ねこと少女とバハムート

春待みづき

魔女とりんごと伝説の竜

 『人生とは冒険である』――と、誰かが言ったらしい。

 正直、余計なお世話だと、アタシは思う。

 冒険とはつまるところ、自ら危険に飛び込むということだ。未知なる強敵との戦いとか、未踏ダンジョンの攻略とか、そういう勇気と無謀をはき違えているヤツのすることなのだ。少なくとも、アタシはそんなことしたくない。

 危険は極力取り除くべきものであって、味わうようなものじゃない。そんなこともわからないようなヤツは、竜の餌になって死ぬか、死んだことにさえ気づかれないかのどっちかだ。

 アタシは〈色彩しきさいの魔女〉マリーベル。

 魔法が好きで、薬を調合するのも好き。絵を描くことなんかにもハマってる。まあ、最近はちょっと事情があってあんまり描けてないんだけど……。

 とにかく、アタシは平穏無事な毎日を享受したいだけなのだ。


 ……それがどうして、こんなことになってしまったのか。


「グルルゥウ……ギュオオオオオオオン!!」


 耳をつんざく咆哮ほうこう

 アタシは全身の赤毛を逆立たせて、それを見た。

 ――竜だ。

 伝説にうたわれた金色こんじきの眼をした白い竜が、突然アタシたちの前に姿を現したのだ。

 まさに未知なる強敵との遭遇。これぞ冒険――とでも言うと思った? 冗談じゃない!


ニャーはぁー……」


 ため息をつくと、勝手に猫の鳴き声に変換された。

 まったく猫の姿になってからというもの、いつもロクな目にあっていない気がする。

 あぁ、アタシの平穏無事な毎日は、一体どこへ行ってしまったのやら……。

 現実逃避するように、アタシは今日これまでの出来事を振り返る。


 ことの発端は、ひとつのうわさ話だった。


  †


「『願いがかなうりんごの』?」


 人通りの少ない街道を歩きながら、チビスケが素っ頓狂とんきょうな声で言った。パタパタと後ろ向きに飛びながら、器用に首を傾げてみせる。

 チビスケは灰色の鱗を持つ小竜だ。以前、とある森の泉でコユキが釣りあげて以来、アタシたちと一緒に旅をしている。


「うさんくせえ……誰に聞いたんだ? そんな話」


 疑いの目を向けるチビスケに対し、アタシのかわいい愛弟子であるコユキがむぅ、とくちびるをとがらせる。

 コユキは‟雪女”と呼ばれる一族の末裔まつえいだ。吹雪の夜に母親とはぐれてしまって、偶然この世界に迷い込んでしまったらしい。

 雪や氷を自在に操る不思議な力を持っていて、泣いたり怒ったりすると、体から冷気がれ出ることがある。


「昨日泊まった宿屋のおばちゃんが教えてくれたの。町はずれの森から続く山の上に、食べると願いがかなう不思議なりんごがなる樹があるんだって。……チビは信じてくれないの?」

「うっ……も、もちろん信じるぜ! 俺はコユキの守護竜だからな! コユキの言うことなら、どんな話でも信じることにしてるんだ!」


 ウソつけ。さっきまでちっとも信じてなかったくせに。

 アタシはコユキのかばんから顔を出して、チビスケに冷たい視線を送った。当の本人はコユキに頭をなでてもらってご満悦まんえつの様子。

 そしてようやくアタシの視線に気づいたかと思ったら、どうだ羨ましいだろう、と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべた。

 アホスケが偉そうにしてくれちゃって……!

