ロスト・クルセイダーズ

佐藤山猫

 



 奇跡が起きた。

 ある村で、呪いに侵され昏睡していた娘御が、不可思議な寛解を遂げたというのだ。

 情報を手にした教会は、征伐軍を組織して行軍した。奇跡とは神の御技。それが教会の預かり知らぬところで起こったとなれば見過ごせない。神の御技なれば、それは教会の成したものでなければいけなかった。


「くそっ。どこまで行っても山、そのまた山だ! 雑草ひとつ生えてねぇ!」


 征伐軍は総本山から村までを直線で結んでルートを定めた。フラットな地図の上で点を結んで決めたものだから、道中の地形はまるで無視していたし、通る地域の情勢にも配慮がなかった。


「ここの領主は、神の権威を蔑ろにしているらしい。──争った形跡が、こんなにも残っている」


 宿営地とした廃城は山の上にあり、建材はまだ廃棄されてから時間が経っていないことを表していた。力に任せて壊されたのであろうそれらを見て、軍を率いる修道士ガニメデは嘆かわしいと空を仰いだ。


「神の名の下にひとつになれば、人同士が相争うことは無くなるのに」


 ガニメデは極めて敬虔な信徒だった。

 曇りのない純粋な目で宿営地の環境を嘆いていた。


「広さは充分。山上にあるからか水の手が不安だが……。井戸がふたつだな」

「いいえ。兵士に井戸を下らせましたが、清水が湧いていたのはひとつだけとのことでした」

「ひとつは廃棄坑か。井戸はひとつだけだな。残された食糧は……少ない。僅かな保存食ばかりだ。各自の携行食に加えられるだろうか」


 ガニメデは城内をくまなく歩き回っていた。


「む。これはなんだ」


 探索していると、ガニメデは水瓶を見つけた。


「まだ水が溜まっている。──この城が廃棄されたのは、ごく最近のことのようだな」


 山の上にあって、水は貴重な資源だ。

 食料が無くても人間は数日生き存えることができるが、水がなければ一日も保たない。

 ガニメデは部下を呼んで、水を掬わせた。口に含んで言うには、


「腐っている感じはしません。汚れてもいません。汲み上げてきたばかりのような新鮮な水です」

「おお! 神のお導き!」


 ガニメデをはじめ、征伐軍の面々は幸運を祝し、神に感謝を捧げた。


 ちらちらと山影に瞬く赤橙色の光に気付いたのは、ガニメデたちではなく、夜番の下級兵士たちだった。もう夜も明けようという時間だった。


「火か?」


 兵士たちは目を凝らした。

 夜目が効いてくるころ、揺れる木々と薮の中に、人影を発見した。槍や鎌を携えた軍勢だった。


「どうした?」


 起きてきたガニメデたちは、城が正体不明の軍勢に取り囲まれていることを知った。


「どこの軍勢だ?」


 ガニメデの言葉に、現地の事情を知る者が呼ばれて答える。


「紋章などは消してゲリラに見せかけていますが、あれはこの領に属する軍隊ですね」


 ガニメデの前に傅いたふたり。理解できないという様子でガニメデは問うた。


「何故、領主が我々を襲う?」

「それは、この領に住む人々が、教会を忌み嫌っているからでしょう」

「教会を嫌っている?」

「彼らにとっての神は、あなた方にとっての神ではありませんから」


 ガニメデの顔に朱が差した。


「嘆かわしい。痴れ者どもが」


 ガニメデは怒りを露わにしたが、感情に身を任せることはしなかった。堪え、状況の改善を図ることを優先させる。


「このようなところで軍旅を終えるわけにはいかない。停戦の交渉に行け」

「かしこまりました」

「貴兄らに神のご加護があらんことを」


 ふたりは敵陣に消え、そして二度と帰ってこなかった。


「おのれ! あの薬師どもめ!」

「否。斬り殺されたのかもしれん」

「交渉をする気がない、と示す気か!?」

「戦いの作法を知らない蛮族どもめ!」


 激昂する指揮官たち。対して、ガニメデは冷静だった。


「我々は厳しい修行を乗り越えた神の僕だ。神の加護もついている。神はすべてお見通しである。じきに審判がくだるだろう」

「しかし……現実として今もこの城は囲まれています。籠城か、あるいは打って出るかしかない状況です」

「ああ。なに、停戦が叶わないと言っても籠城には問題がない」


 ガニメデは傍らに置いた水瓶を軽く叩いた。くぐもった音がする。


「我々には神が遣わしたこの魔法の水瓶がある。いくら汲んでも尽きることがなく、新鮮な水を齎してくれるこの水瓶が」


 水瓶について、ガニメデは一通り検証していた。

 容量いっぱいの水。掬っても掬っても、十数秒で満杯に戻る。瓶の底を水が隠すくらいまで掬ってもまた自然と湧き出てくるようだ。汲まれた水は軟らかく、常温で、ほのかに口当たりまろやか。水としても絶品だった。


