海に沈むジグラート 第69話【ムラーノ島のバルバロ】
七海ポルカ
第1話 ムラーノ島のバルバロ
「ようこそ、ムラーノ島へ。
お越しいただけて光栄でございます。
妃殿下!
ラファエル・イーシャ殿」
ステンドグラスをふんだんに使った非常に美しい豪邸に、枢機卿任命式を無事終えた人々が馬車で集まって来ていた。王妃の乗る馬車を、ムラーノ島を代々治めてきているバルバロ家の当主、マッティーア・バルバロが出迎える。
「バルバロ卿、久しいですね。
今日は素晴らしい客人を連れてきましたよ」
王妃セルピナに紹介され、降り立ったラファエルは優雅に一礼した。
「バルバロ卿。以前城の夜会でお会いしましたが、あまりお話し出来ませんでしたね。
妃殿下が他国から来た私にも、ヴェネトの美しい神儀をお許し下さったので、連れて来ていただきました。この際、貴方ともゆっくりお話し出来たら光栄です」
バルバロは笑いながら、ラファエルの手を取った。
「こちらこそ。貴方が妃殿下のご信頼厚いことはよく存じておりますよ。
今のヴェネトで貴方の名を知らない貴族はいない。
我が家にお迎え出来てとても嬉しいです」
ラファエルはヴェネト王妃の信頼を受けるため、あからさまに不快な顔をされることは少ないが、他国の若造が王妃に張り付いてと言いたいような空気は王都でも感じることがある。ただ、マッティーア・バルバロからは好意的にラファエルを歓迎してくれていることは伝わって来た。
(まあ側に王妃様がいらっしゃるからかもしれないけどね)
バルバロの妻も王妃を出迎える。
枢機卿任命式に出席した貴族達は広いダンスホールに通され、そこで夜会をそれぞれに楽しむことになった。
王妃とその側近の者たちと当主一族は大食堂に集まり、食事の場が設けられる。
バルバロ家の五人の娘達も揃い、武門の家柄だと聞いていたため多少厳めしい家柄なのかと思っていたラファエルだったが、思いの外華やかで、和やかな晩餐になった。
バルバロも気さくな人柄のようだったが、公爵夫人である奥方も、誇り高い貴婦人というよりは穏やかで夫婦仲睦まじく、そんな両親の元で育った娘達も優しげな雰囲気の令嬢が多く、この一族の性格をよく反映していた。
話題は、いよいよ近づいてきていると言われている王太子の戴冠についての話題は、敢えて避けられ、王妃は少女時代以来のムラーノ島訪問と言うことで、街の変わり栄えや王都のことが、きな臭い部分を削り穏やかに話された。
食事が済めば慣例らしく、女性達は温室の方に移り、そこでデザートなどを頂きながら話し、男達は二階の客間に移り、ムラーノ島のワインを開けながら煙草やビリヤードをしつつ、日頃のことを話した。
ラファエルとしては気分的には、女性達と一緒に美味しいデザートを頂きながら各家庭の夫への愚痴を聞いていた方がなんだか楽しそうだなあと思ったのだが、まあ男の付き合いも大切である。
バルバロが、ラファエルの芸術への興味を聞いていたらしく、折角来られたのだからと美術品が飾られた客間を案内してくれた。
明らかにラファエルだけを連れ出たので、最初は何か意味があるのかと思ったが、マッティーア・バルバロはどうやら六大貴族にして【青のスクオーラ】の一人とはいえ、策謀とは無縁の人物らしかった。
単に珍しい客人と、二人でゆっくり話そうと思っただけのようだ。
「船が使えたようで、安心しました。
今年は雪も積もりましたが、アドリア海の水温は高いようですね。
とはいえ、外洋ともなると危険もあるやもしれませんが、ヴェネト近海は波も穏やか。
特に春先などは風も心地よく、船旅にはよい季節です。
ぜひラファエル殿も、花の季節になったら再びムラーノにいらして下さい。
いつでも喜んでお迎え致します」
「ありがとうございます。
実は、あまり私は船が得意ではないので、今回も少し不安だったのですが、
やはり陸地が常に見えていると、心持ちが違います。
酔うこともなく、少し安心しました。
妃殿下からも、花の季節の諸島巡りは良いと教えていただきましたので、ぜひ」
どこの貴族の家にも美術品はあるものだが、ラファエルの目から見ても、バルバロ家に飾られている美術品は品も良く、面白いものも多かった。
