夕映えの薔薇

朝羽岬

夕映えの薔薇

「どうです? 幽霊は出そうですかね、宮野さん?」


 倉田が、からかい面で話しかけてくる。対面した時と変わらぬしかめ面で、浅月が振り返った。


「いえね。この人、私がご紹介いたしましょうと告げると、こんなことを言ったのですよ。『ところで、幽霊は出ますか?』」


 くつくつと笑う倉田は、栽培した薔薇を浅月の家に納品しているのだという。宮野は浅月の家に入り込むために倉田に近づいたのだが、こうも口の軽い男だとは思わなかった。


「ですから私は、こう申し上げたのです。『何度も出入りさせていただいておりますが、幽霊など一度も見たことはございません』とね」


「だが、昔から噂があるのは事実だ。宮野君だったかね? 君は新聞記者というのだから、噂の一つや二つ、聞いたことがあるだろう」


「ええ、まあ」


 宮野は、はは、と乾いた笑いを零した。浅月の気分を害して、肝心なことを聞き出せないのでは困るのだ。内心で冷や汗をかいているが、浅月は表情を変えることなく窓の外を見た。


「ここから庭が見えるだろう」


 宮野は、浅月にならって窓の外に目をやった。緑が生い茂った庭は、窓ガラスのおかげで作り物のように見える。


「実は、枯れた古井戸があるのだ。今でこそ蓋をしているがね。明治の初め頃までは囲いを取ったまま放置されていた。神隠しの原因だよ」


「なるほど」


 確かに、噂の一つに神隠しがあった。しかし、と宮野は頭の中で舌なめずりをする。井戸に蓋をした今になっても神隠しが起こるのは、何故か。浅月が抱える秘密を引きずり出すことこそが、今回の目的だ。


――……け。


 不意に、人の声が聞こえた気がする。宮野は眉をひそめて、廊下を見回した。


「宮野さん? どうかしましたか?」


「何か聞こえませんでしたか?」


「私には、何も聞こえませんでしたけど」


 目を丸くしていた倉田は、ははあ、と言いながら目を細める。


「嫌だなあ、記者さんは。さっそく幽霊が出た、と仰るのでしょう? その手には乗りませんよ」


 宮野はぎょっとして、目を浅月に向けた。彼は相変わらずのしかめ面だ。心の内が、まったく見えない。


「いえ、そういうわけでは。気のせいだったようです。申し訳ありません」


「いや。古い家な分、家鳴りが酷くてね。空耳を聞く者が、たまにいるのだ。ここで、ずっと立ち話をしているわけにもいくまい。奥へ案内しよう」


「ええ。お願いします」


 宮野が頭を下げると、浅月は廊下の奥へと歩きだした。すぐに、倉田も従う。宮野は窓を振り返り見て、息を呑んだ。


 窓ガラスの端に、男の手が張り付いている。


「宮野さん。どうされました?」


 倉田の呼びかけと同時に、ふっと手は見えなくなってしまう。


「いえ。綺麗な庭だと思っただけです」


 後ろ髪をひかれながらも、宮野は倉田の傍に寄った。


 もしかしたら、泥棒が下見に来ているのかもしれない。余計なことはせず、必要なことだけ聞き出したら鉢合わせる前にずらかるべきだろう。


 そのようなことを宮野が考えているとは露ほども思っていないだろう倉田は、そうですね、と笑顔で同意を示した。


 浅月の案内で通された部屋には、十を超える絵が飾られていた。すべて薔薇ばらの絵で、浅月が描いたものだ。浅月は、写実的な絵を得意とする画家だ。若い頃は様々な絵を描いたらしいが、近年は専ら薔薇を描いている。おかげで、『薔薇の大家』と呼ばれていた。


 浅月の絵で最も有名なものは『夕映ゆうばえの薔薇そうび』だ。百貨店に飾られていて、宮野も見たことがある。窓から差す夕日に照らされ、白い花びらが橙色に染まった薔薇の絵だ。


 しかし、どうしたことだろう。目の前の部屋の中に飾られた絵のほとんどが、『夕映えの薔薇』だった。


 宮野は目を見張り、部屋の中に足を踏み入れようとして、失敗した。足が動かない。


――で……け。


 また、声のようなものが聞こえた。恐る恐る自分の足を見下ろすと、血にまみれた手が足首を掴んでいる。額から、どっと汗が噴き出した。


「宮野さん? 入らないのですか?」


 倉田に呼びかけられると、再び手がかき消えた。倉田の顔に視線を遣る。足首を掴む手に気付かなかったのだろう。倉田は、不思議そうに首を傾げるばかりだ。


「入ります」


 そう告げた声は、少しかすれていた。喉の渇きを覚える。やはり、さっさと用を済ませて、ずらかるべきだ。


 部屋の中に入り、並べられた絵を時計回りに順に見ていく。すると、夕陽の染まり具合がすべて違うことに気が付いた。更に、花びらは白だけではない。


「百貨店に飾られている『夕映えの薔薇』は白薔薇ですが、ここには赤い薔薇もあるのですよ。刻限も季節も絵によって違いますから、染まり具合もすべて違うのです」


 何故か、自慢気に倉田が語る。描いた本人は口を真一文字に結び、開こうともしない。


「商売とはいえ、大切に育てた薔薇ですからね。お金持ちのお屋敷に飾られるのもいいが、こちらに持込させていただくのが一番いい。ああ、先生。用足しに行きたいのですが」


「廊下を右に出た、突き当りだ」


「ありがとうございます」


 小走りに部屋を出ていく倉田の背中を見て、宮野はぎょっとした。彼の背を、いくつもの手が追いかけては消えていく。まるで、堤防に迫る波のようだ。倉田は、まるで気付いていない。


