第三話 悲しみの連鎖を止めて
歩道のわきの雑草をかき分けていると、雑草の根元に光るものが見えた。指輪だった。小さなダイヤがはめ込まれたシンプルな装飾の指輪が出てきた。
「あった! あったよ、海斗!」
「ほんとに?」
海斗は背後から俺の視線の先の物を見た。
「それだよ。それが俺の指輪だ!」
俺は海斗の嬉しそうな声を聞いて、思わず笑顔が出た。そして、その指輪を掴んで、掌の上に置いた。
海斗は嬉しそうに、それと同時に慈しむように指輪を眺め、手で掴もうとした。しかし、肉体のない彼には掴むことはできず、彼の指は指輪をすり抜けた。
一瞬、海斗の顔は曇ったが、すぐにその表情を隠して、俺の方に向き直った。
「ありがとう、凱弥。あとは佐唯に渡すだけだ」
俺は強く頷いた。彼のことを見ていると、自分が生き返る可能性があることが後ろめたく感じた。可能であれば、俺と彼が入れ替われたらいいのにと思ってしまった。俺自身は死んでも構わないけど、彼には生きていてほしかった。
その時だ、展望台側に誰か人が訪れるのが見えた。そのことに海斗も気付いたようで、俺と海斗は展望台にいる人の方を見つめた。
「佐唯」
海斗はそう呟くと、走り出していった。
「え、ちょっと」
俺は指輪をなくさないようにしっかり手で握りしめると、車が来ないのを確認してから道路を渡った。
もしかして、今展望台に来た人は海斗の恋人なのだろうか。夜に女性が一人で人気のない場所に来ることに俺は嫌な予感がした。
海斗は佐唯と呼ぶ女性の後ろに立つも、女性は一切気付かない。当然だ、海斗は幽霊なのだから。だが、俺はどうだろうか。一応、幽霊ではないし、彼女に俺は見えているのではないか。
そう思いながら、少しずつ近付いていくと、おもむろにその女性は展望台の手すりを越えようとしていた。手すりの先は崖になっていて、落ちたらただではすまない。俺は慌てて彼女に駆け寄った。
「ちょっと、あんた、何をしようとしてるんだ」
今さっき自殺をした男が言って良いセリフではなかった。ただ、自分が死ぬのはどうとも思わないが、他人が死ぬのを黙って見ていられるほど俺は薄情ではない。俺は女性の腰に手を回し、手すりを乗り越えるのを阻止しようとした。
「やめて、死なせて!」
力に自信があるわけではないが、小柄な女性を抱える程度、わけなかった。俺は自殺しようとしている女性を手すりから下した。女性は再び手すりの方に向かおうとしたが、俺はそれを阻止した。
その間、海斗はおろおろしながらその様子を眺めていた。そんな彼を見て、俺は思わず口が動いた。
「海斗が、あんたに死んでほしいと思っているのかよ」
それを聞いて、女性の動きが止まった。
「なんで、海斗のことを」
俺は顔を見られないようにフードを深めに被り直して、そっぽを向いた。
「まぁ、俺は海斗の、トモダチ? みたいなもんだから」
「だったら知ってるでしょ。海斗はここで死んだの。だから、私もここで死んで、あの人の元に行くの」
海斗の顔は悲しみとふがいなさで歪んでいた。俺はそれを見ていられず、海斗が佐唯と呼ぶ女性に言い返した。
「だから、海斗が悲しんでんだよ。あんたが死のうとしているのを見て」
「なに、あなた? 私をからかっているの。顔くらいをちゃんと見せなさいよ」
そう言って近づいてくる佐唯から、俺は距離を取った。
「いやいやいや、こっち来ないで」
そうやって、俺が佐唯から逃げていると、立ち尽くしている海斗にぶつかった。正確には海斗の体は幽霊なので、俺と海斗の体が重なった。
次の瞬間、俺の意識は少し遠くに行った気がした。そして、俺の体に海斗が入っていくのが分かった。
そうやって俺が立ち尽くしていると、佐唯が追い付いてきて、俺のフードをめくった。そして、髑髏の顔を彼女に見られたかと思ったが、佐唯は俺の顔を見つめたまま固まっていた。
「・・・海斗」
「佐唯」
俺は自分の意志とは関係なく、喋っていた。きっと、海斗が喋っているのだろう。鏡がないので確かめようもない。
生きてもいない、死んでもいない俺の体は幽霊と一体化できる、そんな性質があるのだろうか。はっきりとしたことは分からないが、きっと今の俺の体は海斗になっているのかもしれない。
佐唯さんの目から涙が溢れてくると、俺の体は彼女を抱いていた。そして、俺の目からも涙が流れていた。
