君が選ぶ100物語 第0話 

朔夜

第0話 始まりの物語

ーーここはどこ。

 

 貴方が目を覚ませばそこは見知らぬ部屋の中だった。

 辺りに照明の類は無く、机の上に置かれた心もとない蝋燭だけが頼りだった。受け皿に零れた溶けた蝋に気を付けながら、手に取り、辺りを見渡してみる。部屋の中は何もなく、ただ一枚の扉があることだけが分かった。

 この部屋は一体何なのか。自分はどうしてここにいるのか。思考を巡らせるが何も思い出せなかった。

 もし、この空間が、この時間が夢ならば目を閉じれば覚めるはずだろう。

 ぎゅっと瞳を閉じた。深呼吸を繰り返し、五分。思い切って目を開ける。

 そこは先ほどと何ら変わりのない部屋の中だった。 なるほど。どうやら夢ではなかったようだ。何故かそうしっくりくる自分が、少しだけ怖くなった。


 扉の向こうは廊下の様だった。

 慎重に、慎重に足を進めてゆく。一時間にも感じる時を経てようやくたどり着いたのは一枚の扉だった。

 木製で取っては無い。引き戸の様だ。


 貴方は中の様子を伺うために四センチばかりの隙間を作った。

 とたんに廊下に明かりが漏れる。橙色の暖かな光だった。部屋の中に目を凝らす。どうやら天井からぶら下がった小さな照明器が原因らしい。視線を下げる。照明器のその下で本を読む一人の人物を見つけた。


 思わず息を飲んだ。人物は辞書かと思う程の厚い本を片手で読んでいた。だがそこに驚いたわけではない。

 人物、こと彼、いや彼女だろうか。性別の見分けが全くつかないのだ。

 少女、という言うには見分けがつかず、少年というにはあどけない。

 女性だと言えば確かに面影はあるが、男性だと問えば男性だとも思う。

 なのに完成された美があった。どちらでもいい、どちらだっていい。人に対してそんな印象を抱いたのは始めてだ。

 改めて観察してみる。緩くカールした白い髪は肩の少し下で止まり、下渕の黒い眼鏡はどこか濁っている。

 切れ長の瞳に、形のいい唇。すらっと伸びる細い鼻に、輪郭の細い顔。日本人形を彷彿とさせる美しさを持ち合わせているのに、サイズの合わない黒パーカーにその下に見える緩いネクタイ、縒れたワイシャツがその美しさを帳消しにしている。

 そのアンバランスさに、貴方はつい、物音を立ててしまっていた。


 「ん?」 


 彼、いや、彼女は物音に気が付いて本から顔を上げる。驚いたように見開かれた目が貴方と合った、かと思いきやゆったりとその目を細め、わざとらしい笑顔を作り言った。


 「やぁ、読者」


 読者。自分は読者だと 彼、いや彼女は言った。何を言っているのだろうか。まるで分からない。

 そんな貴方の心情を汲んだのか、彼、彼女は本を置いて立ち上がり、


 「こっちにおいで。そこじゃぁ、暗いだろう?」

 

 扉を開いて貴方を中に招き入れた。


 中は、想像していたよりも広かった。全体で八畳ほどだろう。フローリングの床には黒いカーペットが敷かれ、その上に木製のテーブルと椅子が二つ、体面に並んでいた。

 それよりも何よりも目を引いたのは、壁一面に広がる本棚だ。そのどれもに色とりどりの表紙が並べられ見ているだけで何だか楽しくなってくる。

 自分がはて、本が好きだったのかどうかはおいて置き、少なくとも目の前に広がる異質な光景を受け入れられているという事実に驚いた。


 「気になるかい?」


 そう尋ねられ、貴方の素直な首はこくりと頷いているではないか。なんだか気恥ずかしい。


 「今回の読者は素直でいいね。期待できそうだ」


 貴方は彼、彼女、あぁ、もうややこしい。

 の話を聞くために、目に映る本棚から興味を逸らして椅子に座るのだった。

 

