うるはしの奈良~藤原の三世~

阿弥陀乃トンマージ

父と娘と孫

                 序

 なんとも見事な深紫色の朝服に身を包んだ初老の男性が、庭にある大きな池を眺めている。頭には黒い頭巾を被っており、全身には腋の部分を縫った袍を羽織っており、真っ白い袴を穿いている。さらに足には黒い革で出来た靴を履いている。

「父上……」

「ん? おおっ……」

 初老の男性が、声をかけられた方に振り返ると、色鮮やかな衣装を何枚も重ねて、その身に纏った若い女性がいた。頭の上に大きな二つの輪っかを結った愛らしい髪型をしている。女性は穏やかに微笑みながら話す。優しさを感じさせる声色だ。

「ふふっ、やはりこちらにおいでになったのですね」

「あ、ああ、それよりも平気なのか?」

 初老の男性が若い女性に近づき、お腹のあたりに手を掲げてみせる。お腹は服の上からであると少し分かりにくいが、ぽっこりと膨らんでいる。女性が頷きながら答える。

「ええ、今日はだいぶ気分が良いので、こちらにまで足を伸ばしてみました」

「む、無理はいかんぞ?」

「ふふっ、無理だなんて……ちょっと隣の家までに来ただけではありませんか」

 初老の男性の心配そうな表情を見て、女性は口元を隠しながら話す。

「そ、そうは言ってもだな……大事な身体であるのだから……」

「わたくし一人のものではないと?」

「ああ、そうだ。万が一のことでもあれば、太子が大いに悲しまれる。無論、わしもな」

「……気をつけます。あっ……」

 女性が自らのお腹をそっと抑える。初老の男性が首を傾げる。

「い、いかがした?」

「いえ……今、ややこがお腹を蹴りました……」

「ほほう、それはなにより、たいそう元気な男の子じゃな」

「ふふっ、まだ決まったわけではありませんよ、凛々しい女の子かも……」

 女性がお腹をさすりながら呟く。初老の男性が首を左右にぶんぶんと振る。

「いやいや、男の子でなくては困るぞ。その子が長じて、帝とおなりあそばしてこそ、我ら藤原の一族の権勢はより確固たるものになっていくのだからな」

「……おじいさまは権勢や権力というものが本当にお好きですね~」

 女性は自らのお腹に向かって優しく語りかける。

「当然だ、偉くなければこの世というものは何事もなせん」

「人の上に立つのならば、大切なことは他にもあるような気がしますが……」

「明子よ、悲しいがそれは理想にしか過ぎない。わしはそれを痛感してきた……なればこそ、只今の藤原不比等ふじわらのふひとがおるのだ……」

 不比等と名乗った初老の男性が昔を思い出すように、空を見上げる……。

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