 アタシは牙をむいてシャーッ! と威嚇いかくする。

 ちなみに、守護竜というのはチビスケが勝手に自称しているだけで、本人はただの記憶喪失の迷子竜だ。チビスケという名前も私が勝手につけた。最初こそカッコ悪いから嫌だ、と拒否していたのだけど、コユキが気に入ったから渋々受け入れたのだ。


「師匠はどう思う? この話」

「アタシ? うーん、アタシは眉唾まゆつばだとは思うけど……コユキは信じてるんでしょ?」

「うん。だって、もし本当に願いがかなうんなら、師匠の体や、チビの記憶がなんとかなるかもしれないから」

「コユキ……まさかオレのために、そこまで考えてくれてたなんて……!」


 いや、アンタだけのためではないっての。

 アタシは、元は普通の人間だ。変身魔法の薬の調合に失敗して、その結果……猫の姿に変身してしまった。人間だった時の髪の色と同じ、赤毛の猫に――。

 この旅は、アタシが人間の姿に戻る方法を探す旅でもあり、コユキが元の世界に帰る方法を探す旅でもある。

 なのにこの子は、いつも他人のことばかり優先しようとする。それが嬉しくもあり、ちょっぴり寂しくもあった。

 アタシはコユキの目の前で、あからさまにため息をつく。


ニャーはぁー……何を考えてるのかと思ったら……言ったでしょ。アタシの体は、王都にいるはずの師匠に会えばなんとかなるって。チビスケだって、記憶喪失のことなんてちっとも気にしてないんだから。コユキが変に気を回す必要なんてないの」


 前足でコユキの手をポンポンと叩く。

 本当は頭をなでたり、抱きしめてあげたい。だけど猫の姿では、これが精一杯。

 アタシはコユキの本音が聞きたかった。たとえ結果的にやることに変わりがないとしても――。


「コユキはどうしたいの?」

「……わたし、探してみたい。ホントにあるかは、わかんないけど……みんなで一緒に、見つけたい」

「そうよ、それでいいの。アタシたちのことなんて気にせず、コユキはコユキのやりたいようにすればいい。それに――」


 アタシはぴょんとカバンを抜け出して、自慢の赤毛を風になびかせながら、コユキの少し先を行く。

 コユキに手本を示すように、自分の意志で、一歩を踏み出す。


「――何があっても、アタシが一緒なら安心でしょ」

「……うん!」


 コユキは力強く頷いた。

 アタシはコユキの師匠であり、保護者のようなものでもある。だから娘同然のこの子の意思は、可能な限り尊重してあげたい。


「ほら、行くならさっさと行くわよ。もたもたしてると日が暮れちゃう」

「あ、置いてかないでよ師匠ー」

「ちょっ、待てよマリー! オレがいることも忘れんなよな~っ!」


 喋る猫を先頭にして、雪女の少女と竜の子どもが後を追う。

 はたから見ればとても珍妙な組み合わせで、なんとも愉快な光景だろう。

 これがアタシたちにとっての普通で、アタシたちの旅は、大体いつもこんな感じだ。



 そうして、アタシたちは『願いがかなうりんごの樹』とやらを見つけるべく、町外れの小さな山……ルヴェール山を登り始めた。

 初めは順調で、山道を歩きながら景色を楽しむ余裕すらあった。だけどそのうち道がひどく荒れ始めて、ほとんど獣道同然の、道なき道を行くことになってしまった。

 そこからは困難の連続だった。野性の猪に追い掛け回されたり、コユキが変な虫を捕まえようとして崖から落ちそうになったり、チビスケが毒キノコを拾って食べようとしたり……。


