無能と蔑まれた七男、前世最強の魔法で無双する

青空一夏

第1話 魔法が使えない七男カイル

 ケアニー辺境伯爵領では日照りが続き、雲ひとつない青空が広がり、一滴の雨すら降らない。作物は次々と枯れ果て、大地はひび割れ、絶望的な景色をさらしていた。


 ケアニー辺境伯爵家には七人の息子がいるが、その中で唯一、末っ子のカイルだけが魔法の才に恵まれなかった。それ以外の兄たちは水魔法や風魔法を駆使し、この危機に立ち向かっていた。


 水魔法を得意とする長男パット、次男ウエス、三男ダリンが並び立ち、呪文を詠唱する。まず、パットが詠唱を終えると同時に、巨大な水の球体が空中に現れた。その球体は見る者を圧倒するほどの量の水を蓄えており、農地に向かってゆっくりと降り注いでいく。乾ききった大地が瞬く間に潤い、周囲にいた農民たちからは歓声が上がった。


 続いてウエスが呪文を唱えるが、彼の水の球体は長男ほどの規模はない。それでも、周囲の農民たちはその安定した制御力に感嘆の声を漏らしていた。次男の魔力は長男には及ばないものの、マクニール王国の平均を上回っていることは間違いない。


 最後にダリンが詠唱を始めたが、彼の水の球体はさらに小さく、農地に降り注ぐ水の量も控えめだった。それでも、三男の努力は周囲に伝わり、見ていた人々の中には拍手を送る者もいた。三男の魔力はいたって平凡と言えるが、それでも兄たちの存在に刺激され、精一杯の力を出していた。


 風魔法を駆使する四男キム、五男デバン、六男レニーは、川の水面を撫でるように風を送り、しぶきを舞い上げて農地へと運ぶ。弧を描きながら飛来するその水は、乾ききった大地に次々と染み込んでいく。しぶきが届く範囲は決して狭くはないが、それでも広大な農地全体を覆うには力不足だった。


 かつて、ケアニー辺境伯爵家において、魔力とは血脈の証であり、その強さこそが家格を示す要であった。しかし、その強さは代が変わるたびに損なわれていくようだった。なぜなら七兄弟の中でも、パットの魔力量は群を抜いていたが、貴族全体の基準では凡庸な領域を出ない。さらに、兄弟の序列が下るにつれ、受け継がれる魔力の奔流は漸次に細り、次第にその力は影を潜めていったからだ。そして末弟たる七男カイルに至っては、魔力の片鱗すら宿らず、まるで無力の存在と評されるに等しかったのである。


 ゆえに末弟が持たざる者として生を受けたことは、ケアニー辺境伯爵家において看過かんかできぬ瑕疵かしと見なされ、彼の存在は周囲から疎まれる運命を背負わされたのだった。



 そのようなわけで今日も例外なく、カイルは罵倒の矢面に立たされている。

「カイル! 貴様のような、魔法の片鱗すら持たぬ無能がここに居座るなど、何の益にもならん! 邪魔をするくらいならば、せめて下働きでもして食事の支度に回れ!」

 パットの怒声が冷厳な刃となって耳朶じだえぐった。だが、厨房には既に料理長やキッチンメイドたちが腕を振るっている。カイルがその中にまぎれ込んだところで、ただの厄介者として追い返されるのが関の山だ。


「本当にそうだな。こんなのが弟だなんて、不運極まりない。母上も次こそは娘をと渇望していたと聞く。魔力を持たぬ息子など、下僕にも劣る存在だ」

 ウエスの嘲笑は鋭利な毒針のように、カイルの胸中を深々と貫いた。ケアニー辺境伯爵夫人が娘を切望していた事実は、カイル自身も知っている。彼が産声を上げたその時、性別が「男」と告げられた刹那せつな、夫人は失望のあまり体調を崩しせってしまったという経緯は、家中の誰もが知るところであった。


「カイルのような奴は女に生まれていれば、まだ幸せだったんじゃないのか? 無能でも愛らしい顔をしていれば、どこぞの男が守ってくれるだろうよ! 男のくせにその顔だけは女みたいに綺麗だもんなぁ」