かなり目利きする人物なのだろう。
飾る絵のセンスも良い。様々なテーマの絵があるが、無節操に集めているわけではないのが作品を見れば分かる。聞けば絵などは奥方が好きで、集めているらしい。
「しかしながら、私も絵を見るのは好きでしてね。
妻の実家も古い武門なのですが、昔から、戦ばかりで芸術に興味も無い男には決して嫁ぎたくなかったのだとか。私があの妻に選んでもらえたのも、唯一見合いをした男たちの中で観劇中に眠そうな顔をしたことが無かったからだそうですよ」
ラファエルが微笑ましそうに目を細めて、頷いた。
「晩餐の時も、仲睦まじいご夫婦の距離感が伝わってきましたよ。貴族の家というものは難しさもありますから、仲の良いご夫婦にお会いできるとホッとします」
バルバロは朗らかに笑う。
「そう言っていただけると……。
ラファエル殿もお若いとはいえ華やかな御血筋の方。
許嫁のような方はもう本国にいらっしゃるのでしょうな」
「私はまだまだ未熟者ゆえ、求婚という任は果たせていませんね」
「おや……」
彼は意外そうな顔をした。
「先日お会いした神聖ローマ帝国のフェルディナント将軍も、許嫁どころか恋人もおられないなどと言っていらしたが……最近はそういうものなのだろうか? あなた方のように若くして才と華やかな経歴をお持ちな若者が、女性達から放っておかれるとは私には到底思えないのだが……それとも逆に、そうまで素晴らしい方だと御令嬢たちも気圧されてしまうのでしょうかね……」
おっと。意外なところで意外な名を聞いた。
あいつはヴェネト貴族とは、疎遠だと思っていたんだが、ムラーノ島の当主とすでに挨拶を済ませて、そんなことまで話す仲だったとは。
顔には出さなかったが、ラファエルは少し興味を持つ。
ちょっと叩いてみようか。面白い埃が出るかもしれない。
「フェルディナント将軍というのは……竜騎兵団の? 珍しいですね。彼はあまり社交場に出てこないので、私も夜会では見たことがありませんよ」
まあ、夜会では見たことがないのは嘘じゃない。
「そうでしたか。いや、私も夜会などではお会いする機会はなかったのですが、先日【青のスクオーラ】の会合で海上にいたところを、偶然居合わせて。
噂の竜も見せていただきました。間近で見るとやはり迫力が違いますなあ。確かにあれはご婦人方には恐ろしく見えてしまうのかもしれません。しかし風体は本当に見事でした。
フェルディナント将軍が神聖ローマ帝国では、少年たちは竜騎兵に憧れて育つ、と仰っていましたが本当なのでしょう。
ラファエル殿は母国が竜騎兵団の襲撃も受けたことがおありだから、複雑かもしれませんが……」
「いえいえ。この場に集った以上我々三国は妃殿下の同じ臣下となります。
複雑な感情など持っていませんよ」
にこやかにラファエルが微笑むと、安心したようにバルバロは頷いた。
「数ヶ月前王都ヴェネツィアを【アクア・アルタ】が襲った時、街に竜が来たらしいですよ。非常時だったため、妃殿下も数騎の飛行を許されたとか。確かに空からなら、被害の状況も素早く分かりますしね。
あんなに恐ろしげな姿をしているため、街の皆も怯えたのではないかと思ったんですが、街にいた者の話では、非常に竜騎兵に従順であるようです。
実際に私もこの目で見ましたが、確かにあれは特別な知能を持つ動物という感じがしました。持ち馬や飼い犬のように我々などは想像するのですが、もっと竜騎兵とは戦場の相棒という、対等な絆で結ばれているような印象を受けました。
大した合図や音を用いないでも、フェルディナント将軍は竜を操っておられた。
私も武門の人間なので、あれには非常に驚きましたね。確かに竜を造作もなく操れるのならば、馬や犬の調教など容易いでしょう。神聖ローマ帝国において竜騎兵が『騎士の中の騎士』と呼ばれ尊ばれる理由が少し分かった気がします」
バルバロのする竜の話はラファエルはあまり興味が湧かなかったが、【青のスクオーラ】の会合にフェルディナントが居合わせたというのは興味のある話だった。
【青のスクオーラ】に所属する六大貴族全員と、一応ラファエルは顔を合わせ、軽い挨拶も済ませている。ただ、スクオーラとして集っている場所に行ったことはまだなかった。
