可憐な薔薇の花のような…

浬由有 杳

短編創作フェス 第5回お題「薔薇色」

 今日は彼女の家に初めてお呼ばれした記念すべき日。


 ショーウインドーに映る自分の姿を素早くチェックする。

 そう捨てたものでもないと思う。少なくとも、以前とは雲泥の差だ。

 そう、『彼女』に出会う前と比べれば。


 適度に引き締まった体躯に、この日のためにちょっと無理して購入した白いニットのシャツと薄手のライトブルーのジーンズ。なかなか似合っている…気がする。少し前の自堕落な生活をしていた自分なら、とても、こうは着こなせなかった。

 彼女のアドバイスに従ってバランスの取れた食事をし、運動に励んだ成果だ。


 使い古したショルダーには、デパ地下の人気デザートとスパークリングワインのボトル。

 夕食は準備するので気を使う必要はないと言ってくれたけど、せめて、これくらいはプレゼントしたい。ささやか過ぎるかもしれないけど。

 彼女なら、きっと喜んでくれるはずだ。

 ショルダーのポケットにしまい込んだ『最終選考通過通知』の手触りをそっと確かめる。

 とにかく、彼女に感謝の言葉を伝えたい。

 それから、できれば、この胸の想いを。


 教えられた住所へ向かう途中、ちょっと洒落たフラワーショップを見つけた。

 店頭に所せましと並んでいるのは、様々な美しい花々。誰でも知っているものから見たこともないものまで。

 特に薔薇の品ぞろえは圧巻だ。やはり一番人気なのだろう。一言にバラと言っても、実に様々な色があるものだ。形だって違う。


 そう言えば、いつだったか。

 化粧気がほとんどない彼女が、ほのかに花の香りを纏わせていたことがあったっけ。

 消臭剤がわりにバラを大量に部屋に置いていたのだと彼女は言っていた。

 人工的な香りは嫌いだから、と。


 そうだ。

 薔薇の花束をプレゼントするのはどうだろうか?

 ネットにあった花ことばの蘊蓄を頭の隅から引っ張り出す。


 赤いバラの花言葉は『恋』。


 何種類もある薔薇のコーナーで目を凝らして、彼はピッタリの花を見つけた。


 それは少し変わったいろどりの赤い薔薇だった。

 幾重かに重なった明るめの赤ライトレッドの花弁。その弁先は細くとがり、角度によっては細長いハート形に見える。花芯の周囲は白色。円形に並んだ黄色いおしべが小さな冠みたいだ。

 薔薇と聞いて頭に浮かぶような、深紅の咲き誇る大輪の花ではない。どちらかと言えば小ぶりで可愛らしい花。

 お手軽価格とは言い難かったが、薔薇としてはそれほど高くはない。。

 何よりも、その花は、彼女の可憐な顔立ちを、白い肌と形の良い赤い唇を彷彿させた。


「すみません。あちらにある薔薇を12本だけ、花束にしてほしいんですが」

 

 彼は店員に声をかけた。


*  *  *  *  *


 小説家を目指して、名門私大を中退してバイトに励む毎日。

 そんな日々に疲れ果て、自暴自棄になりかけていた彼の前に、突如、『彼女』は現れた。



 高校時代は文芸部の期待の星と言われ、コンテストで何度も賞を取った。書き下ろしてやった脚本で演劇部が県大会で優勝したこともあった。

 彼は謙虚を装ったが、筆力にはそれなりに自信があった。大学を卒業したら、華々しく作家デビューをしてやろうと本気で考えていたのだ。


 なのに・・・。


 期待に胸膨らませて上京し、入った学部で彼はいつも一人だった。

 周囲は皆お金持ちのお坊ちゃんやお嬢様、いわゆるサラブレッドのエリートばかり。地方公務員を父に持つ彼とは家庭環境も考え方も違う。仕送りだけではやってゆけずにバイトに励む彼には、彼らと付き合う金も時間もなかった。


 こんなはずじゃなかった。そう思い悩んでいたときに、高校のクラスメートからメールをもらった。

 某出版社のコンテストに入選し、商業誌デビューすることになったと。


 なぜ、あいつが?高校時代、二番煎じの駄文ばかり描いていた奴が?

 あんな奴の小説が認められるなら、自分が本気を出せば、すぐに傑作が描けるのでは?


