リング、曲、ライト、紙テープ、そしてゴング。
たけすみ
前編 2024年11月某日、トー横近くのビルにて
11月のとある平日の夜6時、新宿、ヒューマックスパビリオン歌舞伎町7階。
マジヤバプロレス新宿FACE大会興行、開場と同時にリング上では既にウェルカムイベントとしてのポールダンスが始まった。
ナイトクラブのようにブラックライトとカラーシャドウのスポットライトが舞い大音量のEDMが流れている。中央のロープの外されたリングに配された設置型ダンスポールでは絡みつく白蛇のように、脇腹の露出したレオタード姿の色白な女性がくるくると舞っている。
それを見ながら、続々と仕事帰りの観客が飲み物片手に客席に入ってくる。それぞれの席につき、ダンスを眺めながら一息つくように飲み物に口をつける客もいれば、早速スマホでダンサーを撮影する客もいる。
マジヤバプロレスでは前座として、ポールダンスを道場興行でも取り入れている。ダンスもいわゆるセクシーなダンスというより、アクロバットに近い動きの美しさで魅せている。
一方、ロビー南側階段を一人の少女が駆け上がってくる。マジヤバプロレスのスタッフティーシャツ姿に、肩丈のショートボブ、背丈は160センチをいくらか過ぎたほどだろうか。
東京は雨、気温は10度を下回っているというのに、ティーシャツにミモレ丈のスカート姿の少女の額には汗が浮いている。客をかいくぐってスタッフエリアに入り、控え室にたどり着く。
「失礼しまーす! 追加の買い出し品です!」
少女は低めのやや枯れた声でそう言って入り、メモ代わりのスマホ画面を見ながら、控え室の席に座した出場選手一人ひとりにコンビニのレジ袋から注文の品を出して渡して回る。ほとんどは飲料類だ。特に茶色い小瓶の栄養ドリンクが多い。皆、試合直前のルーティーンとして服用しているものなのだろう。
試合前の選手たちの空気は人それぞれだった。若手選手の多くは仕事中である。エレベーターで上ってくる客相手にチケットのもぎりをしている者もいれば、物販で売り子をしている者もいる。
古株の選手たちは気楽な世間話で笑っている人もいれば、入念に体を動かしている人、リラックスした様子でプロテインミルクを飲んでいる人、鏡に顔を寄せて化粧の仕上げをしている人もいる。
選手は男女半々、マジヤバプロレスはミックスドの団体である。年が明ければ、旧北魂プロレス時代から数えて旗揚げ12年目になる。
6時25分、ポールダンスのプログラムを終演する。
ポールダンサーが拍手で送り出されて退場すると共に、照明の色は昼白色にかわり、ロープのないリングを照らす。
それを合図に、リングサイドに集まっていた試合用コスチュームにグッズティーシャツを重ね着した選手たちが一斉にリングロープを設営しだす。
その間を埋めるように、リングアナウンサーが場内アナウンスを始める。
「第1試合開始は5分後を予定しております。試合開始前に先立ちまして本日のプログラムと注意事項をお伝えします――」
リング上のポールとその土台が解体、撤去される。それと並行して、リングロープをターンバックルで鉄柱に吊り下げ、金具を締め上げて下の段から一本ずつ固定していく。それが済んだ端から、スポンサーロゴ入りのコーナーマットが取り付けられる。皆慣れた手つきだ。
いつもの試合通り、3分足らずでリングはプロレスの試合用の形に仕上げられる。設営を終えて選手達がリングを降り、アナウンスが終わると、興行開始を告げるゴングが5回打ち鳴らされた。
無人のリングに団体主催であり団体トップ選手でもある朱雀翼選手が、マイク片手に上がる。朱雀選手の見た目は、胸元や髪型を見れば男性だが、ヒゲもなく背も低い。
「皆さんこんばんはー!」
その声も男の声特有の低音がない。よく見れば喉仏もない。
だがそんなものは一切お構いなしに、観客たちは一斉に「こんばんはー」と元気な返事を返した。