「佐唯、会いたかったよ」
「私もだよ」
そうやって、俺は何だか気まずい気持ちのまま、二人のやり取りを海斗の目線で見つめていた。そうやって二人はしばらく抱き合ったあと、俺の右手は握っていた指輪を佐唯の目の前に差し出した。
「俺はもう死んでしまって、この世にはいない。今、こうして君と話しているのは気のいいやつが助けていてくれるからなんだ」
佐唯は涙を流しながら、黙って聞いていた。
「この指輪を受け取ってほしいとは言わない。ただ、佐唯は俺の後を追わず、他に君を大切にしてくれる人を探してほしい」
「海斗より私を大切にしてくれる人なんて」
「いるよ、きっと。だから、もう涙を拭いて」
俺の左手が彼女の涙を払うと、佐唯は小さく頷いて見せた。
そして、段々と俺の意識がはっきりしてきて、海斗が俺の中かから抜けていくような気がしてきた。
「俺にとって大切なことは、佐唯が幸せになってくれることだから」
「うん」
佐唯がそう言うと、俺は自分が笑っているのが分かった。
「今度こそ、お別れだ」
俺の口がそう言うと、海斗が俺から離れていくのが分かった。
海斗が抜けていく感覚がするのと同時に、肉体の主導権は俺の方に戻り、俺は慌ててフードを被り直した。そして、佐唯から距離を取った。ただ、俺の手の中には指輪が残っていて、このまま持っているのは気まずい気がした。
「あの、これ。俺が持っていても仕方ないんで」
そう言って俺は指輪を差し出した。すると、佐唯はそれを掴むと、展望台の方に向かって歩いた。俺はまた飛び降りるんじゃないかとヒヤヒヤした。すると、佐唯はこっちを向いた。
「ありがとうございます。でも、これはもう必要ないです」
そう言って、指輪を展望台から放り投げた。もったいないなぁと思いつつも、きっとこうするべきだったんだろうと思い、俺は少し清々しい気持ちになった。
「大丈夫っすか?」
「はい。何だか夢でも見ているような気持ちですけど」
そう言う佐唯の表情は晴れやかだった。これならもう大丈夫かなと俺は思った。俺のすぐ横には海斗がいて、彼の表情もすっきりしたように見えた。
佐唯は「さよなら」と言って、展望台を後にした。そして、この場には俺と海斗だけになった。
「取引成立、と言っていいの?」
「ああ、ありがとう。凱弥」
そう言う海斗の体は白い光で覆われていた。
「あの、海斗、なんか光ってる?」
「多分、成仏できるんじゃないかな。俺も佐唯も色々と吹っ切れたから」
「そっか。それで、俺の呪いも解けるんだよな」
俺がそう聞くと、海斗は気まずそうに頭を掻いた。
「あー悪い。呪いをかけたのは俺だって言ったけど、あれは半分合っていて、半分違うんだ」
「え? どういうこと?」
「あの廃屋には俺みたいに未練を残して死んだ人間がたくさんいて、そいつらの怨念の集合体が君に呪いをかけたんだ」
「つまり?」
俺がそう言いかけると、俺は自分の体の変化に気が付き、軍手を外した。そこには骨ではない肉のある手があった。
「あ、戻ってる?」
「ああ、だけど、すぐに元の骨に戻っちまうよ」
「ええええ!」
「あの廃屋の幽霊たちの願いを全部叶えてあげたら、完全に元の体にもどれるんじゃないかな」
「そんなー」
俺はその場にしゃがみこんでしまった。そんな俺を、海斗は申し訳なさそうに笑いかけた。
「ごめんな、期待させちゃって。だけど、本当にありがとう」
そう言う海斗の顔は晴れやかだった。完全に元の体に戻れたわけじゃないけど、海斗の笑顔に俺もつられて笑ってしまった。
「はぁ、もういいよ。それに、一人の女の人の命を救えたんだし」
「それも、本当にありがとう」
すると海斗は手を差し出した。幽霊の彼の体を掴むことはできないが、俺と海斗は形だけの握手を交わした。
「じゃあな。元の体に戻って、無事に自殺出来たら、あの世で会おうぜ」
「うん。何だか変な約束だけど」
「だな」
そう言って、爽やかな笑顔のまま海斗の体は消えていった。
俺は一人、展望台に立ち尽くした。そして、呪いを解くために、廃屋に向かって歩き始めた。
「それにしても、腹減ったなー」
死にたいだけの俺が骸骨になった話する? 飛馬ロイド @hiuma_roid
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