『指輪』と熱のない感情
醍醐兎乙
『指輪』と熱のない感情
冬の日暮れ。
男は妻へのプレゼントを持って家路を急いでいた。
運動不足な体にムチを打ち、乱れる呼吸に苦しみながらも男の歩みは止まらない。
(こんな日ぐらい定時で帰らないと、彼女に愛想をつかれてしまう)
この日は男が愛する妻との3度目の結婚記念日。
左手薬指で鈍く光る結婚指輪が男の目に入る。
(こんな偽物じゃなく。ようやく本物の指輪を彼女に渡せる)
熱を感じない指輪を意識から追い出す。
そして、カバンに入っている特別な指輪、男が待ち望んだ本物の指輪に思いを巡らせた。
それは1対の指輪。
対の指輪を着けた相手から、自分に向けられている感情が熱で伝わる特殊な指輪。
相手が自分に好意を持っていれば指輪は暖かくなり、反対に悪意を持っていれば指輪は冷たくなる。
男は仕事の伝手で、なんとかこの希少な指輪を手に入れることができた。
(本当なら結婚指輪として、この指輪を彼女に贈りたかった)
母さんが偽物を用意したせいで、と実母に対する不満を思い出し、男の心に苛立ちが滲み出す。
過去の感情が呼び起こされ、男の心身は熱くなり、肩が上下に揺れ始める。
暴走する鼓動に体が耐えきれず、男は一旦足を止めた。
(……落ち着け、落ち着け。本物はあるんだ。自分で体験して確認もしただろ。大丈夫だ、大丈夫だ)
完全に日が落ち、星がきらめき始めた夜空を見上げる。
男はゆっくりと冬の静けさを肺いっぱいに取り込み、感情を込めた熱気を吐き出した。
その醜い吐息は白く染まり、冬の暗闇と溶けるように混じり合う。
自分の感情が完全に闇に消え去るのを見届けた。
(今日から変わるんだ……いや違う。僕と彼女との関係は、今日から始まるんだ)
男は新たな決意を胸に秘め、再び歩き始めた。
男と彼女は幼い頃からの許嫁。
家の利益のため、お互いの両親が決めた、本人たちの意志を無視した関係だった。
子供の頃この関係に不満のあった男は、彼女と顔を合わせるたびに暴言をぶつけていた。
「なんで僕がこんなブサイクと結婚しなきゃいけないんだ!」
「お前のせいで僕の人生はめちゃくちゃだ!」
「消えてくれ! そして僕を自由にしろ!」
自身の両親にものが言えない男は、言い返してこない幼い彼女を一方的に罵倒し続けた。
彼女も同じ理不尽な大人の被害者であると、未熟な男は気づかない。
そのような扱いを受けても、家同士の繋がりのため、彼女がこの関係に不満を漏らしたことはなかった。
男の意識が変わったのは、高校生の頃。
彼女が車に跳ねられ、入院したのがきっかけだった。
清潔な病室の中で、何日も意識の戻らない彼女。
いつも隣りにいて男が何を言っても否定せず、受け止めてくれた彼女が居なくなるかもしれない。
それは男にとって、半身を失うような痛みだった。
そしてこの時に初めて、男は彼女を失う恐怖を知った。
その後、彼女は無事に意識を取り戻した。
しかし事故の後遺症なのか、時折何かを諦めた表情を浮かべるようになった。
そんな彼女に対し、男は心を入れ替え、これまでの理不尽な振る舞いを謝罪した。
「本当にこれまですまなかった!」
「……いえ、お気になさらず」
「すぐに僕のことを信用できないと思うし、それで構わない」
「…………そうですか」
「これからは君を絶対に傷つけないし、必ず守るから!」
「………………」
それからの男は宣言した通り、彼女を大切に扱った。
だが男の急変した態度に、彼女が心を開くことはなかった。
(仕方ない、今までが酷すぎたんだ)
2人とも成人し、結婚が現実味を帯び始めた頃。
男は彼女にどうすればこの気持ちを信じてもらえるか、頭を悩ませていた。
そしてひとりではどうしようもなくなり、恥を忍んで両親に相談することにした。
その時に母親から教えてもらったのが、感情を伝える指輪について。
「母さん、その指輪手に入らないかな」
「そうねぇ……難しいけれど、あなた達二人のためなら無理を通してみせるわ。任せておきなさい」
自宅に帰った男は乱れた風貌のまま、緊張した面持ちで妻と対峙していた。
男は指輪を1つもつけていない妻の前に膝をつき、カバンの中から指輪のケースを取り出す。
「僕と結婚してくれてありがとう! 改めて僕の気持ちを受け取ってほしい!」
「……指輪ですか」
「ああ! 今度は本物の指輪だよ!」
「…………本物?」
「これで僕の思いが伝わると思う!」
「………………」
すでに対の指輪を着けている男は、彼女の左手に触れ、薬指に指輪をくぐらせた。
「! この指輪は……」
「そう! これが僕の」
興奮する男の言葉を、淡々とした彼女の声が遮った。
「結婚指輪と同じですね。熱くて長い時間着けていられません」
彼女は首にかけた細いチェーンを手繰り、胸元からチェーンをくぐらせた結婚指輪を取り出した。
そして2つの指輪を見比べ、わずかに首を傾げる。
「旦那様。なぜ私に同じ指輪を2つも下さったのですか?」
汗ばんだ左手、その薬指に、熱を一切感じることができず、彼女の当然とも言える疑問に、男は答えを返せなかった。
男を見つめる彼女の目には、未だ諦めの色が多く含まれている。
「この指輪に何の意味があるのですか?」
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『指輪』と熱のない感情 醍醐兎乙 @daigo7682
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