後編 12月28日、たま未来メッセにて
大会当日、JR中央線八王子駅と京王線京王八王子駅の間にある市営イベントスペースにて、朝から設営が行われていた。
リングの組み立て、客席の設置、物販の設営、上階の会議室を借りた控え室の準備、ほぼ全てを選手やレフェリー自らの手で行う。
この会場での試合は団体としても初めてだ。借りた展示室に収まる客席数は770席ほど、先日の新宿歌舞伎町大会の約4割増しである。
年末ということもあって、席は9割方予約済みである。そのうち半分は入場無料の小中学生とその保護者だった。
これは事前の根回しとして、会場のある八王子の私立中学校と高校の、性的多様性とその家族に関する講演会に、朱雀社長自ら娘の晴嵐と共に登壇したのだ。それに参加した生徒と親御さんのいくらかがこの会場での開催が決まってすぐにチケットの予約を入れてくれた。
GaVのデビュー戦は第1試合、対戦相手は女子
GaVは新人選手らしく、朝一の現場入りから試合開始直前まで裏方作業に追われていた。
先輩選手がたが到着する前の控え室の準備、チャットアプリでの出場選手への飲食品類の聞き取りとコンビニでの買い出し、会場へ行って客席設置とリング設営……。
それが済んでようやく自分のコスチュームに着替え、化粧も髪も試合用にメイクアップした上で、スタッフティーシャツを上から重ね着し、買い出し品を控え室の各選手の席に置いて回る。自分の対戦相手の火蓮選手だけは、別の選手にお願いして渡してもらった。
よくプロレスラーは自分の入場曲が会場に流れているのに、自分は控え室でまだ準備ができていない状況という悪夢を見るという。
GaVはその悪夢を半ば現実にしたような状態で客前に登場することになってしまった。
彼女の入場曲はエリック・サティのジムノペディ1番のEDMアレンジだ。
本来なら着て入場するはずのケープを控え室まで取りに行く時間がなく、スタッフティーシャツで入場した。そしてリングサイドを練り歩きながら即興で脱ぎ捨てて見せた。
コスチュームは黒に近いダークブラウンの六分丈六分袖のフィットしたボディスーツの上に白のワイヤーなしのパニエと白のマイクロスカート、同じ白の肩吊り型のビスチェを重ね着し、足元は黒のレスリングシューズに白のレガースだ。首には喉仏隠しの黒のレースの太いチョーカー、差し色として各所に黄色が入っている。
リングに上がり、南西側ニュートラルコーナーのセカンドロープの上に立つ。そのままトップロープの辺の付け根を掴んでするりと腕を伸ばして逆立ちをした。
チュール生地の重なったスカートが広がって、白いカーネーションのようになる。
「逆境のクワイエットドール、ガーヴ―!」
リングアナウンサーにそう紹介されると同時に、腰をぐっと頭の方にそらして女子新体操っぽい腰つきをしてから、片膝を畳んで前後に脚を開いた。
いわゆる男子新体操の鹿倒立の形だ。
リングの彼女の上へと客席から大量の白と黒そしてわずかに黄色の混ざった紙テープが投じられた。
GaVは全身に紙テープを浴びたまま、腕ではずみをつけてリング内へ跳び戻った。
脚に絡まり、リング上が白と黒の蜘蛛の巣のようになった紙テープをさばきながら四方に、左足を引いて屈むカーテシー型の挨拶をした。
その間に、セコンドやレフェリーが紙テープを場外へと巻き取り、撤去する。
リングがきれいになった所に、和楽器メタルの入場曲が流れる。火蓮鈴花の入場曲だ。
GaVは南東の青コーナーに下がり、目立たないよう屈む。そして軽く柔軟をして体の具合を確かめる。
火蓮鈴花の入場は華やかだった。
赤のインナーカラーの入った金髪のハーフブレイズヘア、立ち襟で白地に大きな赤い花をあしらったガウンをさっそうと棚引かせて、迷わず北側の階段からリング中央に上がる。
「ロータス所属、紅蓮隊の
赤に数本金色の混ざった紙テープが投じられる。
火蓮がガウンを脱ぐと肩からレガースまで朱色を主に金色で飾ったコスチュームだ。
