希望の光だった

冷田かるぼ

私の光


 転落していた。三年もかけて、ゆっくりと。


 私――――濱野那津子は高校三年生だ。成績も、運動面でもあくまで普通。だった。

 けれど、高校選びを失敗したのかもしれない。自分の学力より少し高い高校を受験しぎりぎりで合格し入学。三年間なんとかやってきたはいいものの、大学受験という一大イベントを前にどうしようもなく気分が落ち込んでいた。

 共通テストの結果も普通だった。上振れすることもなかったし、特段低いというわけでもない。もともと志望校にしていた学校には、二次試験で頑張れれば合格の可能性は十分にあると言われた。それで、そのまま自習期間に入っている。


 が、うまくいかない。

 「はぁ……」

 思わずため息をつく。目の前にある問題が何も理解できなかった。その上分からない問題を先生に聞く勇気も、クラスメイトに聞くコミュニケーション力もない。ほとんどが違う中学校出身の人ばかりなせいでグループに入れないまま三年間が過ぎてしまったのだ。

 他の女子達は皆それぞれのグループ内で一緒に行動している。そんな仲良しグループに割り込めるほど肝が座っているわけがない。そんな度胸があったらとっくに友達ができていただろう。


 机の上に広げられたノートとにらみ合いながら、解き方を考えてはみるがどうしても分からない。というか、集中できない。どうして私、こんなにダメなんだろうか。心の中で頭を抱えた。ちゃんと解かなきゃと思えば思うほど頭の中がぐちゃぐちゃに濁って泥水みたいに汚くなっていく。

 そんな思考は急激に断ち切られた。

「ねぇ」

 話しかけてきたのは隣の席の女子だった。うまく返事ができなくて、あ、うん、なに。なんて気持ち悪い返答だけが喉から零れ落ちた。

「明日の講座って予習あったっけ?」

 焦って何を言っていいか分からない、声が詰まる。どうだったっけ、確認した方が、でも目の前のこの子は早く返事をしてほしいだろうし、私が間違いのない情報を言うかどうかとかよりずっと、たぶん不安だからただ訊いておきたいだけで。

「えっと、あ、たぶんないはず」

「ありがと〜」

 なんとか声を発したものの、かなりどもってしまった。これだけ色んなことを考えていても、こんな風にいつも会話は一瞬で終了してしまう。もはや会話かどうかすら怪しいけど。私はただの質問受付係で、時には友達の補欠をやるだけの存在だから。仕方ない。いじめられたり無視されたりしていない分マシだと思うしかないのだ。

 あともう一歩踏み出して、世間話でも出来ればいいのだろう。でもそもそも返事すら上手くできないのだから無理に決まってる。というかもう全部遅いだろう、三年生にもなってこれなんだし。

 あーあ、だめだめだな。

 そんなことを思いながら机に突っ伏した。全部なくなればいいのに。なにもかもどうでもよくて、大学だって、友達なんて、この世の中全部投げ捨ててしまいたい。だって私には何もない。したいことだって、生きている意味だって、何一つ。


 何時間もあるはずの自習時間全て、私はただ真っ白なノートと向き合って終わった。

 馬鹿だな。


 

 結局、昨日帰ってからは学校で集中できなかった分、夜中まで勉強をしていてあまり眠れなかった。おかげで朝は眠くてしょうがない。身にもならない勉強をしたって、と思ってしまうことの方が多いけれど、だからといって簡単に狂ってしまえるほどの才能はない。

「……ふぁ〜あ」

 少々早く登校してしまい誰もいない教室。欠伸をしたとしても見る人はいないのだ、油断したっていいだろう。こんなだから友達がいないのかなんて、考えてももう無駄だ。

 頬杖をついて、うとうとしながら一応教科書を眺める。勉強のつもりだけど意味は無く、眠気が強くなるばかりだ。長ったらしい数学の公式も、頭に入らない。私はやっぱり何もできないんだな、と思うとむしろ笑いが漏れた。シャーペンを置いて立ち上がり、窓を開ける。ひゅう、と弱い真冬の空気が私の頬を撫でた。思ったよりも、寒くない。冷たい風を浴びれば目が覚めるかと思ったけれど無駄だった。

 もう一度椅子に座って、問題を眺めてみる。やっぱりだめだ。見れば見るほど頭の奥からぼやけていく。文字が視界の中で掠れ始めて、たぶん、これ、やばいやつだ。

 そんな勘が当たって。眠気のストッパーが外れたみたいに、がく、っと、まずい感覚。気が付くと体は倒れ、私は机に突っ伏して眠ってしまっていた。

 

 

 ――――暗闇を歩いている。どこが道なのかも分からないまま、一歩ずつ、重たい足を動かして。

 でも完全な暗闇ではない。周りには蛍のような淡い光が点々と見える。ぼんやりと温かみのあるそれを掴もうとすると消えて、他の光も少しずつ減っていった。

 ああ、どうせ届かないんだ。じゃあ諦めて見ないようにしよう。

 そうして小さな光を無視していると、奥の方に強い光が見えるようになってくる。目の芯の方までじりじりと焼き尽くすような明るさで。私を嘲笑うように、誘うように、そして包み込むように。踏み込む足は重たいままだ。

 周りの小さな光は余計に見えなくなる。もしかしたらまだそこにあるかもしれないけれど、大きい光の方が目立って分からない。その求心力に私は突き動かされて走り出す。普段動かないせいで足の裏にぴり、と痛みが走る。そんなこと気にも留めなかった。あれが、私の求めたものなんだ。少しずつそれは目の前に迫ってくる。どこか恍惚と痛みを纏った光はずきずきと胸を刺す。

 手に届くところまで近づいた、あまりに強い光。目が眩む。耐えて、そっと手を伸ばして――――。

 

 それと同時に、私は目を覚ました。

 浮遊感と青い空、そして学校のベランダの柵。

 

 落ちていた。


 え、なんて思う前に頭の中がぶわ、っと思考で満ちる。なんだか全てがスローモーションに感じて、今なら世界の全てを知ってしまえそうだった。

 いつの間に私はベランダの柵を乗り越えたのだろうか。そもそも、いつから体は起きていたのだろうか。考えても意味なんてない。けれど考えてしまった。これから死ぬであろうこと、死ななくてもきっとそこには絶望が待っていること。分かってはいても、なんだかどうでもいい。

 心臓が動いている。呼吸をしている。空気の匂いがする。研ぎ澄まされた感覚の欠片が全身を刺し尽くして、そして気付く。

 ああ、私の希望の光はこれだったんだ。これだけが、救いだなんて。どうして今まで気が付かなかったんだろう。全部、全部、なかったことにしてしまえばよかったんだ。ダメな自分も死んでほしい私も全部が馬鹿馬鹿しくて、全部消えてほしかった!

 私、最後にすこし、嗤ったと思う。

 

 体感では何十分にも感じられたその時間は、実際数秒間。そうして私は地に還った。

 

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希望の光だった 冷田かるぼ @meimumei

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