第2話
「【青のスクオーラ】ですが」
話題を一旦変えてみよう。
「エスカリーゴ陛下のご実家も有力貴族だったようですが、【青のスクオーラ】に入るのは遠慮なさったそうですね」
ああ、とバルバロは頷く。
「そうなのです。妃殿下はぜひにとお認めになったそうですが、陛下が、国王の実家が助言役のスクオーラの一員になるのはいかにもきな臭いとおっしゃって」
「慎み深いものですね。ヴェネト風とでも言うのでしょうか。我々フランスは、王都パリを守る周辺の地域を聖十二護国として制定し、王家と非常に近しい絆を結んでおりますよ。 あくまでも慣例としてですが、フランス王家の王妃はこの聖十二護国から代々選び出されてくる背景などもありますし」
「そうでしたか。そういえば、神聖ローマ帝国のフェルディナント将軍も、あそこは皇帝が変わると遷都をし、一部の有力貴族だけが力を持ちすぎないようにする、そういう配慮をするそうですが、今の皇帝陛下は列強に対抗するために、敢えて遷都を行わず、国として確固たる地盤を持つことを望まれたのだとか。
しかし神聖ローマ帝国も不思議な国だ。何故竜は、空を飛べるのに他の国に行かないのだろう? 王家の私有地である【竜の森】などと言われる場所では、竜が放し飼いにされてるそうです。
彼らが竜を私物化し、騎竜として使いたいがために鎖で繋いで飼い慣らしているなら、まだ分かるんだが……自由に飛べるのに逃げていかないというのは、余程あの土地になにか不思議な因縁を感じているのでしょうか」
思い出したように、話が逸れてしまった。
バルバロの気ままな思い付きのように、ラファエルには見えたが、これをきな臭くなって来た話を変えるためにごく自然に装ってやったのなら相当な話術だと思う。どちらかはまだラファエルにも分からなかった。
しかしこういう自然に曲がった話題を無理に戻すと、目立つものだ。ラファエルは成り行きに任せることにした。
「私も詳しくは分かりませんが、戦場で竜騎兵を失った竜などが、一匹で【竜の森】に帰還することもあるそうですよ」
バルバロはため息をつく。
「驚きますね。全く不思議な動物です。神聖ローマ帝国では聖なる生き物とされてるそうですが、それが本当だとしたらまさに国の守り神だ」
「確かに……ただ、その点ではヴェネト王国も【シビュラの塔】という存在を持っておられる。神聖ローマ帝国の竜などと、私やスペインのイアン・エルスバトからすれば、貴方がたは近しい存在のように思えますよ。
特別な力を持っている。
持っていない人間からすると、何故我々にはそれがないのかと」
「いや【シビュラの塔】は……。ヴェネト王国というより、ヴェネト王家の秘術に近い領域のことですから。私にはよく分かりませんな。神聖ローマ帝国では市街の上空を、竜は当然のように飛ぶとか。私たちが思っているよりも、国民には竜は身近で、秘密という程ではないのかもしれません」
軽く笑ってバルバロが誤魔化したのが分かった。
ただし、それは何かを知っていて誤魔化すというよりは、単に話題を避けただけのように思え、大した意図は感じられなかった。
「私もフェルディナント将軍には、遠目にしかお会いしたことがありません。
彼はどのような人物でしたか?」
「そうですな……まず、あまりに若い青年で驚きました。
貴方の前でこのような話をするのは憚られるのだが……その、フランスのブザンソン要塞が陥落したことは当時我々でさえ聞いて、驚いたので」
ラファエルは微笑む。
「構いませんよ。もう過ぎたことですし」
「ブザンソン要塞は長い歴史において、スペイン、神聖ローマ帝国、イタリアなどの侵攻を阻んできた難攻不落の砦。それを攻略した部隊を率いておられたから、もっと年齢が上の、老獪な人物を想像していましたが。それでも二十代半ばに見えましたが、あとで聞くところによると、まだ十代でおられるとか。全く驚きました。
妃殿下が竜を嫌っておられるから……将軍との仲もあまり芳しくないと聞いていましたが、我々と会った時は意外なほど低姿勢で、温和なお人柄に見えましたよ。我々の方が年配者だと、随分丁重に接して下さった。予想と全く違いました」
「そうなのですか。私もあのような恐ろしい動物を乗り回しているので、恐ろしい方かと」
「いや、全く。ついつい他国の方だと知っておりながら、うちの娘にぜひ会いに来て下さいなどと薦めてしまうほど好青年でした」
「おや……ヴェネトの六大貴族の一つであるバルバロ家と、神聖ローマ帝国のフェルディナント将軍に縁戚関係が出来るのは……これはフランスとして、もしかして由々しきことなのかな?」