「まさに奇跡ですね」

「軽々しく奇跡と口にするな」


 ガニメデはジロリと発言があった方を睨みつけた。


「このことは他言無用。厳に秘匿とする」


 ガニメデは諸将の顔をひとりひとり見て言った。


「教会や周辺の友好国に援軍は要請済みだ。修道士の修行を思い出してみよ。断食と節制。ここもそれと同じだ。日に一食、僅かな乾パンと限りなく湧く水で生きていく! もし食事がなくなったとしても、水だけでも、人はひと月も生きていける! ここで持ち堪えて神に勝利を捧げるのだ! 異端の邪衆に敗北することは決して無い!」


 ガニメデは威風堂々としていた。

 若き美丈夫の自信に、諸将も自信を取り戻していった。


 果たして、包囲軍は城を攻めあぐねていた。


「駆け上がろうとすれば一斉に弓が射下ろされて死者が増えるばかりだ!」

「そもそも険しすぎて一気に攻めかかれないぞ!」

「少数で木々にや盾に身を隠しながら登るのはどうだ!?」

「駄目だ。袋叩きに合うのが目に見えている」

「そもそも、なぜ降伏しないのだ? こんな山奥の、しかも頂上だ。食料も水もないだろうに」

「この辺の地質には知悉していますがね……ちょっと掘ったところで水が汲めるようなもんじゃねえですぜ」

「まさかあいつら、降伏するくらいなら玉砕などと……?」

「なっ……狂信者どもが!」

「んにゃ。確かあの砦には井戸がひとつ、かろうじてあったはずだ。それをあてにしているんだろうさ」

「籠城? 援軍を待っているのか? あてはあるのか?」

「さあて。ただ連中の戦略がそうなら……」

「ああ。長期戦は我らの不利だな」


 頭を突き合わせて軍議を重ねる。


「長期戦は不利と言えど、先も申した通り山肌は急峻で攻め手に欠ける!」

「ああ。何か良い方策があれば」

「ふむ。しからばひとつ。……この辺りには鉱床が広がっているな。立坑がたくさんある。金堀はし易いはずだ」

「ほう? つまり……」

「城外から城内へトンネルを掘る。狙うは水の手を断つこと。そしてあわよくば穴から攻め込む」

「前代未聞だ」

「本当に、うまくいくのか?」

「……試す価値はあるか」


 鉱夫たちが呼び寄せられた。

 木々を束ねて把をつくり、その陰で土中に穴を掘っていく。


「ガニメデ殿。やつら、攻めてきませんね」

「我らの食料が尽きるのを待っているのだろう」


 ガニメデは手を組み、祈りを崩さないで言った。


「恐れることはない。我々には神がついている」


 籠城戦が始まって三週間が過ぎた頃だった。

 穴を掘り進めていた鉱夫たちは、竪穴にぶつかった。


「……井戸だ」


 遠く降り注ぐ白い陽光と、下から迫り上がってくる水の気配。

 しばらく待っていると、カラカラと縄に繋がれた桶が降っていくのが見えた。


「切れ」


 棟梁の下知に従い、鉱夫たちは縄を切った。

 地下水のプールまで、桶が沈んでいく。水面に突き当たって跳ねる音がした。


「水の手を断った」


 歓喜に沸く城外とは裏腹に、城内は通夜の後のように沈んでいた。


「桶を繋ぐ縄が切れた」


 陣幕の中でガニメデたちは沈んでいた。


「ありえない。何度縄を変えても数日と保たないなど」

「しかし現実だ」

「いずれにせよ、これで、実質的には魔法の水瓶のほかは命を繋ぐ術を失ったな」

「それだけではありません」


 固い表情のガニメデたちに、更なる報告が寄せられる。


「井戸を探索した兵士からの報告では、井戸の途中に不自然な横穴があったとのことでした」

「横穴?」

「はい。初めに降下したときは間違いなく無かったとのことです」

「……切れた縄はこれだ。断面が……」


 ガニメデは近侍を呼び寄せた。


「切れたのではなく、切られたように見えないか?」

「は? まさか」


 ありえない。近侍は首を振った。

 ガニメデはそれ以上は何も言わず、ただ祈りの手を動かした。


 水の手を絶たれたガニメデたちの軍にとって、常に水を供給し続ける水瓶は文字通りの生命線だった。

 四六時中水番を起き、決まった時間に水を分けられるように腐心した。勝手にされないよう対策する意味もあった。だから、水瓶が魔法がかったものだということは、諸将までの秘密だった。兵卒たちは、将校たちが水源を隠しているのだと思っていた。好きな時に好きなように水分補給できないことへ、粉雪のような不満が募っていく。