 ……思い返すとロクなことがないわね……。


 そんなこんなで……主にアタシひとりが苦労した結果……どうにか山頂に到着した。


「――あ! もしかしてあれがそうじゃねえか!?」


 何かを見つけたチビスケが、大声を上げて飛んでいく。

 見れば山頂付近には一本の大樹が立っていた。周囲には他に何もない。草原のような一面の緑と、雲ひとつない青空が広がっている。

 大樹の枝には真っ赤なりんごが実っていて、コユキとチビスケが爛々と目を輝かせているのが見なくてもわかった。


「これが、『願いがかなうりんごの樹』……!」

「うおおおおおー! でっけー!! こんなの見たことねえよ!!」

「ま、まさか本当にあるなんて……」


 たしかに、この木は普通じゃない。幹の太さは大人が横になってもすっぽりと収まってしまいそうで、高さにいたっては、民家をふたつ重ねてもまだ足りないと思う。

 この標高で、こんなにも大きく成長するものなのかしら。


「……もしかしたら、この木が周りの栄養を根こそぎ奪うせいで他の木が育たないから、こんな場所ができあがったのかもしれないわね」

「なるほど。師匠、頭いい」

「ふふん。当然でしょ。なんたってアタシは魔女なんだから」

「おーい、そんなことどうでもいいから、早く採って食べてみようぜ!」

「そんなことって、アンタねぇ……! 魔女にとってこういう観察力を磨くことはすごく大事なことで……」

「チビずるい。わたしも食べたい」

「よしきた、オレにまかせとけ。コユキの分も採って来てやる」

「ちょっと! 人の話聞きなさいよッ!」


 アタシの言葉になど聞き耳を持たず、チビスケがりんごを採りに飛んでいった。

 まったく、食い意地の張った竜だことで。


「……師匠、なにか聞こえる」

「え……?」


 その時、突然強い風が吹いた。

 耳元を通り過ぎる風切り音に混ざって、たしかに何かが聴こえたような気がした。バサバサと、まるで羽ばたくような音が――。

 アタシはとっさに上を見た。野性のカン、とでも言うべきだろうか。

 雲ひとつなかったはずの青空に、いつの間にか巨大な雲が現れていた。


 ……いや、違う。あれは雲なんかじゃない!


「チビスケ! いますぐ降りて来なさい!」

「えー? どうしたんだよマリー、そんなに慌てて……って、うわあああああああああああ!?」

「チビスケ!?」


 りんごを採るのに夢中になっていたチビスケが、再び吹き荒れた暴風に飛ばされた。

 ……まあ、チビスケも一応は竜なので。飛ばされた後は、どうにか自力で飛んで戻って来た。


「び、ビビったぁ……!」

「なにやってんのよ……っ、来るわよ!」

「グルルゥウ……ギュオオオオオオオン!!」


 それは空から降って来た。

 白銀はくぎんの鱗に、金色きんいろ。一対の純白の翼は、雄々おおしく気高い空の王者である証。

 間違いない。あれは――。


「――白亜はくあの竜、リィンヴルム……!!」

「知ってるの、師匠?」

「遥か昔に地上から魔族を追い払ったとされる伝説の竜の一種よ。そんな竜が、なんでこんなところに……」


 ……ていうか、めちゃくちゃ怒ってない? アタシたち何かした!?


「おい、なんかヤバくねえか!?」

「――――ッ!」


 チビスケの声にハッとして、アタシは感覚を研ぎ澄ませる。

 リィンヴルムが首を上に向けた瞬間、ヤツの魔力が跳ね上がったのがわかった。

 ブレスの前兆だ……!

 そう気づいた次の瞬間、リィンヴルムが炎を吐いた。超高温の火炎放射が草原を焼き払いながらアタシたちに襲い掛かる。

 アタシはすぐにふたりの前に出て、生い茂った大樹の葉から

 力強く深い緑色の、守りの力を具現化する……!

 

「――《新緑の護りリーフシールド》!」


 炎のブレスを、新緑の盾が受け止める。

 これがアタシの魔法、『色彩魔法カラーズ』の力。‟色”が持つ力と魔力を掛け合わせることで、様々な効果を発揮する。そして、触媒しょくばいとする‟色”が濃いほど、その力は増大する。

 これだけ大きな樹から‟色”を借りたのだ。たとえ竜のブレスでも、そう簡単には破れないわ……!

