魔法のない世界へ

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魔法のない世界へ


今年四歳になる弟は、真っ赤なほっぺを膨らませていじけていた。キィキィと、庭にあるブランコが弟を乗せて揺れる。朝の空にはかたまりになった雲がひしめいて、白く輝いている。


弟は、わたしが手にしている帽子に、忌々しげな視線を送った。

小さな小さな、子供用のとんがり帽子。

緩く折れ曲がった先端には、小さな星が揺れている。夜道を歩く時は足元までを照らし、体調が悪い時は赤く点滅して知らせてくれる。


「なんでぼくだけなの?」


五歳児クラスに編入が決まった弟は、大好きなはずの朝いちばん体操も踊らずに、小さく背中を丸めている。

わたしの弟は、年齢的にはまだまだ小さいはずの魔力が、人よりも早く大きくなってしまったのだ。


「こんなにちっちゃかったのが、こんなおっきくなったの?」


弟はわたしの真似をして、親指と人差し指で小さな輪っかを作った後、両腕を使って大きな丸を作った。その拍子にギィギィとブランコが軋む。

魔力の成長には個人差がある。園の先生は、一年だけ先に学んで、遅れてやってくるお友達に教えてくれる? と優しく弟を説き伏せたが、一晩たって言葉の魔法は解けてしまったらしい。


「みんなと、いっしょがいい」


膨れっ面の頭に帽子を乗せる。よく似合うよ、というと満更でもなさそうに口を尖らせた。帽子のつばで顔が見えなくなったので、しゃがみ込んで弟の顔を見上げる。


「帽子が頭から落ちるような振る舞いをしてはいけないよ」


そういうと、弟は途端に神妙な顔つきになった。父と母にはあらかじめ言われていたであろう文言を、わたしも口にしたからだ。弟は家族全員から言われたことは、とても重大なものであると受け止める。分かった? と問うと、弟はとてもしっかりと頷いた。


送迎バスの時間が迫っている。手をとって一緒に立ち上がる。被り慣れない帽子が落っこちないように、小さな手が帽子を抑えた。



・・・



園からの連絡の通り、弟は泣き腫らした目で帰ってきた。差し出したわたしの左手を、両手でぎゅっと握る。家に入るのを嫌がったので、庭の木の下で少しだけお喋りしていくことにする。


