だった。

 しかし、一年生のある夏の日。部活でミスして体育館の裏で泣いていた私のもとに、観察器具を抱えた柏木先生が偶然やって来た。何か特別なことを言ってくれたわけではない。けれど先生は、私が泣き止むまでずっと隣に居てくれた。持ってきた道具は脇に置かれたまま、使われることはなかった。

 その日から、私は先生のいいところにたくさん気づいた。

 植物に優しく触れるところ、廊下のゴミを黙って拾うところ、生徒の質問を絶対笑わないところ。

 この人は機械なんかじゃなくて、誰より優しい人間なんだ――。

 そう気づいたときには、もう先生のことが好きだった。だけど告白したところで玉砕する自信があったから、私は今日まで待ったのだ。

 教師と生徒という関係が終わる、今日の日まで。


 早まる鼓動を抑えつつ教室に戻る。

 何度もイメトレを繰り返した。ずっと好きでした。付き合ってください。大丈夫、言える。

 しばらくすると柏木先生が来て、ホームルームが始まった。

「卒業おめでとうございます」

 先生はいつもどおり淡々と話を進めていく。三分ほどが経ち、そろそろ終わりかな、と思った、そのとき。

「最後に私から一つ、ご報告があります」

 改まった口調でそう言った。

 ざわりと胸が騒ぐ。言葉にできない嫌な予感が走る。

 嫌だ、言わないで――。

「実は私、先月結婚しました」

 その瞬間、クラス中がわっと沸いた。

 顔から血の気が引いていく。脳がぐらぐらと揺れた。結婚。先生が、結婚。

「見せてください!」

 誰かが言った。みんながねだり始めるなか、私は一人小さく首を振る。

 相手の顔なんて見たくない。しかし、私の思いは届かない。

 先生は最初は渋っていたけれど、やがて根負けしてスマホを取り出した。

 みんなが歓声をあげる。その声につられて私も顔をあげてしまった。その瞬間、呼吸が止まる。

 結婚式の写真。先生と知らない女性が腕を組んで立っている。白いタキシードを着た先生は、見たことないくらい幸せそうに笑っていた。

(先生、こんな顔するんだ)

 私にはこんな笑顔、引き出せなかったのに。

 誰かがおめでとうと叫び、拍手が教室を包みこむ。祝福なんてできないと思っていたけれど、その音に追い立てられるように、やがて私も手を叩いた。


 ホームルームのあと、私は先生と話さないまま一人で教室を出た。言いたかったことはもう言えないのに、今さら何を話せばいいのかわからなかった。

 先生への想いは他の誰も知らない。だからこの大きすぎる気持ちには、一人で折り合いをつけないといけない。

 生ぬるい風が吹き、桜がつんと香る。涙が一筋流れた。絶対泣くもんかと思っていたけれど、一人になったら、やっぱりだめだった。

「うっ……、うぅ……」

 唸るような嗚咽が漏れる。

 ぼろぼろと溢れ出ては頬を伝う涙を袖で拭う。どれだけ泣いたって、もう先生はこの涙を止めに来てはくれないのだ。

 もっと早く告白していたら、何かが違ったのだろうか。あの人じゃなくて私を選んでくれる未来は、どこかにあったのだろうか。

 わかりきった答えからは目を背けて、ぐるぐると問い続ける。歳の差とか、立ち場とか、そういうものが全部憎くて、悔しくて、苦しい。

「どうしたらよかったのかなぁ」

 震えた声に返事が返ってくることはなかった。


 正門の人混みを避け、裏口から帰ろうと体育館裏に回る。するとそこには、野草を観察する柏木先生がいた。

 慎重な手つきで草に触れ、注意深く観察する。丁寧で優しい仕草。私の大好きな先生。

「こんな日まで」

 晴れの日も日課を怠らないなんてどこまで真面目なんだろう、と、思わず笑いが漏れる。

 そして、あの日の価値に気づく。

 先生の特別には、なれなかったけれど。私は今までずっと、先生に大切にされていたんだ。

 ふっと心が軽くなった。強張っていた肩から力が抜ける。

 先生はこれから、私には見せてくれなかった表情で奥さんとたくさん笑い合うのだろう。私には触れてくれなかった手で奥さんの涙を優しく拭うのだろう。

 先生、どうか、幸せになってね。

 最後の雫を強く拭って、私は声をはりあげた。

「先生!」

 先生が驚いて振り返る。

 大丈夫、言える。

「またね! 大好き!」

 大きく手を振って、私はこの恋に別れを告げた。

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Never, Ever. 涼坂 十歌 @white-black-rabbit

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