これくらいの薔薇色

片月いち

青春いろいろ。薔薇色もいろいろ。

 青春とは、薔薇の色をしているらしい。


 子どもから大人になる瞬間のひと時の輝き、若くエネルギーにあふれた、人の一生の内の薔薇色の時代こそが青春なのだと。


 でも、ちょっと待ってほしい。本当にすべての学生がキラキラした薔薇色の日々を送っているだろうか。

 むしろそんな人間は一握りだし、大半の学生は薔薇色とはほど遠い毎日を過ごしているだろう。


 ならば、逆説的に大半の学生は青春を過ごしていないと言えないだろうか。

 一見青春を謳歌して見える学生たちのほとんどが、漫画やアニメの中に見るようなまばゆいほどの青春を知らないのだ。


 青春とは、大人になってから振り返る、ありもしない幻想なのである。



 そんな益体もないことを考えながら、私――宮前彩葉みやまえあやはは学校の帰り道を歩いていた。


 高三の冬である。来年は卒業してちょっと遠くの大学に通う予定である。このいつもの帰り道も道も、来年からは通うことは無くなるだろう。


 そう思えば、何の変哲もないこの住宅街の道も、少しくらいは惜別の情がわいてくる――と思いきや、そんな気持ちはつゆほどもわかない。

 いつもと同じ、代わり映えのないありきたりな帰り道である。


 薔薇色とはほど遠い、今着ている灰色のコートみたいな道を、私はとぼとぼ歩いていた。



「――だから薔薇色っていっても色々あると思うんですよ。白とかピンクとか青とか。あとグレーとか」



 隣を一緒に歩いていた朝日萌叶あさひもえかが、そんなことを言い出した。

 同じ美術部のひとつ下の後輩である。私はもう引退しているから、今は萌叶もえかたちが後輩を率いる立場になっている。

 背が低く、言動が小動物じみているので、前世はリスか何かだったと思っている。



「……青色の薔薇って無いんやなかったけ?」

「ありますよ! 品種改良で出来たとかなんとか……」



 詳しくは知りませんけど、と萌叶は付け加える。

 私はうんうんとわかった風に頷いた。



「自然の摂理への冒涜やね。そのうち天罰が下るやつや」

彩葉あやは先輩が大好きなお米も品種改良の賜物だと思いますけど?」

「大自然を克服していく人類はやっぱり偉大やね」



 萌叶もえかが白けた視線を向けてくるが、いつものことだ。

 動じることなく歩みを進める。……あ、ちょっと脇腹つつくのはやめて。



「で、でもなんでそんな話になったんやっけ?」

「もうっ、さっき言うたやないですか! 神崎かんざき先輩と白川しらかわ先輩の二人がついに付き合い始めたって」

「ああ、そうやった思い出した。あの二人がなぁ……」

「ほんまに素敵ですよねぇ……薔薇色空間って感じで」



 神崎優斗かんざきゆうと白川美咲しらかわみさきは我が校の誇る美男美女である。


 どちらもけっこうなお金持ちの家の子で、本人も極めて優秀。神崎の方はテニス部の部長で個人としてはインターハイまで出てるし、白川さんは吹部のエースで全国大会に出ている。

 おまけに頭も良くて定期試験は常に学年トップ層に君臨し、社交的で友人も多い。


 もはや勝ち組という言葉を擬人化したような二人である。


 そんな二人が付き合い出したという噂が流れたのは夏休み明けで、これから受験なのにそんなことやっている場合じゃないだろうと否定的な意見が出ていたのだが……どうやら噂は本当だったようだ。