ラファエルが冗談めいてそう言うと、バルバロは声を出して笑った。
「いやいや。私は娘の婿は吟味しますが、一旦娘を嫁がせてしまえば、娘は夫にまず忠義を尽くすよう、教え込んでありますよ。騎士の誓いとはそういうものです。
神聖ローマ帝国の方に嫁げば、その国の人間だし、
フランスの方に嫁げば、その国の人間です。
武門に生まれついた娘というものは、情勢によっては父と母の国と戦うことになる覚悟もしていくものなのですよ」
「なるほど。ご立派なお覚悟です」
ふと、バルバロが目を瞬かせた。彼は突然思いついたようだ。
「フェルディナント将軍のことはフェルディナント将軍のこととして。
いかがですか、今回は貴方は妃殿下の随行としておられましたから、長逗留して遊ぶなどという時間はないでしょうが、フェルディナント将軍がうちの娘の誰かを選んでもあと四人おりますよ。
四人もいれば、ラファエル殿のお目に適う者もいるかもしれません。ぜひ春になったらもう一度お越し下さい。その時は娘達と和やかな茶会など過ごしていただければ」
突然何を娘の縁談話を薦め始めたんだよ……とラファエルは思ったが、彼は微笑んでおく。貴族に縁談話をされた時は「いいなあ」みたいな顔をしておけばいいのだということは、彼はフランスにいる時にとっくに会得していた。
「お目に適うも何も、美しい方ばかりで目が眩みました。
妃殿下のおられる夕食の手前、それぞれにお声がけするのも失礼だと思って自重しましたが、フランス産の貴族でもご当主が構わないと仰るなら、ぜひ春にもう一度お伺いしますよ。フランス男はそういうことに関しては遠慮はしませんので、いや実際そうなられると困ると思って、単なる社交辞令で言っていらっしゃるなら今、仰っていただかないと困ります」
「何をバカな。貴方はフランスの名門貴族にして公爵殿。しかしヴェネトでも我が王妃に重用されるほどの方ですぞ。フランス艦隊総司令官としてお越しである以上、両国の事情もありましょうが、妃殿下がもし、目障りにならない縁談であるとお許しいただけるなら五人いるうちのどれを選んでいただいても私は結構」
「貴方は寛容な方ですね、バルバロ卿」
ラファエルは笑ってしまった。
まあ今すぐということはないが、今後ヴェネト王国、そして三国の情勢がどうなるかは分からない。
王太子ジィナイースが戴冠し王妃を選べば、ヴェネトの勢力図も動く。
ラファエルは今、王妃と協調関係にはあるが、彼女とは同盟が結べても他の貴族達がどう動くかは分からない。
(そもそもヴェネトは軍隊は持たないとはいえ、歴史は古い。貴族の中には【シビュラの塔】の威光だけで玉座に座る王妃に、反感を抱いている者も必ずいる。例え六大貴族でなくとも有力貴族はまだまだいるのだから)
ルシュアン・プルートがヴェネト王国ではなく、他国から花嫁を選ぶ可能性もある。
三国以外の可能性だってあるのだから、そうすれば第四勢力が新しい王妃を擁立してヴェネト王国に乗り込んでくることだって、あるかもしれない。
フランスの立場が何か、ヴェネトにおいて強固に約束され尽くしたというわけではないのだ。
万が一の時は、この人のいい軍務大臣経験者の一族と組むのも、一つの方法にはなる。
ラファエルはあくまでも自分の結婚は、政略的に考えるつもりだ。
勿論、自分に嫁いでくれた女性は大切にするつもりだが、それと、ジィナイース・テラへの友情と愛情などは天秤には到底掛けられないものである。フランス、そして自分にとって最も利益のある花嫁が現れた時は、多分あっさり自分は結婚するだろうとそんな風に思っている。
スペインのイアン・エルスバトは「好きな子と結婚したい」などと少年のようなことを言っていたが、ラファエルはそのあたり、フランスの大貴族の一族として小さい頃から
「結婚してから恋や愛が生まれても全然いい」と心構えはして来た。
というよりも、彼はジィナイース・テラが自分の人生に寄り添っていてくれればあとは何でもいいのである。
そういうわけで、ヴェネトの情勢次第ではラファエル自身の身辺もどうなるかは分からない。いずれにせよ、この人物とは仲良くしておいた方が、何かと利点がありそうだ。
外交の天才と言われるラファエルは、縁を結びたい相手に対しては、自分の腹の内をそれなりに見せることで、相手にもこっちを信頼させることが出来る、そういう手段があることをよく理解していた。