ノリのいい客である。平日の仕事終わり、飲みにも行かず軽食で腹を済ませてプロレスを見に来るような人々だ。これから2時間のプロレスを今日の楽しみとして乗り切った人々である。
「本日は平日にも関わらずお越しいただき誠にありがとうございます! 早速ですが本日はご報告がございます! 既にお気づきのお客様もいらっしゃるかもしれませんが、この夏から練習生を迎えていました! その年15歳、高校1年生です!」
これにおおーという声が上がる。
「上がって!」
そう呼ばれて、リングロープをくぐり、先程ロビーの階段を駆け上がっていた少女がリング中央に立った。彼女は四方に深々と頭をさげて、朱雀の隣に下がる。
「来月28日、当団体年内最終試合の、たま未来メッセ大会にて、彼女はデビューします。名前はアルファベットで大文字のG、小文字のa、大文字のVと書いて、ガブと言います! はいご挨拶」
そういわれて、急にマイクを渡される。
「只今紹介に預かりました。GaVと申します」
その声は女にしてはやや低く、ハスキーで新人レスラーらしからぬ少しぼそぼそとした喋り方だった。ちょうど有名人でいえば中森明菜の地声のような声質だ。
背は朱雀選手より頭半分高い。毛量の多さとくりんと巻いて横に流した前髪のせいもあって、遠目に見ると中森明菜感は一層強い。ただ、胸は小ぶりで、肩幅はやや広く、体型としてはスリムなストロングスタイルの女子プロレスの団体にいそうなシルエットである。
その体格で期待度の高い選手とみてか、早速「がぶちゃーん」と声を掛ける客までいる。
「ありがとうございます。まだまだ学ぶことの多いひよっこですが、胸を張って……そう、晴嵐選手の対角に立てるような選手になりたいと思います。よろしくおねがいします!」
名指しされて、第1試合のセコンドのためにリングサイドに控えていた青いショートパンツのコスチュームの若い女子選手が、自分を指さして笑いながら立ち上がり、リング上のGaVを指差す。
「同じ高1だからって、なめんなよ!」
リング外からでかい声でそう言い返す晴嵐選手に、客席から歓声があがる。
これに、GaVは「ふーん」とすかした返事を返す。客席から唸る声が起こり、それを嬉しそうに白い歯を見せてくるくると全方位を見渡して笑うGaV。
朱雀社長がマイクをひったくり、
「次回道場開催より来月の八王子大会まで毎週GaV対所属選手のエキシビションを行います! その最初の相手は、晴嵐です!」
これにおーっという声があがる。
「すぐにぶちのめしてやるからな!」
晴嵐がなおもリング外から声を張り上げる。
これに、GaVも朱雀からマイクを受け取り、
「そう……おもしろいじゃない。あんなにおこっちゃって、かわいい」
と低いトーンで返した。
全観客の視線を浴びて感情剥き出しにする晴嵐に対して、あくまでも冷ややかな姿勢を保ち続けるGaV。この温度差もあって、客席ががやがやと活気づく。
朱雀にマイクが戻り、
「今週末! ぜひ北多摩のマジヤバ道場までお越しください! はい、それでは今夜も皆さん参ります。マジヤバ・イン・ザ・歌舞伎町、スタート!」
そのスタートの合図と共に拳を高々と突き上げる朱雀とGaV、そして常連客とリングサイドの選手たち。
ファンク・ミュージックを彷彿とさせるホーンセクションから始まるマジヤバプロレスのテーマが流れ、その曲にあわせてリング上から二人は退場する。
それを見計らったようにリングアナウンサーが
「それではこれより第1試合を開始いたします!」
と宣言。
音楽が青コーナー側選手の入場曲に切り替わり、照明の色も変わる。
それを背に、朱雀とGaVは敗者退場口よりひっそりと裏方へと消えた。
「よかったよ。やればできるじゃん」
「いえ、晴嵐さんが煽ってくれたおかげです」
裏に戻るなり、GaVはそれまでのクールさから解き放たれて、明るい笑顔で言った。
GaV、本名髙木雅鳳。彼女にはまだ公にはしていない秘密がある。これから1ヶ月の間の、試合ごとのファンの反応を見てその秘密を公開するかどうかを決めるという方針だ。