 だけど予想以上にブレスの勢いが激しくて、アタシは地面に爪を立てて踏ん張った。ジリジリと肌が焦げるような熱に耐え、早く終われ、と祈る。

 そうしてヤツが炎を吐き尽くしたのとほぼ同時に、新緑の盾も燃え尽きた。

 ――ふぅ、どうにか防ぎ切ったわね……って、ん? なんか焦げ臭いような……。


「ま、マリー……お前、尻尾の先っちょが……!」

「え……んニャアアアアアアア!? あ、アタシの自慢の尻尾が焦げてるー!?」


 くるりと尻尾を巻いて、ふーふーと息を吹きかける。

 あぁ……せっかく毎日のように、コユキがブラッシングしてくれてたのに……!


「あ、アイツ……よくもやってくれたわねッ……!!」

「じっとして師匠。すぐに冷やしてあげるから」


 コユキの力で焦げた尻尾を冷やしてもらいながら、アタシは考えていた。

 相手は伝説の竜。ブレスを防がれて警戒しているのか、いまはアタシたちの頭上を飛び回っている。

 このままじっとしてたんじゃ、同じようにブレスで焼かれて、今度こそ丸焦げにされてしまう。そうなる前に、どうにかしないと。

 だけど問題は高さだ。相手は自由に空を飛べる竜で、こっちは四足歩行のしがない猫。

 いくらなんでも、分が悪すぎる。


「……って、普通の人なら思うところでしょうけど、アタシは魔女よ。やられた恨みは、倍にして返してやらないと気が済まないわ……!」


 目には目を、歯には歯を――竜には竜をぶつけてやる!


「チビスケ、アンタのブレス――アイツにお見舞いしてやりなさい!」

「え……えええええ!? いやいやいや、オレのブレスなんかじゃ無理だって――!」

「やる前から無理って決めつけるんじゃないわよ! アンタ、コユキの守護竜なんでしょ! 少しはカッコつけてみせなさいよ!」

「うぐっ……そ、そうだけど……でも……!」

「でもじゃない! ほら、コユキからも言ってやりなさい」

「チビ……がんばって。応援してる」


 コユキは小さくガッツポーズをして、チビスケを鼓舞した。

 とてもシンプルな言葉だが、こういうのがチビスケには良く効くのだ。

 チビスケは腹をくくったのか、一度大きく息を吸って吐いた後、翼を広げて胸を叩いた。


「あーもう仕方ねえな! やるよ、やればいいんだろッ! その代わり、あとでちゃんと褒めてくれよな!!」

「うん。あとでいっぱいなでてあげる」

「よっしゃあ! 絶対だかんな!!」


 チビスケは空へ飛びあがり、ぐっとお腹に力を込める。リィンヴルムと同じように、体内の魔力が上昇する。


「ギュルルゥ、グオオオオオオオオオン!!」 


 ヤツもチビスケのことを脅威きょういと認識したのか、首を曲げながら急旋回し、チビスケを目掛けて飛んで来る。

 そうよ、もっと……もっと近くまで降りて来なさい……!


「ぐっ、ぐぐぐぐぐぅうう……ッ!」

「まだよチビスケ! もっと限界まで引き付けて!」


 迫る恐怖に耐えながら、チビスケはブレスを溜めてタイミングを計る。

 チビスケのブレスはリィンヴルムのような炎を吐き出すタイプとは少し違っていて、魔力を押し固めて吐き出すタイプの――言わば火炎玉かえんだまだ。速度は遅いしサイズも小さいから、普通に狙っていたのでは、当てることさえ難しい。

 だが、相手のほうから向かってきてくれるのなら、話は別だ。

 ヤツが前足を振りかぶった瞬間――アタシは叫んだ。


「――今よ!」

「グゥウウウオオオオラァアアアア――ッ!!」


 これ以上ない完璧なタイミングで、チビスケはブレスを吐き出した。

 あれだけデカい図体じゃあ、空中で急には止まれない……!