「【青のスクオーラ】……妃殿下より聞いておりますが、ヴェネト六大貴族の方々が政治について会合なさるのだと」
バルバロは笑った。
「フェルディナント将軍もそのようなことを仰っていましたが、我々があそこで政治の話をするなど、そんな大層な話ではありませんよ。
元々妃殿下が今の陛下のご病気の時、代理に立たれ、その矢先に少し政治の助言などをさせていただいたことはありますが、聡明な妃殿下はすぐに我々の特別な助言など不要になられました。
我々は今は、妃殿下から特別な要請があれば、速やかに参じる準備はしておりますが、特に何もないならば、月一海上で、日々のしがらみから解かれて、気の合う仲間と飲んで遊んでいるだけですよ。
嘘だとお思いならぜひ、ラファエル殿も次回はいらっしゃればよろしい。
貴方には友人達も、もっとお会いしたいものだと言っていますし」
要請をしなくとも、あっさりバルバロに招待してもらった。
仕方なく言った感じが全くしなかった。恐らくバルバロの言っていることは真実なのだろう。
バルバロの話を聞きながら、王妃セルピナは【青のスクオーラ】の会合をどう考えているのだろうかとラファエルは思った。
徐々に見えてきた王宮内の勢力図と、不和。
王妃セルピナと王太子は決して、ヴェネト王宮において誰しもが手放しで忠誠を誓っているというわけではない。
王宮に出入りする貴族達にとってあくまで王妃セルピナは国王エスカリーゴの代理だ。
エスカリーゴがすでに死亡していることを、六大貴族も全く知らされていない。
つまりそれが公表された時、本当の貴族たちの思惑が見えて来るはずだ。
そして、王太子ジィナイース……ルシュアン・プルートは、王としてはまだ未知数であり即位すらしていない、無冠の王である。実績が無い若い王など、ヴェネトの名門貴族達が見放せば、あっという間に窮地に追い込まれるだろう。
偉大な王であったユリウスが健在で、ルシュアンの後ろ盾となっているならば貴族たちを抑えられるが、彼はもういない。
王妃セルピナが【シビュラの塔】を撃ったことは、勿論諸外国への示威行為でもあっただろうが、もしかしたら六大貴族のような自分に逆らいかねない力を持ったヴェネトの有力貴族たちに、自分の力を見せつけてそのことでルシュアンに服従させるという意図があったのかもしれない。
ヴェネトの全ての人間がこの二人を注視している。
そんな中で、それぞれに強固な地盤を持ち、諸島の領主を務めてきた六大貴族達の結束は、場合によっては王妃セルピナとルシュアンの覇権にとって、邪魔になる可能性もある。
特に竜騎兵団団長であるフェルディナント・アークと、六大貴族に親交が結ばれることなど、あってはならないと考えるだろう。
竜騎兵団には圧倒的な機動力があり、諸島の領主とそれぞれに結ばれたりなどしたら、この先セルピナとルシュアンが有力貴族達からの信頼を確保出来ない時に、厄介な勢力になりかねない。
だが六大貴族がそれぞれが独立して牽制し合ってくれていれば、それぞれが監視に使え、いち早く不穏な動きは察知出来る。
【青のスクオーラ】はすでに王妃セルピナにとって、助言役ではなく目障りなものになりつつあるのではないか……、これがラファエルの見立てである。
実際王妃がどう考えているかは分からないが、しかしそう考えると、バルバロの話していることはなんとも楽観的な内容だと思う。王妃を警戒するならば、フェルディナント・アークに遭遇した話など、彼女に信頼されているラファエルには、とにかく聞かせない方がいいはずだ。だがバルバロは話した。
(相当人がいいのかなあ)
美術品の説明を相変わらず当主自ら丁寧にしてくれているバルバロに頷きながら、ラファエルは考えを続けた。
人はいいのだろうが、バルバロはヴェネト武門の名家だ。確かにヴェネトの軍政はユリウス王の時代以後弱体化しているが、人間に流れる血が劣化するには早すぎる。
バルバロは社交界に関しては人が良くても、軍事の話となると、別の顔を見せるはずだとラファエルは思った。
