骨鈴
田中鈴木
第1話
暦の上では秋で、実際は夏なんだか冬なんだか分からない、晴れた日。紅葉になる前に枯葉になった落ち葉が、神社の境内に散っている。重たい冬服に身を包み、常田心愛はいつもと変わらぬ通学路を歩いていた。肩にかからないくらいの黒髪が、歩みにつれて揺れる。神社の鳥居を過ぎようとした時、誰かがそこに居るのに気付いた。
和装のおばあちゃんが、神社の鳥居のあたりにしゃがみ込んでいる。病気なのかも、と思い、心愛はおずおず声を掛けた。
「あの、大丈夫ですか?」
おばあちゃんは振り向くと、しゃがみ込んだまま心愛を見上げた。しわしわの顔の中に小さな黒い目がぽちっと二つ並んでいる。手で石畳の上を探りながら、困ったように笑う。
「いえね、落とし物をしてしまって」
「落とし物、ですか」
「そう。鈴をね、落としてしまったの。なかなか見つからなくて」
そう言うと、おばあちゃんは石畳に視線を戻した。なんとなくそのままにしておけない気がして、心愛も隣にしゃがみ込む。中学の始業時間はもう少し先。十分くらいなら探し物を手伝っても問題ない。
「どんな鈴なんですか?」
「ちょっとね、変わった鈴なの。おまじないに使うものなんだけどね」
鳥居の周りの枯葉を手で払っていくと、何か丸いものが触れた。白い何かを拾い上げると、赤い飾り紐が付いている。何気なく手の平で転がすと、ころんとこちらを向いたそれには細かい歯が付いていた。思わず声にならない声を上げる心愛の後ろから、おばあちゃんが嬉しそうにそれに手を伸ばす。
「ああ、これこれ。ありがとう」
「え、鈴、ですか?それ」
おばあちゃんが飾り紐を持ってぶら下げるそれは、見たところ小動物の頭蓋骨だ。たぶん首の骨と繋がっていたところから紐が伸びていて、どこか脊髄を連想させる。鈴、という可愛らしい響きからは程遠いそれを、おばあちゃんは大事そうに掌に包み込んだ。
「そうよ。骨鈴と言ってね、おまじないに使うの」
「はあ」
よく分からないが、用が済んだのなら良かった。なんとなく背筋が寒くなり立ち去ろうとする心愛を、おばあちゃんが呼び止める。
「ありがとうね。何かお礼をしないとね」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮しないで。そうね、願い事を三回叶えてあげる」
「あ、いや……」
昔話でしか聞かないようなことを言われて、心愛の中に戸惑いが広がった。にこにこ笑うおばあちゃんは、冗談を言っている風でもない。
「言ったでしょ。これはね、おまじないに使う物なの。せっかく見つけてもらったんだから、あなたもやってみて」
そう言って差し出された骨鈴は、赤い紐の先でゆらゆら揺れている。大きさからするとネズミか何かだろうか。
「願い事、って言われても」
「何でもいいのよ。中学生ならテストで良い点取りたいとかモテたいとか、何かあるでしょう?」
「えっ、と」
ゆっくり左右に揺れるそれを見ているうちに、何か言わなければいけない気がしてきた。まあ、おまじない程度ならいいか。
「じゃあ、モテたい、とか?」
なんとなく気恥ずかしくなって目を逸らした心愛に、おばあちゃんがにいっと笑う。その口から覗く歯は、全部真っ黒に染められていた。
「いいだろう。一つ目の願い事だね」
揺れる骨鈴から、骨と骨がぶつかるような、どこか乾いた音が響いた。
「朝から数学ってダルいよねー」
前の席の星野花鈴に声を掛けられて、心愛は初めて教室に居ることに気付いた。朝、神社の前から学校までの記憶が無い。べつに普段から登校の様子なんて覚えていないが、ここまですっぽり抜け落ちているのは初めてだ。ぼんやりした視線を返すと、花鈴は「まだ寝てんの?」と笑った。
数学の授業が始まってからも、頭の芯に靄がかかっているような感覚が続いた。朝の出来事が本当にあったのかどうか分からなくなる。寝ているうちに夢を見ていて、寝ぼけたまま学校に来たとか?考えれば考えるほど分からなくなる。悩むのにも飽きて昼休みになる頃には、頭もすっきりしてきた。特にいつもと変わることもない一日だ。気にするだけ損、と思って花鈴と教室を出ようとしたら、通り過ぎざまに男子がドンッとぶつかってきた。
「あ、ごめん」
そう言って彼は去っていった。うっかりぶつかっただけ。特に気にすることもない、よくあること。花鈴に呼ばれて廊下を急ぐ心愛の中で、それでも引っ掛かるものがあった。
──今、体、触られなかった?