「グギャアアアアアアアア……!?」


 アタシの目論見もくろみ通り、煌々こうこうと燃え盛る火炎玉がリィンヴルムに命中した。

 爆発の衝撃によって、リィンヴルムがもだえ苦しむ。

 同時に、チビスケの悲鳴があがった。


「あっぢぃいいい――ッ! の、のどが焼け焦げちまう~っ!」

「竜のくせになんで自分のブレスで火傷やけどしてんのよ……でも、よくやったわチビスケ! あとはアタシたちにまかせなさい! ――コユキ!」

「うん。いくよ、師匠――!」


 コユキが空に向かって手を伸ばす。両手に冷気が集まって、彼女の周りにだけ冬が訪れる。


「……はぁあああ……むんっ」


 凍てつくような寒さを凝縮し、コユキが空に雪の花を咲かせてくれる。六角形の氷の結晶が階段のように連なって、ヤツのもとまで続いていた。

 アタシはそれを足場にして、地上から空へとひとっ飛び。猫の跳躍力をここぞとばかりに発揮した。


「尻尾を焼いてくれたお礼よ――アタシの魔法で、叩き落してやるわ!」


 アタシは自慢の赤毛から‟色”を借りた。

 小さい猫の右手に、魔力が集まって熱を帯びる。魔力はさらに膨れ上がって、アタシの右手は、ヤツよりも巨大な肉球になった。

 ――鮮やかで苛烈な赤色は、威力と重さを増大する!


「喰らいなさいッ! 《赤の一撃レッド・インパクト》!!」


 赤い猛烈な猫パンチが、白亜の竜を撃墜した。

 


 地上に落ちたリィンヴルムは、ぐったりと倒れたまま動かない。

 アタシの魔法が致命傷だった、ということではない。戦闘のダメージは大したことないようにみえて、リィンヴルムはどういうワケか酷く衰弱していた。

 コユキは横たわるリィンヴルムに寄り添って、鱗をなでながら優しく語りかけている。


「大丈夫……?」

「グルルゥ……」


 リィンヴルムは、弱々しく喉を鳴らして答えた。

 