 「あの…貴方は一体誰なんですか?」


 彼、彼女に自分は問いかけた。肩にかかる緩いカーブの髪を人差し指でいじりながら、


 「私は案内人だ。君の担当で、この案内室の住人。名前はないから君が好きに呼んでくれ」


 「…は?」

 たまらず眉が引き攣る。この人は一体何を言っているんだ。


 「はは。新しい読者は面白いね。君ならこの物語を完結させれそうだ」


 「あの、一体さっきから何を言ってるんですか?意味が分かりません」


 「うん。だろうね。けどすべてを分かろうとするなんてこの場所では必要ない」


 「どういう意味ですか」


 「君がここに来たのは偶然なんだよ。散歩に出かけたら旧友に出会ったように、昔無くした思い出を、ある日何の気なしに思い出すように。繋がった糸の先に恋人がいるように。そんな偶然と奇縁が読者、君をここに呼んだんだ」


 誌的な表現に思わず顔を顰める。でも言っている意味はなんとなく分かった。偶然、自分はここに呼ばれた。本当にそれだけのことなんだろう。


 案内人はテーブルの上に置いてあった本を自分に向かって差し出した。


 「これは?」


 「君が見つける物語 その一冊目だ。始まりときっかけは常に隣り合わせでね。最初の道だけを指し示すのが私たち、案内人の最初の仕事だ」


 読め、という事なのだろうか。

 自分は、案内人に一つ頭を下げてから、中を開いた。


 『初めまして。この本を読んでいるということは、君は案内人に出会ったんだね

 はは。大丈夫だ。君の困惑は手に取るようにわかるからね。

 さて、何から話したらいいか迷うが、まず一つ。君は自分が何者か思い出せるかい?』


 たった、それだけの文章。見開きの二ページまるまる使ったその文字の羅列に自分ははっと、気づかされた。

 目線を上げる。案内人が、じーとこちらを覗いていた。やけに優しい視線が突き刺さる。自分は小首を傾げてから、目を閉じて、自分が何者なのかを思い出そうとした。


 「…………」

 自分は思わず自分の頭を押さえていた。何も無かったのだ。頭の中が空っぽだったのだ。

分からない。自分が何者なのか、自分が何をしていたのか、そして、自分の名前が何だったのか…。何一つ分からない。今までの自分が何をしていたのか、自分が一体どれだけの年を重ねていたのか、自分が男なのか女なのかそれすらも分からない。

 雪が解けて春が来るように、夏が過ぎて秋が来るように、地球が回って時間があるように、当たり前のことが自分にあったはずなのに。

 それなのに、何も分からなかった。記憶が全て消えている。確かな過去が、あったはずの未来が、自分のこの手で掴んだはずの夢が、どこにも無かった。いや、そもそも夢など無かったのかもしれない。過去も臨んだ未来も無かったかもしれない。けれど、自分の中にあった、確かなものは、今、この場において、自分には何一つ持ち合わせていなかったのだ。


 「怖がらなくていい」


 錫のなるような軽やかな声が響いた。案内人の声だった。中腹あたりを擽る柔らかな声に自分は自然と落ち着きを取り戻していた。


 「すみません」

 本を閉じて頭を下げた。


 「謝らなくてもいいさ。今まであったはずの”自分”が見えなくなってるんだからね」


 「自分が見えない?」


 「あぁ。そうだな。例え話をしよう。この世界は海だ。深い深い水の塊だと思ってくれ。君はその海に投げ出された水母だ。水母は分かるよね?」


 「はい」


 「なら良かった。海って言うのは何処までも広くて、どこまでも深い。君はそんな無限のような場所に放り出された。最初は抗ったはずだ。波に吞まれないように。波に攫われないように。けれど広大な自然の前で君は無力だったんだ。