 一説によれば――というか萌叶もえかの話によれば、二年のときに神崎の方から告ったということらしいが、これは真偽不明である。



「なんか県外の超名門大学に行くって話ですよ。二人一緒に」

「そんで大学でイチャイチャする気なん? 揃って落ちたらええわ」

「そんなん言うとったら自分が落ちますよ?」



 いや。それはマジでやめて。

 マジで洒落にならんからな。受験生に落ちるとかいう言葉を使ったらアカン。



「ところで彩葉あやは先輩って大学どこ行くんです? もしかして芸大とか?」

「んなとこ行けるワケないやろ。フツーに地元の大学や。ちょっと遠いから一人暮らしにはなるけど」

「絵はもう描かんのですか? 私、先輩の描く絵ちょっと好きなんですよね」

「……どうやろ。もう描かんかもしれんなぁ」



 私と萌叶もえかの出会いは、私が二年生になった後の夏休み明け後だった。

 萌叶は、私が一人で美術室のカンヴァスに向かっているとき、突然、「いい絵ですね」と話しかけてきたのだ。


 そのとき私が描いていたのは鳥の絵で、青空に数羽の白い鳥が羽ばたいている絵だった。何てこともない普通の絵で、技巧も題材も平凡すぎると感じていた。


 だけど、萌叶は何が気に入ったのか、翌日には美術部の部員になっていた。

 二学期の半ばという、中途半端な時期の入部だった。


 ……先輩や同級生には、もっと絵のうまい人間もいる。彼女らは県のコンクールで賞を取ったり、先生から頼りにされていたり、部員たちからも好かれている中心人物だ。

 とくに目立った活躍もできず、いつも隅っこの方で一人で絵を描いていた私とはえらい違い。


 本来であれば、萌叶が親しくなるのは、ああいった人たちのはずだった。



「……私はなんも特別なこと無いよ。フツーの大学行って、フツーに仕事して、フツーに生きてくんやろうなぁ」



 萌叶もえかが以前入っていた部でいじめられていたというのは、しばらくたって本人の口から聞いた。


 部をやめた後も何もやる気にならなくて、毎日帰宅部として過ごしていたらしい。

 美術室には授業の忘れ物を取りに来たということだった。そこで私と私の絵が目に入った。


 ……きっと、萌叶は疲れていたんだと思う。部活とか人間関係とか、いろいろなことに。そんな彼女にとって、部屋の隅で一人黙々と絵を描き続ける私の姿は新鮮に映ったのだろう。

 絵の中で空へ羽ばたく白い鳥たちに、自由を感じていたのかもしれない。


 だけど――、萌叶には悪いが、私は平凡な人間でしかない。


 大した才能もないし友達もいないから、一人で絵を描くしかすることがなかっただけ。

 萌叶が期待するような特別な何かはない。

 神崎や白川さんみたいな薔薇色の人たちとは違う、フツーの味気ない人間だった。



「それは……ちょっと寂しいですね」

「まあ、分相応いうやつやろ」

「そうかもしれませんけど……」



 それから私と萌叶もえかはお互いに黙り込んでしまい、会話も途絶えてしまった。

 帰り道が途中まで一緒なので、あえて別れることはないが、ちょっと気まずい空気が流れている。

 私はコートのポケットに手を突っ込み、無言で萌叶の前を歩いた。


 電線の上のカラスがカアカアと鳴いている。冬の空はすぐに日が沈む。あと二、三十分もすれば、あたりは真っ暗になってしまうだろう。

 また少し寒くなった道を、早足で歩き続けた。


 電柱を何本か通り過ぎて、すこし開けた場所に出る。


 帰り道の途中、たまに立ち寄るコンビニの前に十字路の交差点がある。

 ちょうど信号は赤で、私たちは横断歩道の前で歩みを止めた。

 ふと視線をやると、横断歩道の向こう側、コンビニの近くで、一組の男女が口論しているのに気付いた。



「あれ? あの二人……」

「え。神崎先輩と白川先輩やないですか?」



 さすがに何を言い合っているかは分からないが、けっこう派手な喧嘩みたいだ。道行く人も気になって顔を向けてしまう。


 そうしていると、女の方、白川さんの方が神崎に背を向けて歩き出してしまった。

 神崎はそれを追わない。同じように背を向けて、別々に歩き出す。


 見計らっていたかのように信号が青に変わった。



「なんか、上手くいってへんのやろか」

「あんまり薔薇色って感じやなかったですね」

「せやなぁ……」



 てっきりキラキラの青春を満喫しているのかと思っていた。

 何もかも上手くいって、悩みとか、落ち込んだりとか無いんだって思っていた。

 薔薇色の側として、何も不満はないのだと心のどこかで思っていた。


 ……当たり前だ。そんなことあるはずがない。

 神崎や白川さんだって普通に人間だ。



「先輩。ちょっとコンビニ寄りません?」



 横断歩道の真ん中くらいに来たとき、萌叶もえかがそう提案してきた。

 ここを渡りきってコンビニ前から私たちは別々の道になる。

 別れる前に萌叶がそう提案してくるのは、珍しいことではなかった。



「ええけど。買い物?」

「なんかお腹空いてきて……。肉まんでも食べません?」

「ええなぁ。私も買おうかなぁ」



 寒くなってきたし。

 私たちは揃ってコンビニの中に入る。暖房の効いた温かい店内に入って、ほっと息をついた。

 どこかで聞いたことがあるような店内BGMを右から左に聞き流し、私はレジがあるのとは別方向に向かう。



「萌叶は肉まんだけ?」

「はい。先輩は?」

「私ちょっと漫画みてくるわ」

「あ、それなら私も」



 二人揃って雑誌コーナーに向かう。

 お目当ては愛読書にしている漫画雑誌だ。



「もう出てますか?」

「……んー、無さそうやな」

「ここ入ってくるの遅いですよね」

「田舎やからなぁ。大学行ったら発売日にソッコー買ったる」



 電子版もいちおう出てはいるのだが、私の場合は絵を描くときの参考に使ったりするので、出来れば雑誌でほしい。


 ……いや。もう絵を描かないならそんなことしなくてもいいのか?

