世界平和に続く道

惟風

彼女はゲームに薄々気づいてる

 10thテンス・シャークだ。

 それは身体の先端に八つ、背鰭と尾鰭部分にそれぞれ一つずつ、計十の頭部を持つサメの魔物だ。


 八つ頭の一つが咥えている白いカゴの中には、銀色の指輪が二つ並んでいる。

 テンス・シャークは指輪リング・シャークでもあった。

 頭部を器用に動かしながらレッドカーペットの上を這いずり新郎新婦の前まで進み出ると、そっとカゴを置いてその場を後にした。

 二人の指輪交換の儀が終わると、新しい夫婦に対して列席者達から拍手と歓声が贈られた。


 からりとした秋晴れの下、広々とした庭園でその結婚式は行われた。堅苦しさを嫌った新郎新婦の意向により近しい親族と友人のみを招いての簡素な式ではあったが、それでも華やかだった。

 旅人マティスは式を終えて歓談する若者達の様子を少し離れた木陰から眺めていた。

 旅人マティス。背中に元魔王の入った鞄を負って諸国を旅する男。

 普段はよれたシャツに黒コートというくたびれた姿をしているマティスも、今日は式の参列に相応しいかっちりとした格好をしていた。ただ、鞄だけはいつもと同じものを背負っていた。


『意外だったよ』


 鞄から元魔王の声が響く。他の参列者達とは離れているため、その声がマティス以外に届くことはない。


「何がですか」


 マティスは新婦を見つめる視線を動かすことなく返事を返す。真っ白なドレスを身に纏った彼女は、同じく白いタキシードに身を包んだ新郎に肩を抱かれている。


『てっきり式の最中に乱入して花嫁を攫おうとかするのかなって思ってたんだけど、ちゃんとお行儀良くしてたね』

「これでも最低限の社会的な振る舞いはできるんですよ。それに、この状態ではやろうと思ってもできないでしょう」


 マティスは自身の首元を指でトントンと叩いた。そこには薄桃色の触手が細く巻き付いていた。


『まあね』


 元魔王は鞄から伸ばした触手をマティスの首から離した。マティスが少しでもおかしな行動をしようとしたら即絞めあげて阻止する気だった。

 花嫁は、マティスがずっと——本当にずっと、何ならストーカーと言っても差し支えないしつこさと重さで——想い続けている女性その人だった。

 マティスが恋心を抱く前から既に恋人がおり、この度晴れてその恋人と夫婦となったのだ。彼女はマティスの交際の申し込みを断りはしたものの彼のことは引き続き良き友人として扱い、またマティス自身が強く希望したため快く式に招待した。彼女はマティスの想いの深さを知らないのだ。一時の気の迷い程度にしか捉えていないフシがあった。彼女にとってはその方が幸せだとデメンツは思っている。


『やっと諦めがついたんだね 良かった良か』

「どうにか重婚ができるような法の抜け穴を」


 元魔王は再び触手を伸ばしてマティスの首を軽く絞めた。マティスの口からゲッと短い呻き声が漏れた。


「そんなとこで何してるんですかマティス!」


 マティスが自分の首元を押さえて咳き込んでいると、花嫁が駆け寄ってきた。ウエディングドレスのためほとんど走れはしないのだが、大きく広がった裾を軽く持ち上げてふわふわとやって来る姿は元魔王の目から見ても愛らしく映った。決して誰もが振り返る美女ではないが明るく愛嬌があり、マティスにだけでなく元魔王に対しても敬意と親愛の態度を示す人懐こさのある女性だった。


「走ると危ないですよ」


 目の前でバランスを崩しかけた花嫁に、マティスが手を差し伸べる。


「ありがとうございます……へへ、はしゃいじゃいました。お姫様みたいなドレスに子供の頃から憧れてたんです、だからマティスにも近くで見てほしくて!」


 花嫁がドレスの裾を広げて見せる。繊細な刺繍とレースで飾られた絹のドレスは、陽光を温かく反射している。


「とても、綺麗です。本当に。そもそも貴女は何を着ても美しいですし僕にとっては本当のお姫さ」


 口説きモードに入った気配を察した元魔王が触手でマティスの口を猿轡のように塞いだ。もがもがと暴れるマティスを花嫁はくすくす笑いながら見ている。


「デメンツはマティスに厳しいのね」


 元魔王は名をデメンツという。辺境の砂漠の遺跡に数千年間封印されていた、記憶を食う魔物である。花嫁はマティスだけでなく元魔王の友人でもあるので、気安くその名前を呼ぶ。


『厳しいのは人間社会のルールの方だよ ちまちまと細かい上に逸脱しちゃうと捕まったり攻撃されたりしちゃうんだもん、マティスには気をつけてほしいんだけど』


 デメンツにとっての最優先事項は友人であるマティスとの旅に同行することなので、マティスが法を犯して捕まるようなことがあってはいけないのだ。

 デメンツ単体であれば人間の価値観に縛られることはない。デメンツがその気になれば、この式場にいる全ての人間達を舌先でひと舐めするだけで屠ることができる。範囲を世界中に広げても同じことである。“生命活動を忘れさせる”ことができるデメンツの攻撃からは、人間が逃れる術は無い。身体はゼリー状でどんな形を取ることもでき、あらゆる物理・魔法攻撃を通さないという無敵に近いこの魔物が遺跡に封印されていたのは、たまたまデメンツが魔物にしては穏やかな性格であったためである。封印されることに対して抵抗しなかったからに過ぎない。

 デメンツにとって、何者にも脅かされない生は、何も持っていないも同然だった。弱者を甚振る趣味でもあれば良かったが、それも抵抗がなければ歯応えがなさすぎる。圧倒的すぎる力の差に倦むだけだった。そもそも人間の苦痛や悲鳴に興味が無かった。