彼が一番気になったのは【青のスクオーラ】の当事者達が、その辺りの事情をそれぞれにどう喋るかということである。フェルディナントに会ったことを尋ねれば、その反応で、少し【青のスクオーラ】内の勢力図が分かるかも知れない。
そして、つまり六大貴族それぞれの立場、考え方も分かってくる可能性がある。
ラファエルは他の当主達にも会ってみたくなった。
彼は決して王妃セルピナの支持者ではないが、ネーリの為にヴェネトの有力貴族達の情報、考え方は知っておきたいのだ。
ネーリ・バルネチアには王位への欲求など全く無いが、セルピナとルシュアンが即位後、ヴェネトが今よりも劣化の一途を辿るようならば、貴族たちに背を向けられる。そうなった時に擁する明確な血脈がヴェネトにはいない。
ネーリがいれば勿論血筋から彼を容認する者はいるだろうが、現時点では彼は存在しない者に徹したいという強い意志がある。
王位継承者がいないとなると、それに狙いを付けるのは間違いなく六大貴族だ。
彼らの家には王太子に釣り合う娘たちがいる。
それを王妃として送り込み、そこから政を行い、生まれて来る子供に最終的に王位継承権をもたらすということを望む者が存在するはず。
ラファエルは国への忠義が強いか、自らの野心が強いか、六大貴族たちを見極めなければならない。
バルバロはフェルディナントのことを、あっさりラファエルに話したことだけでも、裏表のない性格がよく伝わって来る。軍務大臣経験者であり、古い武門だと聞いていたので、もっと物事の裏を読んでくる人物なのかと思っていたが、全くそんなことはなかった。受け答えも率直だ。
(ということは……バルバロにはもう少し、一歩踏み込んで聞いてみても良さそうだな)
いっそ、どこまで話したらこの人物が警戒を露わにするのか、試してみようとラファエルは意欲的に思った。
幾つか、バルバロの人柄を試す問いを考えてみる。
「ムラーノ島に来る時、妃殿下が少し話して下さいました。
ここには少女時代の良い思い出があるのだとか。
ムラーノ島には軍港が昔あったので、海によくいらした父上が、ここから出港されたりしたので見送りにいらしたそうです」
バルバロの反応を見ていたが、彼は一瞬「おや」という顔は見せたが、すぐに笑って優しい顔になった。
「そうですか、妃殿下がそんなことを……。
ええ。確かにムラーノ島は、かつては王都より大きい軍港がありました。
我がバルバロ家が自然と武門になっていったのも、その軍港の周囲にヴェネトの士官学校なども点在していたからなのですよ。
妃殿下は少女時代、サン・ミケーレ島の別荘に住んでおられましたが、お父上が海に出て行かれる時は確かによくお越しでした」
「バルバロ卿は昔から妃殿下をご存じなようだ」
「亡き私の父が、ユリウス王と親しくさせていただいていたのですよ。
おかげで私もまだ若い頃、よくこの邸宅でユリウス様を拝見出来る幸運に恵まれました。
何というか、私にとって父は立派な軍人でしたが、ユリウス王はやはり子供の目から見ても圧倒的な覇気のようなものがあった。
妃殿下は今では立派なヴェネト王妃になられましたが、さすがにあの頃はまだ少女でしたなあ。この近くの狩り場に父達が出かけた時に、留守番させられて腹を立てておられたのをよく覚えていますよ。私に連れて行くよう命じられて、幼い頃から意志の強い方だったので、引きずられて狩り場に行きましたが、父に王家の姫を狩り場などに連れてくるなと大変叱られました。セルピナ様もその慣例はご存じでしたが、多忙な父上と一緒にいられるのがとにかく嬉しいようで、留守番などさせられると手が付けられないほどお怒りになるのです。それを思うと何というか、我が娘達など父に対しての感情は余程淡泊なものですな」
ごく自然に笑いながらもラファエルは、マッティーア・バルバロはかなり王妃に対して友好的で、昔から繋がりがある人物なのだなと思った。王妃セルピナの少女時代は、誰もが喜んで取り上げるような話題ではないが、バルバロは敬遠はしていないようだ。
ユリウスのことも普通に彼は名を出した。
セルピナの周囲の人間は、ユリウスの名を今は出そうとしない。
(【青のスクオーラ】の人間は、みんなこうなのだろうか?)
