落ちる葉と、増える骸。

真上誠生

あなたは誰。

 すみません、私が目的地に着くまでの間、私の過去についてお話をさせてもらってもいいですか?

 ──ありがとうございます。他愛もないお話ですが、お付き合いください。


 その日は蝉が鳴く夏の頃で、私は人生で初めての夏休みを満喫していました。どれくらい暑かったか、そういう記憶は彼方に消えてしまいましたが、天候が曇りだったことは覚えています。


 私が初めて人間の死体を見たのは、そんな、何気ない日のことです。……ええ、その時のことは今でも覚えています。

 

 太陽の日差しが鈍色の曇天にかき消され、辺りには雲の影が落ちていました。今すぐにでも雨が降ってくるのではないかと思い、私は急いで家に帰ります。

 その途中で私は見たのです……大きな落葉松に首を括ってぶら下がっている老婆の姿を。

 老婆は、体をだらんと弛緩させながら、尿を地面に撒き散らしていましたよ。その姿はたまにですが、今でも夢にでてきます。


 顔は私のいるところからは見えませんでした。恐ろしくて見たくもありません。だって、そのおばあさんは知っている人だったんですもの。


 私の家の隣にあるボロボロの屋敷、そこにその老婆は一人で住んでいました。老婆の顔は皺くちゃで、いつも口を半笑いで、当時の私からすると老婆は妖怪のように見えました。いずれ、私もそうなるのかと思うと、早く死んでしまいたいと思うようになりました。


 老婆の家の前を通る度に、見上げなければならない程の大きさの落葉松が私の視界に入ってきます。それが太陽の光を遮り、老婆の家を影で暗く染めているのです。闇の中で蠢く老婆を想像すると怖くて怖くて。


 それを母親や友達に言ったことがありますが、私の話を聞いた人間は全員笑いました。なんで笑うのかを問いただしても、誰も答えを言ってくれません。そんなに怖がっている私の姿が面白いのだろうかと思い、私は次第に喋らなくなりました。

 この話をしていると、段々自分が違う世界を見ているんじゃないかと思えてならなくなってきたからです。


 それでも、流石に死体を見た日は母親に言いました。隣でおばあさんが首を吊っているよ……って。でも、母はそんな私に奇妙な子を見るような眼差しを向けて来るのです。

 その後、母は二度、三度と口を開いたり閉じたりしてから、喉の奥にへばりついたような掠れた声色で私にこう告げました。


 ──梨乃りの、何言ってるのじゃない。と。


 背筋に冷たい感覚が走りました。まるで、冷たいミミズを背中の中に放り込まれたような。背中の皮膚の下で、うぞうぞと何かが這いまわっているような感覚に、ぶるりと体が震えたのを覚えています。


 そこからは記憶が曖昧です。確か、母親にその死体を見てもらいたくて、台所で料理を作っている母を引っ張って落葉松の元へと向かいました。それでも、老婆の死体はなく、隣の家には人が住んでいる気配はまるでありません。ただ、誰かの視線だけをどこからか背中に感じました。背後を向いても屋敷だけがあるだけで、誰もいません。でも、そこに確かに老婆の気配を感じるのです。皺くちゃの顔で、口だけは半笑いで、私のことを見て笑っているのです。早く、その場から離れなければいけません。そうでなければあの老婆に捕まってはダメだから、早く逃げたくて。この場から離れたくて。


 その日の夜、家族会議がありました。なにを話したか覚えていません。ただ、家族の皆の顔が真っ暗で、およそ人の顔をしていなかったのはなぜか記憶に残っています。


 次の日、父が死にました。落葉松に首をくくりつけてぶら下がっていました。前日の夜、私は何をしていたか覚えていません。目を覚ましたら、起きたら父が首を落葉松にくくりつけてぶら下がっていました。その時、私は何を思ったのか覚えていません。前日の夜、私は何をしたか覚えていません。目を覚ましたら母が手首を切って死んでいました。辺りに血を撒き散らしながら死んでいました。気が付いたら私は一人になってました。


 ボロボロの屋敷の中にいて血の海の中にいて一人でした。何が起きたのかわかりません。ただわかるのは、何かが腐った臭いだけが辺りに漂っていて、それが私の鼻の穴から入ってきたことだけはわかりました。


 ボロボロの屋敷は、老婆がいるはずの場所でした。それなのに、なぜか私がそこにいました。屋敷の外にはあの老婆のように落葉松に首をくくりつけぶら下がった父、そして、私の横にはその姿に絶望して手首を切り落とし後追い自殺をした母がいます。そんな中、私は正常でした。ああ、二人とも死んだな。と思っただけだったのです。


 パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえます。どこか、違う世界からの迎えのようでした。そのパトカーに乗せられ、色々な取り調べを受け、私は病院へと送られることとなったのです。それから色々あったような気がします。特に覚えていませんが。


 それよりも、ようやく着きました。この辺りが様変わりしてしまったけど、屋敷とだけは残ったままでしたね。


 ごめんなさいね、歳よりの長話に延々と付き合ってもらいまして。話をしながらでないと、どこに向かいたいのかわからなくなってしまいそうだったものだから。今でも、空想が私を飲み込もうとしているから。


 わかっているんです。首をくくった父親を見た母親が私を一緒に心中しようとしたことくらい。だけど、それを境に私はおかしくなってしまった。


 記憶は曖昧だし、何をしていたか思い出せないし、どこにいたのかさえ思い出せない。私は狂ってしまった。ただ、あの幼少期の記憶だけは常に頭の中にありました。精神科で終わりを迎えるかと思ったけど、どうしてかわからないけど、出てもいいということになってここに来たの。


 おかしくなってしまったから、こうしておしまいにしたかったの。あの時、私は首をくくった父に自分を重ねてしまったから。あの時、私もああなりたいと思ってしまったから。だから、これでさよなら。今までありがとう、空想上のあなた。


 最後に、あなたのことが知りたかった。あなたは誰でしたか? 私はそこにいると感じることができるけど、どんな人かまではわからないの。ねぇ、一緒に死んでくれる? 私が死んだら、あなたも消えるから、だから一緒に死にましょ? ──ねぇ。


 ──Fin

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