 どこで何をしようと退屈なので、封印されていても不満は無かったのだ。

 そうして漫然と数千年の時を過ごしていたところに、マティスが現れた。

 興味本位で遺跡の封印を解いたマティスに、退屈なら一緒に旅をしないかと誘われたのだ。

 マティスとは不思議なほど気が合った。これまで人間を個人として識別したり興味を持ったことの無かったデメンツにとって、新鮮なことだった。人間は魔族と違って短命だが、その限りある時間くらいは退屈しのぎに彼と共に過ごしたいと思った。


「離してあげてデメンツ。マティスが苦しそう」


 少し困ったように眉を下げて花嫁が笑う。デメンツは渋々拘束を解いてやった。彼女がマティスの(本当は執念に近い)想いに気づかないでいるうちに、デメンツはここからマティスを連れ出したかった。

 デメンツはいつになく神経質になっていた。

 デメンツは元魔王である。この世界では、圧倒的な力を誇り人類に害を成し、世界を破滅させる恐れのある魔族が魔王と呼ばれる。

 元がいれば現魔王もいるのだ。正確には、近い将来——人間にとっては遠くの未来——魔王と成ることが予想される強力な魔族が、この長閑な式場にいるのである。

 デメンツは友人達に囲まれている新郎の後方に注意を向ける。人間には認識できない黒い羽が、その周囲に舞っている。

 黒い翼を持つ人型の魔物がそこにいた。

 新郎に付き従うように佇むその黒髪の男こそが、将来の魔王だとデメンツは見立てていた。新郎の使用人のように振る舞っている黒髪の男は、デメンツがこれまで対峙してきた魔物達とは格が違う。向こうもデメンツの存在を認識している。今はお互いに敵対的ではないが、友好的でもない。もしもマティスが結婚式を台無しにするようなことをしでかして新郎の不興を買ってしまったら、あの黒髪の魔族は間違いなくマティスを攻撃するだろう。そうなれば、自分の身はともかく、マティスを無傷で守れる自信が元魔王には持てなかった。人間はあまりにも脆い。魔族同士の諍いに巻き込まれてはひとたまりもない。

 デメンツの心配をよそに、その後はマティスは拍子抜けするほど静かだった。花嫁に旅の話を少しだけ披露すると、あっさりと会場を後にした。


「素晴らしい式でした。彼女は本当に素敵だった」


 夕闇の中で、マティスは余韻を噛み締めるようにため息を吐く。秋の日は落ちるのが早い。旅人は、長身の背を丸めてゆったりと歩みを進める。


『マティスは楽しかったかもしれないけど、こっちはヒヤヒヤしたよ 二度とあの人たちのとこには行きたくないね』

「申し訳ありませんが、それは無理な相談ですね。彼女に会おうとすれば自然と彼等に近づくことになりますから」


 彼等とは、今日の新郎とその後ろに控えていた魔物のことだ。


『ええ…… マティスを守る方の身にもなってよ』


 マティスが微かに肩を震わせる。鞄に収まっているデメンツの身体も揺れる。デメンツにとっては笑い事ではないのだが。


「でも、やり甲斐があるでしょう」

『え』


 マティスは声にまで笑いを滲ませた。感情表現の乏しいマティスにしては珍しいことだった。


『……やだなあ そういうことだったの』


 全てを理解したデメンツは、恨み言を吐く代わりに触手でマティスの頭を小突いた。猫背の旅人は突然の攻撃につんのめる。

 元魔王が退屈しないように、わざとやっていたのだ。マティスの恋路の心配をしている間は倦まないと見透かされていた。

 旅をしていると、人間に対しての好奇心も湧いてきた。そうすると、多少は魔族らしく世界を蹂躙する遊びをしても面白いかもしれないと思うようになってきた。

 そんな頃に、マティスは一人の女性に恋をした。魔族にもわかるくらいに簡単なルールも破ろうとするほどに熱を上げるようになり、デメンツは手を焼いていた。

 そうやって、マティスはデメンツの目が世界に向かないようにしていたのである。

 よく考えればおかしな話だったのだ。マティスが本気で彼女のことをなりふり構わず手に入れたいと思うのならば、一言「あの娘が欲しい」とデメンツに頼むだけで良かった。記憶に干渉できるデメンツにかかれば、一人の人間の心を操ることなど造作もない。デメンツは使い魔ではないから誰の命令も聞かないが、友人のマティスの頼みであれば快く実行しただろう。なのに、マティスはただの一度もそれを口にしなかった。


『やられたなあ』


 特に怒りは湧かない。マティスのそういうところも面白いとさえ思う。


『でもタネが割れたんだから、もう同じ手は使えないよ これからは何をして楽しませてくれるの』

「何言ってるんですか」

『え?』


 マティスは進行方向を見つめながら続ける。その声は至って真剣だ。


「僕の彼女に対する気持ちは本物ですよ」

『ええ……』

「これからも彼女に全力でアプローチしていきます、頑張って止めてくださいね。心変わりはしません。僕は頑固ですから」


 旅人マティス。元魔王を背負って旅をする男。

 彼は、デメンツが友人のことを本気で傷つけることはないと知っている。マティスを失いたくないと思っていることも知っている。


『不利なゲームだよ 未然に止める手立てが無いんだもんな』

「良いじゃないですか。どうせ僕が死んだらまた暇になるんですから、今くらい振り回されてください」

『これでもマティスが思ってる以上にあっちこっちに気を使ってるんだからね』


 すっかり日が暮れた道は、どこまでも暗く続いている。静かな旅路に、旅人と元魔王のぽつぽつとした会話が繰り広げられる。

 このやりとりが続く限り、世界は平和なのである。

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世界平和に続く道 惟風 @ifuw

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