第4話 マイルール

 今日は、木曜日。学校が終わったら家でゆっくりできる日だ。


大好きな木曜日は、いつも身体が浮くくらい軽い。それなのに、昨日から身体がずんと重い。


今日も、T字で2人と別れてから家に帰ってきた。


いつも放課後は友達と遊びたいっとうだうだ考えているのに、いざ何もない木曜日がやって来ると、家でごろごろしたいという気持ちが勝ってしまう。

だから、あまり人と遊ばない。遊べないんだ。

そのくせ、みんなより遊ぶ日が少ないとぐちぐち言う。


これは、「被害妄想」というやつだってことをこの前知った。

最近は、それに囚われ過ぎて自分の思考は全部「被害妄想」だと思ってしまう。

もしかしたら、一昨日の塾のやつだって、本当は天田先生を勝手に悪い印象で見ていただけだったのかもしれない。


考え抜いた結果、私が悪いんだってことで完結する。しかし、また悩み直して、最終的には「 いや、私は悪くない」 と思い直す。この思考の流れは、いつも変わらない。


たぶん、これをお母さんに話すと「あんたって、ほんと自分に甘いよね。」と返されてしまうだろう。


まだ、小学生だもん。

甘くて何が悪いんだ!


悶々と自分の思考と戦っていると、いつの間にか家の前まで来ていた。


珈琲色のお気に入りのランドセルの中から家の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。


あれ。


開かない。


 バクバクと心臓の音が早くなる。もしかして、泥棒か。不審者か。頭の中を張り巡らせて。


ふと、駐車場の横にある自転車置き場に目をやる。

大きなクロスバイクの自転車があった。お父さんのだ。

お父さんが、今日は早く仕事から帰ってきていた。


冷や汗がぴたりと止まった。お父さんめ、怖がらせやがって。私はふーと深呼吸をした。


ドアを勢いよく開けると、案の定お父さんの声がした。


「おかえりー。」


 リビングのソファーでスマホをいじっているお父さんが見えた。



お父さんは、電車で40分くらいの、隣の隣の隣の市にある大きな病院で働いている。総合病院で薬剤師をしている。

熱を出したり、体調を崩したりしたら、お父さんの働く病院で診てもらっている。大きな建物なのに、中はいつ行っても人でいっぱいで、看護師さん達が忙しく動き回っている。


お父さんは、病院に入った瞬間、仕事モードに入る。それまで猫背だった姿勢は、ピシッと正される。がに股だった歩き方は、一直線に足を出すようになる。

その瞬時の変わりように、体調不良の私も思わず笑ってしまう。

でもそれまで、光が入っていた目だけ、急に目の筋肉を盗られたかのように光が失われ、死んだ魚の目のように。

姿勢と歩き方は、とてもかっこよく決まっているのに、目のせいでやる気なく見えるのだ。何とも残念な印象なのだ。



診断を待つために待合席に座っている時、お父さんがトイレに行っている間に、話しかけられたことがある。30代くらいの薬剤師で、父の後輩だと言う女性から。


「田中さんの娘さん?」


「…はい。」


「きゃー!かわいい。 お父さんね、凄くお仕事ができるの。私たち、本当に助けてもらってばっかなの、お父さんに。」


その人は、じゃあね。と言ってそそくさと去っていった。


急に話しかけてきて、わざわざお父さんの凄さを褒めるなんてびっくりだ。

自分の父親が、褒められて悪い気はしなかった。心がうずうずした。


家ではというと、だらだら寝っ転がっておしりを掻きむしりながら、新聞読む典型的なダメ親父だ。


…なんて言ったみたいが、実は洗濯物や夜ご飯を作るのはお父さんだ。

家事も、こなせる有能パパなのだ。ただ、料理にはなれてないから、カレーが週に4回もでてくるのはざらだ。

でも、家事も仕事もしっかりするお父さんは珍しいと、学校でよく言われる。だから、私は父を誇らしく思っている。


「仕事早くない?」


お父さんが、平日に家にいることはほとんどない。


「今日は、午前中だけの日なんだ。」


帰ってきてから1回もお父さんの目は、私を見ていない。ずっと誰かとメッセージのやり取りをしていて、スマートフォンの画面しか見ていない。


スマートフォンばっかりで、娘の目を見ないなんて…。


どんなやつとメッセージのやり取りをしているんだ。

私は、無性に気になった。


ソファの方に近づき、コソッとお父さんのスマートフォンを見た。私が覗こうとしているのに見気づいたのか、スマホの向きを変えた。


そんなに嫌なの?