「多分、魔力切れでヘトヘトなんだ。オレもはじめてブレスを打った後こんな感じになってただろ」

「言われてみれば、たしかに魔力の反応がほとんどしないわ……さっきのブレスで魔力を使い果たしちゃったって感じかしら」

「師匠、なんとかしてあげられない?」

「……って言われてもねえ……アタシの魔力を分け与えたところで気休めにもならないわよ」


 それにもうすぐ夕方だ。こんな場所で一晩過ごすのは危険すぎる。

 茜色に染まった夕陽が遠くの空に沈んでいくのを見ながら、アタシは焦燥感にかられた。


「……ん? お、おい! あれ見てくれよ!!」

「もう、こんな時にどうしたのよ……って、え……?」


 そこには、予想だにしていなかった光景が広がっていた。


「……りんごが、光ってる?」


 真っ赤だったはずのりんごが、夕陽を浴びて黄金色こがねいろに輝いていたのだ。


「これが『願いがかなうりんごの樹』の、本当の姿……?」

「……チビスケ、あのりんご採って来て。できればたくさん」

「……? おうよ、それくらいお安い御用だぜ」


 コユキは何を思ったのか、チビスケは落としたりんごを拾うと、リィンヴルムの口の前に差し出したのだ。


「コユキ!? アンタ一体なにを――」

「平気だよ。この子はきっと、お腹が空いてるだけだから。ほら、どうぞ」


 リィンヴルムが重たいまぶたを少し持ち上げる。コユキのことをじろりと見つめたかと思ったら、大きな口を半分ほど開けた。

 コユキとマリーは一緒になって、りんごを口の中へ放り込んだ。リィンヴルムは大量のりんごを丸飲みすると、すっくと上半身を起こし立ち上がった。

 これがこの竜の本来の魔力……すごい。さっきまで死にかけていたのがウソみたい。


「――感謝するぞ、人の子よ。危うく力尽きてしまうところであった」

「しゃ、喋ったぞコイツ!?」

「何を驚くことがある。お主だって喋っているではないか。同じ竜である我が喋れぬ道理はあるまい」

「え、あ、いや……それもそう……なのか?」


 首を傾げるチビスケを見て、リィンヴルムが鼻で笑ったのがわかった。


「それで? もうアタシたちと戦うつもりはないってことでいいのかしら?」

「もちろん。空腹で気が立っていたとはいえ、手荒なマネをしてしまった。改めて詫びるとしよう」


 そう言って、リィンヴルムが翼を打って風を起こすと、大量のりんごが落ちてきた。どれも宝石のようにピカピカに輝いている。


「礼と言ってはなんだが、我が黄金の果実を振る舞ってやろう。好きなだけ持っていくがいい」

「我のって……じゃあ、この木はアンタが植えたものなの……?」

「いいや、そうではない……我が盟友がこの樹の下で眠っているのだ。だから我は、時折こうしてここを訪れている。もう何百年も前から、ずっと独りでな――」


 リィンヴルムは、どこか寂しそうな瞳でりんごの樹を見つめていた。

 あぁ……そういうことか、とアタシは理解する。

 この木は竜の死体を栄養にして育ったのね。どうりでこんな大きさにまで成長するワケだ。


「じゃあ、『願いがかなうりんごの樹』っていうのは……」

「なんの話だ? ……あぁ、たしか人の子らの風説だったか。生憎あいにく、この樹にそんな力などない。ただ数十年に一度、こうして陽の光を浴びた果実が黄金こがねに色付き、豊富な魔力を含むというだけのこと。人間が食したところで、精々やまいを癒す程度のものであろう」

「そうなんだ。残念……」


 いや、食べただけで病気が治るとか、それだけでもかなりすごいことなんだけど……。


 願いがかなわないとわかって、コユキは目に見えて落ち込んだ。

 アタシはコユキの足に体をこすりつけて、ごろごろと喉を鳴らした。

 まったくアタシの弟子は本当にかわいらしい。


「いいじゃねえかコユキ。ここまで登って来る間も色々あったけど、オレは結構楽しかったぜ!」

「チビ……」

「記憶がないくらいどうってことはねえ。オレはコユキたちと一緒に、ワクワクドキドキするような旅ができればそれでいいんだ。だからコユキも、もっと気楽に笑っていようぜ!」