「セルピナ王妃と、妹君は……性格のかなり違う姉妹でいらっしゃったようですね」
静かな声と、少し気遣うような優しい表情でバルバロに尋ねると、彼はラファエルが明確にその妹姫のことを聞きたがっていると素直に受け取ったらしく、こちらも少しだけ誰もいない部屋だったが、声を落として答えた。
「……妃殿下は幼い頃からあの強いご気性であられ、才気溢れておられましたから。
数歳、歳が違うくらいでは、やはり少女は圧倒されるのでしょう。
妃殿下は父王を強く慕い、いつもどこでもついていこうとされていたが、妹姫の方は内向的で、屋敷におられることの方が多かった。
陛下はあまり……屋敷にも王宮にも戻られなかった方なので。
ただ結局早くに妹姫が嫁がれた先は、間違いなく陛下の信頼される忠臣の家柄でしたし、娘の幸せな結婚を望む、親心に私は思えましたよ」
バルバロの言葉には、セルピナと妹の複雑な関係だけではなく、ユリウスともこの妹は疎遠だったように感じられる色があった。
バルバロの話が真実なら、この妹姫こそジィナイース・テラの『母』だ。
ジィナイースとは早くに死に別れた為、彼は全く、この母親の記憶を持っていない。
ユリウスと彼女が疎遠だったことを聞きながら、ラファエルはまるで父と子のように、いつもジィナイースを自分の腕に抱き、頬を寄せながら連れ回していたユリウスの姿を思い出していた。
ヴェネト王国で聞く、ユリウスと家族たちの関係性は、ジィナイースとユリウスを見ていたラファエルには少し奇妙に感じる。ユリウスはあれほどジィナイースを溺愛していたのだから、身内愛の強い人間だと思っていた。
だが確かに、王宮からは早くに出ていて、海の上ばかりの生活だったのなら、家族とは離れて暮らしていたのだろうか。
それにバルバロの話では幼い頃セルピナは「ユリウスに懐いていた」と言っている。確かロシェル・グヴェンもそのようなことを言っていた気がする。
強い愛情が、ある日、強い憎しみに変わる……。
……ラファエルは、今は家族と円満だ。両親とも兄弟たちとも友好的に暮らせている。
だが幼い頃からそうではなかった。幼い頃は彼らは、無力なラファエルにとって恐怖の対象で、自分に決して笑いかけてくれない、冷酷な存在だった。
ラファエルがそのことに絶望して、自分を肯定出来なくなっていたら、多分今も家族とは疎遠なままだったはずだ。
ラファエルは疎遠だったものが、段々と大人になるにつれて改善された。
セルピナとは逆だったが――、分かるのだ。
家族とは、無償の愛だという人もいる。
しかし全ての家族がそうではない。
家族とは、混沌としたものだ。
美しいものもあれば、捻じれているものもある。それは他人との関係性と全く変わらず、無償の愛を捧げてくれる家族もいれば、家族でも愛に見返りを求める人もいる。世に出るまで、子供たちは自分の家族しか知らないので、そのことを知らないのだ。
家族は一番最初にこの世に在る自分の巣だけれど、どこかへ行きたかったり、自分には合わないと思えば思い切って飛び出してみればいい。
ジィナイースはラファエルにそうするための勇気をくれた友だった。
大切なのは家族が一緒にいることではなく、
人間がこの世に自分の居場所だと思える場所があることだ。
それが必ずしも家族である必要はない。
新しく他人と、家庭や人生を持つことも出来る。
つまり、家族は揺るがないと思う人も多いが、
ラファエルは家族とは変容するものなのだと思っているのだ。
幼い頃と、今の有り様は、家族だろうと変わる時は変わる。
幼い頃ユリウスとセルピナは仲のいい父娘だったのかもしれない。
だがそれがどこかで捻じれ、名を口に出すことも嫌うような対立関係になった。
妹姫は早くに結婚して城を出たという。結果として父と姉が憎しみ合うようになる、そんなものを見なくて、彼女は良かったのではないか……、ラファエルは会ったことのないジィナイースの母に思いを馳せてみた。
「私も娘達が結婚する歳になり……あの妹姫には、王家の姫の嫁ぎ先としてふさわしい名門や、ましてや他国の有力貴族などに嫁すことは、幸せではなかろうと考えられた陛下の気持ちは分かります。
私の娘達などは、他国から来た貴方たちのような、若く、華やかな経歴をお持ちの方々を、目を輝かせて私にどんな方だどんな方などと質問攻めにしてくるような性格をしていますが……。妹君はなんというか……人見知り自体をされる方だったので」
「確かにそれは、妃殿下とは対照的な性格ですね」