 だから、彼は大学を辞めた。猛反対するであろう両親には何も告げずに。仕送りをもらい続けるのは心苦しかったが、出世払いをすると決め、自分自身を納得させた。

 安アパートに引っ越し、食費を切り詰め、部屋にこもって執筆に励んだ。お金が心もとなくなると、近くのコンビニや居酒屋でバイトをした。

 そうやって描き上げた作品を、大手から弱小出版社まで、新人小説家の登竜門と称されるコンテストに次々と応募した。

 懇切丁寧に落選通知が文書で送られてくることもあれば、メールが届くこともあった。選考期間が過ぎても、何の応えもないところが大半だった。

 どんなに一生懸命描いても、工夫を凝らしてみても、彼の作品を認めてくれるところは皆無だった。


『夢は諦めなければ叶う』と言う人がいる。けれど、それは、夢を叶えた人だから言える言葉だ。


 気がつくと、3年近くが過ぎ去っていた。もはや、何を描きたいのかさえわからなくなっていた。両親に嘘をつくのも限界だった。


 彼は大都会ここで珍しくもないニートだった。

 あのまま大学を続けていれば手に入った学歴。せめて、それがあれば、今頃、一流企業への就職が決まっていたかもしれないのに。


 自分には才能などなかったのだと後悔に沈み、どうしようもなく落ち込んで。

 バイト明けの早朝、アパートの近くの小さな公園には人通りも少なく。振り返ってくれる人さえいなかった。

 ベンチでやけ酒をしていた彼に、唯一、声をかけてくれたのが『彼女』だった。


「何かあったの?こんなところで一人で?」


 たぶん、そんな言葉をかけてくれたのだと思う。


 正直、その時に何を話したのかはよく覚えていない。ただでさえアルコールには弱い体質だ。久々に飲んで酔っ払っていたのだと思う。しょうもない愚痴をただ吐き出したのだろう。この人々が行きかう街で、友達一人なく、ずっと孤独で話し相手もいなかったから。


 一方的にまくしたてる彼の話を、彼女は黙って聞いてくれた。質問も批判もせずに。


「人間の価値を決めるのは、学歴でも家柄でもお金でもないわ。あなた自身の中身なのよ」

 

 ただ、彼女がそう言ってくれたのだけは覚えている。


 それからだった。

 深夜シフトが終わってから、彼女とこの公園で会うようになったのは。


 遠くから来たのだと彼女は言った。

 ここで仕事をして家族のために仕送りをしているのだと。


 何の仕事か彼女は言わなかったし、彼も訊こうとはしなかった。

 やや日本人離れした愛らしい顔立ち。肩までかかる、ウエーブのかかったダークブラウンの髪。アーモンド形の大きな瞳の色は日本人にしては明るすぎる気がした。時おり、耳にする奇妙な訛りやイントネーション。口調から考えて、少し年上かもしれない。


 もしかすると、彼女は生粋の日本人ではないのかもしれなかった。

 彼女からはアルコールやタバコ、香水の匂いはしなかった。水商売をしているようには見えなかったが、会社勤めをしているようにも思えなかった。


 彼女は彼のたわいない話を熱心に聞いてくれたが、自分の話はあまりしなかった。


「あなたは素晴らしい素質をもっているのだから、身体をもっと大切にしなくちゃ。ジャンクフードはやめて、運動もきちんとやってね」


 ほぼ毎朝、彼女は、新鮮な野菜や果物、ナッツ類などを差し入れてくれた。時には叱咤激励し、一緒にジョギングまでしてくれた。息ひとつ切らさない彼女に、最初の頃は、自分の体力の衰えを情けなく感じたものだ。

 彼女の勧めに従って、規則正しい生活を送っているうちに、彼は再び、『描ける』ようになった。いや、おそらく彼女の存在そのものが、彼の中の『創作意欲』を再び燃え上がらせてくれたのだ。


 彼女は彼にとって芸術の女神ミューズだった。

 彼女がいれば、すべてうまくいく。彼女が一緒なら、彼にだって薔薇色のしあわせな人生が訪れる。そんな気がした。



*  *  *  *  *



 花束選びに時間をかけすぎたせいで、約束の時間よりも遅れてしまった。


 すでに日は沈み、黄昏時。すぐに月も顔を出すだろう。

 昼間の暑さがウソのように夜風が頬に心地よい。

 静かだった。JRの駅からほんの少し歩いただけなのに。

 聞こえてくるのは、少し気が早いコオロギの鳴き声だけ。すれ違う人もほとんどいない。

 中心地から取り残された、やや寂れた感のある住宅地。その先の色あせた年代物のマンションの4階の角部屋が教えられた住所だった。


 チャイムを鳴らすと、彼女は大きめの赤いエプロン姿で出迎えてくれた。

 切れかかった電灯の下、うなじの少し上で髪をシニヨンにまとめた彼女は、いつもとは違う、ちょっとコケティッシュな感じがした。

 緊張のあまり、掌にじんわりと汗がにじむ。生唾をごくりと飲み込んで、彼はおそるおそる花束を差し出した。

 驚いたように瞬きをして、彼女は快く受け取ってくれた。


「ありがとう。テーブルに飾らせてもらうわ」


 小さな薔薇の花束よりも、はるかに可憐な満面の笑みで。


 玄関を抜けると、素朴なタイルのフローリングのダイニングキッチン。特大サイズの冷蔵庫が暗めのシーリングライトの下で白く浮かび上がる。コンロに用意されているのは、不釣り合いなほど大きな寸胴鍋と大きめのフライパンだ。

 マホガニー色のテーブルには、チーズやハム、サラダや果物が盛られた大皿。薄切りの全粒粉のパン。

 彼女らしい、健康的なオードブルだ。

 今夜はいったいどんな手料理を用意してくれるのだろうか?