ぶつかった時に、体に当たった手。その感触が、べっとりと張り付いているようだった。
午後の授業中、誰かに見られているような嫌な感じがずっとしていた。
あの男子だけじゃない。他にもたくさん。誰、とかはもう分からない。ずっと監視されているような、落ち着かない時間が過ぎていく。何、これ。自分で言うのも何だが、目立つようなキャラじゃないし注目されるのも苦手だ。ぱっと顔を上げても、誰も見ていない。自意識過剰と言われたらそれまで、だけど。
『じゃあ、モテたい、とか?』
信じているわけではない。おまじないで何か叶うなら、これほど楽なことはない。そもそも本当にあったことなのかどうかも分からない。居心地の悪い教室の中で、時計の針は遅々として進まなかった。
放課後になってすぐ、心愛は逃げるように家に帰った。いつもの通学路でも、通りすがりの人に見られているような、嫌な感じがずっとしていた。
翌日、いつもより遅く教室に入った心愛を、もう隠すこともない視線が出迎えた。
男子の、品定めするような視線。自分の顔を、体を、見られている感覚。気持ち悪い。すぐに回れ右をして帰りたくなる気持ちを抑えて自分の席に座る。鞄をフックに下げた時に、違和感があった。荷物入れにしていたサブバッグ。ファスナーを開け、中を確認する。
リコーダーと、体操着が無くなっていた。
教室を飛び出して、トイレに駆け込む。吐き気がして洗面台に屈み込んだが、出てきたのは涙だった。ぼたぼた落ちるそれが、白々とした洗面台を濡らす。
「心愛?」
花鈴の顔を見て、何かが壊れた。ひいひい情けない鳴き声が心愛の口から漏れる。ためらいがちに濡れた頬に触れる花鈴の指が優しくて、また涙が溢れた。縋るように体を寄せると、そっと背中に腕を回してくれた。始業のチャイムが鳴っても、花鈴は心愛を宥めるように軽く背中を叩き続けていた。
ようやく話せるようになった心愛が思い付くままに口にする言葉を、花鈴は静かに聞いていた。時系列も何も無い話をしていくうちに、心愛も少しずつ落ち着いていく。授業中で誰も来ないトイレの中なんて場所で、ずっと一緒にいてくれた友達がありがたかった。
「ごめんね、ありがとう」
心愛がそう言うと、花鈴は応えるように背中に回した腕に力を込めた。手が、背中から腰を伝って──。
身を引き剥がすように両手で花鈴を押すと、目が合った。そこに浮かんでいた感情が、何なのかは分からない。ぞわっと心愛の全身が粟立つ。さっきまで優しかった手が、急に怖いものに変わった。何か言おうとする花鈴を置いて、心愛が駆け出す。上履きのまま学校を飛び出すと、後ろを振り返りもせずにとにかく走った。自宅の玄関に靴を放り出し、自分の部屋に飛び込む。荒い息のままベッドにうつ伏せに倒れると、またじわりと涙が滲んできた。
頭の中で、かすかに骨鈴の乾いた音が響いた気がした。
少し腫れた顔のまま夕食のテーブルについた心愛に、両親は何も言わなかった。黙々と食べ、半分ほど残して席を立つ。先に茶碗をキッチンのシンクに沈めにいくと、父親も冷蔵庫に何かを取りにきた。
「……可愛くなったなあ、心愛」
すれ違いざまにぼそっと呟くその声に、心愛の動きが止まる。リビングには戻らずに自分の部屋に入り、鍵をかけ、まだ不安でドアノブとベッドの足をビニール紐で結んだ。布団を体に巻き付け、ベッドの上に体育座りで座る。電気も付けない部屋の中で、目だけが爛々と冴えていた。
どれくらい時間が経ったのか分からない。暗い中で、ドアノブがガチャリと音を立てた。続けて二度、三度。前後にガタガタ揺れた後、ドアの向こうで舌打ちする音が聞こえ、足音が遠ざかっていく。
布団を握り締める手に、ぎゅうっと力がこもる。目を閉じることもできないまま、心愛は暗闇の中でじっと息を潜めていた。
相変わらずよく晴れた朝。母親が何度か起こしに来たのを無視して、家から音が完全に消えるまで心愛はじっとベッドの上で座っていた。しんと静まりかえった家の中で、ようやく体を伸ばす。ガチガチに固まった体が悲鳴を挙げる中、よろよろ立ち上がって制服に着替えた。着替えてどうするんだろう。学校には行きたくない。二度と行きたくない。でも家にも居たくない。どこにも、居たく、ない。
フラフラ外に出て、なんとなく通学路を辿る。あの神社の前に差し掛かると、見覚えのある和服が目に映った。おばあちゃんが、にこにこ笑いながら鳥居の横に立っている。