 結局、君は流されて、水母という形すらも保てなくなったんだよ。その時、君の体、今でいう水母という形がね、砕けて海に溶けてしまったんだ。

 つまり、」


 「つまり、自分はこの世界に来た際、記憶は全て海に溶けてしまった。そういうことですか?」

 案内人の言葉を、自分は自分の解釈で続ける。


 「そういうこと。物分かりがいい読者だね。私は好きだよ」

 案内人は驚いたように目を見開いて、眼鏡を押し上げた。


 「だけど、少しだけ違う。君の記憶は海に溶けたわけではなく、欠片となって海に落ちたんだ」


 「なるほど…」


 「だけどそんなに不安がらなくていい。これがさ、君が落とした記憶の欠片は集めることが出来るんだ。その回収を手伝うのが私の仕事で、そして君がこの世界から抜け出す手段なんだよ」


 「そういうことなんですか…」


 自分は考え込む。この案内人の言うことは正しいのだろう。そんな気がしてならないのだ。確かに自分の記憶は今はない。けれどついさっき、それこそ水母の話を聞いているときに思い出したのだ。

 自分の性別を。


 今はただ、其れしか分からない。けれどすべて思い出せばきっと、自分が何者だったのかはっきりと分かるような気がするのだ。


 「どうやったら記憶の欠片を集められますか?」


 「お。いいね。それじゃあ教えよう。本の続きを読んでくれ」

 

 案内人が身を乗り出し、ぐいっと本を自分に押し付けた。自分は抗うことなく本を開く。



 『案内人から聞いたかな?それじゃあ簡潔にまとめよう。あ、その前に一つだけ。

 案内人についてだ。これはまぁ、名前の通りなんだけど君のこれからを案内してくれるものだ。。君が何に迷おうとも一緒に笑って、一緒に泣いて、そして最後には君の望む場所へと案内してくれるからさ。

 だから、君自身について少しでも分かることがあったら、案内人に伝えてあげてほしい。あのもの達はそれを聞いて、君を導くこともあるし、逆に何もしないことだってある。アドバイスするだけが、案内するだけがあのもの達の仕事じゃないんだ。そこだけは把握してあげてね。

 それじゃあ本題。欠片の集め方についてだ。それは本当に簡単!

 案内人のいる部屋に、(僕たちは案内室と呼んでいる)来て、一日一冊、本を読むこと。これだけだ。

 本っていうのは、案内室の壁にあるやつ。好きなように読んでいいけど、一日一冊。これは絶対ね!

 一つ。

 この場所に来たらまっすぐに案内室に向かうこと。

 二つ。

 案内室についたら一日一冊、本を読むこと。

 三つ。

 自分の全てを思い出したら、決断すること。

 これだけ覚えていたら大丈夫。君が選んだ選択が、君自身の記憶に繋がっていくんだ。だから深く考えなくても大丈夫。

 君の選択に後悔と迷いがあっても、その先に幸運が贈られますように。

                              案内人より』




 「どうだった?君の選んだ最初の本。あ、いや最初は私が選んだから厳密には選んでないけど」

案内人の涼しい声がする。


 「まだ一冊目ですけど…面白そうですね」

 本心だった。ここがどこだか、自分が誰なのかさっぱり分からない。けれどなぜか不思議とわくわくしている自分がいた。眠っていた冒険心が擽られるように胸の内が僅かに震える。


 「あっはっは!!!」

 音の無い部屋に案内人の高笑いが軽やかになる。


 「君は本当に面白い!ここに来てそんなことを言ったやつは初めてだ!!あぁ、私の担当が君で本当に良かった!これからよろしく。迷子の読者?」


 案内人が自然な流れでウィンクを繰り出しその左手を伸ばしてきた。そこで自分は初めて案内人の瞳を見たような気がする。照明の光加減か、ずっと黒だと思っていたそれは、自然なほどに青かった。済んだ空のような、天然の青。あまりにも綺麗で、自分はつい見入っていた。

 頬をぱしん、と叩いて自分を起す。なんだかこの案内人に魅入るなんて、自分らしくない気がしたから。


 「迷子ちゃんではないですけど、これからよろしくお願いします。案内人さん」


 自分は、右手を出して、しっかりと握手を交わした。

 案内人の手は驚くほど心地よかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君が選ぶ100物語 第0話  朔夜 @sakuya-tukikage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