速やかに紙テープの撤去が行われ、レフェリーによるボディチェックが行われる。
これを無言で受けるGaV。
キャッチコピーのクワイエットドールというのは、リング内ではマイクパフォーマンス以外で一切声を発さないことに由来する。
厳密には出せないのだ。
今夏に入門して以来、MtF専門のボイストレーニングなどにも通ったが、本人が満足する女子プロレスラーの発声は会得できなかった。その一方で埋没した女性の声としてやや低めでハスキーで甘く鼻に抜けた声をほぼ完全に会得した。そこから逆転の発想で声を出さないことを選手のキャラクターとしての特徴とすることに決めたのだ。
両選手のボディチェックが済むと、中央で握手が指示される。
火蓮選手もGaVも目を逸らさずに互いの目を見つめ合い、しっかりと握手を交わした。
レフェリーの合図とともにゴングが鳴らされ、試合が始まる。
序盤は定石通りのロックアップ、力の押し合いになり、これはぐいぐいと火蓮選手が押し込む。
緊張感で静まった会場に「おらぁ」という火蓮選手の掛け声ばかりが響く。すぐにGaVは押し込まれ、ロープに背中をつける。レフェリーがロープブレイクを指示すると火蓮選手は速やかに離れつつ、
「声出せやこらぁ、新人だろうが!」
と煽ってくる。
これにGaVは腰につき、片手をひらりと返し『何をいっているの?』とでもいうように大げさに首をかしげてみせる。これまでのエキシビションでもGaVは一声も発さなかった。
それから唇に指を立てて見せながら、すたすたと火蓮選手の眼の前に迫り、唇に当てていた手を引き絞るように自分の反対の肩近くまで引いた。
そのまま逆水平チョップを火蓮の胸元に叩き込む。
静まり返った会場に、ぴしゃあんと平手打ちのようなチョップ音が響く。
火蓮はこれに雄叫びをあげて、自分の胸を叩いた腕を掴み、そのままリストロックの姿勢をとった。これをGaVはくるんと手を繋いだ前転のような形で抜けて、逆につながった相手の右腕を背後に固める。ハンマーロックだ。
対して火蓮は左肘を引く形で肘打ちをGaVの脇腹に見舞い、強引に解かせる。
互いに向き合って距離を取り合い、GaVが背後のロープに走る。
ロープに背を向け反動をつけて駆け込み、火蓮の肩に自分の肩をぶつける。体は火蓮のほうが厚く、踏ん張って倒れない。
逆に今度はGaVの腕をとって体を振り回すようにロープに振り、戻ってきたところをその場跳びのドロップキックを見舞う。
これをまともに胸に食らって、仰向けに倒れるGaV。
もろともにマットに落ちた火蓮は立ち上がりざまにGaVの髪を掴んで無理矢理低い姿勢で立たせ、そのまま頭を小脇に挟むようにした。
姿勢からGaVは何かを察して、火蓮のうなじに左腕をかける。
そのまま火蓮はGaVのスカートの腰を掴んで上下逆さまに担ぎ上げると、そのまま真後ろに倒れた。ブレーンバスターだ。
火蓮はすっと立ち上がり、最寄りのコーナーのセカンドロープに後ろ向きに飛び乗り、そこから空中に足を伸ばして座るような姿勢をとってGaVの上に降った。
片足の膝裏が、GaVの喉を叩く。いわゆるギロチンドロップだ。そのままGaVの上に横向きに四つん這いの姿勢をとって「フォール」と叫ぶ。
レフェリーが飛び込むように這って、マットを叩き始める、
二度叩いたところで、四つん這いになった火蓮の腹の下からするりとブリッジで抜けるような形でGaVが立ち上がる。柔軟さは元新体操選手の強みだ。
客席がおおと唸る。
GaVはすかさずにコーナーに走り、コーナーマット脇のロープをすり抜けるようにくぐり、ロープと鉄柱を繋ぐ金具を踏み台にトップコーナーに登った。
そこに立ち上がった姿勢の火蓮と相対し、彼女の胸元めがけてコーナートップから体を横に傾けて跳躍する。フライングクロスボディだ。
火蓮の胸元に交差するようにGaVは腹から体当たりをし、一塊になって押し倒す。
火蓮の体の上で起き上がって跨がり、火蓮の仰向けの両肩に両膝を当てて抑え込む。これをピンフォールと見て、レフェリーがカウントを始める。