客が秘密に気付けばデビュー戦のマイクで公表する。秘密に気付かなければ、本人が希望するタイミングで公表する。そういう仕掛けである。
だが女子プロレスラーという体の線が出やすい仕事をしていれば、いずれバレると二人に限らず、全選手が思っていた。そしてバレた時が公表する時ということで一応話もまとまっている。
観客の知らないその本名をネットで検索するとある結果報告が出てくる。
昨年度の夏の男子新体操中学全国大会、個人の部準優勝、3年髙木雅鳳。或いは本年度夏のインターハイ全国大会、男子新体操個人の出場選手の一覧も出てくるかもしれない。
そう、GaVはトランス女性だった。
更に言ってしまえば、このマジヤバプロレスを主催し、団体社長を務める朱雀翼、海外名SUZAKU、本名小田翼も、社会的性は男性でありながら女子プロレスのリングに立っている性的マイノリティだ。本人の性自認で言えばクィア寄りのトランス男性である。
朱雀翼が一般的なトランス男性のように声変わりをしていないのは、医療的な処置は乳房切除とジェンダークリニック通院と低用量ピルの処方のみで、男性ホルモン投与を一切受けていないためだ。
男性ホルモンの投与は、性自認が男性である小田翼としては受けたいところだが、海外のリングでも知名度のあるクィアの女子プロレスラーとしては、筋肉増強剤の投与と同義になるため避けていた。戸籍上の性別も女性のままである。そして子持ちの既婚者でもある。……朱雀社長とその家族については、また後ほど述べる。
GaVは先の大会冒頭の宣言どおり、毎週末開催されている東京都北多摩市にあるマジヤバプロレス道場の道場開催興行にてエキシビションマッチが組まれた。
マジヤバプロレスは全試合全興行を無料動画配信サイトU-tubeにて無期限無料公開している。その最初はコロナ禍の最中の無観客でのメジャー団体選手をマジヤバ道場に招いてのワンマッチ興行から始まる。
約4年半毎週欠かさずに試合を行い、その全てを動画で記録し無償で全世界に公開している。今日の新宿大会も後日U-tubeにアップロードされる予定である。
エキシビションは3分無制限のシングルマッチで第1試合の前に組まれた。その模様も当然配信内容に含まれた。初戦の結果は晴嵐の怒涛の圧勝で終わった。
晴嵐はキャリア4年目でメジャー団体の対外戦興行にも招かれるマジヤバの次世代の星とされる選手である。プロキャリアこそ中学1年からだが、稽古自体は幼少期から受けている。
晴嵐の両親は朱雀社長と公私ともにパートナーである副社長。リングが身近な環境で育ってきた。
そしてGaVのエキシビションマッチの相手は女子に限らず男子の週もあった。
マジヤバプロレスでは男子対女子という試合も頻繁に行われているから、常連客や視聴者から見たらなんら違和感のない光景だった。
ネットでの反応は早々にGaVの身体的特徴に言及するコメントが散見された。
だが、昨今のスポーツにおけるトランス女性排除の傾向に反して、ネガティブな意見は『アックス』などの一部差別的な意見を放置しているSNSの一部以外では見られなかった。
女子プロレスの現状を知る者であれば、女子レスラーとしてトランス女性が業界に既に存在し一定の評価を受けているのを知っている。
SUZAKUがアメリカで所属している『レスリング・ザ・ウルトラ』でも
マジヤバプロレスもそれと同様に、性的マイノリティの選手の在籍や参戦を積極的に受け入れているインディー団体である。
むしろ、マジヤバの選手でそうした出自の選手が出てくるのはなんら不思議なことではない。逆にそれを誹謗中傷するほうが女子プロレス界隈についてよく知りもしない門外漢と爪弾きにされるほどである。
そんなホーム的な環境でエキシビジョンマッチを繰り返しながら、12月第4週の土曜を迎えた。
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