ドラクマ・シャルタナも確かに、現在王妃との関係は妹のレイファと共に良好だ。
よく城に招かれて一緒に茶を飲み笑いあっている。
王都ヴェネツィアに戻ったら、妹が世話になったとかなんとか理由を付けてドラクマとは会う場は設けられるだろう。
その時にバルバロの話を口実に色々聞けそうだ。
ネーリや例のリストのことに関することは、ドラクマを警戒させる恐れがあるから注意深くすべきだが、バルバロ経由の話題は自然なので、意外な話が聞けるかもしれない。
「実は私も父の縁があって、今も妃殿下と親しくさせていただいておりますが、妻も妃殿下の妹君と、修道院学校の同級生でしてね、それで特別昔から親しくしていただいているのですよ」
「妃殿下の妹君というと……」
ふとラファエルが目を瞬かせると、バルバロは初めて喋りすぎたかな、という表情を浮かべた。
「失礼しました。ラファエル殿は他国の方だが、話しやすいのでついつい何でも喋りすぎてしまうな。私の悪い癖です。軍人なのに口が軽い。昔から父にも母にも注意されていた」
フェルディナントのことも、王妃の少女時代のことも、ユリウスのことも普通に難なく話していたバルバロが、初めて話題を避けた。
王妃セルピナの妹……。
(それってもしかしたら)
「ユリウス王の……もう一人の姫君のことですか?」
「申し訳ない。これは妃殿下のお耳にはあまり……」
ラファエルは頷く。
「勿論、公爵殿がそのようにと仰るのであれば。私も本国ではフランス王とも親しくさせていただいております。王家にまつわる秘密は必ず守りますよ」
「そうですか……いや。王家にまつわる秘密というほどのことでは無いのですよ。
しかし王家の二人の姫君は……あまり幼い頃から親しい姉妹というわけではなかったから。要するに姉妹でも疎遠だったのです。貴族の家では、珍しくはない。セルピナ様は妹君とは親しくなかったので、もう亡くなられた妹君の話など、私は敢えてしないようにしているのです。複雑な心境でしょうからな……。
ですが妹君は、私の妻の少女時代の友人だったため、我が家ではまだ妻は懐かしがってよく話すのですよ。しかし、一族に大きな不幸があったことだから……」
「私もそんなに詳しく聞いたことはないのですが、一族の多くが流行病で亡くなられたと聞きました」
「そうなのですよ。王の庇護も厚かったので、流行病の時も特別差別や排撃を受けたということは決してないのだが、確か本家筋の血筋は皆亡くなったらしいのです。葬儀も、執り行えるような立場の人間がいなかったという話だから、相当な人が亡くなったのだと思います。
当主が亡くなる時に、これ以上ヴェネトに災いをもたらさないようにと、使用人達に言いつけて守らせたのだとか。外国から来ていた使用人達が帰国する時、本家で出た死者の亡骸を共に連れて行き、海の上で弔ったと聞いています。ですから彼らはヴェネトの大地に墓が無いのです。当然墓を見舞う者たちも存在しないので、いつしかヴェネトで忘れ去られて行ってしまった」
「それは……忠臣として素晴らしい配慮とはいえ、痛ましいことですね……」
バルバロはそれには頷いた。
よし。もうちょっと自然な流れで話してみるか。ラファエルは続けてみることにする。
「その流行病は、かなりヴェネトで被害が出たのですか?」
あくまでもそれが気になった、という風に装う。
案の定、バルバロは自然と答えてくる。
「ええ。もう十年以上も前のことですが、ヴェネト全体で大きな被害が出ました。
冬に流行り始めて、暑い季節になったら自然と終息しましたが。
あの時期はヴェネツィア聖教会ですら、参拝を禁じて、人が集まることを禁じ、街も静まり返っていました」
「そうなのですか……」
「どこの島でも被害は出ましたが、特にブラーノ島とジューデッカ島は深刻でした。
妃殿下の妹君は、ブラーノ島の貴族に嫁いでおられたので」
ラファエルの見立てでは、バルバロは時間を掛ければもっと話しそうな気がした。
警戒させなければ、他の情報も引き出せるかもしれない。
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