カウント2で火蓮の下半身が跳ね上がるように高く上がった。その脹脛がGaVの首に絡み、真後ろに引き倒す。ネックシザースである。
上体を倒されたGaVは火蓮の膝の間に頭を残し、体だけで逆立ちするように縦に裏返り、這う姿勢をとる。
そして両手を火蓮の膝にかけ、頭を挟んだ脚をこじ開ける。
頭が外れた瞬間、GaVは更に真後ろに転がり、同時に火蓮はハンドスプリングで起き上がり、ほぼ同時に向き合った姿勢で相対し、静止する。
動からの一瞬の静に、客席から拍手が起こる。
この時点で火蓮は呼吸をほとんど乱していない。対してGaVの息遣いは大きい。
GaVはすっと立ち上がり、ロープに走る。
ロープワークを経て、ランニングラリアットを試みるが、火蓮はこれをスライディングのように潜り、逆にカニバサミで転ばせた。
転ばせた本人は次の瞬間には跳ね上がって立ち上がり、倒れたGaVを仰向けにひっくり返し、脚の間に右足を置く。そのまま白い
足首と膝と腰の激痛、そして息が詰まるような腹の負担にGaVは苦悶の顔をし、どうにかロープまで這おうと腕立て伏せの要領で手をつく。火蓮はすかさずその腕を足先で絡め取った。
再び顔面からマットに落ち、しばし苦しみもだえて
ゴングが鳴り、会場に火蓮の曲が流れる。
勝利した火蓮は速やかに技を解き、GaVのセコンド達がロープ下を這うように滑り込んできた。
セコンドは介抱し、火蓮はGaVの耳元に顔をよせ、何かを囁く。それをGaVは頷く。その仰ぎ見る目からは涙が溢れている。客には聞こえない選手同士だけの交流である。
火蓮はレフェリーに手を取られ、勝者である事を観客に示される。
そして火蓮は敗者であるGaVを立たせ、健闘を称えるように手首をつかんで掲げた。
それだけ済ませて勝者は颯爽とリングを降り、先に退場口を出ていった。
勝利者の退場曲が止み、残された無音の中でGaVの元にリングサイドからマイクが放り込まれる。
それを拾って立ち上がり、GaVはすすり泣きながら、まず四方に深々と頭を下げた。
そして正面である南側を向く。それから慣れない手つきでマイクのスイッチを確認した。
「ありがとうございました。くやしいです……」
そういって、言葉を区切る。
11月のマイクパフォーマンスと同じ、穏やかな枯れた声で
客席からは温かい拍手と応援の声が飛ぶ。
「対戦相手を聞いた時、正直勝てる気がしませんでした。でも……やるからには勝ちたかった」
客席は静まって次の言葉を待つ。だが待ちきれないように、子供の声で「がんばれー」という声が聞こえる。
マイクをおろしたまま、はたと声のした方に、顔をあげた。
おそらく今声を発したであろう小学生ほどの観客を見つめて、マイクを唇に当てた。
「ありがとう……私から、皆さんに言わなきゃいけないことがあります。多分気づいてる人は気づいていると思うけれど、私は……」
マイクを下ろして、涙を振り払い、少し考えるように高い天井のライトを仰ぎ見た。
それはかつて見ていた新体操の試合会場の天井に似ていた。
再びマイクに口を当て、少し長く喋った。
客席からは、押し寄せるさざなみのように最初はぱらぱらと、徐々に高鳴り大音声の拍手となった。
「がんばれよー」
「応援するぞー!」
そんな客席からの声があがる。
それをうけて、深々と頭を下げた。
「これからも、どうぞよろしくおねがいします!」
そう言って、彼女はマイクのスイッチを切ってリングに落とし、ロープをくぐって退場した。
退場口の幕をくぐったそこには、朱雀と晴嵐が待っていた。
雅鳳は二人に抱きすくめられてから、痛みに痺れる足をひきずってプレスエリアへと向かった。この後、デビュー戦後のインタビューが待っている。
大会はまだ第1試合を終えただけ、新人レスラーはここから始まるのだ。
(終)
リング、曲、ライト、紙テープ、そしてゴング。 たけすみ @takesmithkaku
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