私は余計知りたくなった。2回目は、素早くお父さんのスマートフォンが見える位置に移動した。


一瞬だけ、見えた相手の名前のところに、「職場」と書いてあった。「職場」のあとに、名字らしきものが書いてあったが見えなかった。


(…なーんだ、仕事の人か。)


自分の鼓動が早くなっていたことに気づく。そんなに見られたくないなんて、もしかしたら、女なんじゃないかと思ったからからだ。


私は、看護師さんがわざわざ私にお父さんを褒めるために話しかけきたことを思い出した。うちの父は人気者だ。

だから、女が言い寄ってくる可能性だって無きにしも非ずだ。


 でも、それでも、それは、考えすぎだろう。

相手が職場の人間ならきっと、仕事のことで大事な話をしたいるのだろう。

 職場で、女を作るような父親ではない。…と、信じている。


最近、不倫漫画を読んだせいで、疑い深くなっている。

思うところはたくさんある。けれども、本当に仕事中ならば、仕事モードのお父さんに話しかけると凄く不機嫌になるので、話しかけるのはやめることにした。


私は、2階の自分の部屋に向かった。自分のベッドで、至福の木曜日はごろごろすることにした。


私が気遣いすぎなせいか、被害妄想のしすぎなせいか、わかんないけれど最近もやもやすることばかりだ。

部屋に入り1つため息をついて、ベッドにダイブした。ベッドが、ぼふんと揺れる。


ベッドの真横にある本棚から、1番大好きな漫画の最新巻を取り出す。まだビニールがついていて、新しい本の匂いがする。先週、今日のために買っておいたのだ。

1週間頑張ったご褒美用として。


本に付いているビニールを外す。 バトル漫画であるこの前巻は、主人公が父親の仇である敵と対峙して、瀕死の寸前で勝つという、章の終盤に差しかかった終わり方で、次巻が楽しみでしょうがなかった。


わくわくして最初のページを開いた。父親の仇に勝ったことが分かり、主人公が気絶するコマで始まった。そこで、主人公は1つの幻覚を見た。


ふと目を開けると主人公は、父親の厳しい修行をし、厳しいながらも家族と楽しく暮らしていた昔の家にいた。そこに母親、姉弟、そして父親も現れる。いつも厳しい顔つきだった父親が、笑っていた。


「よく頑張った。ありがとうな。…おまえは自慢の弟子だ。」


主人公が大粒の涙を流す。生前、父親が主人公をほめたことは一度もないと言っていた描写を思い出し、より感情が溢れる。


「よく頑張ったな。」


主人公の父親が私にも言ってくれたような気がした。

胸の奥がじんわりあつい。私は褒めてほしかったのだと気づいた。


私は何度も何度も自分を褒めた。


「侑奈、頑張ったね。頑張ったよ。えらいよ。」


ずんと重たかったはずの身体も、いつの間にか軽くなっていた。心も、少し浮いているみたいだ。


ベッドの横に置いたランドセルや、手元の漫画をふと見る。何らいつもと変わらない物たちなのに、なんだか今日は私の味方に見えた。


マイルールに新しくルールをひとつ加えよう。



『自分をありったけの愛で褒めつくすこと。』


ゆっくりゆっくり思いを込める。


(よくやったよ。えらい。えらい。)


じんわりとした温かさが、身体を優しく包み込む。その温かさが消えないように、ぎゅっと自分を抱きしめた。







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