波打ち際
珠洲泉帆
波打ち際
冬の海は静かだ。海水浴でにぎわう夏の海よりも、その本来の姿を見せてくれている。
こんなふうに思うのは、あのときも同じだった。あのときはまだ十代だったからものの感じ方が今より幼いはずなのに、今も同じことを考えている。それは自分がたいして変わっていない証拠に思えた。
ただひとつ、あのときと違うのは、自分の口から煙草の煙が吐き出されていることだ。それ以外は、あまり変わらない――一緒に来た相手は、確かに違うが。
Rは砂の上を漂う煙を目で追いかけ、それから少し離れたところに立つ後ろ姿を見つめた。
「どう? お望みの冬の海は」
こちらに背を向け、海に向かって立つ背中に声をかける。波の音に負けないように少し声を張り上げて。Yはジーンズのポケットに両手をつっこみ、押し黙って海を見ていた。
「悪くないね」
Yは波打ち際に沿って歩き始めたが、Rはその場に留まって紫煙をくゆらせた。あのとき、まだ自分のことも相手のことも理解する力に欠けていたころ、初めてここに来た。とりあえずそれらしいシチュエーションをこなせば恋人らしくいられると思い、その一環として来たのだった。提案したのはRだった。人のいない、冬の海を見てみたい。恋人である人物とそんなことをするのがロマンチックに思え、実行すればきっといい経験になると信じていた。
Rは携帯灰皿に煙草の先を押しつけた。今回、Yがあのときと同じ海に、同じ季節に行きたいと言い出したのは、運命のいたずらなのだろうか。あるいは、神様が願いを叶えてくれたのかもしれない。苦い思い出を上書きしたいというささやかな願いを。
本当は、海じゃなくてもよかったのだ。何か詩的で、映画の印象的なワンシーンの背景にでもなりそうな場所なら、どこでもよかった。そういうところに行くのが恋人と付き合うということだと信じ込んでいた。そしてそういうところに恋人と一緒に行けば、少しでも普通に近づけるとも信じていた。まるで課せられたノルマをこなすみたいだったな、とRは思う。あのことは焦っていた。自分だけがノルマを達成できないようでいて、どうしようかと悩んでいた。そこに都合よく、同じくノルマに焦る人が現れたから、一緒にこなしただけだった。
「この辺は波が穏やかだけど、なんか、冬の海って冷たい感じがする」
風にのってYの声が届いた。空はくもり始め、ひやりとした風が吹いてきた。
マフラーを巻き直し、RはゆっくりYのもとへ歩き出す。
作業みたいな恋愛だった、と思った。贈り物をする、甘い言葉を交わす、体を重ねる。そうすべきと定められているから、そうしている。そこに自分の望みはなかった。だってその人と本当はどうしたいか、どうなりたいかなんて考えていなかったのだ。
Yの隣に立ったとき、Rは彼女の腕に自分の腕を絡めた。
「風が冷たいから?」
「そうじゃなくて、なんとなく」
Yは、義務でなく、作業でなく、ここにいる。見たがっていた冬の海をちゃんと見ている。いる。今のRと同じく、自分の望みを分かっている。
そんな相手と一緒にいられてよかったと、心から思う。
「荒涼とした、っていうのかな。それじゃ言い過ぎか。晴れててもきりっとしてて、くもったら重々しくなって……夏よりどっしりしてる気がする」
独り言のようなYの言葉は、この海をきちんと味わっている証だ。
「夏は夏で、また来ようか」
これは本当の望み。
「うん。海で遊んだことってあんまりないんだ」
またここに来よう。上書きするためでもない、まっさらな思い出を作るために。
波打ち際 珠洲泉帆 @suzumizuho
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