第49話 ハチカブッチャッタヒメ(8)

「あは。あははは。やっちゃったーやっちゃったー」

「笑ってる場合かよっ」

「もう笑うしかないよー」


 休憩所の自動販売機を背にして、宇野はネコルたちにたずねた。キーワードなど口から出任せだったので、答えは拳で語ることになってしまった。

 よってたかって殴ったあげく、頭にゴミ箱までかぶせてきてしまったのだ。せめてヒカリを見つけないと、笑うに笑えない。

 そうしてネコルたちが見つけた度会ヒカリは、聞いていた以上にしょうもない格好をしていた。

 なにせ見つけた場所は防火シャッターの袋小路で、重火器をむき出しにしたまま、全身ずぶ濡れだったのだ。

 女子に人気なシャレオツな制服に、無骨なヘッドギアもそのままかぶってへたり込んでいるので、痛々しいを通り越してシュールですらある。


「……とにかく凪、こんなとこ早く出るぞ。やることやっちまったし」

「ヒカリちゃん連れてね」

「わかってるって。ほら、起きれるか度会」


 ネコルは、床の上のヒカリに向かって呼びかける。

 だが、彼女は動かなかった。


「──おい度会」

『PASSCOAD PLEASE』

「んなもん知らんわ。ふざけんな度会」

『PASSCOAD PLEASE』

「度会」


 これ以上ボケをかますと、本気で許さないぞという気持ちをこめて告げると、へたりこむヒカリが、かすかに身じろぎした。


『警戒レベル6。対象――破壊』

「ネコル!」


 凪の絶叫に、銃の発砲が重なった。目を閉じた後に走ったのは、熱いほどの痛み。右の頬。

 ヒカリが撃ったのだと遅れて分かった。

 水に濡れながら、膝を床につきながら、それでも『敵』を、ネコルを本気で排除しようとしたのだ。


『――STOP、逃げろ猫崎君! そこから出るんだ!』


 天井から宇野の警告が聞こえた。だが、ネコルは聞く気になれなかった。


「だ、だいじょーぶ? ネコル」

「いってえ……」

「ヒカリちゃんヒカリちゃん。ええとぴーちゃんでもいいから。落ち着いて。僕らのこと、わかる?」

『いいから逃げなさい! 私が悪かった』


 痛いじゃないか。痛いじゃないか。ものごっつう痛いじゃないかこんちくしょう。

 これが宇野のおっさんや、化粧の濃い久麗要(年齢不明)の感じた無力感という奴なのだろうか。

 こちらの声が届かない『絶望』だろうか。

 だがこちらは、それしきのこと、惑わされたりなどしないのだ。


『PASSCOAD PLEASE』

「よりにもよって俺に向かって撃つか、このアホオオオオオオ!」


 ネコルは叫んだ。叫びながら駆けだした。ここから逃げるためではない。そうそんなことではこの怒りはおさまらない。

 行き先はまっすぐ、濡れ鼠のポンコツロボだ!


「こんにゃろおおおおおおおお!」


 向こうが銃口を向けようが構わない。そのまま彼女に向かって体当たりの勢いでぶつかって、壁際に押しつけると同時に向こうのヘッドギアのツノを握りしめた。


「ネコル!」

「こんにゃろ、こんにゃろ、このこのポンコツが!」


 そのまま身長差にまかせて引き上げると、少しずつ向こうの抵抗がなくなっていく。


『――いいわ、猫崎君! その調子で抑えてて!』

「あんたらも少し黙ってろ!」


 スピーカーの向こうで、息を呑む気配。


「どうだ度会、動けねーか?」

「…………無理、です。これでは、動けナイ……」


 真剣に信じている口調に、ネコルはほっとするような悲しいような、ひどく微妙な気分になるのだ。

 つかんでいるのは、おそらく強化プラスチック製のツノ二本。神経もケーブルもつながっていない。動こうと思えば動けるはずなのだ。

 けっきょくのところ、彼女はどこまでわかってやっているのだろう。生身の体で機械を演じて。突き詰めれば矛盾だらけの現実に、どうやって折り合いをつけているのだろう。

 頭にかぶせた鉢の内側を、本当の意味でのぞきこめた人間は誰もいないのかもしれない。

 でも、だけど――。


「そうだろ。お前は絶対、俺にはかなわないんだ」


 理由は簡単。


「缶ペン」

「!」

「フタの裏」

「!」

「コルクボード」


 そのままネコルは、一思いにヘッドギアを引き抜いた。長い黒髪が中空へ散り、大きな蕪を引き抜いたように、白いヘッドギアが宙を舞う。しゃがみこもうとする彼女の体を、ネコルはぎりぎりでつかんで引き寄せた。腕の中に彼女の体。乱暴に濡れた前髪をかき上げる。

 黒目がちな大きな瞳。

 今だけは閉じていてもらいたい。

 ネコルはそのまま、彼女の唇に自分の唇を重ねた。


「お前、俺のこと好きだろ」


 離してから、至近距離でそれだけ言ってやった。

 それだけが言ってやりたかったとも言う。

 なぜならネコルは知っているのだ。缶ペンケースの裏に、セロテープで貼ってあったものを。押し入れの中にテストの赤点を隠すように、ベニヤの残骸をリビングルームに詰め込んでいたことも。隠し撮りのポラロイドも。みんなだ。


「……ヒカリ、は!」


 ヒカリが、喉をつまらせて叫んだ。子供のように。濡れた体を持ち上げて、ネコルの胸に飛び込み抱きつき返した。きつく強く。


「それじゃ困るの。すごい困る。パパとの約束があるのに。どうすればいいの」


 こちらの心をさんざん振り回してきた『ポンコツ女』に、ようやっと一太刀浴びせられた瞬間だった。

 愉快痛快、おまけになんだか幸せな気分だ。ふわふわするぐらいに嬉しいのだ。

 頬を流れ落ちていく血の熱さも気にならない。ネコルは口に出していた。


「ばればれなんだよ。わかんないとでも思ってたのか?」

「ネコルくん――ずるいよ――」

「ナギもルーシーも。小日向も半田もみんな好きなんだよな」


 通路の端に、取れたヘッドギアが落ちて転がっている。裏側のクッション部分に、小さくマジックで文字が書いてあった。


 ――be happy.

 

 そうたぶん。

 絵巻物の時代から、今も昔も。

 鉢かぶっちゃった姫に託す願いは、『幸せに生きてくれ』なんだろう。それがどれだけはた迷惑な呪いになってしまっていても、後に残るのはまっさらな体。まっさらな仲間。値は千金。文句はあるかだ。

 おどろく宇野や久麗の声も、今はまだ届かない。

 視界の端で、凪が踊っている。天井の監視カメラからこちらを隠そうとして、変な踊りになっているらしい。おかしくて笑った。

 大笑いしてその場をごまかした。

 濡れた彼女を、幸せな自分の腕に抱きながら。ずっと。

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