「ああ、お嬢ちゃん。また会ったねえ」
「戻して」
心愛の口から、ぽつりと言葉が漏れた。
「戻して。元に戻して、お願い」
じわりと涙が滲んで、すぐに粒となって零れ落ちる。震える声が止まらない。
「こんなの、嫌だ。元に、戻して。私、こんな、望んで、ない」
「モテたいって、言ったじゃないか」
おばあちゃんが笑みを深める。小さな黒い目には、白目も虹彩もなかった。ただ穴のように黒い丸が、そこにあった。
「違う。こんなの」
「お子ちゃまじゃあるまいしさ。性欲向けられる以外に何かあるとでも思ったのかい?」
「嫌だ、よ、こんな。元に、戻して」
「それが二つ目の願い事でいいかい?せっかくのお呪いを、こんなことに使っていいのかねえ」
「いいから!元に戻して!」
絶叫する心愛の前に、脊髄ごと抜き取ったような頭蓋骨が差し出された。骨鈴がゆっくり揺れて、乾いた音を立てる。
「元に戻すよ。一つ目の願い事の前に、ね」
何かすごく変な夢を見た気がする。
アラームより早く目覚めて、心愛はぼんやり天井を見上げた。それなりに寝たはずなのに、ぜんぜんすっきりしない。遅れて鳴るアラームを止めて、渋々ベッドを離れた。
暦の上では秋で、実際は夏なんだか冬なんだか分からない、晴れた日。紅葉になる前に枯葉になった落ち葉が、神社の境内に散っている。重たい冬服に身を包み、心愛はいつもと変わらぬ通学路を歩いていた。肩にかからないくらいの黒髪が、歩みにつれて揺れる。神社の鳥居を過ぎようとした時、誰かがそこに居るのに気付いた。
和装のおばあちゃんが、神社の鳥居のあたりにしゃがみ込んでいる。病気なのかも、と思い、心愛はおずおず声を掛けた。
「あの、大丈夫ですか?」
おばあちゃんは振り向くと、しゃがみ込んだまま心愛を見上げた。しわしわの顔の中に小さな黒い目がぽちっと二つ並んでいる。手で石畳の上を探りながら、困ったように笑う。
「いえね、落とし物をしてしまって」
「落とし物、ですか」
「そう。鈴をね、落としてしまったの。なかなか見つからなくて」
そう言うと、おばあちゃんは石畳に視線を戻した。なんとなくそのままにしておけない気がして、心愛も隣にしゃがみ込む。中学の始業時間はもう少し先。十分くらいなら探し物を手伝っても問題ない。
「どんな鈴なんですか?」
「ちょっとね、変わった鈴なの。おまじないに使うものなんだけどね」
鳥居の周りの枯葉を手で払っていくと、何か丸いものが触れた。白い何かを拾い上げると、赤い飾り紐が付いている。何気なく手の平で転がすと、ころんとこちらを向いたそれには細かい歯が付いていた。思わず声にならない声を上げる心愛の後ろから、おばあちゃんが嬉しそうにそれに手を伸ばす。
「ああ、これこれ。ありがとう」
「え、鈴、ですか?それ」
おばあちゃんが飾り紐を持ってぶら下げるそれは、見たところ小動物の頭蓋骨だ。たぶん首の骨と繋がっていたところから紐が伸びていて、どこか脊髄を連想させる。鈴、という可愛らしい響きからは程遠いそれを、おばあちゃんは大事そうに掌に包み込んだ。
「そうよ。骨鈴と言ってね、おまじないに使うの」
「はあ」
よく分からないが、用が済んだのなら良かった。なんとなく背筋が寒くなり立ち去ろうとする心愛を、おばあちゃんが呼び止める。
「ありがとうね。何かお礼をしないとね」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮しないで。願い事をあと一回叶えてあげる」
「あ、いや……」
昔話でしか聞かないようなことを言われて、心愛の中に戸惑いが広がった。にこにこ笑うおばあちゃんは、冗談を言っている風でもない。
「言ったでしょ。これはね、おまじないに使う物なの。せっかく見つけてもらったんだから、あなたもやってみて」
そう言って差し出された骨鈴は、赤い紐の先でゆらゆら揺れている。大きさからするとネズミか何かだろうか。
「願い事、って言われても」
「何でもいいのよ。中学生ならテストで良い点取りたいとかモテたいとか、何かあるでしょう?」
「えっ、と」
ゆっくり左右に揺れるそれを見ているうちに、何か言わなければいけない気がしてきた。まあ、おまじない程度ならいいか。
「じゃあ、モテたい、とか?」
骨鈴 田中鈴木 @tanaka_suzuki
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