 このまま、彼を一人にして良いものだろうか。


 そう考えていると、「宮野君、だったかね」と浅月に声を掛けられた。振り返ると、しかめ面の浅月の体に、血まみれの腕が絡みついている。十数本はあるだろうか。


「悪いことは言わん。この家から即刻、出ていきなさい」


 浅月の声に合わせて、出ていけ、出ていけ、と地を這うような低音が合唱する。浅月の仕業であろうか。先から、宮野だけに見えるように仕掛けているようにも思える。


 そのようなことが可能かは分からないが、浅月にとって新聞記者と名乗る自分の存在は、相当都合が悪いらしい。


「神隠しの真実を掴むまでは、出ていきませんよ。最近になっても、この家で人が消えたという情報をいくつか貰っているのでね」


 宮野は、したり顔で言う。浅月は、眉間に皺を寄せた。


「もう一度言おう。この家から出ていけ」


 再び、出ていけ、と合唱が起こる。しかし、次第に近づいてくる足音に、合唱が止んだ。


「便所で蚊にくわれて、参りましたよ。壁に穴でも開いているのではないですか、先生?」


 倉田は、のん気にそんなことを言いながら部屋に入ってくる。


「宮野さん、どれかお気に召した絵はありますか? 私は赤が好きなのですが。ほら、あれなんて深みがあって見事でしょう?」


 倉田が、部屋の右奥の角を指さす。並ぶ『夕映えの薔薇』の中でも一番濃い色をした絵は、赤薔薇というより黒薔薇に近かった。


「確かに他より迫力があって、妖艶ようえんでもありますね」


 その時、ぼたり、と音がした。ぼたり、ぼたり、と赤薔薇の絵の前に、赤黒い水滴が落ちる。天井を見ると、そこだけが黒く染みていた。


「嫌だな、先生。絵の具が床にまで染みているではないですか。あ、宮野さん。上が、先生のアトリエになんですよ。せっかくなので、覗いてみませんか?」


「倉田君」


 抗議するように浅月が呼ぶが、倉田は意に介さずに部屋を出ていってしまう。


「忠告はしたからな」


 浅月の声を背に受けながら、宮野は倉田に付いていった。


 果たして、二階のアトリエという部屋には、棚に収まりきらない画材と白い薔薇の鉢植えが五つあった。奥には窓が一つきりあって、脇に白薔薇を生けた花瓶を乗せた小机が置かれていた。


「西向きの窓なんですよ。『夕映えの薔薇』ほほとんどは、ここで描かれたものだそうです。白い薔薇、生き生きとしているでしょう? 今日、宮野さんがいらっしゃるというので朝に納品させていただいたのですよ。まだ描かれる前の貴重な薔薇です。ぜひ、見てやってください」


 宮野は、倉田ご自慢の白薔薇を見てやることにした。窓辺に近付いていき、奇妙な点に気が付いて足を止める。小机の周辺の床が黒く変色している。いや、床だけではない。小机も、壁も窓枠も、同じように変色している。


「もしかして、倉田さんが持ち込む薔薇は、白い薔薇のみなのでしょうか?」


「どうして、そう思われます?」


 宮野は更に小机に近付き、人差し指の先で染みを撫でた。


「机がこれほど変色しているので、塗るなり浸すなりしているのかと」


 言いながら、花瓶の淵に赤い液体がこびり付いていることに気が付いた。


 本当に、これは染料か。


「その通り。ちょうどこれから、赤く染めるところなのです」


 突然、宮野は背中から衝撃を受けた。がはっ、と口から勢いよく空気が漏れる。振り返る前に、更に衝撃が横腹を襲った。ぜっぜっ、と息が喉を鳴らす。膝が床についた。


「さあ。あなたは、どんな薔薇色に染め上げてくださるのでしょうね?」


 くつくつと笑う倉田の足に、宮野は手を伸ばす。しかし、届かない。


「ねえ、先生。今回も綺麗に描いてくださいね。ぼくが丹精した薔薇を」


 いくつもの手が倉田の足にまとわりついているが、彼は意に介さずに笑っている。


 ああ、これが神隠しの原因であったのか。


――だから出て行けと言ったのだ。


 暗くなる視界の中で、そう言ったのは浅月だったのか幽霊だったのかは定かではない。





 前方に、白薔薇の鉢を抱えた青年が歩いている。彼は、『薔薇の大家』と呼ばれる画家・浅月に唯一お近付きになれる糸口らしい。小林が声を掛けると、青年は足を止め、話を親身になって聞いてくれた。


「なるほど。その行方不明になった方の居場所を、もしかしたら先生がご存知ではないかと。でしたら、私がお力になりましょう」


 倉田と名乗った青年は、そうして人のよさそうな笑みを浮かべたのだった。

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夕映えの薔薇 朝羽岬 @toratoraneko

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