 急に井戸が使えなくなった原因も、横穴の存在も、その因果関係も分からないまま籠城は続いていた。

 戦いが始められてひと月が経とうとしていた。まだ、ガニメデたちに援軍は来なかった。


 水の手の枯渇について、その答えに辿り着いたのは、ある兵士が口にした言葉がきっかけだった。


「地面から音がする」


 気のせいだと無視されてもおかしくはないそれを、しかし、ガニメデは素通りしなかった。空の瓶を地面に埋めて、耳を澄ませた。


「真だ。音が聞こえる」


 意味が分からないと首を傾げる諸侯たちに、ガニメデは早口で言った。


「穴を掘って、井戸まで掘り抜いたのだ」

「なんと」

「そして今も地面の下では、掘削が続けられている」


 示されるままに空の瓶に耳を澄ませる諸侯。信じるものが一に訝しむものが九といったところだった。


「ガニメデ殿。気を確かに。そのような軍略、聞いたこともない」

「相手が異教徒の蛮族と言えど」

「ええ。妄想が過ぎますな」


 気が触れた大将で大丈夫だろうかと、陣中に急速な不安が広がった。ガニメデは遠巻きにされた。

 崖が崩れ、塀が壊されるまでは。


 白昼のことだった。

 北側を守る兵士たちの足元で、地面が震え、くぐもった爆発音が鳴った。


「崖だ!」


 誰かが叫んだ。


 崖に面した石塀が、崖ごと、地滑りを起こして崩落していく。


 巻き込まれた兵士たちの悲鳴が聞こえる。

 不安定な足場に、助けはおろか近づくことさえできない。


 暇さえあれば瓶の口に耳をつけていたガニメデも、爆発音を聞いていた。


「神よ……」


 ガニメデは瞑目した。ほんの僅かな時間だけ。

 目が開く。


「井戸を降らせよ」


 ガニメデは近侍に命令した。


「横穴に油を流し、火を放つのだ。そして入口を塞ぎ、煙で燻せ」


 地面に埋めた瓶を、聖母像のように抱きしめて離さないガニメデ。瓶の口に耳をつけた滑稽な格好で命令する。


 ガニメデの策は覿面に効いた。

 元より、風もなく、酸素の少ない穴の中である。溜まった煙に気管をやられた者。酸欠で気絶する者。うち、逃げ遅れた者はことごとく炎に飲まれた。そうでない金堀の衆は命からがら穴より這い出て、そして作戦の継続不可を訴えた。


「くそっ! 狂信者どもめ!」


 城外の人々は悪態をつき、砦を囲む他なくなってしまった。

 一方、砦からではガニメデの反撃が成功したのか分からず、地面からの攻撃を恐怖する空気を変えるには至らなかった。

 ガニメデは相変わらず瓶に耳をそばだてていた。残念ながら、ガニメデの耳には火計に苦しむ敵軍の悲鳴は届かなかった。


「地面から!?」

「ああ。あの偉いさんを見てみろ。地面から音を聞いているのさ」

「なるほどな。……おい、その水瓶を貸せ!」


 兵士は水瓶を──いくら汲んでも水の尽きない魔法の水瓶を──水番から強引に取ると、ひっくり返して空にした。


「穴を掘れ!」

「水瓶を埋める!」


 兵士たちは、その水瓶が空にならないことを知らなかった。

 ひとつに、ガニメデがその情報を伏せていたからであり、

 もうひとつに、二度と水が戻らなかったからだ。


「喉が渇いた」


 ついに空の瓶から離れたガニメデが、水番と水瓶の元に向かうと、そこには土のついた水瓶と、それを心ここにあらずの体で見つめる兵士の姿があった。


「水瓶は?」

「申し訳ありません。逆さに返され、水が全ていっぺんに抜け次第、水が戻る気配がありません」


 職務怠慢を叱られまいかと焦燥を滲ませる兵士。今日の水番に任じていたガニメデの直属の配下だった。


「……水が、ない?」


 呆気に取られて中を覗き、手を突っ込むが、一滴の滴もなく空の水瓶があるのみだった。


「……軍議を開く。その瓶を持ってこい」


 その場で怒られることはなく、兵士はただただ安堵していた。

 彼だけではない。

 周りで様子を伺っていた一同、ガニメデが大きな反応を示さないことを緊張しながら見届けていた。拍子抜けし、肩をすくめ合う。


「勝ちの目がなくなった」


 ガニメデだけが、絶望感を味わっていた。


「……神よ」

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