「ポジティブの権化か、アンタは……」


 でも、これがチビスケらしいといえばらしいのよね…。


「……うん。ありがとう、チビ。それから――はい。約束どおり、なでてあげる」

「あ、そういえばそうだった……グフフ、言ってみるもんだぜ」


 チビスケはコユキに抱かれながら、頭をなでてもらった。時折もれる声が妙におっさんくさいのはなんなのかしら……。


「なんだ、お主記憶がないのか?」

「そうだぜ。あ、もしかしてあんた、俺のこと知ってるのか!?」

「……いいや。少なくとも、我はお主のことを知らぬ。だが、

「へ? ど、どういうこと?」

「今はまだわからずともよい。お主がこの者たちとの旅を望むのであれば、いずれその時は訪れる。それまでは存分に――自分探しに励むがよい」


 自分探しって……思春期の子どもじゃあるまいし。


「これだから長命種は……」

「何か言ったか、赤毛の魔女よ」

「なんでもないわよ……って、アタシ、自分のこと魔女なんて言ったかしら?」

「戦いの最中さなかに口走っていたであろう。先の一撃は、見事な魔法であった」

「……そりゃあ、どうも……」


 まさか伝説の竜に魔法を褒めてもらえるとは思ってもみなかった。

 なんだかやけに照れくさい。


「――しっかし、これから山を降りなきゃいけないのよねぇ……あぁ、メンドクサい……」


 ニャーはぁー、とため息をつく。

 すると、コユキが何かひらめいたらしく、リィンヴルムを見上げてこう言った。


「ねえ、ドラゴンさん。お願いがあるんだけど」


 澄んだ瞳で微笑むコユキを見て、アタシは猛烈に嫌な予感がした。


「わたしたちを山のふもとまで運んでくれる?」

「ちょっとコユキ、何言ってるの! 相手はあの伝説の竜なのよ? それを移動手段代わりに便利に使おうだなんて……」

「いいだろう」

「ほら、やっぱりダメに決まって……って、え?」

「いいの……?」

「久方ぶりに人の子と語らえて我もたのしめた。お主たちの旅路に、我が華を添えてやるとしよう」


 リィンヴルムは翼を折りたたんで背を丸めた。どうやら乗れ、ということらしい。

 ……え、本当に乗っていいの? 途中で降り落とされたりしないわよね?


「よっしゃ。そうと決まれば善は急げだ」

「うん。おいで、師匠」


 コユキがアタシを呼んだ。これはいよいよ引くに引けない。

 アタシは覚悟を決めて、コユキのかばんに飛び込んだ。


「しっかり掴まっておれ」


 白亜の竜はアタシたちを背に乗せて、夕暮れの空へと飛翔した。

 竜の巨躯きょくがあっという間に地上を離れる。あれだけ大きく見えたりんごの樹が、もうあんなにも小さく見える。

 アタシたちは、燃えるような夕陽に目を焼かれながら、夕陽に向かって飛んでいく。

 絶景だ。いま筆を持っていないことが本当に悔やまれるくらいの――この世で最も美しい景色が目の前に広がっていた。


「……きれい」

「うん。すっごくきれい」


 無意識に出たつぶやきに、コユキが続けて言った。

 アタシたちは、どちらからともなく吹き出して、少し照れながら笑った。

 照れて赤くなった頬の色は、夕焼けの赤色が隠してくれた。


「なあマリー、見てみろよ! 次に行く町があんなに小さく見えるぜ!」

「……少しは大人しくしてなさいよ、アホスケ。アンタのせいでいい雰囲気が台無しよ」

「なっ、誰がアホスケだ、誰が――!」

「チビ、そんなに身を乗り出したら落っこちちゃうよ」

「大丈夫だって! ちゃんとコユキに捕まってるから」

「アンタ、ヘンなとこ触ったらアタシがただじゃおかないわよ」

「オレはそんなことしねえよ! こう見えて紳士的な竜だからな!」

「守護竜じゃなかったの?」

「紳士的な守護竜ってことさ!」

「ふふっ。なによそれ――」


 そうやってアタシたちは、伝説の竜の背中の上でいつものように騒いでいた。

 一時はどうなることかと思ったけど、案外なんとかなるものだ。

 コユキが持っていた黄金色のりんごを、アタシが爪で切り分ける。猫の前足で器用にりんごを持って、一口りんごを頬張った。しゃくしゃくと気持ちのいい歯ごたえに続いて、甘い果汁が口いっぱいに広がった。


「おいしいね、師匠」

「そうね。おいしすぎて、今日の疲れがどこかに飛んでっちゃったわ」

「なあなあ、残りは全部オレがもらってもいいか?」

「ダメ。残りは明日、焼きりんごにするの」

「おっ、いいなーそれ! 絶対うまいやつじゃん!」

「アンタは何食べても『うまい』としか言わないでしょうが」


 そんなことねえよ、と反論するチビスケの言葉を無視して、アタシとコユキは笑い合った。


 『人生とは冒険である』――と、誰かが言ったらしい。

 正直、余計なお世話だと、アタシは思う。

 その考えは、猫になったいまも変わりはない。

 だけど――。


「――たまにはこんな冒険も、悪くないかもしれないわね」


 ……え? 冒険はしないんじゃなかったのかって?

 いいじゃない。細かいことは言いっこなし。

 だって、アタシは猫だもの。


 猫はとっても、気まぐれなのよ。

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ねこと少女とバハムート 春待みづき @harumachi-miduki

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