園庭で、二人の子供が魔法を使ってケンカをしていた。最初のうちは互角に、しかし長引くにつれ、力の差が出始めた。


「やめてやめてって、いってたんだよ」


半べそをかいた子供が中止を訴えても、相手の子供は魔法を止めなかった。

弟がやめてって言ってるよ、と言いにいっても、取り合ってはもらえない。魔法は鋭さを増していく。


「それで、どんってしちゃったの」


弟にどんってされた子は尻餅をついたそうだ。帽子は落ちなかったらしい。それでもされた子はとても驚いたし、当然問題になった。


「どんっは、ダメだね」


ごめんなさい、と調子の外れた大きな声が響いて消えた。涙のたまる瞳に笑いかける。

怖かったんだよね。魔法が、人を傷付けてるように見えたんだよね。でもね、帽子は落ちてなかったでしょ。


「あれ、やだ、なくていい」

「でも、あるからなあ」


弟に睨まれる。なんで魔法はあるのか、なんのためなのか、使うのは、誰のためなのか。

かつて自分が抱いた疑問と同じものを、弟も抱いたのだろうか。


庭の真ん中で、所在なげにブランコが揺れる。わたしは庭の木の下で、ブランコに揺られた幼い自分を懐かしんだ。


95パーセント。人の持つ魔力というものの、魔法と呼ばれるものの、未解明とされる部分だ。

わたしたちは全てを分かったような顔をして、ほとんど謎のものと共に生きている。

怖がるべきか、親しむべきか。それさえも結局は分かっていないのだ。弟が魔法を怖がること自体は、叱れない。


数日を園で過ごしても、弟はまだ魔法というものに実感がない。5パーセントを説明しても、まだ難しいだろうと思う。思うけれど。


「あのね、お姉ちゃんたちは、魔法は、人を傷付けないためにあると、思ってるんだよ」


弟が力任せに涙を拭う。ハンカチを差し出すと突っぱねられた。ブランコまで走っていく。

気難しくて疑り深いが、ぷくぷくほっぺは大変かわいい。

わたしは弟の背中を見送って、庭の木の裏に身を寄せた。



・・・



穏やかな朝日の中、門の影に男の子が立っていた。弟にどんっをされた男の子だった。


「ミコトです。お姉さんですか?」


ミコト君はとても丁寧に、朝の挨拶をした。朗々とした口上は、わたしに平均点に満たなかった詠唱試験を思い出させた。記憶が正しければ、ミコト君は六歳のはずだ。


「弟さんが、今日、園にいくのを嫌がったら、それは僕とのことが原因なので、来た方がいいと思って、来ました」

「それは、ご丁寧に。座ります?」


庭のブランコを薦めると、ミコト君は丁寧に遠慮した。わたしが弟のしたことを謝るのにも、目を伏せて首を横に振る。


「園で学び始めたばかりの子供たちに、トラブルが起きるのはよくあることなので、大丈夫です」


ミコト君は、園の0歳児クラスから通っているらしい。ほとんどの子供は、五歳ほどの年齢で魔力が成長を始めるのだが、0歳から四歳児クラスは、成長をはじめる前の魔力がすでに強大な子供が通っている。つまり、エリートというやつだ。


「魔法のケンカでは、人体を傷つけるような魔法は使いません。それは作法に反するので。あいつ…、じゃなく彼は、それが分かっていなかっただけです」


魔法というものを理解し、その運用に心を配り、未熟さから間違えた者をいたずらに糾弾することもない。


「園で学ぶのは僕たちの義務なので、彼にもしっかり学んでほしいと思っています」


庭の木から落ちてきた葉が、ブランコに向かって流れていく。柔い朝日はたおやかに降り注ぐ。祝福のようだと思った。

賢くて、正しいね。ミコト君はきっと、立派な人になるんだね。


「はい、社会と未来に貢献します」


光を受けて伸びていく。魔法があることには意味がある。社会は意味を見出している。

ミコト君は、わたしの頭部で視線を止めた。


「どうして、ちゃんと帽子を被らないんですか?」

「だって、まるで魔法使いみたいでしょ」


帽子が落ちるような振る舞いをしてはならない。


わたしたち魔法使いの掟。社会に、わたしのこの身に、染み付いている大切な掟。

ミコト君は不思議そうな顔をしていた。変な顔だね。


わたしの内緒の話をしよう。

わたしは憧れているのだ。魔力を持たず、身ひとつで発展し続けた、古の種族に。彼らは魔法を夢物語とした上で、憧れ、夢想していたらしい。


遠く、遙かなる地平に、野蛮で粗暴で、血と暴力に塗れた世界があった。混乱と狂騒、苦痛と悲痛に満ち満ちていたという、昔々の世界。

そんな世界を、光に向かって弛まずに歩み続けたという古の種族に、わたしは夢を見ているのだ。


「おねえちゃん?」


弟が玄関からすり足で出てきた。帽子がずり落ちそうになっている。園に行きたくなくて、支度をいい加減にしたのだと思う。弟はミコト君がいることにびっくりした後、きゅっと帽子を被り直した。


「すわりますか?」

「うん…」


弟がブランコを勧めたけれど、ミコト君は曖昧に頷いただけで、座るつもりはなさそうだった。弟とミコト君は、ブランコを挟んで向かい合う。


わたしは庭の木の周りを、ゆっくりと回る。ハラリハラリと落ちてくる葉が帽子に溜まっていく。わたしは一歩進む度に、帽子に花を芽吹かせた。

咲き誇るのは、餞の花。瑞々しく花開き、散って、朽ちていく。


「おねえちゃん!」


最後の花が落ちていく。

弟は嬉しげにわたしを呼んだ。晴れやかな表情で、丸いほっぺが緩んでいる。弟とミコト君は二人だけで話をして、仲直りすることに決めたらしい。繋がれた手がゆらゆら揺れる。


「ミコトくん、ぼくが魔法が上手になったら、ケンカしようね」

「いいけど、ちゃんと上手になってからだよ。ちゃんと作法があるんだから」


魔法がなかった頃、ブランコに揺られていた。思い切り漕ぎすぎて落っこちた時の、擦りむいた膝の痛みを覚えている。

わたしたちは、帽子を落とすような振る舞いをしてはいけない。

魔法は優しく、人は傷むこともない。古のあなたが到達した、眩いほどの光の道。


小さな帽子の魔法使いたちがバス停まで歩いていく。明るい空の下、健やかに伸びゆく。

魔法のある世界へ。



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