手羽先殺人(未遂)事件
田中鈴木
第1話
「だーかーらぁー、米はぁー」
「何の話すか」
ぐでぐでに酔っ払った高梨先輩のグラスをこっそりお冷やに取り替える。この安さが売りの貴族的チェーン店に入って一時間。ハイスピードで出来上がった高梨先輩は、手羽先を素手で掴んで指揮棒のように振っている。据わった目でタッチパネルに触れて、何か注文しようとベタベタの手でいじり出した。
「うー」
「いやまた手羽先すか?まだあるんだから食べ終えてからにしましょう?」
「うるせー。手羽先はなあ、偉いんだぞぉ」
「聞いたこと無いすね」
俺と高梨先輩は同じ部署で、同じチームで動くことが多い。かといって特に絡みもなかったが、地味だけど知的な印象のある先輩を密かにいいなと思っていたのは事実だ。資料準備で残業していて、二人になってしまったのでダメ元で飲みに誘ったらOKが返ってきた。少し期待していたらこのザマである。
「私は、あたしーはー」
「はいはい」
梅サワーを傾けながら、誘ったことをちょっと後悔する。職場の飲み会だとおとなしいイメージだったんだけどな?これが素なのか?
「こんな仕事ぉー、辞めてやるーぅぅ」
「あーいいすね」
「おぃお前、バカにしてんだろ」
「してないす。絡まないでください」
お冷やを口にした高梨先輩は、顔を顰めるとタッチパネルを素早く叩いてハイボールを注文した。そういう判断力は残ってるんだな。
「前にも言ったけどさぁ、この姿は仮の姿なぉ。分かる?」
「はいはい」
「私はぁ、なるぅぅん……」
「海賊王すか」
下を向いていた高梨先輩が、ぐりっと俺の方を向いた。酒で血走った目がギラギラしている。
「お前には、言ったぁぉぉぉ?」
「吐かないでくださいね?」
「あたしぉ、本当ろぉ、夢ぇ……」
「はいはい……ん?」
夢、で何か引っかかった。そういえば、前に聞いたような……?しょーもない会議資料の印刷を手伝ってもらってた時に、何か……。
『こういう作業、好きなんだ』
そう言って恥ずかしそうに笑う先輩がかわいくて、それで……何て言ってたっけ?
「お待たせしましたー、ハイボールと手羽先です」
バイトのお姉さんがドンドンと大皿とジョッキを置いていく。キラキラ塩粒の輝く手羽先の山に、俺のちょっとした感傷は吹っ飛んだ。
「結局手羽先頼んだんすか?これ何本……10本!?誰が食うんすかこんなに!?」
「お前、わぁ……」
じんわり涙を浮かべた高梨先輩が、俺の隣に移ってきた。酔って熱くなった体がシャツ越しに触れる。思わず背筋が伸びた俺の口元に、ぬらぬらと輝く物体が押し付けられた。
「ちょ、ぐ、ごぉっ」
「お前は、お前わぁ」
押されて倒れた俺の口に、大皿の手羽先が次々と突っ込まれてくる。喉の奥まで押し込まれ咽せる俺に構わず、先輩は鷲掴みにした手羽先をグイグイ押し付けてきた。ちょ、死ぬ……。
「ごわぁ!?」
「きゃ」
体を突き飛ばすと、高梨先輩はかわいらしい声を挙げてころんと離れた。ぽかんとした顔で片手に手羽先を持ち、のろのろハイボールのジョッキに手を伸ばす。俺はといえば、飛び散った手羽先のせいで全身脂と塩粒まみれだ。シャツの染み、普通に洗ったくらいじゃ落ちないだろうな……。タレよりはマシか。……マシか?息を整え、先輩を睨みつける。
「何してんすか!?殺す気すか!?手羽先殺人事件すか!?」
「手羽先、殺人事件……」
すうっと静かになった高梨先輩は、スマホを取り出すと何か打ち込みだした。ちらっと見えた画面には『手羽先殺人事件』という文字が見える。何やってんだこの人。
その時、ふっと思い出した。あの日、資料をホチキス止めしながら聞いた話。
『私ね、小説家になりたいんだ』
『小説すか』
『そう。まあ、書いてみてるけど全然読んでもらえないんだけどね』
『へー、どんなの書いてるんすか?見せてくださいよ』
『いやー、知り合いに見せられるような出来じゃないから』
そう言って笑う先輩がまたかわいくて、それで……話の内容をすっかり忘れていた。
高梨先輩は真剣な顔でスマホの画面を見つめている。手羽先は相変わらず握りっぱなしだけど。なんだか、俺も冷静になってきた。
俺も、先輩の話を聞き流して真剣には受け取ってなかったんだな。こんなワケ分かんないくらいに酔っ払っても、拾ったネタを書き留めずにはいられないくらいには、先輩は本気だったんだ。
「あの、先輩」
高梨先輩がゆっくり顔を上げる。髪が乱れて顔に脂と塩が付いてるけど、薄暗い居酒屋の中ではそれが妙に色っぽく見えた。
「小説、読ませてください。先輩が書いたやつ」
「ぇぇぇぇ……」
ものすごーく嫌そうに顔を顰める先輩に、ぐっと詰め寄り続ける。
「読ませてください。読んでみたいんです」
「んぅぅー、んー……。じゃあ、書いて。レビュー」
「レビュー?」
「そう。読んだら、書いて。感想」
「いいすよ。どうやるんすか」
「んー、と。これ。ここ」
高梨先輩が差し出してきたスマホには、小説投稿サイトが表示されていた。作者:心根ここ子。これがペンネーム?一瞬「微妙そう」と思ってしまったのを頭を振って捨てて、スクロールしていく画面に目を戻す。小説の本文が終わった後に、ハートマークと感想を書くみたいなボタンが並んでいる。
「ここから、書いて。レビュー」
「いいすよ。絶対書きます」
「じゃあ、証拠にぃ、書き出しは『私はあの時助けてもらった鶴です』にすること」
「鶴……なんで鶴?」
「ぃいからぁ、書く!これはぁ、命令でぇすぅ」
「アッハイ」
なんかよく分からんけど、それで先輩が満足するならいいか。魔法使いの杖よろしく手羽先を突き付けてくる高梨先輩は、今日一でかわいく見えた。
フラッフラで駅近のレディースカプセルホテルに消えていった高梨先輩と別れ、電車に乗り込む。座れたのでスマホでさっき教えてもらった先輩の小説を読んでみた。ジャンルとしてはミステリー?ちょっと恋愛要素が絡む感じの謎解きだ。わりと読みやすくて、家に着くまでには読み切ってしまった。ベタベタのシャツを脱ぎ、シャワーを浴びて部屋着に着替えてからレビューに取りかかる。いざ書こうとすると何を書いたもんか分からなかったが、『私はあの時助けてもらった鶴です』から書き始めると意外と書けた。自分の感想ではなく『助けてもらった鶴』の立場からの創作みたいな感じになるので、ノリで書けるというか。先輩、もしかしてこういう効果を狙ってた?それはないか。
翌日。どんなもんかと思って昨日のレビューを確認したらブロックされていた。なんでだよ。
手羽先殺人(未遂)事件 田中鈴木 @tanaka_suzuki
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