人生すごろく

芹沢紅葉

第1話

 じいちゃんが死んだ。葬式では泣かなかった。

 じいちゃんは無口でお堅い人間だったけど、とても優しい人だったんだよ、とばあちゃんが涙ぐみながら俺に語ってくれた。葬式の最中、何度繰り返されたかは分からない。だが、俺は頷くだけだった。

 葬式が終わって、ばあちゃんちに泊まることになった。遺品の片付けがあるから、と急がしそうに動き回る母さんに、「アンタは荒らすから出ていけ」と言われた俺は暇を持て余して縁側に腰掛けていた。目の前には畑が広がっている。そう言えばじいちゃんがよく手入れをしていたっけ。今は土だけが広がっているが、昔は色んなものが育っていて緑が生い茂っていたのを思い出す。俺の好きだった胡瓜きゅうりももう数年前から無くなっていたらしい。

 小さい頃は、母さんも父さんも家にいないことが多かったから、よくこの家に預けられていた。ばあちゃんは甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれたけど、じいちゃんはそ知らぬ顔といった様子だった。俺は無口なじいちゃんに話しかけることが怖かった。だから、ばあちゃんがいない時はいつも一人でノートに落書きをして、暇を潰すのがお決まり。

 その時、俺の周りで流行っていたのが人生ゲームだった。俺はそれを真似て、ノートを埋め尽くしたことがある。ただ、そのノートはどのマスにも嫌なことはない、俺の理想的な幸せが詰まった人生ゲームだったと言えるだろう。たまに、訳の分からない宇宙人やらも出てきたのは子供だったからとしか言いようがない。ばあちゃんに見せたら「楽しそうなすごろくやねぇ」と言われた。嬉しくて、それからずっと色んな人生ゲームを書いたことがある。

 俺の人生はそうありたかったんだ。成績が一番良かったり、宝くじが当たったり、結婚したり、嫌なマスなんて知らないまま生きていきたかった。就職に失敗してフリーターになるより、プロのスポーツ選手や芸能人みたいになって成功したかった。

 そういえば、じいちゃんに「勉強しとっとか」と言われて一度だけそのノートを見られたことがある。遊んでいるのが怒られるんじゃないかと思ったが、じいちゃんはそのノートを見て、何も言わずに畑仕事に戻った。あれはなんだったんだろう。俺とじいちゃんの思い出といえば、一緒に食卓を囲んだことを除けば唯一それだけ。

 俺にとってじいちゃんとは、訳の分からない人でしかなかった。じいちゃんというより、見知ったお年寄り。だからじいちゃんが死んでも他人事のようにしか感じられなかった。

「けいちゃん、暑くなかね」

 物思いにふけっていると、ばあちゃんがやってきた。目元が赤くなっている。ばあちゃんはまだ新しいように思われる大学ノートを俺に差し出してきた。

「あんね、けいちゃん。これじいちゃんから。けいちゃんにやるって」

「じいちゃんから?」

 ばあちゃんは「渡せば分かるって」と皺くちゃな笑みを浮かべながら言い、また片付けに戻って行った。ばあちゃんは、じいちゃんの何がよかったんだろう。俺には無口なじいちゃんというイメージしかないが、ばあちゃんにとってじいちゃんはやっぱり優しい人だったのだろうか。

 手渡されたノートをめくる。じいちゃんの字ででっかく「ふりだし」と書いてあった。俺は驚いて次のページを捲る。「一九三八年八月九日 生誕」次、「幼稚園へ通い始める」次は。どんどん頁を捲る。手が止まらなかった。書かれているのは、平凡だけど楽しいことや嫌なことが沢山書いてあった。捲っていく。じいちゃんの字を見ていると、不思議とその言葉が心に焼き付いていく感じがした。

 人生ゲーム、というよりはすごろくかもしれない。じいちゃんの字は達筆たっぴつで、ルーレットよりさいころが似合う。それに、宇宙人なんて出ないし、現実味がありすぎる。いいこともあれば、悪いこともあって、一言だけの日記みたいなものだったが、まるでじいちゃんの人生を追っている気分だった。

「弟と喧嘩する」「海に行く」「飼い猫の寿命」「自転車を買う」「失恋」「新しい出会い」「子供が生まれる」「母が死ぬ」「家族の墓参り」「孫が出来る」「定年退職」「孫と暮らす」……。

 気がつけばノートも後一ページ。恐る恐る最後をめくると、ふりだしと同じようにでかでかと、「あがり」の字。その下に、「けい、頑張れ」と書いてあった。

 俺は、じいちゃんが死んで、初めて泣いた。


(END)

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