ひとの知らぬ処にて

板谷空炉

ひとの知らぬ処にて

 僕の将来の夢、聞いてもらってもいいですか?

 何よ急に、どうしたの?

 僕、将来はあなたと〝ケッコン〟したいです!

 え、わたし? 君からしたら、わたしはおばさんだよ?

 僕たちには関係ないでしょう。僕はあなたが大好きなんです。もっと大きくなってあなたに届くくらいになったら、考えていただけませんか?

 そこまで言うなら……。




 昔昔あるところに、幸せな者がおりました。

 片方は四十五年、もう片方は二十年生きておりました。

 これでも差は無い方で、分からない者は本当に、どちらが長生きしているか見分けがついていないようでした。

 そんな若いふたりは、細い道路を挟んで対面しており、仲良く暮らしておりました。

 毎日共に朝日を受け、新鮮な空気に触れ、多くの生物と触れ合い、様々な概念を学び、共に眠りについていました。稀に恐ろしいことが起きても、何とか乗り越えて暮らしてきました。

 たとえお互いに触れ合えなくても、ふたりは幸せでした。

 

 あくる日のこと。

『この道路は……』

『交通量を増やしたく……』

『そうなると北側の××を……』

 近くで誰かが会話しているようでしたが、若いふたりには何を言っているか分かりませんでした。



「ねえ、」

「どうしたんですか?」

「これからわたし達、どうなっちゃうの?」

 ケヤキがヒノキに、暗い様子で問いかけました。

「珍しいですね。そんなのらしくないですよ」

「それはそうなんだけど、なんだか嫌な予感がしてね」

「あー、どうしてですか?」

 彼らは別の生物などの言葉を理解することが出来ないものの、様子だけは捉えることができました。ケヤキが暗い様子だったのは、そのためでしょうか。

「何が起きているかは分からないけれど、君に危険が起きそうで怖いの」

「急にどうしたんですか、あなたらしくないですね。まあ、危険が起きることはあり得ないでしょう」

「そうだといいんだけど……」


 しかし、ある夏の日、悪い予感は的中してしまいました。

「あの、どうしてあなたに囲いがされているんですか?」

「前に人間が来たでしょう。もしかしたら、わたしは君とさよならする日が近いのかもしれない」

「え? どうしてですか……」

 ケヤキは、真剣な様子で伝えておりました。

「わたしも気付いてはいたの。ここ数年、人間の数が多くなってきたでしょう?」

「そうですね」

「彼らが何を言っているかは分からない。だけど、何がしたいのかは何となく分かるの。もうじき、この道路は広くなる。そして、わたしは多分切られることになる」

「……ということは、あなたと離れなければならないということですか!?」

「そうみたいね」

 ヒノキは、驚いた後に悲しい様子になって、ついケヤキに強く言ってしまいました。

「そんなの嫌ですよ! 僕はあなたに生きていてほしい」

「わたしも君に生きていてほしいよ」

「なんであなたが切られなきゃいけないんですか!?」

「いいの別に。君には生きていてほしいから」

「でも……」

「人間たちが羨ましかったなあ。色んな場所に移動出来て、様々な表情になれて、何より、〝手〟を繋ぐことが出来て」

 ケヤキは天を仰ぎ、風を受け、枝が靡きました。まるで、遠い未来を願うかのように。

「どんなに風が吹いたって、わたし達は触れる事すら出来なかった。偶に葉っぱが落ちて、その葉っぱ同士が触れているのは見えたけど、それにすら嫉妬してた。

 わたし達はずっと隣にいられたけど、まだ触れることが出来ていない。生物なら簡単にできることが、わたし達には出来ない。それがとても悔しくて……」

 だんだんと空が暗くなり、強い風が吹いてきました。雨も降ってきて、ふたりはずぶ濡れになっていきました。


「僕は最後まで、あなたに相応しい存在になれませんでしたね……」

「どうして?」

 ぽつりとヒノキが言い、ケヤキは心配そうに見つめる様子でした。

「昔言いましたよね、将来はあなたと結婚したいって」

「ああ、そんなこともあったわね」

 笑うような様子ではぐらかしたケヤキに、ヒノキは真剣な様子で伝えました。

「僕はまだ本気なんです。ずっとあなたが好きでした」