「こっちよ。まずここに案内するって決めてたの」


 花束を抱えたまま軽い足取りで進む彼女に導かれるまま奥へ向かう。

 分厚い遮光カーテンで覆われたガラス戸の向こうは、小さなベランダになっていた。


「ね?素敵でしょ?ここからは月がよく見えるのよ」


 古い一戸建てばかりが立ち並ぶ中、ぽつんと聳えた高層マンションの4階だ。

 周囲に景観を遮るようなものはない。すぐ目の前に広がるのは、美しい緑の山並みだった。


「もうすぐ、月が昇るわ。山の間から」


 隅に置かれた水がなみなみ入ったバケツに、彼が贈った花束を大切そうに活けると、彼女が振り向いた。


「もう待てそうにないの、私。どうしようもなく好みなの、あなたみたいなヒトが」


 思いがけない赤裸々な彼女からの告白に、頭が真っ白になった。嬉しくて、何と答えていいかわからなかった。顔が、全身が熱くなった。


 立ち尽くす彼の首筋に、華奢な腕が絡んだ。そのままゆっくりと引き寄せられる。

 近づいてくる欲望に潤んだ双眸。バラのように上気した頬。赤い舌がちょろりと覗き、微かに上がった口角を湿した。

 もう一方の手が彼の頬を優しく撫ぜた。柔らかな唇が彼の乾いた唇に重なる。探るように触れた湿った舌の感触にぞくりとした。


「あなたのすべてが欲しいの。いい?」


 熱い囁きに魅入られて、彼は頷くことしかできなかった。

 彼女が目を細めて嬉しそうに笑った。


 山間から月が顔を出し、月光が降り注いだ。


 目の前の赤い唇が裂け、真っ白い牙が覗いた。可憐な面があっという間に黒い毛に覆われていく。瞳孔が縦に伸び、金を帯びた。瞬時に白い手が剛毛の生えた獣の手に代わり、鋭利な爪先が彼の皮膚に食いこんだ。

 悲鳴を上げようとした唇に鋭い歯が生えた口が食らいつく。ザラザラした肉厚の舌が口腔を蹂躙し、気道を塞いだ。首に回された腕にグイッと力が込められた。ポキンと何かが折れる音が響き、視界が180度回転した。


 断末魔に痙攣する彼の瞳が最期に映したもの。それは、滴る血を舐めとる真っ赤な獣の舌だった。



*  *  *  *  *


 

 できる限り汚さないように工夫したので、後始末に大して時間はかからなかった。

 故郷の森からこの場所くにに来てずいぶん経つ。ここでの獲物の処理はお手のものだ。


 大皿に盛ったオードブルを平らげ、スパークリングワインで喉を潤し、血の滴るレアステーキを存分に楽しむ。


 穀物食が強いこの種の肉は、肉食主体の西洋種とは一味違う。臭みがなく、まったりとした味わいが何とも言えない。


 ぐつぐつ煮えたぎる寸胴鍋から漂う美味しそうな匂い。頭部や手指や足先、軟骨の類からは素晴らしいスープが取れる。

 さっと洗ってゆでた内臓は煮込み料理に最適だ。鍋料理に入れてもいい。


 とりわけ、今回のは、味も舌触りも香りも、すべてにおいて特上品だ。

 時間をかけて収穫したかいがあったというもの。


 一族の中でも、彼女は目利きの狩人だ。

 上質な肉は、匂いですぐに分かった。だからこそ、適度に運動させ、バランスよい食事をとらせ、ストレスを減らすよう、手間暇、愛情をかけて管理した。肉の状態が最上級に熟すまで辛抱強く待ったのだ。

 

 ここは本当に良い狩場だ。やり方さえ心得ていれば、簡単に新鮮な肉が手に入る。都会ここでは失踪者なんて珍しくもない。名も知れぬ若者がいつの間にか消えようと、誰も本気で探しはしない。


 小分けにした部位の血抜きが終わり次第、梱包して、クール便の手配をしなくては。

 今回はいつもよりも間が空いてしまった。

 仲間たちが彼女から届けられる御馳走を、今か今かと心待ちにしているだろう。

 

 約束通り、テーブルに飾られた彼からの花束おくりもの。明るい色彩の花弁は飛び散った血潮ですっかり色を変えていた。

 どす黒い赤に染まった薔薇を一本手に取ると、彼女はを胸いっぱいに吸い込んだ。

 

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可憐な薔薇の花のような… 浬由有 杳 @HarukaRiyu

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