エピローグ

第50話 ソシテフタリハ

 そうしてお姫様と宰相の君は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

 ――なんて展開になってしまえば、そのまんま絵本の中のおとぎ話である。

 現実としては、どんなものだろう。


「ほらほら見て、ネコル君。オオカナブン!」

「小学生すか先輩」


『虫めづる姫』こと久遠霧香が、得意げに新しい虫かごのお友達を披露するので、猫崎ユヅル・愛称ネコルはいつものように尋ね返すしかない。

 七月。風涼高校、放課後の生物準備室。外気温は三十度を超えたが、この部屋にクーラーはなし。がっちりふられたはずの先輩とも、普通に部活動をするのだから世知辛い。


「なんか残念よね。鉢かづきちゃん、まだ登校できないんでしょう」

「だからそういうちゃかし方もやめてくださいって」


 第一、まだ何もはじまってやしないのである。

 ――あれから度会ヒカリとは、一度として会えないというか、学校にすら顔を出してこないのだ。

 ネコルによってヘッドギアを引っこ抜かれたヒカリは、ショックのせいか水攻めのせいかいきなり昏倒し、後からやって来た宇野や久麗たちサポートスタッフが、丁重に取り囲んで運び出していった。

 普通ならありえない身体機能を、無理矢理底上げして維持しているのだから、負担は大きいと宇野は言っていた。安定したら連絡するという宇野の言葉を信じて、お山の研究所を後にはしたが、続報らしい続報はなし。垣ノ立ドリームタウンのマンションにも行ってはみたが、きれいさっぱり引き払われていた。

 まったく大人の言うことなんて信用するもんじゃないぞと深く思う。


「大丈夫よ。心配しないでネコル君」


 霧香は、飼育ケースと一緒ににこにこしている。

 ──そういえばこの街は、蠣館の一族によってなりたっているのだという。S県垣ノ立市に生まれた人間なら、小学生でも知っていますよという基本事項。

 物心つく前から住んでいる土地の不可思議な部分を、あらためて知ることになった自分は、これから何か変わるのだろうか。変わらないのだろうか。

 ひょっとしたらこの人も蠣館の影響を受けているんじゃなかろうかと、すれ違う『変な人』を見る目も変わってしまいそうだ。


「……先輩ってもしかして……」

「ん? なあに?」


 変人な天才が大好きな蠣館家。いつもニコニコ虫めづる彼女は、あの家のお眼鏡にかなっていたりするのだろうか。


「――いや、なんでもないです。俺、そろそろ帰ります」

「早いのね」

「打ち上げがあるんすよ。水泳大会の。県道の『ひめまつ』で」


 ルーシーからの『さっさと来い』コールが大量に届き続けるスマホを見せると、彼女は優しく笑って「楽しんできてね」と言った。

 ええ分かっていますよ。

 ふられたってどうしたって、日常は続く。


  ***


 校庭の自転車置き場に向かえば、やっと新調できた自転車が、ネコルの使用を待っている。

 ロードバイクが欲しかったが、けっきょくまた同じ型で落ち着いてしまった、安いママチャリだ。

 サドルにまたがり、校門を目指した。

 時間は夕方だが、日差しはまだまだ高い。あと三日で夏期休暇がやってくるから、みな浮き足立ちつつも慎重に日々を過ごしている。

(?)

 なぜかこの時間帯になって、わざわざ校内に足を踏み込もうとする、より空気の読めない人影があった。

 ゆるく結んだ制服のリボンが風に揺れ、真新しい鞄とローファーが、夏の日差しに映えている。黒髪は少しだけ短くなり、二本のツノとバイザーのかわりに、大振りの黒いゴーグルをかけていた。ひどく小柄なその体躯。

 ネコルは、思わず両足を地面についた。

 向こうが、逆光の下で口を開いた。


「――みんな、もう帰るのですか?」

「当たり前だろ。今何時だと思ってるんだよ」

「空港から直接きたのです」


 それはまた。ずいぶんと遠出してきたんだな。


「これから打ち上げだぞ。『ひめまつ』で」

「そうですか。それは大変です」

「乗ってくか?」


 度会ヒカリは、自然にうなずいていた。

 後ろの荷台にスカートの腰を下ろし、ネコルの背中のシャツを握って、体を支えるのがわかる。ネコルは、あらためて表へ走りだした。


「……つか、その変なゴーグルなんなんだよ」

「視界に人工物がないと落ち着かないのです。目がちかちかするので」

「なんだそりゃ」

「ちなみに、二時間が限度です」


 わかるようなわからないようなことを真剣に言う。


「これぐらいは許可してください。急に全部は無理です」

「おう。問題ねーよ。『ひめまつ』も二時間制だ」


 こっちも支離滅裂に返してやる。

 こうして離れていた間、言いたいことや聞きたいことも山ほど考えていたつもりなのだが、こうなるとうまい言葉が出てこない。

 背中にヒカリの気配がある。やわらかくてあたたかい人間のそれ。二本の手も。それがあるなら全てのような気もするのだ。


「打ち上げな、小日向や半田もちゃんといるぞ」

「わかってます」

「今度こそちゃんと謝れよ」

「わかってます」


 わかってます。わかってます。本当だろうか。

 きっとお互いに謝って喜んで泣いて泣いて、店中でしち面倒くさいことになるに決まっているのだ。

 それをずっと待っていたような気がするのだ。


「……パパは、ヒカリのために、この体を作り直してくれたのね」

「ああ」

「一生懸命、作ってくれたのね」

「ああ」

「だからヒカリは、今の体が好き。ツヅリもクレイも、ヒカリを人間に戻そうとするけど、この気持ちを変えたくはないの。パパが作った一番のロボットでいたいの。でもね」


 彼女はそこで、小さく言葉を句切った。


「それだけでいられないのも、なんとなくわかるの。この学校にいて、祐子やみちるやルーシーたちと一緒にいて、みんなが笑ってたりするのを見てるとね、どきどきするの。止まらないから、ココロが。ネコルくん」


 ああ――。

 走りながら、じわりと、自分の胸も熱くなった。

 ヒカリは、ネコルの背中に置いていた両手を、するりと胸元へすべらせてくる。頭をこちらにもたれかけさせたまま、囁いた。


「まずは人間のふりからはじめてみようと思います。ばればれなんでしょう? MY tresureワタシのタカラモノ――」


 ネコルは悲鳴をあげてバランスを崩し、二人そろって盛大にすっころんだ。

 真夏はすぐそこにまで来ていた。

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鉢かぶっちゃった姫~転校してきた自称ロボ子に俺だけなつかれるの図~ 竹岡葉月 @tapiokaazuki

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