 でも紙で慣れたからなあと、どこか言い訳めいた言葉を自分に向ける。


 結局、肉まんは一つしか残っていなかった。

 私たちはそれを買い、あとで半分こすることにした。


 コンビニを出ると、途端に冷たい空気か頬を撫でる。

 出入り口から少し逸れたところで立ち止まり、後ろの萌叶を振り返った。



「ああ、寒い寒い。もうここで食べよ」

「ちょっと待ってください。私分けますから」

「お金半分出そか?」

「いいですよ。次奢ってください」

「ありがとう。そっちの方が小さいけどええの?」

「肉まんはけっこうカロリー高いので」

「それ、今言う?」



 受け取った肉まんにかじりつく。熱い。ジュワーッと、アツアツの肉汁が口の中に広がっていく。

 カロリーは気になるけど、やっぱりうまいわ。



「あ、先輩。ガラス」

「ん?」



 萌叶が私たちの背後にあるコンビニのガラスを示す。

 そこには私たち二人の顔が映っている。



「顔。リスみたいですよ」



 肉まんで頬をぱんぱんに膨らませている、私の姿。

 よりにもよって、普段から前世がリスだと思っている萌叶もえかに指摘されてしまった。


 あんまり間抜けなもので、つい吹き出してしまう。そうすると肉まんごと出ていきそうなので咄嗟に手を押さえ、頬はますます膨れてしまう。


 アホだ。なんとも馬鹿馬鹿しい一人芝居。


 萌叶もそれに釣られて笑う。通行人が何事かとこちらを見るが、それがますます可笑しくて、私たち二人はコンビニの前で笑い続けた。


 ……やがて、笑いが収まった萌叶が口を開く。



「先輩。やっぱり絵やめんといてください」

「……急にどうしたん?」

「さっき言ったじゃないですか。私、先輩の絵ちょっと好きなんですよね」

「そっか。でも――」



 私が反論を口にする前に。

 萌叶がぐっと唇を噛んだのがわかった。



「私は――ッ、先輩の絵のファンですから!」



 ――――は?


 いきなりの萌叶の告白に、道行く人たちもぎょっとしてこちらを見る。

 萌叶は気にせず息を吸った。



「私! 先輩の絵見て美術部に入るって決めたんですから!」

「ちょ、声! 声大きいて!」

「やめたら寂しいやないですか! 遠くの大学行って、高校のこと……私のこと忘れられたら寂しいやないですかっ!」



 萌叶もえかの叫びが、頭の中でこだまする。


 ……そうか。私が大学に行ったら、萌叶とこうして会える日も少なくなっていくのか。

 今日みたいに学校の帰りにコンビニに行って肉まんを半分こすることなんてない。

 それが卒業というものだし、誰にでも訪れるフツーの日常だ。


 いつも通っていた美術室の光景がよみがえる。

 夕日の差し込む部室。少し傷んだイーゼルと油絵の匂い。

 横からカンヴァスを覗き込む萌叶の、人懐っこい声。

 二人で馬鹿な話をして笑い合った日々。



「わかった。わかったから大きい声出さんといて……な?」

「私、寂しいですぅぅっ、先輩おらんなったら寂しですぅぅ……っ」

「わかったから……っ!」



 ついに泣き出した萌叶もえかを落ち着かせようと、私は彼女の両肩を抱く。顔が熱くなっているのがわかる。通りを行く人や交差点で並ぶ人たちが、気になってチラチラと視線を送っていた。


 ふと横を向くと、さっき見つめて笑い合っていたコンビニのガラスがある。

 ガラスには、顔を赤くして抱き合っている自分たちの姿が映っている。

 ぜんぜん特別じゃないし、あまりきれいな色じゃないかもしれないけど…………それはたしかに真っ赤な薔薇のようだった。



「……ありがとうな。萌叶」



 うん。

 私には、これくらいの薔薇色がちょうどいい。


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これくらいの薔薇色 片月いち @katatuki

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