バルバロは小さく笑って頷く。
「そうなのです。私もあまり、あの方と話した記憶がない。
ただ、妻とは同級生ということもあり、とても仲は良かったそうですよ。
よく天気のいい日は馬車で遠出して、ヴェネトの絵を描いたものだと今でも懐かしそうに話しています。余程楽しい想い出なのでしょうな。妻は娘達とも、小さい頃からそうやって過ごすことがあった」
「妹君は絵をお描きになったのですか」
「妻は絵の収集家ですが、自分でも趣味で些細なものを描くのですよ。
妻の絵は好きで描いているだけのようなものですが、その妻が、あの方の絵は誉めていた。勿論少女時代のことですが……。
中流の家に嫁がれても、夫婦仲は良かったそうですよ。
王宮の政とは関わらず、穏やかにお暮らしになっていたはず。
あのまま一族が流行病の犠牲にならなければ……今でもその幸せが続いていたかもしれません」
「その方にお子はお生まれになったのですか?」
ラファエルは一応、聞いてみた。
王妃セルピナの様子からして、妹姫が双子を生んだことはあまり公にしたくないことではないかと思ったからだ。
バルバロはふと、思い出すようにどこかを見た。
「……どうだったかな……。いや、嫁がれた時は本当に異例の速さで、確か十かそこらだったのですよ……。当然すぐに本当の夫婦生活ということにはなりませんし、大切に屋敷にお預かりして、数年の後、お子が生まれたという報せ自体は聞いた覚えはあるのですが」
城から出されても、王家の血を引く姫だ。その子供のことは注視されるはずだが、バルバロはあまり覚えていないようだった。
何故そうなのかは分からないが、ラファエルの受けた印象からいって、その姫の子供などが王位に関わることなどないと、はなからバルバロは決めつけ、存在を気にもしなかったというような雰囲気があった。
セルピナの強い意志が、ここにも現れたのだろうか。
「……実はお生まれになって間もなく、亡くなられたのですよ」
この辺りは慎重に聞いた方が良さそうだと、そんな気がしてラファエルが押し黙っていると、バルバロが小さな声で言った。
「お子が?」
「そうなのです……。少女時代から病がちな……可憐な風体の方だったので、そのこともあり、それ以後はずっと伏せっておられたようですね。
そうこうするうちに流行病で、頼りにされていた公爵殿が先に亡くなられてしまったのですよ。仲のいいご夫婦だったから、余程悲しまれたのでしょう。
お子に、夫にと次々に亡くされて、数年後にご自分も……。
あまりに哀れなご一家のことで、我々も口には出さないように自然となってしまって。
ラファエル殿、確かにセルピナ様とは性格のかなり異なる姉妹でいらっしゃったが、それでも血の繋がった姉妹です。特に妃殿下は今、病床の陛下を支えておられてますので、妹君のことは、思い出されると苦しみになりかねません」
「分かっています。決して妃殿下の傷を掘り起こすようなことはしないと、ここにお約束します」
ヴェネト貴族の中ではそういう認識になっているのか……と理解しながらラファエルは頷いた。
「ああ、良かった。助かります。
貴方は本当に信頼出来る方だ。
【青のスクオーラ】の友人達も、貴方にはお会いしたいと言っておりましたから、ご多忙でしょうがぜひ時間があれば訪ねてやって下さい」
「ありがとうございます。私など、この地では妃殿下に取り立てていただくことでしか立場を約束されない者です。王宮の貴婦人がたは優しく声を掛けて下さいますが、ヴェネトの有力貴族の中ではかなり不満げな目を向けられることも多いですよ。
しかしバルバロ家では貴方も奥方も、ご令嬢もその他の方も私に親切にして下さる。とても感謝しています。どうか王都で会った時にも親しくしていただけたら光栄です」
「なに、こちらこそ。わざわざ王都から訪ねて来て下さった客人をもてなすなど、当然のことですよ。立ち話になってしまいましたね。温かいところで飲みながら、もっとゆっくり話しましょう」
「喜んで」
二人で歩き出す。
「バルバロ卿、その妹姫の名前はなんと仰るのですか?」
ああ、とバルバロは頷く。
「ティントレット様です」
彼は言った。
「ティントレット・メナス。
物静かな方でしたが、妃殿下とは違う印象の……美しいご令嬢でしたよ」
【終】
海に沈むジグラート 第69話【ムラーノ島のバルバロ】 七海ポルカ @reeeeeen13
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