 ダリンが歪んだ笑みを浮かべながら吐き捨てたその言葉もまた、冷たいくさびとなってカイルの心を砕いた。


 ――俺は無力で、無価値で、女として生まれていればまだ救いがあったとまで思われる存在なのか。


 カイルは己の卑小さを改めて痛感し、視界を覆う陰影に沈み込んだ。こんな世界からいっそ消え去ってしまいたい――そんな思いが胸の奥底からこみ上げてくる。だが、それでもカイルは沈黙を守り続けた。何を言われようとも、魔法という力を持たぬカイルには、反論するすべは何一つとして存在しなかったのだ。




 ケアニー辺境伯爵領は、その一角が悪名高き魔の森に隣接しており、そこから這い出でる魔獣どもが頻繁に領内へと侵入してきていた。この脅威は人間の生命を脅かすだけでなく、畜農民たちが育て上げた家畜や作物に甚大な被害をもたらすものであった。


 さらに近頃では、人間の手による料理の味を覚えた魔獣どもが商店街へ足繁く姿を現し、甘露のごとき蜜パンや、濃厚な香辛料を効かせた焼きミートパイ、魚屋に並ぶ焼き魚、肉屋に陳列されたハムやソーセージに舌鼓を打つという、前代未聞の事態が発生していた。さらには、それを防ごうと応戦する商店街の人々を襲うという被害も多発する困った事態となっている。この惨状に対し、ケアニー辺境伯爵は己が抱える騎士たちを商店街に常駐させてはいたものの、その防衛はたいした成果をあげていないのが現状であった。




◆◇◆




――昼食の時間――


 下男たちが屋敷から運んできた昼餉ひるげは、ぴったり数が合っていた。いや、正確には「カイルを抜いた人数分」なのだが。


 カイルは黙々と道端に生える雑草を手折り、口に運ぶことで空腹をしのぐ。下男が意図的に彼の食事を準備しないことは日常茶飯事である。長男パットを筆頭に次男ウエス、三男ダリンといった兄たちの機嫌を取るため、下男どもが率先して行う追従の行動だった。


 とりわけ、長男パットは魔力を持たないカイルを心底見下しており、次兄ウエスや三男ダリンもまた同様である。下男がカイルに冷遇を働けば、それだけパットたちからの評価が高まり、時には褒美すら授けられる始末だった。


「旦那様。カイル様の昼食をうっかり忘れてしまいました。申し訳ありません」


「おぉ、気にするな。穀潰しに食わせる飯が勿体ないというものだ」

 ケアニー辺境伯爵でさえ、こともなげに下男の言葉にこのように応じた。パットは父の言葉を聞きながら唇を歪め、下男へと愉悦ゆえつを含んだ声をかけた。


「はっはっは! 父上のおっしゃるとおりだ。お前に非は全くないぞ。忘れられるほど影が薄いカイルの自己責任だ。むしろ、無能のカイルが食うより、お前が食ったほうが食べ物も喜ぶというものだ」



 その言葉に、周囲にいた他の下男たちが声を上げて笑い始めた。カイルは地面に視線を落としたまま雑草を噛み締めていたが、その瞳には惨めさと悔しさが宿っていた。


 レニーは無言のまま、ケアニー辺境伯爵や兄たちの目を盗み、己が口に運ぼうとしていたサンドイッチを、そっとカイルへ分け与えようとする。しかし、その行動は、パットの怒声によって無慈悲に遮られた。


「レニー! それはお前自身のかてだ! ひとかけらたりともカイルなんぞに与えるんじゃねえ! 貴重な食糧を無駄にする気か!」


 叱責の矢を浴びたレニーは、カイルに差し出しかけたサンドイッチを、慌てて手元へ引っ込めるほかなかった。

 パットはケアニー辺境伯爵家の嫡男として大きな発言権を有し、六男であるレニーには、それに逆らうという選択肢すら許されない。


「……ごめんな、カイル」


 レニーは、心の底から申し訳なさそうな声で謝罪を漏らした。カイルは、ただ無言のまま首を振り、力なき微笑を浮かべるしかなかった。


 その刹那せつな、ケアニー辺境伯爵が、その場を凍りつかせる無謀な命を発した。


「カイルよ、せめて商店街に接近する魔獣の一匹でも追い払ってこい! 我がケアニー辺境伯爵家の血筋を継ぐ者なら、その程度のことは成し遂げてみせよ!」


 冷徹な声が、農地の空気を切り裂くように響き渡ったのだった。

 



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