夜景と吸血鬼

***

 夜景が綺麗だった。


 目の前には都会のビル街。高層建築が立ち並び、その窓明かりが淡く夜を照らしている。


 そのさらに下には夜の街を人々が歩き、車のヘッドライトが列をなしている。


 人々の営みの光。人間にしか作り出せない光景。文明が生み出す絶景。


 私は夜景が好きだった。


 こんな風に仕事終わりに会社のビルの屋上から景色を眺める程度には。



「良い景色だ」



 私はほぅ、と息を吐く。冬の空気に白い息が溶けていった。


 趣深いひと時。私の満ち足りた私だけの時間。スーツ姿で片手に握った缶コーヒーを一口飲む。そして、また景色を眺める。これが私の日課だった。



「こんばんは。良い夜ね」



 突然だった。声をかけられたのだ。


 こんなことは初めてだった。こんなところに来るもの好きは私だけなのだから。


 声の元をたどる。それは給水塔の上だった。給水塔の上に女が座っていた。


 ジャケット、皮のショートパンツ、黒いタイツ。髪は冴えた金色だった。


 異様だった。なにせ、美人だ。美人が給水塔の上に座っている。高さ4mはあろうかという、夜の高層ビルの給水塔の上に女が座っている。



「私吸血鬼なの。よろしく」



 女は言った。


 訳が分からない。信じることはできない。しかし、女は明らかに普通の人間ではなかった。


 私が動揺していると、



「夜景が好きなの?」



 女は聞いてきた。



「あ、ああ。良く眺める」



 仕方がないので私は答えた。



「でも、ここから見えるビルの明かりって全部残業してる人の明かりでしょ? 悲しい景色じゃない?」


「あんまりそういうこと言わないでほしい」



 急に現実的な景色になってしまう。それはそうだ。時刻は9時。今ついてるビルの明かりはすなわち残業の明かりだ。そもそも今しがたまで私もその一員だったのだから。



「あなたも残業終わりってトコ?」


「まぁ」


「へぇ、じゃあ素敵じゃない。あなたも今まで夜景の一部だったんだ」


「なんか分からないけど、馬鹿にされてるのかな」



 残業の景色の一部とか言われて嬉しくはなかった。


 なんだろう、今の会話で急にこの夜の景色がしみったれたクソな現実の塊に見えてきた。


 いや、だが。綺麗は綺麗だ。そうに違いない。大体、私の癒しの時間をこんな自称吸血鬼のヘンチキ女に奪われたくない。今この景色をしみったれてると思ったら、この先私はここで夜景を眺めてもまるで楽しくなくなるだろう。



「でも、綺麗だろう。人間にしか作れない、文明の生み出す絶景だ」


「人工物の塊ってことだと思うけど。っていうか、そのキザなセリフがあなたの考えたキメ台詞なわけ?」


「ち、違う」


「なんか、一生懸命考えた感あったけど。なるほど、ここに来て自分に酔うのがあなたの気分転換なんだ」


「ち、違う俺は夜景が好きなんだよ。それだけなの」



 それだけなのだ。私は夜景が好きで、それを眺める時間が好きなだけだ。本当にそれだけで、夜の世界を俯瞰している自分に酔っているとかでは断じてないのだ。そんなわけないのだ。とにかくシャクに触る女だった。さっきから、私の大切な時間を邪魔ばっかりしやがって。



「でも、気分転換って大事よね。私もこうしてビルの上を飛び回りながら街を眺めるのが好きなの」


「へぇ、吸血鬼ってそうなのか」



 信じていないが話を合わせる。



「人間は今日も地べたを這いずり回って愚かだなぁって眺めるのが本当に良い気分」


「最悪だな」


「そして、たまにあなたみたいな勘違い陶酔人間をからかうのが良い暇つぶしになるの」


「性格悪いな」



 どうやらこの女の性格はかなり悪かった。というか私は勘違い陶酔人間ではなかった。純粋に夜景を愛する小市民だ。



「なんでも良いけど。ずっとこうしてひどいこと言い続けるのか? やめてほしいんだけど」



 これ以上嫌なことを言ってほしくはなかった。



「そうね。でも、もうそろそろ来るかな」


「来る?」



 その時だった。


 がちゃり、音がした。それはドアが開けられる音。


 屋上のドアが開けられる音だった。


 見ればそこに立っていたのは。



「課長?」



 私の課の課長だった。


 課長も残業で残っていたのだ。しかし、なんだってここに?」



「こんなところにいたのか和泉くん。ちょっと良いかな」


「え? なにかありましたか?」



 仕事のミスでもあったかな。私はそうして課長に近づこうとして、



「そいつに近づくと危ないわよ」



 その時だった。給水塔の自称吸血鬼女が私と課長の前に降り立ったのだ。



「お前は!? なぜここが分かった!?」


「悪いことって長続きしないのよ? 知らなかった?」


「クソ!!!」



 課長が叫ぶ。すると、課長からメキメキと音が鳴った。体が膨れ上がり、スーツが破れ、爪や歯が獣のように鋭くなり、目が赤く充血した。



「殺してやる!!!」



 なんていうことだ。課長は見上げるような緑色の怪物に変貌したのだ。


 そして、その鎌みたいな爪を女に振り下ろした。


 しかし、



「見くびられたもんね」



 女がその右腕を軽く振るう。瞬間、元課長の怪物は真っ二つに両断されたのだった。



「が、あ....」



 そして、元課長の怪物は絶命した。大きな音を立てて倒れ、そして黒い煙になって消えていった。



「な、なんだこれは」


「危なかったわね。私がいなかったらあんた死んでたわよ」


「な、なんだって?」


「夜に独りぼっちになるのは危ないよってこと。これに懲りたら自分に酔うのは諦めることね、夜景好きさん」



 そう言うと女は飛び上がった。文字通り飛び上がった。信じられないことに、女はひとっ飛びでとなりのビルに飛び移り、それを繰り返してやがて夜の景色に消えていった。



「なんなんだ」



 異常なことが起きたのだけは分かった。


 そして、どうやら命が救われたことと、明日から課長が会社に来なくなることも分かった。


 しかし、基本的にはなにがなんだか分からなかった。


 確かなことは、



「もう、ここで夜の景色眺めて自分に酔うの止めよう」



 その日以来俺が会社の屋上で夜景を眺めることはなかった。

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夜景と吸血鬼 @kamome008

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