「ヒノキくん……?」

 そう言ったとき。

なぎ倒されそうな程の強い風が吹き、バリバリバリ! と、ヒノキが根元から折れる音がしました。そして、

「ケヤキさん!」

 ドーーーン! と、雷鳴が辺り一帯に鳴り響きました。雷が直撃したヒノキは、ケヤキに覆い被さるように重なり、

「よかった……あなたを守れるくらい大きくなれた」

「ヒノキくん、もう君は……」

 動揺しているケヤキに支えられながらも、ヒノキは落ち着いた様子で言いました。

「僕は、もうじき樹木だった記憶を失くすでしょう」

「そんな……! 嫌、いやよヒノキくん!」

「その前に、伝えたいことがあります」

「ヒノキくん……」

「最後にあなたに触れられて、抱きしめられて幸せでした」

「うん……」

「いつか樹木の記憶を取り戻し、あなたと再び会えた時。今度こそ、結婚していただけますか?」

「うん……!」

 そうして、

「ねえ、わたしの話も聞いてよ。今気づいたの。まだ越されてないけど、君はいつの間にか大きくなって、わたしに届くくらいに大きくなっていて」

「……」

「でもこんなことしないで……寂しいじゃない。

 生物なら助かるかもしれない。でも、わたし達は折れたら〝おしまい〟なの。もう君は──」

「……」

「ヒノキくん……!」

 悲しむケヤキに支えられている〝ヒノキ〟が、もう口を開くことはありませんでした。

ふたりが好き同士で触れ合えた唯一の日。絶望する彼女がいても、動けぬ私は見守ることしか出来なかったのです。



 あれから数十年。貴女は相変わらずそこに居て、開発され更に豊かになった街を見ています。しかし背後に佇む世界など、貴女はきっと知らないでしょう。死ぬまでずっと、貴女がその景色を見ることは無いのですから。

 こうやって心の中で昔語りごっこをしても、私に声は聞こえて理解できても、生物や植物には一切届かない。同じ〝モノ〟にしか声は聞こえない。悲しいものです。

 そしてこの歴史も、長くて短いラブストーリーも、貴女が聞こえるように語られることは無いでしょう。

『えー。こちらが県の史跡となっている、旧●●邸です。この建物は大正時代に建築され──』

 若かった私は貴女の先祖に恋をして、今は庭越しから、あの方にそっくりな貴女を見守っています。それはいつしか、貴女への恋になってしまいましたが。

「レンガのおじさん、今日は悲しそうだね」

「ああ、昔を思い出していてね」

「ふーん」

 私の話し相手は、細い道路を挟んで私の左に位置する公園にいる、君くらいだ。

「ところでおじさん」

「何だい?」

「おじさんの庭の前の歩道に一本だけ生えてるケヤキの木、あるじゃん」

「ああ。それがどうしたんだい?」

「あの木、何だか懐かしいんだよね。どうしてかは分からないけどさ」

「……そうかい」

 ああ、樹木であった〝君〟が羨ましい。今はベンチになって、もう植物と話せなくなってしまった君が。


 どうやって彼らが短い時の流れで結婚という概念を理解していたのかは、私には分かりません。しかし、樹木になる前からきっと、好きになるという感情、共に生きることへの希望、家庭を築くことへの憧れ。これらを持っていたのかもしれません。彼らは、前世もそれより遥か前からも、愛し合っていたのでしょう。

 私のような者でない限り、永い時を生きるのは、生き続けることは困難なのです。〝君〟のように災害に見舞われる万物、火事で焼け果ててしまう万物、再開発や不要と判断されたために、人間によって失われる万物。私は多くの変遷と共に生き、幾度もその様子を見て来ました。

だからこそ。時間が有限でいつ終わるか分からない生涯の中で、愛し合うことは尊いものだと思うのです。私は誰かと愛し合えないからこそ、いつかあのふたりがまた巡りあって、今度は声を交わし、再び共に過ごせるように、祈らずにはいられないのです。

 神様。こんな私が我儘なのは理解しています。永い時を生きることが恵まれているとするのなら、これ以上欲しがるのか、と呆れられてしまうかもしれません。

それでもどうか、万物の言葉が分かる程度の、いち建造物の願いを叶えてはくれませんか。

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